綺麗さで誤魔化せるのにも限度がある
怪物との戦闘が終わった後、キンシはひとり浴室で身を清めていた。
それは単に戦いを無事に終えた満足感や優越感により深く浸るためだとか、あるいはバトルによって生まれた興奮や増幅したリビドーを冷却するためだとか。
そんな感じの、いかにもらしい理由があるだとか、そのような事は決してなかった。
ただ単に、キンシは怪物の体液で汚れた体表や衣服を洗浄するという目的、それだけのために浴室へと追いやられていた。
追放の経緯としては、キンシが怪物の生命活動を止めた後に。
「さあ! 部屋に戻りましょうか」
まるで何事も無かったようにして、キンシがその左腕に武器を携えたままでスタスタとギャラリーの方へと戻ろうとしていた。
その行動に戦闘を観察していた人物の内の一人、メイと言う名前の魔女が突発的な非難の声を一つ。
「まあ! そんな恰好で歩きまわってはいけません!」
メイの発言は、キンシにとって鶴の一声と同等の効力を発揮していた。
そんな感じで、キンシは接近を拒否されたことに関して軽く傷心をしつつも、
「じゃあ……、ちょっとバスタイムしてきます……」
すごすごと大人しく住居の中に設えられた浴室へと身を沈めていった。
さて、現場に残された男女が二人。
キンシの後ろ姿を見送った、メイがしばしの沈黙の後に静かに呟いている。
「ちょっと優しくないこと言っちゃったかしら……?」
幼女の魔女がかすかに後悔をするように、その椿の花と同じく紅い瞳を地面へと落としている。
魔女が憂いを抱いている。
「…………?」
メイの抱く感情の理由を理解できずに、彼女の隣にたたずむトゥーイが首を傾けながら疑問の目線を落としている。
「不明瞭でした、何が落ち込む要因」
トゥーイはそのようにして、首元へ首輪の様に巻き付けた発声補助装置から音声を発している。
それは成人男性の低さに設定させられている。
メイは電子的な音色を聴覚器官に認めながら、彼の抱いた疑問へ逆に思考を働かせる必要性を求められていた。
「えっと……質問をしている、のよね?」
メイはトゥーイの顔を、その目が覚めるような紫色をした瞳を見上げながら、青年の供述している内容を考察しようとしている。
なんといってもこの青年と幼女は、まだ生活を共にして日が浅い。
青年のつかう怪文法、正しくは彼の身につけている装置の不具合によって引き起こされるエラーなのだが、それをスムーズに解読する術を彼女は有していない。
ごくごく短い単語、例えば「はい」や「いいえ」程度のやり取りならばある程度簡単に解読することが出来る。
だがそこから少しでも長くなると、文章としての形を得た途端にメイは青年の言葉を上手く理解できなくなる。
それこそ浴室へと追いやられたキンシのように、日常生活の中で何度も、何回も青年の怪文法を聞き続けた少女でもない限りは、彼と円滑なコミュニケーションをとることは期待できそうになかった。
ああ、だが、とメイはトゥーイの言葉を懸命に解読する思考のすみで別の展望を想像しかける。
もしかすると自分も、今こうして青年の言葉に戸惑っている自分自身も、いつかはあの魔法少女のように怪文法を日常生活の一部に飲み込んでしまうのだろうか。
想像をしかけた所で、それは無い、とメイの内なる冷静さが氷菓子の様にひんやりとした分析を下していた。
幾ら彼の言葉を耳にしてみたところで、理解しようとする気概でもない限りは日常の内に組み込まれることも考えられない。
それこそ、あの意味不明を心から愛する魔法少女でもない限りは無理であると、比較的平凡な思考しか有していない魔女は自らに諦めを結び付けていた。
ともあれ、メイはトゥーイが時分自身に疑問を投げかけていること、その返答を頭の中で早急に要していた。
「えっと……そうね、私はキンシちゃんに申しわけないなって。そう思っていたのよ」
この場合はあまり深く記憶を辿る必要もないだろうと、メイは今しがたコメントしたばかりのこと、それだけを考えようとしている。
「ほら、せっかく怪物から助けてもらったのに、体がよごれたからお風呂にいきなさい! って、なんだかはくじょう、じゃない?」
大して難しくない感情の様子を、メイは少しだけ難しい言い回しを使いながら、その爪先はとある場所へとゆっくり近づこうとしている。
魔女の白く小さく、たおやかな後ろ姿をトゥーイが静かに追いかける。
彼女の爪先が向かうところ、それは今しがた魔法少女に殺されたばかりの怪物の死体が置かれている場所であった。
キンシと言う名前の魔法を使う少女がしっかりと、その身をもって確認をした通り、怪物の肉体はほぼ完全にその生命活動を停止させている。
心臓は魔法のペンによって貫かれ、敗れた皮膚からこぼれる血液は本来帯びていたはずの熱を、周辺の空気の冷たさの内へ溶かされつつある。
怪物の死体を視界の下側に認め、それを見下ろしながらメイは自らの発言に小さな後悔を抱いていた。
溜め息を吐きだす幼い魔女、そこにトゥーイが慰めるかのような目線と言葉を投げかけている。
「憂慮は不必要です、先生、は損傷に心理的執着をすることをしない」
「うん、うーん……?」
メイはもう一度トゥーイの言葉を翻訳しようとしたが、しかしその試みは速やかに失敗へと帰結させられていた。
「とりあえず、私がひつよう以上にむずかしく考えることもない、ってことね……」
諦めるようにして自らに納得を付与しようと、してみたところでメイは意識の内層に別の問題が浮上するのを喉元に感じていた。
「ああ、でも……コレ、どうしましょう?」
生まれた言葉を留めることもなく、メイは目下にひろがる問題へ注目せずにはいられないでいる。
メイが見下ろしている先は、他でもない怪物の死体であった。
彼女の目線を追いかけるようにして、トゥーイもまたそれを視界の中心へと置いている。
二人の人間が見つめている、そこには相変わらず怪物の死体が存在をし続けていた。
もうこれだけ時間が経過したのならば、再起動を危惧する必要性は無いと考えられる。
完全に動きを止めた、肉体の処理をどうすべきか?
まさかこのままここに、こんな所にこの血のしたたる肉の塊を放置するわけにもいくまい。
「ねえ、大丈夫かしら?」メイが不安を口にしている。
「これ、このままほうっておいたらその……腐ったりしないかしら?」
活動を止めた生き物の肉体がどうなるのか、メイはどこかで仕入れた知識を根拠に、この場に予測できる危険を予想していた。
生き物に腐食が必要不可欠であることは第一の前提として、しかしながら使用する住居にそういった自然の働き行われるのはよろしくないのではないか。
メイが住居に生じるであろう不衛生に不安を覚えていると、そこにトゥーイが疑問に対する回答を用意しようとしている。
とはいうものの、トゥーイはもう言葉を発しようとはしなかった。
詳細には説明できずとも、流石の青年であってもこれ以上不可解ばかりが累積するコミュニケーションを繰り返すつもりは無いらしい。
なにより、トゥーイにしてみても口で説明するよりも、行動で実際に説明する方が得策であると考えているようであった。
「? なにをするつもりかしら」
唇を閉じたままでトゥーイが怪物の方へと身を屈めている。
その様子をメイは、彼の背中を見下ろすような格好で眺めていた。
椿の魔女が不思議そうに、そして興味深そうにトゥーイの手元を見守っている。
彼女の視線を感じながら、トゥーイは右の手で着用している衣服の懐をまさぐっている。
浴衣の様に薄い布で織られた着物は、トゥーイにとっての部屋着ないし普段着でもある。
バスローブの折り重なりに似ている胸元に指を滑らせ、トゥーイは服と肌の隙間にとある物品を探り当てていた。
目当てものものを発見し、トゥーイは指の間にそれを掴みながら服の外へと取り出している。
それは服の内に潜ませられる程度には薄く、とてもコンパクトなもののように見える。
「それは、えっと紙……よね?」
青年の指の間にあるそれを見て、メイが見たままの感想を口にしている。
「なんだか、へんてこりん絵がかかれている紙のように見えるのだけれど」
メイは首を傾げながら、青年が手にしているアイテムと思わしき物品の正体をどうにか把握しようとしている。
だが彼女がいくら考えて見た所で、怪物の死体の前で落書きを書いた紙切れ一枚がどんな役割を担うのか、まるで想像がつかなかった。
と、言うよりも、
「あの……、トゥ……?」
メイはそれ以上に、振り向きざまにこちらを見やるトゥーイの目線に見過ごせぬ違和感を覚えている。
「どうしたの? いきなりそんなこわい目をして」
トゥーイはしゃがんだままの姿勢でいる、そうすることによって青年と魔女の目線は同じ位置に繋げられている。
線と点は直線に近しいものとなっている。
それ故にメイはトゥーイが自身に向けてあまり肯定的とは呼べない、どこか不満げな感情を瞳に宿していることを実感できていた。
「…………」
トゥーイはそれ以上何かを言うでもなく、口の中で奥歯を噛みしめる。
唇が微かに動く、そして彼はすぐに目線をメイから逸らし、もう一度視界の中心に怪物の死体を捉えていた。
口は閉じられたままで、鼻腔による呼吸が静かに行われる。
トゥーイが右手を怪物の死体の方へとかざす、そうすると指の間に挟まれていた紙切れが転がる死体へ接近している。
青年の右指の中にある紙切れは正方形の形をしていて、大きさとしては折り紙を四分の一に切り分けた程度しかない。
限りなく真四角に近しい、均等なる表面の全体を占めるかのようにして、その紙には不思議な模様やら文様らしき絵が描かれている。
それはとても色鮮やかなもので、質感的に色鉛筆が使用されていることを想定できる。
色とりどりの筆跡によって組み立てられている、模様は全体の形状として円を基本としていた。
と、そこまで観察の手を伸ばしたところで、メイはようやくその模様の意味を理解し始めていた。
「それは……」




