モノクロのコピーアンドペースト
瞬間、キンシの右側に生えている指先、そこの周辺の空気が動きを見せる。
それは感覚的なものではなく、肌に触れたり目に見えたり、あるいは耳で聞き舌で味わうことが出来るであろう。
つまりは、確かに現実に起きた出来事であった。
キンシの指先が微かに光る、それは赤い色をしていた。
赤く光る、色彩は酸素を大量に含んだ血液のように新鮮な輝きを持っている。
赤色は弱々しい光を広げようとする。
だが範囲を広げるための進軍はひどく頼りなく、結局色彩と光はキンシの指先のほんの一部、爪の半分だけを変化させるのに留められていた。
そしてキンシにとっても、魔法を使うためにはそれだけで充分、条件のためのおおよその平均はクリアしたという事になるらしい。
キンシの、魔法を使う少女の新緑のような色をした瞳へ、すでにどこか満ち足りたような笑みがほんのりと浮上する。
魔法が使えるという安心感、使用をするに値するという資格が己に与えられた安心感。
それは一種の呪いであり、執着心は渇いた肉体に水分を求める渇望と貪欲さにも似ている。
限定された安心と満足感の中で、キンシと言う名前の魔法少女は指先で魔法を使った。
赤い光が消えた、輝きを失った皮膚はすっかり元の色素を取り戻している。
魔法少女が持つ本来の色は見る分には何ら特別性は見て取れない、いたって普通の人間の色彩でしかない。
だがようやく取り戻せた普通さを否定するかのように、まるで失われた光の代替え品と言わんばかりに少女の指先にはある物体が出現していた。
魔法少女である彼女がそれを見る、それは確認のための目線だった。
そして魔法少女ではない別の彼女、メイと言う名前の魔女も少女の手の中にあるそれを視覚に確認する。
魔法少女が右手に握る、それがとある文房具にとてもよく似た形を持っていることにメイは気付かされていた。
「万年筆みたいね」メイが出現した物体に関するコメントを一つ呟く。
そして言葉を発した後で、メイは自らの保有している記憶から目の前の事象に対する違和感をすぐに検索していた。
「あら……? なんだかまえに見たときとは、武器のかたちが変わっているような……?」
メイは首を軽く傾げながら椿のように紅い色をした瞳の奥で過去の記憶、いつか自身が経験した出来事の幾つかから情報を探り当てる。
違和感の正体はすぐに見つけられた。
なんと言っても目当ての情報はメイにとってもごく最近の出来事、そして同時に彼女自身のあまり長さの無い人生において、かなり印象に残る出来事に含まれている。
「まえに私が怪物さんに食べられたとき。そのときに使っていたものは、もっと鍵みたいなかんじだったわよね」
首をかしげたままで、メイは自身の記憶の整合性をキンシへと求めている。
その顔つきは幼い子供そのものでありながら、瞳の中に浮かぶ追求の鋭さに幼児性は感じられない。
この椿の瞳をした魔女には誤魔化すことは出来ない、それ以上にそんな必要性も無いとキンシはすぐに判断を下していた。
「もちろん、鍵にも変化しますよ」
キンシは努めて平常成る声音を使用することを意識しようとした。
しかしそういった意図を思い描いた時点で、すでに言い訳としての要素をクリアしてしまっていることは、魔法少女が自覚する出来事の範囲外であった。
「しかしながら鍵と言う形は、どうやら僕の使う魔法とは性質とは合わなかったようで」
魔法と道具に合致の可否が存在するという事実が、まずもってメイのあずかり知らぬ事実であった。
だがとりたてて深く難しく考えるまでもなく、メイは魔法少女が主張している内容について納得を至らせている。
「うん、うーん? たしかに……魔法がにんげんのつかう方法なら、そのための道具に得意と不得意があってもおかしくない、かも?」
「そうです、その通りです、ザッツライトです」
魔女が同意を示している、それを見たキンシが若干おおげさともとれるリアクションを取っている。
その左半分は依然として怪物の触手に苛まれているが、魔法少女はそれに関して特に問題視することをしていない。
黒いTシャツ一枚の他は必要最低限の下着のみと言った格好、そこに怪物の触手がスルリスルリと忍び寄る光景はなかなかにスリリングな意味合いを持っている。
解説もそこそこにして、出来れば早く怪物への対処をおこなって欲しいのがメイの本音ではあった。
しかしキンシは魔女の心配をよそに、それよりも重要な事のように道具に関しての解説を止めようとしなかった。
「僕の魔法は文字、文章を主な性質としていますからね。なので、文字を書く道具……つまりは文房具の形になることは必然的、限りなく自然の摂理に近しいものと考えられるでしょう」
力説をしている、キンシはもはや他者のためと言うよりは自身に向けて語るように、言い訳のための文章を締めくくっていた。
ようやく話が終る。
無駄に長かった前置きの後にメイはこの状況が、つまりは一人の魔法少女が怪物の触手に襲われている場面が解決へと進むことを期待した。
なんであれ魔法の道具が登場をしたということは、魔法少女はこれからそれを使って怪物の触手に状況の改善へ向けた対策を取るに違いない。
メイが期待している、その内容としてはいくらかの幻想的な雰囲気を望む声でもあった。
例えば呪文を唱えたり、そうやって魔法を発現させて怪物を退ける。
魔女が想像した方法は、少なくともこの世界にしてみればあり得ない事でもない、実現しうるやり方の一つではあった。
だが、魔法少女はその方法を選ばなかった。
魔法少女が、キンシが再び呼吸をする。
今度はどこも光らない、魔法のための呼吸ではなくそれは肉体のための供給作業であった。
「──っ!」
キンシが強く拳を、右側のそこを握りしめる。
魔法のペンが握りしめられる。
キンシは携えたそれを、細く伸びる金属製のペン先を真っ直ぐ、一切の躊躇いも迷いも無く触手に突き立てていた。
「ええ?!」魔法少女の行動にメイが驚きの声をあげる。「物理的こうげき?!」
それはまさに原始的な攻撃方法であった。
金属製のペン先が怪物の柔らかな肉を何度も、何度も刺突する。
ザクッザクッ、と細胞の連続性が断絶される音色が空間へと響き渡る。
ペンによって刺された部分から怪物の体液が、水溶液に赤色の絵の具を少しだけ溶かしたかのような色合いの体液が溢れる。
それが出血であり、怪物が魔法のペンの攻撃に耐えきれず大人しく退却を行っている。
やっと触手から解放された、メイは驚愕もそこそこにキンシの元へと近付いている。
「大丈夫? キンシちゃん」
「ええ、僕は大丈夫です」
それは強がりでも何でもなく、メイは少女がなんら健康的に害されてはいない事を間近に確認させられていた。
メイが、椿の瞳をした魔女が信じられないものを見るかのような目線を向けている。
その目線に気付くこともないままに、キンシは顔面に付着した体液を左の手の甲で雑に拭い取っていた。
「予想していた以上に大人しそうで、助かり──」
キンシはとりあえず触手から逃れたことに安心をしようとした、だが相手側はそれを許さなかったらしい。
少女の背後で触手が蠢く。
今しがたペンで幾つか穴を開けられたそれが、体液が流れ落ちるのにも構わずに次の行動を起こそうとしている。
タラリタラリ、と体液の筋が怪物の表面に数本の暗い筋を描いている。
「あ……!」
メイが先に怪物の動作を視覚に認めていた、危険を知らせるべきかの判断が魔女の脳内を駆け抜ける。
しかし魔女が言葉を発するよりも先に、キンシの聴覚器官が敏感に相手の動向を察知していた。
「さがって!」
口をついて出てきたのはメイの身を案じる言葉であったことに、メイはキンシに対していよいよ信じ難いという感情を強めていた。
しかし個人的な心の動作よりも先に、メイの体はキンシから下された命令に速やかな対応を起こしていた。
下がれ、と言われてメイは何よりも先に怪物との距離を取ることを肉体へ優先させていた。
足で地面を、排水管の底面を強く蹴る。
あまり広さが許されている訳ではない、限られた範囲内でメイはキンシに命令された内容を出来るだけ実現させる必要性に駆られていた。
と、そこでメイの前方へと移動する人影がひとつ。
「保護します」
トゥーイがそう話しかけている、メイは目線を青年のうなじの辺りへと向けていた。
トゥーイは右腕をメイへとかざしている。
まるで魔女個人を何よりも優先して保護する動きに、メイは青年に対して新しい違和感を覚えている。
「キンシちゃんをサポートしなくていいの?」
メイはトゥーイに問う。
彼女は自分と同じ雪のような髪色を持つ彼が、この世界において何を、誰を最優先しているのか。
その事をすでにいくつか知っている、だからこそメイは青年の行動に意外性を見出さずにはいられない。
トゥーイがメイの方を少し見やる。
紫色と紅色、異なる二色の瞳が少しの時間にぶつかり、結び合う。
そしてトゥーイが彼女の疑問に答えていた。
「心配の必要性はありません」
青年の意思を短く翻訳した、メイは言葉が対象としているのがはたして青年自身なのか、あるいは少女に向けたものであるのか判別をつけられないでいた。
いずれにしても魔女が答えを得るよりも先に、場面は瞬く間に戦闘の色合いを濃いものへと変えてしまっていた。
ヒュウンッ! と空気を激しく裂く音が通路内に響く。
それは怪物の触手がキンシ目がけて振り落とされた、攻撃行動によって発生した音であった。
怪物の一手はとても狂暴であった、しかし伸ばした手は望むべき姿を獲得することは無かった。
キンシの足音が地面を軽やかに移動する。
怪物からの攻撃を逃れたキンシが、間合いを取りながらジッと敵を見据えている。
右手に握りしめていたものを左手へと移動させる。
少女の左側を支配する水晶のような透明さと、魔法のために使われるペンが触れ合う。
途端、魔法のための道具が攻撃のためにその形を変える。
変化は短く簡単に済まされた。
かすかな発光の後にペン出ったそれが太く長く、まるで一本の槍のような形へと変身していた。




