嫌になるぜもう限界
他の誰に確認するまでもなく、キンシはその暗闇のひと塊が怪物であることを五感ないしそれ以外の何か、何かしらの感覚で察知していた。
「これって、怪物……なのよね?」恐る恐る確認をしてきているのはメイの声音。
彼女の鮮やかに紅い瞳がふるふるとキンシの事を見上げている。
怪物がそこに居る、と言う事実を中心にキンシはこの場面に起きた出来事を大まかに予想する。
メイが、その名前を持つ魔女が悲鳴をあげた原因としては、やはりこの暗闇の色をした怪物が最大の原因ということになる。
そのはず、と考えた所でキンシは頭の中で疑問を抱く。
はて、メイのような人物がたかが小型の怪物程度にあんな、とんでもない悲鳴をあげるだろうか?
キンシが疑いの色をその緑色をした瞳の中に浮かべようとしていた。
その頃合いにはメイの方でも、己の身に起きた凶事の詳細を手早く説明できる程度には、精神衛生を自己回復させていた。
「あのね、ちょっと書斎でしらべてみたいことがあったから……。それで、その帰りみちにこの子をみつけたのだけれど」
舌足らずでぽつぽつと語る、メイは床の上にへたり込んだ体勢からヨロヨロと立ち上がろうとしている。
まだその白く細く、小鳥のようにふわふわとした羽毛と体毛に包まれた全身には、凶事にみまわれたショックが抜けきっていないらしい。
とっさに伸ばした白い指先、少し伸び気味の鋭い爪が支えを求めている。
目的のものが見つけられずに爪の先端がフラフラと虚空を漂う。
その震えへキンシは少し考えた後に、右の手をそっと差し伸べていた。
まず固く鋭い先端が皮膚を軽く刺激する、次にメイの手の平、羽毛の薄い本来の皮膚部分がキンシの肌と触れ合う。
彼女の、魔女である彼女の体温を感じ取りながら、キンシは抱いた違和感を彼女に問いかけていた。
「しかし、たかが怪物ごときで貴女ともあろう方があんなに悲鳴をあげる必要もないのでは?」
「それは、いくらなんでも買いかぶりすぎよ、キンシちゃん」
まるで自分の事を歴戦の戦士か何かと扱うようなキンシの物言いに、メイは立ち上がりながら思わず苦笑いをその柔らかな唇に浮かべている。
「私だって、まだ怪物さんを相手にするようになって、まだまだ日が経っていないのだから……」
言い訳のような前置きを、しかしメイはすぐにかぶりをふって自らの意見を静かに否定する。
「ううん、そうじゃない。むしろ油断していたからこそ、この怪物さんはあんなことをしたのかも」
具体的に何が起きたのか。
と言った質問をしたのはトゥーイの声と目線であった。
メイは青年の問いに、おおよそ正解と思わしき内容を言葉としてさらに詳しく説明しようとした。
「それで、小さいものなら私ひとりでも対処できると。そう、そうかんがえたの。そうすると」
怪物に向けて手を伸ばしたメイ。
すると、彼女の腕を大きな黒い腕が「ガシイッ!」と掴んだ、らしい。
突然現れた謎の腕、当然のことながらメイは驚いた。
「もう、ほんとにビックリしちゃって」
そしてやはり当たり前の行動として、メイは何よりも先に襲いかかってきた腕を振り払おうとした。
しかし彼女のそんな試みを嘲笑うかのようにして、なんということだろう、腕は幼い魔女の動きに合わせるかのようにして力を増幅させる。
いよいよ自らの腕を掴む感触が、怪物と言うよりはもっと人間らしい、ある意味においては怪物よりもずっと、遥かにおぞましいものへと姿を変えようとしていた。
ちょうどその頃合いにて、キンシとトゥーイはメイの悲鳴を聴覚器官に受け止めていた。
ということになる。
「ここまでは何となく分かりました、けれども」
メイが語る内容をキンシは頭の中で整理する。
言葉の中から想像できるイメージを繋ぎ合わせる、それは一連の映像のような一幕にも似ている。
脳内に作り上げられた架空の演劇に、キンシは抱くべき違和感をすぐさま疑問点へと変換させていた。
「僕が来たときには腕と思わしきものは見えなかったのですが、それはどこに隠れてしまったのでしょうか?」
質問文を口にしながら、キンシは周辺へ探るように目線を動かしている。
もしかするとメイが言っていたその腕、考えるまでもなく怪物の攻撃である黒い腕がまだどこかに潜んでいて、油断をした隙に自分らの肉を喰おうとするのではないか。
キンシはそんな危惧を体に張り巡らせようとした。
だがそれに関してはとりあえず杞憂に終わることとなる。
「ああ、それなら大丈夫よ」
少女が動向を黒く円く広げている、その様子を見てメイが少し早口にとりあえずの顛末を唇の先に結ぶ。
「その、悲鳴をあげたときに、とっさに爪でガリガリッてやったら、腕のほうが急に離れたの」
メイは少しだけ恥ずかしそうに頬を包む羽毛をフワワッと膨らませつつ、右の指をキンシらに見えるようそっとかざしている。
彼女の指先、そこには血液によってほんのり紅色に色付く爪が鋭く伸びていた。
「なるほど」キンシは納得の言葉を頷きと共に舌の上へと乗せる。
「春日の爪でやられたら、大概のひとは一たまりもあまりませんね」
春日とはこの世界における人間の種類の一つ、斑入りの一種、身体に鳥類の特徴を宿した者たちの事を指す。
メイも一応ながら、それらのグループのに属している。それ故に、彼女の体には羽毛がたくさん生えているのであった。
「でも、ちょっと軽くかすっただけなのよ?」キンシのコメントにたいし、メイはいよいよ羞恥心の色を濃厚にさせる。
「とにかく早く離してほしいものだから、ちょっとらんぼうにしたことは否めないけど……」
どうやらメイは素手で怪物を一時的にしろ撃退できてしまったこと、その事実、それを実行できてしまえた自身に強く意外性を抱いているらしかった。
なんと言っても彼女はまだこの灰笛で暮らし始めて日が浅く、故に怪物と言う生き物に対しての認識も不足していることは否めない。
メイにとっての怪物は、依然として神だとか妖怪だとか、一種の怪異じみた触れてはいけないものの類に近しい認識となっている。
それはこの世界において、広く一般的な「普通」の見方であった。
普通の考え方に対し、普通とはとてもじゃないが呼べそうにない、そんな魔法使いの一人であるキンシがゆっくりとした口調で起きた出来事の詳細を想像しようとしている。
「確かに、今回は相手があまり強くない個体であったことは、否めないですね」
キンシはメイの方を少し見やり、その後に身体を暗闇の色をした怪物が転がっている方向へと移動させている。
「これはおそらく花虫の一種、つまりは怪物の中でも下層の階層に組されるもので。動物と言うよりは、どちらかと言うと植物に近い形質をもっているんですよ」
すらすらとした語り口で説明しながら、キンシは特に迷いもためらいも見せずにその指先を怪物の転がっている方へと伸ばしている。
「あ、あぶない……」
メイが止めようとした、しかし彼女の抑制も虚しくその紅い瞳には今しがた出会ったばかりの凶事が再び行われようとしていた。
柔らかいものが這いずりまわるような音がした、そのすぐ後に再び黒い腕が空間へと出現している。
キンシが腕を伸ばした途端に活動を再開したのを見るに、やはりその腕は怪物にとっての防衛本能のようなものなのだろう。
つい先程まで自身の肉を掴んでいた物体が目の前に再び現れ、メイは咄嗟に出かけていた悲鳴を押し殺すのに、少しの間呼吸を止める必要性に駆られていた。
強引にでも声を押し殺した、理由としてはこの場を無駄に騒ぎたくないというのも、もちろん一つの案としてあげることが出来る。
だがそれ以上に、メイの頭の中では再現された怪物の姿をより確かに観察したいという欲求が強く意識を占めていた。
最初にメイが遭遇をした時には、突然の事にただただ驚くより他は無かった。
しかしこうして一歩離れた位置から改めて姿を視認すると、メイはその黒い腕が人間の持つそれとは、だいぶ形が異なる者であることに気付かされている。
「ほら、ご覧ください」
キンシがそう言いながら、その体、伸ばした左腕を怪物によって緩やかに食まれながら、その口はいたって平坦に説明を続行させている。
「生物的な機能もごくごく単純なもので、攻撃的意識を感じたらこうして防衛機能を発動させると言った簡単な動きだけをするんですよ」
「そう、なのかしら?」
キンシが語る内容に同意をしようとして、しかしメイは現実に見えている光景に疑問を抱く。
「私には、おおきな腕をつかってキンシちゃんを食べようとしている風にしかみえないのだけれど……」
今この瞬間だけは己の感覚、認識が正しいものであるとメイは信じることが出来ている。
黒い腕が幾つも連なり、捻じれを描いて魔法少女の素肌を覆い尽くそうとしている。
その様子は一人のうら若き人間が、無謀にも恐ろしき怪物に触れてしまったホラーゲームの冒頭映像に似た趣が見て取れてしまえた。
メイが不安そうに見つめている、その目線を見てキンシはそろそろ次の行動に移行しようとした。
「なに、必要以上に怖がる必要もございません。このように簡単に外すことが……」
なんとも調子の良さそうな事をぬかしながら、キンシはまるで深夜帯のテレビショッピングのような口上で自分から怪物を引き剥がそうとしている。
しかし。
「よいしょ、……あれ? とれない」
強めの力でひっぱても、怪物の腕はキンシの肌から離れようとしない。
その様子を見てメイは不安めいた溜め息を吐きだしていた。
「そりゃあ、そんなにも肌にピッタリ張りついているんだもの」
そうしてメイはキンシの姿を、上着を一枚被るほかはせいぜい上下の下着程度しか身につけていない、つまりの所かなり露出が高くなっている。
そんな少女の肌を、怪物の触手がタコの吸盤よろしく密着を起こしている。
「くっ……これは予想外でした」
むしろ予想もしていなかったのかと。
とても開放感のある少女の姿と、緊急性に満ち溢れた怪物の触手が織り成すアンバランスさに、メイが軽くめまいを覚えそうになっている。
「仕方がありませんね……」
己の失態は手早く済ますべきと、キンシは体の左半分を怪物に噛まれながら、
スッと息を吸い込んで空いている方の指先に意識を巡らせる。




