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人道的な理由から始めたのです

 少女は夢を見ていた。

 それはとても見慣れた夢だった、とはいうものの実際に無意識の上に浮上したのは、はて、何時ぶりの事だっただろうか。


 少女は数えようとして、しかしさして時間を有することもなくすぐさま諦めをつけていた。

 彼女は数えるのが苦手なのである。

 出来ることなら三より多い数はみんな「たくさん」でいいのではないか、と言うのが彼女の超個人的な切なる願いであった。


 とにかく、その夢は少女にとってすでに日常の一部に組み込まれつつある。

 その位には慣れきったことであって、なので今回も驚くことなど何処にも存在していない。


 そのはずだった。

 だが少女が期待したところは、今回はどうやら叶えられそうになかったらしい。


「やあお嬢さん、ごきげんよう」


 夢の中で話しかけられていた、少女はそれに軽く会釈を返している。


「元気そうだね、君が元気だと僕も安心が足りているよ」


 少女の反応に喜びを表している、声を発しているのは若い男性の姿をしていた。


 年恰好としては二十代を終えてすらもいないような、まだ青年の域を脱してもいないほどには、若さによる弱々しさが皮膚の上を覆っている。


 青年は左腕を自らの頭部へ、風に撫でられる毛髪を左指で軽く押さえている。


 夢の中に広がる、夢を見ている少女の左目に映るそこはどこかの町のように見える。

 人の気配はまるで感じられない、まるで青年と少女の二人を残して、世界から全ての他人が跡形も無く消えてしまったかのような。


 そんな想像を抱く、それがただの期待であることに少女が気付き始める。

 それらの思考の動きは夢の中におけるお約束で、少女は己の願望の浅ましさに嫌気を覚える。


 少女は夢を見たままで、夢の中で上を見上げている。


 背の低い彼女が目線を上に向ければ、まず最初に見えるのは他人の家の外壁。

 玄関はかたく鍵が施錠され、窓には分厚いカーテンが掛けられている。


 内側と外側は決定的にまで遮断され、間違いなく人工物であるはずの家々が、今は岩壁と同等に無機質な意味しか有していない。


 色の少ない家々の隙間。

 暗さから出来るだけ遠くに逃れるようにして、そこからさらに目線を上に向ければ、屋根の上に広がるのは重々しい曇天であった。


 それはとても見事な曇り空だった。

 暗く濃密な灰色に密集した水蒸気の大群。

 そこにはまるで工場から納品されたばかりの化学繊維のように、目に見える表面には一切の綻びが感じられそうにない。


 均一で滑らかな灰色、おうとつの少なさは乳幼児の肌と見紛うほどの美しさを見出しそうになる。


 そうして少女が空に見惚れていると、青年が彼女に話しかけてきていた。


「もうすぐ雨が降りそうだ」


 声がする方に目線を向けて、少女は思わず瞬きを数回ほど繰り返している。


 地面の上、そこにはあるはずのない灰色が一粒ほど佇んでいた。

 まさか、空に見ていたはずの曇り空の色がそのまま地面の上に落ちて来たのではないか。


 少女は思い込みかけていた思考を、しかし決定的な域に達しようとしたすんでのところで思いとどまっている。


 空の灰色と同じもののように見えていた、それは単に青年の毛髪の色にすぎなかった。


「あまり長くは話せないけど、それでも立ったままっていうのも味気が無いよな」


 青年は濃い灰色をした髪の毛を風にそよがせながら、その腰を落ち着かせるための場所を髪の毛と同じ色をした瞳で探り当てようとしている。


 青年の動きに合わせて、少女も周辺の環境を軽く観察している。

 目線を動かせば、そこが小さな公園であることに少女は気付き始めていた。


 とても小さな公園、それこそまだ歩き始めて間もない子供が二人遊べられる程度のスペースしか許されていない。


 公園は手入れが行き届いているとはあまり言えそうにない、四隅に目を向ければエノコロ草の柔らかな種の連続がフワフワと湿った風に揺らいでいるのが見える。


 青年は灰色の瞳で少し考えた後に、その体をブランコの板にそっと落ち着かせている。

 表面が茶色く老朽化した鎖が重さに反応して、連続性の中に微かな悲鳴を奏でる。


 少女もまた青年に合わせて、ブランコの上にそっと腰を下ろした。


 青年と少女が二人並んで、ブランコの鎖にふらふらと揺れている。


 青年が口を開いて少女に話しかける。


「どうかな? 最近の調子は」


 いつも通りの切り口に、少女はいつもと変わらない内容を彼に伝える。

 

 それは例えば仕事の調子だったり、最近起きた出来事であったり。


 少女は最近に起きた仕事上の出来事。

 とりわけとある男性が語っていた「ある事」について意識的に強く話題の中心に置こうとしていた。


 青年が少女の言葉にうなずくような返事をする。


「ふむ、その青い目の人が言っていたのは「大雨(ひちさめ)」が起きた日の事だろうね」


 聞き慣れない単語に少女が首を傾げている、その様子を見て青年がその事象について簡単に説明をしていた。


「ひちさめ、文字の上では大雨と区別して七雨とも言われるけど。僕は面倒だから、普通に大雨(ひちさめ)って呼んでるよ」


 その辺は個人のこの身なのだろうと、青年は手早く次の展開に進もうとしている。


「様々な要因、それが自然的であれ人工的であれ、きっかけは何でもいい。トリガーがひかれることによって、その土地に強大な魔力の飽和が引き起こされる。それが大雨(ひちさめ)なんだ」


 ブランコに揺られながら、青年はこの世界における一つの事象について少女に語っている。


「それらは古くから人身に危機をもたらす災害として恐れられてきた。それも当然だ、魔力が多すぎてもロクな事なんて起きない」


 青年は調子がのってきたらしい。

 黒い布製の長ズボンに包まれた足を使って軽くブランコを繰りながら、揺れる灰色の頭部が少女への語りを続行させている。


「人間の生命に水が必要不可欠な事は、わざわざ教えられるまでもない、生命においてもっとも基本的な要素の一つだ。だが同時に、人間と言う生命は水が多すぎても死ぬという要素を含んでいる」


 青年は語りながら、舌の先でチロチロと唇を撫でている。

 唾液によって唇の渇いた表面が湿る、少女は青年のその様子を見て喉が渇いているのではないかと密に予想している。


 舌の表面、ぬめる唾液で唇を湿潤させながら。

 青年はこの世界における人間の、人間と言う生き物が必要とする要素について語り続けた。


「水に沈めば呼吸も出来なくなるし、水を過剰に摂取すれば血液中のナトリウムイオンが低下して中毒症状を起こす。それらの症状は、この世界における魔力にも類似するものがある」


 というと、魔力による中毒症状があるのだろうか。

 魔法や魔術を使うことによって、人間の肉体に健康的実害が発生する可能性があるのか。


 少女がそういった内容の旨を青年に問いかけると、彼は特に否定も肯定もすることをしなかった。


「ともあれ、発生した災害によって空気中へ過剰に増加した魔的要素は人間の意識に多大なる変化をもたらした」


 青年は昔に起きた出来事を思い出すかのようにして、その濃い灰色をした瞳が遠くへと向けられている。


「今の時間から見て一番近くに起きた大雨(ひちさめ)でも、多くの人間が増加した魔力にその身を大きく変化させられた。あるものは多量の力に対応しきれずショック症状を起こし、またあるものは衝撃にこそ耐えたものの、その後に正常な精神を取り戻せないままになったり、またあるものは災害から長く時間を経た今でも症状を抱えたまま社会生活を送り続けている」


 魔力が増えることによって、人間の体に起きる症状とは何であるか。

 少女が質問をする、そして青年が答える。


「そうだなあ……多くは脳内の分泌ホルモンが関係するが……。その辺の症例はそれこそ個人差がありすぎて特にコレ! と言い切れるものでもないんだが」


 青年は左の指で顎を軽くさすりながら、遠くに向けていた目線をふと、とある場所へと固定している。


「でも……実態に関しては他でもなく、君自身が一番強く意識していることだろう?」


 青年の灰色の瞳が見ている、虹彩は少女の体を映し出していた。

 彼に誘導される形で、少女は自らの肉体を見渡していた。


 軽くて薄い布で作られた下着のような服では、隠しようも無い程に皮膚が空気の下にさらされている。


「魔力……他の魔法使いはたしか「水」と呼ぶこともあるんだったかな? それによって体を作りかえられたのは、何も君だけの話でもない」


 少女を見た後に、青年はゆったりとした動作で自ら左手を上へと運ぶ。

 青年は自らの手に触れる、その手にはいかにも安っぽい作りをした、ファンシーキャラクターがプリントアウトされている。


 それは確か、いつかの時に少女が青年にプレゼントしたもの。

 ああ、そんな物をまだ使っているなんて。


 少女が青年に対して呆れのような感情を抱いている。

 その目線、彼女の緑色をした瞳が映し出している。


 そこへ、青年の左手に刻まれた模様が人間の眼球の下にさらされようとしていた。


 少女は彼に向かって手を伸ばす。



「…………」


 伸ばした指先が他人の肉に触れる。

 触感を左手に感じて、キンシは眠りから急速に覚醒へと意識を進めていた。


 指先が何か、誰かに触れている。

 完食の正体を把握しようと、キンシは眠気にかすむ目を数回ほど瞬かせる。


 かすむ世界。

 キンシはそこに自分の左腕を確認する。


 そこには人間らしい温かみのある皮膚はほとんど残されていない。

 その代替え品と言わんばかりに、その左腕は水晶のように透き通る冷たく硬い物質に支配されている。


 キンシが指を微かに動かせば、水晶に類似した質感が肉体の一部として密に躍動をする。

 透明な形をしている、透き通っているそれらは間違いなくキンシの、魔法使いの肉体の一部として今日も機能していた。


 キンシは唇を閉じたままで、目元にギュッと力を込めてさらに視覚情報を集めようとする。

 だが試みは虚しく、彼女の視力ではそれ以上の情報を獲得することは出来なかった。


 キンシはとりあえず諦めて、左腕を脱力させながら寝床の上で背伸びを一つ。


「んんー……っと」


 体の筋に熱を巡らせる。


「えっと……めがねめがね……」


 虚空に引き延ばされた指先が、そのまま寝床の上に放置されていた眼鏡の姿を検索し始めていた。

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