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振り向かない黒歴史

 他人の家庭事情に深くとやかく追及するような、そんな無粋な真似はしたくないとルーフは常々考えていた。


 しかし少年の個人的意向を裏切るかのようにして、好奇心の見えざる触手は留めようもなく目の前の現実へと先端を這いずらせていた。


「夫婦ってことは、この家に二人で暮らしているってことなんだよな?」


 確認するまでもないような事柄をいちいち質問している、真意としてはルーフがまだ二人の男女について、つまりはエミルとミナモに疑いを抱いているからであった。


 相手側が自らの婚姻関係を主張してみたところで、そんなものは言葉の先でいくらでも演出が可能である。

 つまりは嘘をついているのではないか、ルーフは若い男女への疑いの目線を隠そうともしなかった。


 ジロジロと少年が瞳の中に強い好奇心を漂わせている。


 視線をしっかりと意識した上で、少年の疑問に答えようとしたのはミナモが先であった。


「そうねえ、まだ実感が湧かんけども、そういえばそういう事になるんやろうね」


 言葉に独特の抑揚をつけながらミナモが語る、その内容にルーフはひとつ違和感を覚えていた。


「実感が湧かない? 自分の家なのに?」


「うーん、そうなんよ」


 ルーフの重箱の隅をつつくかのような追及にも、ミナモはとりたてて気分を動かすことなく淡々と、のんびりとした様子で受け答えをしている。


「だって、うちらもここに引っ越してきてまだ一年? も経っとらんかったかったっけ?」


 ミナモは玄関先、扉の内側の近くで目線を斜め上に向けた後で、確認の目をエミルの方へと頼ろうとしていた。


 彼女がその若干明るめの瞳が映し出している。

 エミルのと言う名前の男は問われたことについて、靴を脱ぎながら少しだけ考えている。


「いや? ミナモさん、さすがに一年以上は経っていたはずですよ」


 エミルは彼女に対して丁寧な口調を心掛けているようであった。

 ルーフは感覚的にミナモがエミルよりも年上であることを想像した。外見上、あるいはその他の不確定な情報からの予測なので、あまり確定的な事は言えないのだが。


 少年の個人的予想が展開される、そのすぐ右隣でエミルはあるがままの事実確認だけを舌の上に並べていた。


「とはいうものの……、未だに引っ越し作業の段ボールが片付いていないのがお恥ずかしいところなんだが」


「そうそう、そうなんよー」


 男が自虐的に呟いたことに、ミナモが相乗をするかのようにして同意を示していた。


「散らかり放題でみっともないけども、よかったら心置きなくあがってちょうだいね」


 家に訪れた客人を招く、ミナモは少年を先導するように口元へ柔らかな笑みを湛えていた。



 多少の自虐的要素、過剰なる演出を予想していた。

 それは期待に近いものであったことを、ルーフは段ボールに圧迫され放題な廊下を見た瞬間に自覚させられていた。


 所は玄関先を移動して、ルーフは他でもない自らの腕力に基づいて車いすの車輪を操作していた。

 せめて車輪がある程度安全に運航できる程度のスペースが確保されていたことが、ルーフにとっての幸いということになるのだろうか。


 幸福な偶然を期待しようとした、少年に向けてミナモが穏やかに言葉を重ねてくる。


「お客さんが来るっていうから、昨日今日で慌ててかたしたんよ」


 どうやら偶然なんてものは存在していなかったらしい。

 せいぜい車椅子一台、その分が通行できる程度に整理された廊下。


 廊下は薄暗く冷えた空気かほのかに毛穴をポツポツと縮小させる。

 玄関先から伸びる日の光と、通路の向こう側に見える……あれはリビングということになるのだろうか、そこの窓から漏れる日光の気配。

 それらが、日中の廊下に数少ない光源としての役割を担っていた。


 白色を基本とした内壁が、今は明るさよりも冷たさを演出するのに一役買ってしまっている。


「…………」


 他人の家に訪れるのはこれが二回目、という事になるのだろうかとルーフは考える。


 一度目は……、思い出したくもない忌々しき日々の事、そして同等において忌避すべき魔法少女が生息している。

 ルーフが独り、あまり喜ばしくない記憶に意識を浸そうとしている。


 その頭上にて、車いすに座る少年をはさんで夫婦が簡単なやり取りを交わす声色が降り注いでくる。


「それにしてもミナモさん、ずいぶんとお早いお帰りだが店はどうしたんだよ?」


 エミルがそう問いかけている、ミナモは特に考える必要も無く夫の疑問に受け答えをしていた。


「どうしたも何もあらへんよ、予定されていた日が今日だってことだから、店長と前もって予定をやりくりしとったんよ」


 男女の目線がルーフの方へほぼ同時に移る、動きはほんの一瞬の出来事であった。

 そしてエミルが口を開く。


「そうだったかな」


「そうよ、そうなんよ」


 夫の様子にそれ以上の追及をすることもなく、ミナモはそんな事よりもと、身を屈めてルーフの目線に顔を近付けてくる。


「そんな事よりも、自己紹介がまだやったわね」


 大して必要性があるとも言えない事を、しかしミナモはさも重大な事のように丁寧に扱おうとしている。


「初めまして、わたしの名前はミナモ、アゲハ・ミナモいいます」


 当然のことながらエミルとファミリーネームを共有している。

 ルーフは接近してきた女の顔を直視することを、青少年的本能に基づいて避けようとしていた。


 そうすると、目線はすべるように彼女の頭部。斑入(ふい)り(身体に動物の特徴を宿した人間の総称)である、獣じみた聴覚器官が生えているのが見て取れた。


 丸みのある三角形が古き良き握り飯を想起させる、毛並みの色合い的にイヌ科……(タヌキ)であると考えられた。


 はて、狸の斑入りはどの様な名称を持っていただろうか。

 ルーフは気になったが、しかしここでわざわざ本人に確認するのは、会話の流れ的にどうかとも思っていた。


「それで、君の名前は?」


 ルーフが後で調べることのリストに新しい項目を書き加えている。

 そこへミナモが少年に向けて、会話文の教科書の前半部分に記されている例文のような質問を投げかけていた。


「俺の名前は」考えるよりも先に、ルーフの唇は染みついた慣習にそって言葉を繰り出していた。


「ルーフ、カハヅ・ルーフです」


「そう、ルーフ君ね」


 特にためらいも見せることなく、ミナモはルーフの名前をあたかも昔から既知の関係性であるかのように、その唇は限りない自然体の中で少年の名前を音声に発していた。


「いやあ、どんな僕ちゃんがやってくるかと思えば、こんなおイケさんが我が家にやってくるなんてなあ」


 ミナモは謎に嬉しそうに笑いながら、ルーフの顔面をじっと見つめるようにしている。


 その様子からルーフは、目の前の女がこちら側の状況をある程度把握済みであることを察した。


 初めて会ったはずの人間が自分の事を知っている。

 その感覚がルーフには未体験で、それはまるで皮膚の裏側を直接撫でられているかのような、一種の不気味さを覚えそうになっている。


 感情は個人に限定されたものとして、ルーフはあくまでも無表情を意識していた。


 だが依然として、少年のポーカーフェイスの完成度はお粗末なものでしかなかったらしい。


ミナモがめざとく変化に気づいている。

感情を言葉で確認するまでもなく、彼女は少年の意向を簡単に予想できていた。


「わたしが何者かって、気になるところよね」


まるきり全部正解とまでは行かずとも、おおよそにおいて正解に近しい。

ミナモの様子に、ルーフはこの女があまり油断できない人物であると身構えている。


少年の琥珀色をした瞳が見上げている。

その先でミナモは、自身の情報をさらに開示していた。


「ご説明しましょう、何を隠そうわたしめは魔術師──」


やはりそうか、ルーフがそう納得しようとした。

そのところで、ミナモがさらに言葉を連ねている。


「──と、いうのは書類上の話で。ほんとのところは魔術師さんよりかは、魔法使いさんに似ているんやけどな」


「ん? え?」


予想していたものよりさらに外側から、次々と情報が加えられていく。

ルーフの戸惑い、そこへさらにエミルからの補足の手が重ねられてくる。


「少年は式神って知ってるかな」


唐突に登場した専門用語。

だが、全くもって意味不明というほどの事でもない。

そこになんの捻りもない場合には、その単語はルーフも存じるところではあった。


「それって、道具を使って何かを使役するっていう、あれだろ?」


確定的なことが言えないのはもうすでに分かりきっていること。

それでもルーフは自らが知り得ている情報を、相応しいとされる分だけ舌の上に用意している。


少年が述べたことは、今回は無事に正解へ近しいところへと着地していたらしい。


「その通り」ルーフの解答に対し、エミルが快活そうに解であることをつたえている。


そして、そのままゴールデンタイムの司会者のような勢いのままに、エミルは自分の妻の身の上を簡単に話している。


「ミナモさんは式神術の系譜で、主に人形を中心とした造形技術を専門としている人なんだ」


「人形」


「そうそう、そうなんよ」夫の意見にミナモが軽やかに同意する


「まだ完全に個人の「書斎」を持てるほどではないけれども、でも一応そこの」


ミナモはいったん言葉を区切り、右の指でエミルの方を。

彼の右側、右の腕、義手によって補われている部分に指先が固定されている。


「そこの色男、エミルさんの腕、それわたしの作品なんだ」


そしてミナモは軽く頬を染め、あたかもいじらしく照れる素振りを見せている。


彼女の感情がなにも夫に対する評価などではなく、当然の事ながら話題の中心が彼女の「作品」、そこに注目すべきであること。


それもまた、ルーフに察せられたことの数々。


そしてそのついでに、少年はようやくこの場面が意味するところの一つ、事実へと思考をたどり着かせている。


「と、いうことは」


ルーフはミナモの顔を見上げる。


「ミナモさん、あんたが俺の足を作ってくれるのか?」


質問をされた、人形を作る女は客人へ受け答えをする。


「もちろん、わたしなんかの技量でよければ、それこそこちらの方からサンプルを……」


「え? サンプル?」


「あ! いや、なんもあらへんよ?」


言いかけた台詞を慌てて否定している。

女の瞳にはまるで幼い子供が宿すような、キラキラとした鋭い好奇心が見え隠れをしていた。

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