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鞭と無自覚に自己喪失を覚えそうになる

 ルーフは思い出そうとしていた。

過去の出来事、それを脳内にて再上映しようとしている。


思い出したくないこと、可能なことならば忘却の彼方へと捨て去りたいと期待する、願っている。


だが希望を抱くと同時、同等にルーフはその願いが叶うことはないと、限りなく確定的に近しい確信を抱いている。


ジレンマが彼の肉体を、中枢神経の内層に潜む意識体を圧迫する。


押し潰される感覚、息苦しさがルーフの視覚、眼球へ眩暈をもたらしていた。


フラフラと震え、揺れる世界。

 それに合わせるかのようにして、バスが曲がり角の上でタイヤを大きく左側へと展開させている。


 車体ないし車内全体へ引力が働く、体が脳味噌ごと引っ張られる感覚が肉体へと伝わる。

 力の流れに逆らおうとも考えたが、しかしルーフはその必要性を見つけられないままで、ただ引力に身をまかせる格好を作っている。


 引っ張られる体、身体に軽やかなる負荷が重ねられている。

 

 引力に合わせて体を傾ければ、ついでに記憶の方も都合よくこぼれ落ちてはくれまいか。

 ルーフはそう期待していた。


というのも、現在においてこれから展開されるであろう話題は、少なくともルーフ個人にとっては喜ばしくないこと。


思い出したくない過去の一つや二つ、誰だって隠しているだろう。

と、ありもしない全体に問いかけを投げかけてみたところで、ルーフ本人のためらいと憂鬱が解消されるはずもなかった。


黙っていても仕方がない。変に沈黙を演出するのも、また別の誤解を生む危険性がある。


「集団ってのは、その」


エミルが口を開くよりも先に、ただそれだけの強迫観念に基づいてルーフは自分の事、過去に起きた出来事を思い出そうとする。


「俺が、このまえ取っ捕まって…………、怪獣に改造されそうになった。あいつらの事を言っているんか」


今さら多くは語るまいと、ルーフは先日自分の身に起きた出来事、「ちょっとした事件」の顛末をまとめている。


たったこれだけ、これ程に大胆に削り取ったエピソードだけでも、ルーフの心臓は形容しがたい不快感を覚えそうになる。


あの数日間の事件は、ルーフという名前の人間ひとつを頭から爪先まで、まさにまるごと全て変えてしまった。


一度再生された記憶、情報はとどまることを知らない。

無遠慮かつ大胆に、その上一筋の隙間も許すことなく。記憶の数々はルーフの意識を暗たんへと引きずり込もうとしている。


それなりに暗い顔、あまりよろしくない表情をしていたらしく。

ルーフがそれ以上語ろうとするよりも先に、エミルの方もこの話題に手早く区切りをつけようとしていた。


「つまりは、その集団が怪物に変な細工をしていて。そのせいで、怪物の方でも本当ならありえないはずの動きをしてしまう。って訳なんだ」


予想をしていなかった部分にて、トラブルと自身との関連性が結ばれていた。


口を開こうとして、ルーフはその件に関してこれ以上何かを思おうとはしなかった。

単に事件のことを思い出したくないという個人的願望も含まれてはいる。


だがそれ以上に、ルーフの意識の先頭には別の疑問点が歩を進めつつあった。


「一つ気になっているんだが」


フラフラと不安定に震え、揺れる世界。


しかしいつまでも不安を継続させるつもりもなく、ルーフは唇の内側で唾液をごくりと飲み下したあと。

まばたきを一回、目線を右斜め上にあるエミルの顔面へと意識的に固定している。


「何かな、少年」琥珀色をした瞳が見上げているのを、エミルが左斜め下に確認をしている。


目線の共有、透明な点と線が弓の弦のように張りつめる。


ルーフが口を開いた。


「あんたがた、つまりは古城の関係者っつうんかな? なんだかまるで、怪物を人間が管理できるものだと考えてそうだが」


いったん文章を、言葉を区切る。

肺に酸素を補給するついでに、ルーフは相手側の動向を少し観察する。


エミルはまだ口を閉じたままだった。

語気を発する気配も感じられない、男はしばしの沈黙のなかで少年からの意見を待っていた。


待機されている。

 ルーフはその事実を別段意識することなく、あくまでも会話の延長のつもりでもう一度舌を動かしている。


「古城は怪物を管理して、それで一体どうするつもりなんだ?」


 考えられる限りに、思いついたことを言語化したつもりだった。

 しかし声が喉元を振るわせ、顔面付近の空気を振動させていた頃合いには、ルーフは自らの問いかけのアバウトさ具合に早くも辟易とした心持ちを抱きそうになっている。


 どうするもこうするも、そんな話はとうの昔に決着がついているではないか。


「ああ、いや…………。暮らしの安全を保障するのがあんた方の仕事内容だったよな、そうだよな」


 自らが発現した内容を急いで否定するかのように、ルーフは気まずさの中で口元に下手くそな作り笑いを浮かべている。


 少年が自身の内に浮かんだ思考に不可解さを抱いている。

 戸惑う彼を左隣に認めながら、しかしてエミルの方は少年の意向とは裏腹に相手の言葉に深く関心を見せようとしていた。


「なるほどな」少年を見ながら短く呟き「流石に察しが良いな」


 そうやって、エミルは微笑みながらルーフに向けて賞賛の意を伝えている。


 ルーフが言葉の意味を理解するよりも先に、エミルはとりたてて隠匿の必要性も感じさせないほどの、そんな気軽さである事を少年に教えている。


「実はな、ホントのことを言うとあの人等も別に市民の安全をどうこうしたいだとか、そんな殊勝なことはほとんど考えていねえんだ」


 冷え切った茶漬けも青ざめるかのような、そんなすべらかさで知ってしまった現実。


「あ、出来ればこれも秘密にしておいてほしいんだけどな」


「…………言われた後に頼まれてもな」


 男の軽妙ないし軽薄とも取れる態度につい流さる、もとい騙されそうになる。

 だがルーフに内蔵されている常識的観測機能は、この情報を看過することを許可しようとしなかった。


「まさか、古城では市民の方々の日銭を搾り取って個人的な研究に浪費していると、そういう感じなんか?」


 最悪の想像を抱きかけたときにはあえてそれを言語化するべき、と言うのはやはり祖父の言葉だったような気がする。


 だが今回ばかりは、祖父の教えも非常識なる現実の前には言葉以上の意味を得ることは無かった。


「感覚としては似た感じだな」


 せめてもう少しマシであれ、といったルーフの願望も虚しく。

 エミルはどこまでも明け透けに古城の秘密を明かしている。


 その様子は蛋白で飄々としているというよりは、どこか、無関心さを覚える気配もみられる。


 いや、男と古城の関係性を考えて見れば、彼が他人事になる心情も理解できなくはない。


 とはいえ、何というべきなのだろうか、ルーフは軽く首を傾げながら不理解さを内層に累積させている。


 ほんの少しでも刺激を与えれば、少年の体からは唸り声の一筋でも響いてきそうな。


 そんな様子を漂白させている。

 少年の隣でエミルは微笑みを継続させたままにしている。


「この辺の事情を説明するためには、古城の成り立ちから事細かに長く長ァーく説明する必要があるが……」


 皆まで言うことはせずに、いかにも意味ありげにエミルがルーフに確認をしている。


「今ここで、もうすぐ目的地にたどり着くバスの中で、オレの話を聞きたいと思うかな」


「…………イエスかノーかなら、俺は間違いなくノーを選びますよ」


 力なく答えるルーフ。

 ただでさえ色々なことが起きたというのに。ここまで辿り着くのに「色々なもの」に遭遇してきた。好みに更なる疲労感を蓄積させるなどという、殊勝な真似をできる体力は残念ながら残されていなかった。


「それは良かった」


 エミルがはたして誰に対して、何を対象として是としているのかいまいち判断のつかない声色を使う。

 その後に男は車窓の向こう側の風景を見ながらもう一つ、少年に事実を伝える。


「もうそろそろ降りるから、知りたくなったらまたいつか」


 果たして、そんな機会が訪れるのだろうか。

 男から目を逸らしながら、ルーフは密かに強く疑いを抱いている。




 さて、今度はバスから降りた後。

 外には雨が降っている、あとの描写はとりたてて変化も無いので省略。


 降り立った場所がどこであるのか、土地の名称だけがルーフの頭の中に繰り返されている。


雨城(あましろ)区っていうんだよな、ここ」


 独り言のように地名を呟きながら、ルーフは首を左右に回しつつ周辺の風景を視覚に確認している。


「ここも、まだ灰笛の内にはいっとるかいな」


 都市の中心部、つまり古城がおったつ場所から数えて、移動時間はせいぜい半日ほどの時間すらもかかっていないはず。


 ルーフは体内時計と空模様、日の傾き具合で時刻を把握しようと上を見上げる。

 しかし視界の上空には雨雲ばかりが広がり、灰色の明暗以外には何も見えそうにない。


 せめて時計ないし、スマホなり何なりで具体的な時間を計れれば。

 と思ったところで、しかしながら今の自分に時刻を把握する必要性も感じられそうになく。


 結局のところ、ルーフは手持ち無沙汰のような心持ちでエミルに会話を持ちかけるしかなかった。


「すみませんね、椅子をおしてもらって」


 まずは謝礼の意を伝える。というのも、今のルーフは使用している車椅子のハンドルをエミルの両腕に預ける格好となっていた。


 疲労感が蓄積しているだとかなんとか、そうは言っても車輪で自らの肉体を運ぶ程度、そのぐらいは難なくこなせる体力なら持ち合せていた。


 といった主張を伝えたものの。


「まあまあ、そんな遠慮はなさらずに」


 エミルの方は大して聞く耳も持たずに、有無を言わせることもなく少年の座る車椅子のハンドルを両手で握りしめていた。


「どうせあともうすぐだし、それまでダラーッとリラックスでもしといたらどうだ?」


 気前の良さそうな提案であること、その認識はおおよそ正しいと言えるのだろう。


 しかし自身の体が他者によって運ばれる感覚が、どうにも居心地が悪いと感じている。

 その理由がこれから向かう場所、今日の目的と言っても差し支えない、その場所へとついに辿り着かんとしている。


 その事実に少なからず緊張感と、じっとりと重さのある不安を抱いている。

 

 自らの感情を把握しながら、ルーフの瞳はやがて一つの建物をとらえていた。

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