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学ぶことはたくさんあったのだろう

エミルが林檎を懐にしまう。

まずはそれに関して、ルーフはエミルに対して疑問を抱かざるを得なかった。


林檎は、もうその認識を疑うということもしなくなったとして、林檎はそれはもう見事に林檎であるはずであった。


決して小ぶりなものではない、今にも甘く爽やかな香りが漂ってきそうな。


そんな林檎を、エミルは特に疑問を抱くこともせずに、あくまでも平然とした様子のまま。

着用しているスーツのジャケットの内側。まるで秘匿性を期待できそうにない、そこへ林檎の丸い赤色はスルリスルリ、と吸い込まれていった。


ちょっと待て?! その林檎、どうやってしまった?


ルーフは自分が質問への動作を用意している、その姿を俯瞰めいた部分で眺めていた。


まるで質問したこと、きいたことがまるごと全部、きちんと求める分だけ己に与えられること。

そのことを期待している、信じきっているかのように。


それは不安であった。思った、考えたその時点にて、すでに展開は少年の予想外へと歩を進めていた。


「少年」


そうルーフのことを呼ぶのはエミルの声で、彼はすでに取り引きの一つを無事に終えているようであった。


「話しはついた。それじゃあ、行こうか」


どこへ?

ルーフは問いかけようとした、だがそれを言葉にすることはなかった。


答えはあまりにも明確で、明白であった。


エミルがルーフに向けて手を差しのべる。

それは誘いの手であり、同時にひとりの人間を異常なる世界へと引きずり落とす、誘惑と誘発の指でもあった。


「さあ行こう、急いで行こう。人喰い怪物を退治しよう」


エミルがそう提案をしている。

そこにルーフの、他人からの言葉は必要とされてはいなかった。



というわけでバスの外である。


より子細な状況を提供するとして、ルーフとエミルはつい先ほどまで乗車をしていたバスの、前輪がある場所まで移動をしていた。


バスの外では当然のことのように雨が降っている、雨足に変化は見られない。


乾きかけていた雨合羽に、新しい雫が触れて流れ落ちていく。


細やかな重力と全体を大きく支配する湿気の量。


それらを直に肌で感じながら、ルーフの目線はとある部分へとその注目を捧げていた。


「これは…………」


それはバスの外側、前輪のある部分。


通常の車両、少なくともルーフが既知している四輪車のそれとは比べ物にもならないくらいに大きいタイヤ。


黒々としたゴムの質感、今はエンジンと共に静かに回転を止めている。


そこに怪物はいた。

ちょうどそれはタイヤと同じくらいのサイズがあり、しかしその質感はおよそタイヤとは大きく異なっている。


「怪物だ」


ルーフは視覚に認識した事柄を、自己において確かめるようにして呟いている。


少年の目、琥珀のような色を持つ眼球がその怪物についての情報を集めようとした。


大きさは怪物にしてみればあまりに派手さがあるわけではない。

少なくともこの前ルーフが古城の上空にて遭遇した、名前が確か「マークツー」だったような?


ともかく、それよりかは幾らか良心的なサイズ感と言えた。

頑張れば人間ひとりの力、腕の二本で抱えあげることも不可能と言うほどのことでもないだろう。


もちろん、そこには重量も考慮しなければならない。

しかしながらそればかりは実際に触れてみなければ分かりようもなかった。


どのみち触るだとか、そうしないだとか、そんなことすら考えられなくなる。

と、ルーフが誰の目線かも判らぬ感覚で予想を結びつけている。


そんな少年の右隣にて、エミルがフムフムと事実を丁寧に確かめるかのようにして怪物を分析している。


「エスアールか……、そこまでの規模でもないな」


どうやらそれがこの、タイヤにかじりついている怪物の名称らしかった。


エミルが口にした情報は、しかして今のルーフにとってはいまいちピンとこない。


これが人喰い怪物であること、それさえ知っていればあとは十分。


「それじゃあ、あとはこいつを殺して──」


「いいや、その必要はない」


「え?」


思わず身構えていたルーフに対し、エミルはさらりと少年の意見を否定していた。


すかさずルーフも反論をする。


「でも、倒さないと危ないんだろ?」


もしかするとそこには狼狽も含まれていたかもしれない。

ルーフが自身の心理的傾向を把握するよりも先に、エミルはとにかく作業的な雰囲気のままで、今後の展望を簡単に解説している。


「危険かそうでないか、と問われれば間違いなく後者を選ばざるを得ないが。しかし、むやみやたらに殺す必要もないだろ?」


もっともらしいこと、そんな感じのことをいいながら。

エミルは右の腕を、本物の肉と骨ではない部分を再び上着の内側へと滑り込ませる。


何をするつもりなのか、また謎の林檎でも出そうとしているのだろうか。


ルーフが予想したところは、しかしてものの見事にハズレを決め込むこととなる。


「よいしょっと」


少しだけ重たそうに持ち出された、それは確かに重たそうなものであって。


それは、大きくて長い銃火器のような造形をしている。

ルーフにとって見覚えがあるのが、それがいわゆるところのライフル、主に獣を狩るのに特化した。

つまりは、とてつもなく殺傷能力に満ち溢れた道具であった。


「それはッ………?」


どう見ても殺す気満々じゃないか!

とルーフは叫びかけた。しかし実際には中途半端な沈黙だけが、生半可に喉を震わしているだけであった。


「オーケイオーケイ、何も言わなくていい。言いたいことはなんとなく分かるぜ?」


他の誰ということもなしに、エミルは紛れもなくルーフひとりに限定された牽制をしている。


オーケイもなにも、まだなにも言っていない。

なんて、ああ言えばこう言うみたいな問答は期待していない。


今のところ、現在現時刻においてルーフが望んでいるのは、その銃火器のような形状の「それ」がなんであるか。


期待したところが以心伝心した、などと言うことはあり得なく。

エミルは相手側からの質問文を待つこともなしに、腕に構えているその道具のことを話している。


「これは一酸化二水素銃、怪物を退治するための飛び道具だ」


「いっさんか…………、え? なに?」


「ちなみにこれが弾」


なんの前触れもなく、いきなり登場してきた単語の数々。

唐突なるそれらに反応する暇も与えないままで、エミルが一粒の道具をルーフの方に見せている。


単3電池よりかは幾らか長くて大きい、それは金属で作られた小型の筒のようなもの。

名称としては薬莢、とでも言えば正しさに近しいのだろうか。


だがルーフはどうにも頭のなかで、ハッキリと断定的なことを言えないままでいる。

というのも、その薬莢と思わしきそれには、そう呼ぶに値するとある要素が決定的に欠けていた。


「弾…………? 弾頭がないな」


弾という道具がどのようなもので、どう言った仕組みと原理を持っていて、はたまた何を目的として誰が思い付いただとか。

そのような、詳しいことなどはルーフの預かり知らぬ知識でしかない。


要するに、ルーフは銃と弾のことをよく知らない。

にもかかわらずエミルの手のなかにつままれているそれを見て、少年は違和感を覚えていた。


ルーフの表情から何を読み取ったのだろうか。

たとえ少年がどのような感情を抱いていたところで、果たしてエミルの方にどれ程の意味を為したのだろうか。


「見ての通り、この弾には弾頭は存在していない」


少年の琥珀色をした瞳が注目をしている、エミルは左手につまむそれを虚空のなかで少し回転させていた。


「それどころか、この中身には火薬すら入っていない」


「そんなん、武器として使えるのか?」


二つの視線が金属の筒を眺めている。

もっともらしいことを言いながら、ルーフの頭のなかではすでに一つの意味不明に対しての帰結が望めていた。


他の誰かが考えたこと。それに現実感を付加させるかのようにして、エミルが微笑みながら回答を用意していた。


「これが使えるんだよな、意外にも。なんてったってこれは魔法の武器で、怪物を殺すための武器だからな」


にこやかに、とてもリラックスした様子で。

エミルは一つ二つ、丁寧に金属の筒を砲の内部にある狭くて暗い空洞の中へと詰めていく。


「だから、人間なんかを殺すための仕組みなんて必要ないんだ」


「そういうものなのか?」


幾らか無理がある気もするが、しかしエミルはそのことに関してはとりたてて重要度を見てはいなかった。


「ああ、そういうものだと考えておいてくれ」


ルーフが軽く首をかしげている。

少年ひとりの疑問は、今は置き去りにするとして。


五発分の弾を装填し終えた、エミルはルーフへ指示を出している。


「じゃあ、危ないから少し離れていてくれ」


指定されたそれを、ルーフがちゃんと聞き入れるかそうでないか。

しかしながらエミルはそれをまともに確認することをせずに、身体の動作はすでに作業へと移行していた。


まず最初に身を屈めた。

と思えば男はいつのまにか先ほどの林檎を取り出していて、それをアスファルトの上へと転がしていたのであった。


赤色がコロコロと、微かな音をたてて転がり落ちる。


回転がやがて止まる、停止した位置には林檎が一つ地面の上に、重力にかしずいているだけ。


他には何もない、少なくとも邪魔になる人間もいない。


ルーフはそんな感じの光景を見ていた。

視覚に確認していた、内容はエミルにも共通していた。


エミルが砲を構える、殆ど音もしないうちに男の体と武器が適切なる密着を作成している。


引き金に指をかけたかどうかは、ルーフからは見えなかった。

ただ少し、ほんの少しだけ男から呼吸をした気配を見たような気がした。


あとはもう、人間にできることは少なかった。

金属製の仕組みが動作をした音。それが聞こえたと思った瞬間には、多大なる破裂音が彼らを取り巻く空間を瞬時に蹂躙していた。


パシャン、と何かが破壊される音色が残響を追いかけている。


ビリビリと鼓膜が震える。

弾が発射された。


その事をルーフが自覚している。

その頃にはすでに、アスファルトの上に落ちていた林檎、のようなものが粉々に粉々に砕かれていた。

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