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利己主義もやりすぎると辛くなる

 いよいよ違和感が見過ごすことの出来ぬ領域にまで達しようとしていた。


 ルーフはたまらず腕を自らの後方、うなじの方へと速やかにまわしている。


 首の皮膚と毛髪の波が始まる境目の辺りを指の腹で探るように、辿り着いた先には彼が予期した通りの結果が当然の現実のように待ちかまえていた。


 指の先端が「それ」に触れた、ルーフは瞬間に脳内へ焦燥感を膨らませていた。

 確かに皮膚の表面に伝わる存在感を、一刻も早く確実に捕らえなくてはならない。

 そうしないと、どうなるのだろうか?


 考えようとした先に明確な答えを導き出そうともしないまま、ルーフの体は何よりもまず優先すべきこととして、指先に感じる「それ」を強めの力で握りしめていた。


「pikiiyu--pi」


 ルーフが腕の筋肉を強張らせる、それと同時に少年後方にて生き物の声と思わしき音が漏れ出した。


「ん?」少年本人よりも先んじで、右隣に立っていたエミルが声に反応を示していた。


 エミルはその深い青色をした瞳を周囲へと巡らせる。

 目線が男の周辺、地下鉄を走る列車の内部のあちこちを一通り一巡した。


 その後に、大して時間もかからぬ内にエミルの目線は左側の下方へ。

 つまりは隣で車椅子の上に座っている、ルーフと言う名前の少年の元へと、渡り鳥の帰巣性よろしく戻されていた。


「なんか、声がしたな」


 エミルがルーフに向けて質問をしている。

 問いの対象は少年個人に限定されているものであって、それは一重に男が彼の身に起きている違和感の実体を、まだ認識してはいなかったからであった。


 男の目線にはルーフに対しての不信感もいくらか含まれている。

 だがルーフの方は向けられている疑いの目に対応をするよりも、それ以上に指の中にいる物体の正体を把握することを優先させていた。


 実体そのもの、と思わしき感触は確かに指の中にある。

 今のところは、「それ」はルーフの手の中から逃避行為を働かせようとはしていない。


 大人しく握りしめられたままになっている、ルーフはそれを己の指ごと視界の前まで連行させていた。


 確かに自分の指の中にいる、存在をしているそれを見る。

 見て。


「…………? なんだこれ」


 意味不明の度合い、濃度がより一層の深淵へと導かれんとしていた。

 

 それは透明な色をしたゴムボールのように、見えなくもない。

 どうにも自信が持てないのは、その球体の存在感が余りにも希薄過ぎていたからであった。


「:::::: ::::: ::::: :」


 丸くておうとつが限りなく少ない、つややかな表面からそこはかとない呼吸音らしきものが聞こえてくる。


 その透明さはいささか不安を覚えるほどで、透明度の余りに向こう側がそのまま見えている。

 ルーフの頭の中に故郷の小川、春先に流れる水のせせらぎ、そこにたゆたう水草の揺らめきが思い出されていた。


 まるで空気を掴んでいるかのような、存在感の過剰なる薄さがルーフにささやかな不安を抱かせる。


 もしもこの指が触れてさえいなければ、もしくはそれがルーフの後頭部にほぼ密着に等しい接近を実行していなければ。

 はたしてそれを意識の上に認識することが出来たであろうか、ルーフは指の中にいる生き物と思わしきものをしげしげと眺めながら。仮定の世界の可能性に思いを馳せる。


「おや、まあ、これはなんとも」


 少年が物珍しそうに注目をしている。

 エミルもまたそれを見て、静かな驚きを口の上に並べていた。


「珍しいな、こんな人が多いところにスライムがいるなんて」


「スライム…………」


 固有名詞の登場。


「スライム?!」


 それはルーフにとってあまりにも予想外で、奇想天外なものであった。


「え、これが? これがスライム、あの?」


 耳にした情報がにわかに信じられず、ルーフは指の中にあるボールのようなものを強く握りしめていた。


「::: pkikii」


 指から与えられる圧迫感に身を委ねるようにして、スライムなる生き物はルーフの動きに合わせて形状を柔軟に変化させている。


 拒絶感や反発心を見せることもなく、スライムらしき透明はされるがままとなっている。


 まるで攻撃力を感じさせない、ルーフは新たなる疑問の渦に身を浸すばかりであった。


「スライムってアレだろ、体が柔らかいモンスターの事なんだろ?」


「そうだな、その認識で大体正解だな」


 ルーフの意見にエミルはシンプルな同意だけを返している。

 態度は淡々としたもので、その平坦さにルーフは男の言葉に対しての疑いを一層深めずにはいられないでいた。


「なんか、俺が想像していたものとものすごくイメージがかけ離れているんだが」


 想像していたものと、実際に目にしたものとの差分に戸惑いを隠しきれないでいる。


 ルーフが意味不明の数々へ静かに意識を苛まれている。

 少年のすぐ近くでエミルがあくまでも平凡とした態度のままで、そのスライムについての情報を共有することから始めていた。


「というと? 少年が抱いているスライムのイメージを教えてもらいたいな」


 それを聞いて何になるというのだろうか?

 しかしルーフは男の行動を疑うよりも先に、自らの想像していたスライムについての事柄、既知しているであろう大体の事を言葉に変換させている。


 知っていること、それは例えばゲームで知り得た経験やら、あるいは漫画や小説等々で集めた認識の数々。


 それらを一しきり聞いたあとで、エミルは「なるほどな」とだけ口にしてしばらくの間黙考をする。


 沈黙はさしたる長さがあった訳ではないにしても、音が無い空間はルーフに異様なる不安感を抱かせていた。


 考えた後で、ルーフの注目の元にエミルがゆったりと説明の続きを話している。

 

「そうだな、オレから言えることは少ないが」


 何を言うつもりなのだろうか、ルーフは拳に柔らかさを握りしめたままで言葉の続きを期待していた。


「少年、ルーフ君よ」


「はい」


「難しく考える必要はない、そういう形のスライムがいたっていいよな? って話だ」


「…………はあ?」


 もしかすると、おそらくはこの事象に対してすでに経験者である人物のコメントさえあれば、自分にもそれなりの納得が得られるのではないか。

 

 言葉の後方にてルーフは、初めて自身がエミルに対して期待を抱いていたことに気付かされている。

 そして抱いたほとんどは、他でもない求めた先の男一人によってものの見事に握りつぶされていた。


「いやいやいや」


 ルーフは納得していなかった。

 そこに感情が伴うかそうでないかの速さで彼は手の中のスライム、らしきものをエミルに押し付けるようにしている。


「これのどこがスライムってんだよ! どう見てもッ…………どう見ても」


「どう見ても?」


「どう見ても! ただのゴムボールだろうが。あの、縁日とかでポイ使ってめっちゃすくうやつ」


 どうしてこんな苛立ちながら、若干キレ気味に反論をしようとしているのだろうか。

 ルーフは自らの感情の行く先すらも見通せぬままに、ただその身には不可解だけが水蒸気のようにもんもんと立ち込めている。


「そうだよな、スライムって呼ぶにはいささか形状が怪しいところだよな」


 エミルが何故か楽しそうにして、戸惑う少年の揺れ動きを眺めている。


 果たしてこれを解釈違いとして片づけてもよいものなのだろうか。

 その球体は粘性さを想起させる姿をしていない、であれば「スライム」と言う名称を使用する事の方こそ審議が問われるのではないか。


 ルーフが依然として反対意見を胸の内に滞らせている。


 エミルにしてみても、いつまでも長々と認識の違いを放置するつもりは無かったらしい。


「こういうのは言葉とか一見の情報に頼るよりも、実際に問題に直面した方が手早く済まされるよな」


 何かそれらしきことを口にしながら、次の瞬間にはルーフの指もとにエミルの右手がそっと覆い被さっている。


 割かしガチガチに硬直していたはずのルーフの指先は、まるで合間を水が零れ落ちるかのようにして、携えていたものをエミルの右手への移動を許していた。


 まるでマジックでも決め込まれたかのように、唐突に所持品を奪われてしまった。

 だがルーフその事に驚くことも出来なかった。


 少年に暇を与えることもしないままに、エミルは手の中にいるスライムをそっと空中に放っている。

 人間による拘束から逃れてしまえば、逃避をするのが自然の常ではないのだろうか。


 ルーフは一瞬予想をしたが、しかし考え付いたおおよその事は外れることとなった。


 スライム、と呼称される球体は逃げる素振りを見せることなく、まるで示し合せたかのようにフワ……フワ……とルーフの方へと接近している。


「::: :::: :::::」


 動きは緩慢としたもので、それはゴムボールと言うよりは風船ないしシャボン玉のようにも見える。

 小動物の呼吸音の様なリズムが耳に届く、ゆったりとした動きの中でその表面がキラキラと周辺の光を反射していた。


 少し息を吹きつけただけで、どこか遠くの方へと吹き飛ばされるのではないだろうか。

 ルーフは想像を巡らせていた、考えるだけで実行はしなかった。


 結果的には、いっそのことそうした方がどれ程良かっただろう、マシだったろう。


「───ッ? ────ッ!」


 止められた呼吸、きゅそくに不足する酸素が脳にビリビリとした痺れをもたらしている。

 顔面をスライムに覆い尽くされながら、ルーフの視界はおよそ地上では得られないであろう感覚に支配されていた。


 ゆらゆら、列車内を光で満たす電燈の輝きがかすんで見える。

 まるで水中から太陽の光を見上げたかのような、光の動きは一種の美しさを想起させるものがあった。


 顔面を覆い尽くされている。

 ああ、そう言えば、スライムと言う生き物の攻撃方法の一つに、対象の生き物の呼吸方法を奪うというものがあったかもしれない。


 なるほど、たとえ外見上がどのようなものであったとしても、そんなものは個人の感想でしかない。


 結局のところ存在を個別たらしめるのに、行動以上の価値があるもの無いのであった。


「ゴホッ! ゲホッゲホッ!!」


 と、そんな事を考えている。


 新しい理解と見識がルーフの脳内にて生まれようとしていた。

 

 その様子を見下ろしながら、エミルが彼に向けて穏やかな笑顔だけを向けていた。


「ほら、こうして触ってみるといかにもスライム然としているだろ?」


 まるで新しい経験に戸惑う若者を面白おかしく眺めるかのようにして。

 ヘラリヘラリと笑っている、エミルの右手には透明なスライムが握りしめられていた。


 それはもれなく、たった今ルーフの顔面を侵食、ないし捕食しようとしていた。

 まぎれも無くスライムで、しかしながらやはり変わった形をしたスライムでしかなかった。

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