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気が狂いそう

「じゃあ、その辺でちょお待っといてくれや。そこの店でテキトーに何か腹に詰めるもの買ってくるから」


 その様な事を告げた後に、エミルはルーフを置いて颯爽とその足を、本来の目的地とは異なる場所へと向かわせている。


 男の姿から描かれる影がとある店、それはこの世界においておそらく第一位レベルの範囲を持つであろうファストフード店。


 「m」の文字をこれまでと言わんばかりの軽快さをぶちまけて、あたかも自らの正当性を疑わんとデザインしたかのような。

 そんな看板が赤々と、表面のツルツルとしていそうな四角形を雨粒の中に光り輝かせている。


 あの看板の下では果たしてどれだけの鶏肉が商品としてひき肉にされ、とりたてて特別な感情も抱かれることなく消費されていくのだろうか。


 などと考えかけた所で、その様な事を考えた所で詮無いことでしかないと。

 ルーフは店の中に沢山の人々が出入りする様子を眺めがら、人々の動きを観察するつもりで思考を視覚情報で塗り重ねようとしていた。


 ここで待っていろと言われた、場所は道沿いに寄り集められた自転車の群れ。

 そのすぐ横、連続する車輪の一番端で待機をさせられている。


 これだけ車輪が集まっているのだから、一つぐらい増えても大丈夫だろう。と言うのはエミル側の持論であった。


 果たしてその論に正当性があるのだろうか。

 と言うよりは、そもそもこんな道の上に堂々と自転車が大量に止められているという感覚、光景そのものがルーフにとってはあまり受け入れられるものでもなかった。


 とはいえ、少年個人の感覚など知った事ではないと。

 風景はあくまでも過去からの継続性を保つ、ルーフはその中の一部として身を固定させるだけ。


 それだけにすぎない。


「…………はあ」


 などと、らしくなく哲学じみた思考に陥ってしまっている。

 しかしながらルーフは、自らの思考形態の動向自体はおおよそにおいて把握できていた。


 何も特別なことは無い、暇を持て余しているのである。

 それこそ未知の上に置かれている車輪や、あるいはチキンナゲットを食べる歯茎の数々の様に、そこには何ら特筆するようなことは無かった。


「この時間、いかに過ごすか、池の中」


 リズムだけを整えて現状への問いを独り呟く。

 エミルが返ってくる気配はまだ感じられそうにない、どうやら店の内部は予想以上に混雑をしているらしい。


 それもそのはずである、とルーフは頭の中で文字盤を思い浮かべる。

 時刻はちょうど時計の針が二つ仲よく天空に伸びる頃合いである。


 健康的ないし人間として「普通」の生活スタイルを送っているのならば、当然の如く腹部の内側に秘められた消化器官の幾つかが意識へ伝達をする。

 三大欲求の一派が目を覚ます、時刻はまさに昼頃であった。


 だからこそ店が混むのもまた自然の摂理、人間と言う生命体が描く動作の一つということに過ぎない。


 …………と、それらしい納得を結び付けた所で、とルーフは何度目かの溜め息を吐きだしている。


 自身が暇であることには変わりなく、どれだけ思考をしてみたところで現実にどれ程の意味があるというのだろうか。

 自問自答ばかりが無意味に頭の中で回転をする。


 ルーフの頭の中で蛇が己のを食みすぎて、いつしか腹部の重要な内臓まで食い荒らしかけていた。


 暇つぶしをしよう。

 ルーフは思いついた先で、しかしながら目ぼしい手段が用意されていない事実に直面する。


 なんと言っても古城に追い出された着のみ着のまま。

 そもそも入院をした以前より、ルーフはこの灰笛(はいふえ)に資本と呼ぶに相応しい物品などほぼ携帯してこなかったのである。


 それに関してもmとりたてて難しい話ではない。


 ルーフは死ぬためにこの都市へ来た。

 だからこそ、必要だと思えるものすらも無かった。


 ただ一つ最後の心残りを携えて、彼はこの場所の先を諦めようとしていた。


「…………」


 頭の中で再び一人の女の姿が蘇ってくる。

 彼女の白い髪の毛の、その頭皮の匂いすらも思い出しそうになり、ルーフは慌ててかぶりをふる。


 これで思い出すのは何度目だというのだ。

 思えば古城にいる間も体さえおもむけば彼女の事を、妹の事を思い出してしまう。


「重症だ…………」


 右手で顔の半分を圧迫する。

 指はルーフが想定していた以上に冷え切っていたらしく、雨粒に濡れる表面が顔の中身、肉の熱によって緩やかに溶かされていた。


 雨水に濡れた手が顔をそのま撫でる。

 視界が半分ほど暗くなる。手の内側にはルーフの顔、その右半分がある。


 そこはもう以前とは異なっている。

 この場所、灰笛と言う名前の都市に訪れる依然と後では、すっかり様変わりしてしまっていた。


 だが、何もかもが変わったという訳でもなかった。

 ルーフの指が自らの額に触れる。


 指紋の溝にかすかなおうとつの気配が伝わる。

 額にある痣、それはルーフがこの世界に生まれ落ちたその瞬間から彼と共にある、らしい。


 と言うのも、当然の如く生まれた瞬間の事など憶えているはずも無かったからで。

 なので、その認識も彼の祖父から教えられた内容にすぎない。


 祖父に教えられたことを、あとどれほど思い出せるのだろうか。

 ルーフは自らに問いかける。


 指の腹が痣を撫でる、感覚が肉の表面に過去を思い出させる。


 肌のあたたかさが、そのまま彼が自分の祖父を殺した時の場景と結ばれようとしていた。


 と、そこにシャッター音がひとつ響き渡る。


「んん?」


 途端に回想が打ち切られる、ルーフは弾けるような動作で指を額から離している。

 そのまま車椅子からとび落ちるほどの勢いのままで、ルーフは慌てて音のする方へと視線を辿らせている。


 正体はすぐそこに居た、立っていた。


「んー……んん? もう少し角度に工夫が欲しいな……」


 ライトブルーのスマートフォンの一枚を両手にかざし、どうやらカメラで都市の風景を撮影しているらしい。

 それは若い女の姿をしていて、年の頃はまだ少女を脱していない、おおよそルーフと同じくらいの背格好をしている。


 少女の姿は、ルーフにとってはそれはもう見覚えのある、と同時に聞き覚えもあるものであって。


「モア?!」


 少女の名前を叫んでいる、ルーフの声音が大きな波となって都市の空間をビリリ……、と振動させていた。


「いやねえ、ルーフ君。往来でそんな大声を出さないでちょうだいな」


 どうして彼女がこんな所に?

 疑問はただそれだけに留まるはずも無く、言葉が次々と喉元へと競り上がって来ては、しかして実体を得ることもなく透明なままで終わる。


 ルーフがようやくまともに声を発せられるようになりつつある、その頃合いにはモアの作業も手早く済まされていたらしかった。


「こんなものかなー。やれやれ、雇われの身は忙しくて仕方がないわね」


 まるで少年の姿、存在、あるいは実体などはさしたる問題でもないというかのごとく。

 モアは満足気なうなずきを数回ほど繰り返している。


 フムフムと何事かを呟きながら、モアはスマホの画面をジッと確認している。

 ライトブルーにカラーリングされている、スマホの表面が都市の風景を反射している。


 その裏側を食い入るように見つめている、少女の瞳もまた目が覚めるような青色をしていた。


 それは海の色とも異なっている。

 ルーフの頭の中でまた一つ記憶が。それはやはりとりたてて珍しいものでもなかった、何時かに暮らしていた日々に見えていた光景の一つ。


 空の色とよく似た瞳、そこに楽しげな気配を漂わせながら。


「あー……、でもなあ、もうちょっとなあー」


 モアは決めかけていた行動を、すんでのところで思い返すように踏みとどまっていた。


「おい…………」少女が何かしらを勝手に行っている、見えるチャンスを逃すものかと息を吸い込んだ。


「なあモア? お前、何でこんなところに?」


 内容はこれだけでいい、まずは相手の目的をある程度まで把握しなくてはならない。


 複数の二輪車が並ぶ中、モアは当然のように少年を含めた光景を写真に収め続けている。

 もしかすると作業に没頭するあまりに自分の声が聞こえていないのではないか?


 ルーフが不安に思い始めている、そのタイミングを見計らったようにスマホの画面から目をそらしていた。


「やあやあ、ルーフ君。こんな所でお会いするなんて、奇遇ですね」


 モアは右側の指でスマホの電源を速やかに落としつつ、左手でルーフに軽く手を振っている。

 挙動はやはりゆったりとしたものでしかなく、ルーフは相手があまりの余りにもリラックスした様子につい呆けそうになる。


 だがこんな事でいちいち動揺しては碌に話も進められないと、ルーフはどうにかして体勢を崩さぬよう強く意識する必要があった。


「奇遇とは、よく言ったもんだな」


 ここは一つ攻撃的意識を見せるべきかもしれぬと、ルーフは声色に短刀(ドス)の様な重さを帯びさせる。


「どうせ、こういう場面もお前ら側の策略の一つ。って訳じゃないのか?」


 あからさまに警戒の色を見せつけている。

 本懐ならば少女に詰め寄り、そのすかしたような態度に(ガン)の一つでもぶつけてみたい所ではあったが。


 しかしあいにくこちらは手負いの身、たとえ少女一人であったとしても勝敗はかなり怪しいところ。


 …………いや、流石のルーフでもこんな都会のど真ん中で、刃傷沙汰を繰り広げられるほどの度胸があるかどうか。

 まずその辺から疑わしいところではあったのだが。


 いずれにしても、躊躇いは少年側だけの個人的な悩みに過ぎなかったらしい。


「何を期待しているのか、あたしにはサッパリ分からないけれど」


 ルーフが全身を強張らせているのとほぼ対象をするかのようにして、モアの気配はどこまでも柔和さを損なおうとはしていない。


「あたしは本当に、たまたま用事があってこの場所に歩いてきた。そして、その先にたまたまあなたが、その面白いお顔を転がしていた。それだけのお話よ?」


 ゆっくりと噛みしめるようにして、モアはルーフに事情を説明していた。


「と、いけない、いけない……」


 話し終えたすぐ後に、こんな事をしている場合ではいと気を取り直すようにしている。


「急いで資料を集めないと、あたしの怖ーいエンプロイヤーが牙をガチガチと鳴らしちゃうわ」


 口先では恐れを形容していながら、モアはさも当たり前のように微笑みだけを固定させていた。

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