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所詮はプログラムにすぎないのだろう

 ルーフが入院させられていた、収監させられていた古城。

 それは高い崖の上に建てられていたものらしいと、その事に気づけたのはルーフがもうすでに、すっかり古城の敷地内から離れた場所に移動した後の事であった。


 ルーフは鼻腔の奥に冷たい空気を味わい、桃色の粘膜がツン、と痛覚を神経の筋に伝わらせている。


 灰笛(はいふえ)と言う名前を持つ地方都市。

 そこは温暖湿潤なる鉄の国(この物語の主な舞台となる国の名前)においても、比較的降水量が多い土地であること。


 と、言うのはルーフがその昔、まだ幼かった頃に彼が祖父から聞かされてきたこと。

 

 そのうちの一つ。

 思えば、ルーフの祖父は日頃からよく、この土地の事について話していた様な気がする。

 

 どの様な顔をしていただろうか、祖父はどんな感情を抱きながら自分に話してくれていただろうか。

 ルーフは体を前に進ませながら、頭の中で過去の人物についての事柄を思い出そうとしている。


 どうして今更?

 疑問を抱くよりも先に、過去の記憶の質量が河川のような勢いを伴いながら少年の思考を染め上げている。


 理由なんてものは単純なものでしかない。

 自分は今まさに、祖父が語っていた場所に居る。


 あの人が、もうこの世界にはいないあの人が、何故かとても懐かしそうに語っていた。

 その土地に、都市に自分は存在をしているのである。


 息を吸って、吐いて、場所の存在をその身に実感し続けている。


 リアルタイムの感覚、それは当たり前のようにルーフの眼球へ情報をもたらしていた。


 シュルリ、シュルリ、と他人の気配と共に衣擦れの音色が、ルーフの右隣を通り過ぎていく。


 他人のにおいがする、それは一人や二人などの個体として識別できるようなものではない。

 気配は大量に存在をしている、それは喧騒と呼ばれるべき力の流れであった。


 ルーフは今古城の外側にいて、その場所は灰笛と言う名前を持つ地方都市の、ちょうど中心部にあたる場所ということになる。


 そこは一応ながら都会と呼ぶに相応しいと言えよう、それぐらいの発展が為されている空間であった。


 空には漂流都市群が空気の中を泳いでいる。

 古城のある丘の上から眺めていた時は、まるで夢の中を泳ぐ巨大魚のような、この世のものではない神秘性を有していた。


 それらの大きな建造物は、こうしてルーフ側から接近した現在においても、あくまでもこの世界の理の一つを主張するかのように浮遊力を保ち続けている。


 ただ一つ遠目から見ていた時と異なっているのは、そこに幾らかの日常性が割合を増していた。

 ような、気がする。


 あまり自信をもって思考を決定づけられていないのは、これがあくまでも自分の不確かな感覚の話でしかないと。

 ルーフはそう自己判断をしている。


 少年の思考など知る由もないままに、漂流するビル群は都市の上を悠然と泳ぐだけを繰り返している。


 アメジストの色とよく似た魔力鉱物がビルを支えている。

 紫色の透き通る輝きが雨の匂いと混ざり合う。


 ビルを構成するコンクリートや鉄骨、あるいは鉱物や金属。

 それらの匂いを含んだ雨水が、下方に広がる都市の上へと落ちていく。


 それは重力に従った動作、ただそれだけにすぎない。

 だがルーフは何ゆえか、それらの動きにどこか新鮮さを覚えずにはいられないでいる。


 単にこうして、ハッキリ「観光」と名付けてこの都市の中を歩くことが、実はこの時がルーフにとって初めての事であった。

 その事実だけで抱いた感情に対する疑問は解消できてしまえる。


 都市の光景はルーフにとって目覚ましいものであった。

 それは認めるしかないと、ルーフは諦めざるを得なかった。


 想像の限りで感動した内容について表現をしたい、と言うのはやまやまではあるのだが、しかし全てを表現しきれるには限界があること。

 諦める中で、それでもルーフの目は動きを止めることをしない。


 考えようとした、言葉の中で彼は風景の中にイメージを持たせようとする。

 それは積み木のようであった、ルーフはいつだったか…………と、そう大して昔の事でもない思い出を見えざる指で摘まみ取っている。


 集合住宅、団地、アパート程度の大きさでもいい。

 とにかくそういった形状のものを、巨人なり何なり絶対的な強者がポケットナイフで細切れにし、そして切り刻んだものを雑に積み上げたかのような。


 そんな形状をしている、おおむね直方体を保つそれぞれの空間が天へと向けて高く、高く雑に積み上げられている。


 何処かのものすごい、巨大な生き物の子供が摘み木で遊んだ。

 その後に飽きられて捨て去られて、そのまま連続性を続けているに過ぎない。


 そんな形状をした、なんとも不安定で雑多な建物らしきものが幾つも地面から生えている。

 

 それらがビルであること、それが灰笛と言う名前の都市における高層建築の形状であること。

 ルーフはそれを認識するのに、幾らかの時間を必要としていた。


 考えている間にも人の気配はひっきりなしに少年の右や左、あるいは前か後か、はたまた頭上の辺り。

 沢山の人の数が都市の内部を行き来している。


 その割合は当然地面の上を行く人が大多数であった。

 しかしそれと同じ比率と思わしき量の中で、「上」を移動する人数が多いことにも注目しなくてはならない。


「めっちゃ空飛んでる…………」


 発展している町の光景に見惚れる際には、どうしても上の方ばかり眺めてしまうのは田舎者の常ということになるのだろうか。

 

 それらしい言い訳を考えようとしている、少年に向けてエミルと言う名前の男が笑いかけていた。


「ああ、やっぱりみんな職業柄、上の方に用事が多いんでね」


 何故かエミルは申し訳なさそうにしている。

 その足はルーフの前方を歩いており、この場合において彼の行く先が少年の道しるべということになっている。


 道の上を行き交う人の波をなんて事もなさそうにかき分けている。

 エミルの後ろに生まれた空白に身を預ける形で、ルーフはどうにかその身の安全を確保できているにすぎなかった。


「離れないように、ちゃんとついてきてるか?」


 エミルが後ろを少しだけ振り返りながら、後方にいるはずの少年の安否を確認している。


 青い色をした瞳が姿を捉えている。

 質問をされている、それが自身を心配している旨の事であると気付くのに、ルーフはほんの少し思考を働かせる必要があった。


 エミルはさらに確認を続ける。


「もしもキツイってんなら、いくらでも手助けするが……」


 そう言いながら、エミルの足は道の途中で一旦動きを止めている。


 男が一人足を止めている、だが周辺の世界はそんな事などまるでお構いなしと動きを続行している。


 他人はどこかに向かうために歩く、あるいは空を飛ぶ。

 男と少年だけに限定して、かすかな静けさが直線状に結ばれている。


 生まれた空白はあまりにも頼りなく、ほんの少しの未来、心臓が一つ鼓動をした先には消え去ってしまいそうな。


 静けさの中でルーフは考えたこと、自分の状態をエミルに伝えている。


「俺は大丈夫だ、なにも心配するようなことはない」


「ほう……?」


 エミルが意外そうに目を見開いている。

 体の方向はすでにルーフのいる方へと向けられている。向き合うような格好で、男と少年が道の上で会話をする場面がしばし展開されていた。


「意外だな」エミルは瞬間的な驚きを瞳の奥に流し込む。


「普通はこういう場所を、……その体で移動するだけでも大変だと思っていたんだが」


 エミルの目線がルーフの表面を滑る。

 だが彼もまた自身の思考に自発的な否定文を結んでいるらしかった。


「いや、元気ならそれでいいんだよ、うん」


「?」


 エミルが中途半端に腕を体の前に漂わせている。

 その動きをルーフが眺めている。

 彼らの頭上で、飛行をする車らしきものが車輪とエンジンの音色を奏で、颯爽と彼らのいる地面に影を走らせていた。


 エミルが腕の位置を元に戻している。

 その頃合いでもう一度歩行を再開するよりも先に、ルーフは車椅子の車輪に手を伸ばしながら、ついでに男へ問いを投げかけていた。


「ところで、エミルさんよ」


「何だい?」


 少年の動きに連動するような格好で、エミルもまた足の動きを再開させている。


 彼の履いている革靴のダークブラウンをした爪先は、真っ直ぐと目的地と思わしき方角へと向けられている。


 果たしてこれからどこに向かおうとしているのだろうか?

 自分はどこに連行されようとしているのだろうか?


 そういった内容の事を問いかけると、エミルからの返事はすぐさま耳に届いてきていた。


「そうだなあ、どうせなら先に腹を膨らませたいと思っていたんだが……」


 一応彼なりに一日の予定を組んできていたらしい。

 エミルから提案されたところで、ルーフは本日において一度も食事行為を行っていないことを思い出していた。


「そう言えば、そうっすね…………」


 古城から追い出された、もとい無事に退院をさせられた。

 その後の事は話がとんとん拍子と進んでいた。それこそ新生活を始める若者の引っ越し作業の方が、まだ手間暇と時間がかかるのではないかと。


 そんな手際の良さの中で、どうしてそのような基本的な作業を忘れてしまっていたのだろうか。


 理由を考えようとした。

 だがそれよりも先に少年の指は腹部へ、胃のある辺りへと添えられている。


 衣服の中身、皮膚の内側、その奥で少年の消化器官が中身の不足を密かに訴えかけてきている。

 

 この時まで忘れ去っていたはずの反応が、認識をした途端に意識の一番上層の辺りまで登り詰めている。


「朝から何も食べていない、腹が減ったな」


 三大欲求が一派の存在と支配能力の強さに、ルーフが思わず感嘆めいたものを抱きそうになっている。


 しかし感情の動きも全ては少年一人に限定されたものでしかない。

 決定的な共感でもしない限りは、あるいは歩み寄った所で全ての思考を把握できるとも言い難い。


 事実は当然のごとくエミルにも共通しているに過ぎない。


「じゃあ、近くで適当に食料でも買ってくるわ」


 エミルはそういうや否や、ルーフの後ろ側に回り込むと彼の座っている車椅子のハンドルを握りしめている。


 どこか、他人(ひと)の邪魔にならない場所でも探すのだろう。

 他人の動きを乗せた、車輪が少しだけ重たそうに都市の上を回る。

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