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ディスクは大事に保存しておこう

 情報の数々に頭が若干…………、どころの話ではない、そんな生易しい判別で済まされるよう話ではない。

 と言う点だけが、ルーフと言う名前の少年に理解できた事実であった。


「なあ、エミルさん」


 古城の外側はやはり雨で、当然の事のように雨模様は本来ならば、人間如きが二足歩行をすることもままならぬほどの風雨が吹き荒れている。


 だがその環境の中においても、ただの貧弱なる一個隊の人間でしかない。

 それもまだロクに成長を終えてすらも無く、さらには右側の脚部が丸々一本ごと損失している。


 そういった事情の中で、車椅子の世話にならざるを得ないでいるルーフ一人。

 一人だけであったとしても、車椅子と言う歩行補助器具の助けが在りながらも、個人だけで暴風雨の中を悠々と進める。


 その理由、あるいは原因と呼ぶべきか、それもまた道具の力が他ならぬ重大な関係性を結んでいる。


「エミルさん、聞こえとるか?」


 ルーフはその体を雨合羽(あまがっぱ)に、古城の魔術師たちによって制作された支給品に身を包みながら。

 適度な熱量が確保されたビニール素材の布の内側から、自分と同じ道具に身を包んでいる男の方を見上げている。


 エミルと名前を呼ばれた、男が少年の声に反応して彼の方を振り返る。


「ん、何か言ったかいな?」


 少年と同じくその身を風雨にさらされていながらも、魔術による効能でエミルはいたって平然とした様子でその健康そうな二本の足を動かしている。


 その深い、海原を想起させる青色の瞳がジッと少年の顔を見下ろしている。


 果たして自分は今、どの様な表情をしているのだろうか?

 ルーフは言葉を動かすよりも先に想像を巡らせる。


 他人の視点を見ることなど、まさか自分に出来るはずもないと考えていながら。

 それでも想像せずにはいられないのは、心の内層に言い知れない不安化を抱いているから。


 ルーフはそう自己判断をしている。

 少年は確かに目の前を歩いている男、つまりはエミルに対して恐怖心を覚えていた。


 正体が分からない、この男はどの様な存在であるのだろうか?


「そんな目で見る必要もないよ」

 少年の不安もまた、エミルにとってはすでに何度も経験した事柄でしかないのだろう。


 すでに慣習じみた動作の中で、エミルはルーフにもう一度簡単な事情説明をしていた。


「オレはあの古城のために利用されかけていたが、結局はことは上手くいかずにこうして無作為な自由だけを与えらえている。ただそれだけにすぎないんだって」


 要約すればそういうことになるのだろうか。

 総合能力の是非については、ルーフには判断をする事などできない。


 それに、少年が注目したいところはそういった点ではなく、もっと別の場所に話題の主体性を望んでいた。


「それで…………、あんたは本当は妹と、…………その」


 会話の連続性を断ち切ってでも、その話をせずにはいられないでいる。

 どうしてこの話をしたいのか、ルーフは判断の切っ先で一人の女の姿を思い浮かべている。


 女の長い髪が想像の世界で風にたゆたう。

 不安定な流れはルーフにだけ限定されているものではなく、どうやらエミルもまた誰かの事を思い出していたらしい。


 ただ男が想像した女の姿が少年の抱くそれとは大きく異なっている。ということだけが、言葉を解さずとも彼らの間に周知された事実であった。


「妹、つまりはモアさんだな」エミルが妹の一人の名前を口にしている。


「現時点において、古城の最もたる権力を有しているのは彼女になる」


 エミルはルーフから目線を反らし、その二本の足は再び前へと進んでいる。


「なんて言うのかな……、彼女は古城の古くからの血筋、その直系にあたるんだ」


 説明を続きをしようとして、しかしエミルは言葉の続きを口に発しようとしなかった。


「まあ、この話はこんな所でするようなものでもないな」


 それなすなわち話題の確信を逸らしているのではいか。

 ルーフはそう考えた、であるからこそ少年は踏み込む選択をしていた。


「どうせこの後も色々とあるんだから、此処でするかしないかは、関係ないんじゃないんか?」


 少年の言葉を耳にして、エミルが再び視点を後方に向ける。

 感覚は先ほどとは比べ物にならぬほど短く、流石にルーフもそこから男の感情を読み取ることは出来なかった。


 エミルはあくまでも相手側を気遣う態度のままで、最終的な勧告をルーフに差し向けてくる。


「長い、なーがい話になるから、途中で飽きても知らへんよ?」


 言葉だけは優しげに、だがルーフはエミルの背中から明らかな拒絶の色を読み取っている。


 そこにどれ程の整合性があるのか、判断をする時間など無いとルーフは先に唇を動かしている。


「古城の敷地が終るまでには、俺の「足」ではまだ時間がかかるんやし、少しぐらい長話をしてもお釣りがたっぷりもらえるだろうよ」


 優しさに身を委ねるようにして、ルーフは冗談めかした口ぶりを演出している。


 そうすることで少しでも事実を、数多くある真実の内の一切れでも、受け入れる覚悟があると。

 意識の表明をした、ルーフにしてみればそういった思惑を込めていた。


「……」


 だがエミルがそれにどの様な意識を感じたのかは、やはり少年には完全に把握できない境界の向こう側の出来事でしかなかった。


「そうだな……、何から話すべきか」


 古城の敷地内、天空には濃密な雨雲が広がる。

 その中心点には人々に「傷」と呼ばれる、魔力的現象が大きくかっぴらいている。


 新品のナイフで人間の皮膚をある程度の深さまで切り刻んだ、その時に生じるであろう損傷とよく似ている。縦長の切れ込みは確かに傷口によく似ている。


 だが最近になって、ルーフはその「傷」に別の形容を見出し始めている。


 そういった、人々の様々視点を常日頃から浴びている。

 巨大な空の「傷」の下、エミルと言う名前の男が自らの家族について語っていた。


「なあ少年、ルーフ君、君は……あの人を見て何か気付くことはあるかな」


 質問をされた。

 エミルの言葉を耳に受け止めながら、ルーフはその問いかけが意味するところを上手く把握できないでいる。


「あの人って…………、モアのことか?」


 質問内容に少しでも多くの確定的情報を得るために、ルーフはエミルに問いを打ち返している。


 だがエミルはそこに返事を寄越そうとしなかった。

 無言の正体が分からないままに、ルーフは独自で内容に想像力を巡らすしかなかった。


 考える、その先で現時点においてもっとも相応しいであろう解答だけを舌の上に用意している。


「別に何も…………普通の、何処にでもいる女って感じしかしないが…………」


 思いつくがままの、普通の感想だけを言葉にしていた。


「ああでも、その辺の女と比べて見たらなかなかに、うん…………」


 そのついでに、毛ほども思っていないおべんちゃらを捻りだせる分には、その時点ではまだルーフには余裕が許されていた。


 意味があるかどうかも怪しい少年の気遣いに、エミルがどことなく気恥ずかしそうな笑みをこぼしている。


「あはは、そう言ったらあの人もきっと喜ぶよ、きっと」


 笑みの気配の中で腹部を膨らませ、やがて熱を帯びた空気が男の腹から抜けきった。


 その頃合いで、まるで自分自身もずっと待ち続けたかのように、エミルは秘密を一つ打ちあけている。


「君もあの人も、そして俺も……。これから長い時間、慣れない体でずっと頑張らないといけないんだよな」


 開示と言うにはあまりにもアバウトで、しかしそうであるからこそルーフは男の言葉から無限の仮定を膨張させずにはいられないでいる。


 今、なんと言ったのだろうか。

 いや、言葉はしっかりとこの耳に受け止めていた。


 だとすれば、ルーフは考える。

 あの人と、目の前にいるこの人と、自分の今の状況は類似性の関係にあるということになるのか。


「…………」


 可能性がイースト菌を練り込まれた小麦粉の塊のように膨らむ。

 やがて沈黙と言う枠組みの中に、抑えきれぬほどに質量が意識に影響をもたらさんとしている。


 次に言葉を発することに、それ自体に何ら難しい事など存在していない。


 簡単な事である。

 であるからこそ、ルーフは躊躇わずにはいられないでいた。


 自分と同じ環境にいる存在、それは本来ならばあたたかい安心をもたらす、喜ばしい事実であるはず。


 なのにルーフが言い知れぬ不安と、その中に涙をこぼしそうになる悲哀を抱く。

 その理由、意味、答えは他でもないルーフ自身の意識の中。

 

 素手樹記憶の内層に沈みつつある、だが重さは確実に少年の無意識の形すらも変えようとしている。


 ルーフが車椅子の上で拳を握りしめている。

 指の圧力、熱は少年の把握していないうちに、彼の失われた右足の空白の上に戻されている。


 動きを止めたルーフ。

 そこにエミルが声をかけていた。


「どうした? もう古城の土地は終わってるよ」


 エミルの話の中、ルーフはそこで初めて自らの立ち位置。

 それは精神的な、感情によって構成されるものではなくもっと単純な話。


 ルーフはいつの間にか自分が古城の外側、土地に適用される範囲の外側にいることに気付いていた。


「あれ…………? そうだ、本当だ」


 呆けたような表情になってしまっているのは、古城の範囲とその外側では明らかに周辺の環境が異なっていることに関係している。


「言っただろ? 長い話になるって」


 エミルがそう笑いながら、身につけている雨合羽のフードを後ろにずらしている。


「それにしても、今日の灰笛(はいふえ)は割かしいい天気かもな」


 ずり落ちたフードの中身から、エミルのくすんだ金髪が空気の下にさらされている。

 干した小麦のような色をした、短く切り込まれた毛先が湿り気のある冷たい風を静かに含んでいる。


「少年、君も上着のボタンをちょっとだけ緩めたらいいよ」


 着込んでいたものをバサバサと緩め、開放感の中でエミルは目線を上に向けている。


「ほら、このタイミングならいいものが見れるはずだから。もうちょっとだけ、先に進んでみようぜ」


 先ほどまでの会話など最初から存在していなかったかのように。

 エミルの態度には明るさしかない。


 ルーフは男の切り替えの早さに戸惑いながら、結局のところ彼に対する不気味さが何も解消されていないこと。


 だだそれだけの事を、当たり前の事実として受け入れるよりほか、彼には何も許されてはいないに過ぎなかった。

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