カワイイ何かをPCのデスクトップにしよう
わざわざ驚くようなことでも無しと。
ルーフは本日何度目かの言葉を頭の中でビー玉よろしく、静かにひそやかに転がしている。
しかし嘘もお粗末なものでしかなかったらしく。
少年自身が想定している以上に、その表層には疑問と不可解さの具合が多く浮上していたらしい。
エミルは彼が疑うところの要素について、どこまでもただひたすらに、丁寧な説明を行うだけであった。
「解釈は人それぞれあるという話はすでにし終わったところで。それはそれとして、これはあくまでも古城側、この都市における魔術師の一つの価値基準でしかない。という事を、まずは先頭においてもらいたいんだが……」
エミルにはどうやら、これらの要素の大部分がルーフにとって不快感ないし嫌悪を呼び覚ますであろう。
男が幾つか予想を立てている、気遣いはやはりおおよそ少年に該当をしている事柄でしかない。
説明の続きを拒否する、という選択肢もあることをルーフは脳裏の片隅に浮かべている。
耳を塞げばまだ、おそらくは先に訪れる味来、可能性の全ての最もたる平穏と安心に身を委ねられよう。
選ぶことも出来た。二言三言、拒否の意を表現すればよいだけの話。
ただそれだけの話であった。
にもかかわらず、ルーフは選べたはずのどれもを無視している。
そうしていた、理由などと大層など何処にも存在していない。
ただ聞きたかった、それだけの話であると。
ルーフは自らに向けて繰り返し、繰り返し、まるで幼子にするかのように言い聞かせている。
「──。と、言う訳なんだ」
やがて簡単かつ的確な説明が行われ、それが終った。
その数秒ほど後に、ルーフはエミルから与えられた情報を頭の中でまとめるついでに、順を待つことなく言葉へと変えていた。
「つまりは商品として利用をするために、…………怪物に名称をつけて管理をしている。こういうことなんか?」
要約するところでは、こういう事になるのだろうと。
ルーフは考える、思考を継続させることで少しでも感情の入る余地を減らそうとしていた。
少年の孤独なる試みなどお構いなしに、エミルはあくまで彼の理解力に限定して賞賛の念を送っていた。
「流石、理解が早いな」
思惑が何であれ、とりあえずのところエミルの様子から見てとるに、ルーフは己の解釈が正解に近しいものである事を自覚することが出来ていた。
エミルはそのまま引き続き、古城における怪物の価値についての話を続行する。
「怪物と呼称される生物の体内に含まれている魔力的要素は、現在の文明レベルにしてもまだ完全なる解明が為されていない」
どこかしらの専門書に記載されていそうな内容を、エミルは空読みをするかのようにしている。
ルーフの頭の中でまた記憶が湿気を取り戻した気配がしたが、しかし今はそれについて深く考えることはしなかった。
エミルの話は続く、導入部をこえれば後は彼なりの口語体が展開されていった。
「つまりだ、あいつらってのは体の中に魔力が沢山……。と言うよりはもう、肉体そのものが魔力で出来ているって感じなんだよ」
感覚を伝えられたところで、しかしながらルーフの常識的範疇は上手くそれを認知できていないでいる。
戸惑いもやはり、エミルも重々想定している所ではあった。
であるからこそ、男は少年がよりイメージを抱きやすい比喩表現を選ぼうとしている。
「そうだなあ……。あー……うん、下手に魔力だとか専門っぽいことも言う必要が無いよな」
自分の想像を他人にどの様にして伝えればよいのか、エミルにしてみても決定的な手段を見出せられないでいるようであった。
「水……、「水」例えるのが分かりやすいんだろうな」
エミルが一つ言葉を選んでいる。
口にした単語は日常的な音をもっていながら、しかして響きの中にどことなく通常とは異なる雰囲気を帯びているような気がした。
「人間の体の約六十パーセント、細胞のほとんどが水分によって出来ているって話は知っているかな?」
エミルはそう質問していながら、言葉の中に自ら見解を求める探究心を滲ませている。
ルーフが問いかけに対する了承をみせている、それを視界に確認しながらエミルは言葉の続きを唇に発している。
「この世界……、オレ達が普段認識している魔力っていうのは、いわば体の中に含まれる水分のようなものなんだよ」
それはすなわち最も基本的な物質であり、生命が活動せしめるために必要不可欠な要素である。
またあるいは、あらゆる素材の基礎となる素材であり、極端な話をすればこの世界の殆どの存在は水によってつくられている。
そういった面を頭の中で思い浮かべた所で、それでもルーフはまだ完全に納得をする事が出来たという訳ではなかった。
「やっぱり、よお分からへんわ…………」
イメージの世界に柔軟さを求められたところで、それはルーフにとってはあまりにも無理難題が過ぎていた。
眉間に深々としわを寄せながら、首を斜めに傾けている。
エミルは少年のそんな様子を見ながら、ほのかに困惑したように口元を上に曲げていた。
「まあなー、この例え話は魔法使いの人が良く使うやつだから、オレらにはあまり考えにくいよなー」
言い訳をしながら。
エミルは頭部に手を伸ばしかけた寸前で今は雨合羽を着用していたことを思いだし、指の動きを中途半端に止めている。
男の指先が虚空を撫でて、爪の間に雨粒が染み入る。
彼らがそれぞれに不可解さを苛まれている所で。
その遥か上を跳んでいる、あるいは泳いでいる魚。名前を何と言ったか、ルーフは思い出せないままにただ動きをぼんやりと眺めていた。
「...-----......-----yyyyyy」
それは魚の姿とよく似ている。
大きな肉体をもった怪物が呼吸音をどこか、口か、あるいはほかの場所から吐き出している。
音は体の大きさと比例するかのように、震動はさながら天空を運行する飛行機の如き存在感を放っている。
「仕組みも理屈も、俺にはまだ何にも分からへんけれども…………」
再び目線は上へと固定されている。
色々と考えていたはずの要素も、視界にもたらされる光景の前には、大鍋の中の塩一つまみ程度の意味しか有していなかった。
「でも、なんつうかな? ずっと見ていたいような、でも絶対に触りたくはない感じがするっつうか…………」
自分が不可解さに悩まされている、そんな事などまるでお構いなしと。
そんな風に怪物は一つだけ、のびやかに空を泳ぎ続けている。
どこに向かっているのだろうと、ルーフは怪物のほかに灰色しかないであろう風景を眺めていた。
平穏、ルーフは本来の環境すらも忘れて、怪物の動きだけを心の内層に留めようとしていた。
このままこの時間が続けば、後になって思えば彼はそれを期待していたのだろう。
だが望みは叶えらえることは無かった。
「…………。あ」
ルーフは怪物が向かうところの方向へと目線を移動させた、そのすぐ近くに一つのガラスの塊のようなものが接近しているのを認めていた。
どうして気付かなかったのだろう、それは確かに今の今まで視界に認められていたはず。
「ビルが?!」
ルーフは思考を動かすよりも先に唇を、今まさに怪物と衝突せしめんとしている存在の名称を叫んでいた。
怪物はビルとぶつかりそうになっていた。
飛んでいるか泳いでいるか、どちらにせよ。
風雨吹きすさぶ虚空の中、怪物はその瑞々しく柔らかそうな体をうねらせて、やがてはいずこへと向かおうとしていたのだろう。
そこに意識が在るのか、それとも無いのか。
理解は到底及ばないところなのだろう。
だからなのか、怪物は真っ直ぐビルの方へと向かっていた。
怪物も大概「普通」から逸脱していながら。
事の悲劇性をさらに演出するかの如く、ビルの方もまたとんでもなく非常識を全体によって主張している。
そもそも、上空を高く飛んでいる怪物がビルに衝突するためにはどうすれば良かったのか?
怪物が高度を落とす、あるいはビルの高さが石油原産地の超高層ビル並みにそそり立っているか。
方法は色々と考えられるし、考え付く大体のことはおおよそ不可能と言う程の事でもないのだろうか。
しかしいくら思考を働かせたところで、それらは結局のところすべて無駄でしかないのだと。
ルーフは強烈なまでの虚脱感に襲われている。
思いついたすべては空虚でしかない。
怪物がビルにぶつかりそうになっている、だがまずその見解そのものが間違っていた。
ぶつかろうとしている、衝突を起こそうとしているのはビルの方であったのだ。
そのビルは空を飛んでいたのであった。
飛ぶと言う形容は少し誤り、正しくは浮遊している、地面から離れているというのが正しいか。
「ぶつかるッ? どうして、ビルが?!」
鉄筋コンクリートと分厚いガラスが幾つも連続している。もしもどこか他の都市でそれを見たとしても、おそらくは記憶にとどめることすらもしないだろう。
それはあくまでも、どこまでも普通のビルでしかなかった。
ただ一つ、地面から離れて空に浮かんでいるという面を除けば、何処にでもありそうな建物であるはずだった。
怪物にぶつかりそうにしてさえいなければ、ただ日常を累積するだけの塊のはずだった。
「しまった……」
状況に頭を追いつかせられていない。
ルーフのすぐ近くで、エミルが失態に声を激しくさせているのが聞こえてきた。
「通信! 漂流都市群が一つ領域を侵害している!」
声を張り上げている、エミルはここではない何処かの誰かと通信していること。
それだけがルーフに理解できていた、その根拠としては。
[……──。了解]
一瞬にして緊迫感を帯びた声色の、そのすぐ後にノイズ交じりの返答がどこか。
といっても、どうせ魔術仕込みの雨合羽以外のどれを対象にすることも出来ないが。
ともあれ、通信回線と思わしき方法でエミルは誰かと伝達をしていた。
仕事用の緊急回線でもあるのだろうか。
連絡手段は最初から確保されていて、どの様な事態でも対処するための対策。
通信機能もまた、予防線の一つであったのだろう。
「──……だな……。わたしがそちらに向かおう」
魔術通信を介して、さらに声が返ってくる。
声色は大人の響きがあり、それは年をとった男のようであった。




