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死体をキレイと表現しよう

 エミルが説明をする所によると、一応ながらそれも魔術の一種という事になるらしい。


「って、言うと…………あれなんか?」


 ルーフは腹の前で雨合羽(あまがっぱ)の左右をたぐり寄せながら。

 指の合間に屈折、密着させたビニール素材の繊維に熱を溜めこみ。

 そのぬくみの中で、ルーフは「普通」の音声、音量でエミルに質問をしている。


「こうやって雨が強い日でも外を気分よく歩けるように、魔術師共は日々ビニール繊維に怪物の体液をスプレーしていると?」


 確かに肌を覆う快適さを実感していながら。

 しかしルーフの脳内はそれ以上に、決して無視することのできなさそうな不快感の予感に冷たさを覚えかけている。


 出来ることならばさっきの様に、まだその体が古城の内側に存在していたあの時。

 手渡された雨合羽を放り投げる、それと同じ行為をルーフは強く望んでいる。


 少年の願望は、しかしながらエミルにしてみればなんら戸惑うこともなく。

 容易く想定の内に組み込めるものでしかなかったらしい。


「気持ち悪いって思う人も、それはそれでキチンと「普通」なんやろうな」


 エミルは至って落ち着きはらった様子のままで。

 ルーフと言う名前の少年の前方。六、七歩ほどだけ離れた位置から、暗い色をしたフードの下に目線をジッと固定させている。


「でも、もしもオレが先に説明をしなかったら。……そうだとしたら、君はその温度をどう思っていたかな?」


 エミルはルーフに質問をしていた。

 その深い、藍色と青色の境界線の様な色彩をした虹彩が、水分の満ち足りた細やかなおうとつに少年の姿を映しとっている。


「どう、とは?」不明瞭にされている意図に、ルーフは理解よりも早く一つの感覚を肌の上に滑らせる。


「どういう事なんだ? 説明されなかったら、俺がどう思うんだよ」


 ルーフは口を動かしている、その時点ですでに判断能力は答えを導き出してたような気がしている。

 

 だがまだ、完全なる意味を与えようとしていない。

 少年の迷いもまた虚しいものでしかなく。エミルは疑問に答える形で、決定的な重さだけを的確にもたらしていた。


「なに、単純な話だ。その合羽の材料がもしも、ただの合成樹脂のソフトビニールだけだとか、その他の科学的安全性に満ち溢れた素材で作られいたと。そう思い込んでいて、そのままだとしたら? っつう話なんだよ」


 具体的な物品の名称を並べることで、エミルは少しでも話の内容に説得力を加えようとしているつもりなのだろうか。

 ルーフはどこか客観視的なもので判別をしようとしている。そうすることで、少しでも己の内に冷静さを演出しようだとか。

 そんなつもりでもあったのだろうか?


 だが試みは空虚なものでしかなく、思おうとした時点ですでにルーフの体は感情の負荷に苛まれんとしていた。


「知らなかったら、何も不安に思うことなくただ便利だとしか思わなかった。そう言いたいんか」


 主張するところの内容には、違和感と思わしきものはなんら感じられないように思われる。

 おおよそにおいて正しいと言えよう、むしろかなり良心的な語調によるとさえ考えられる。


 ルーフはそう思おうとした。


「…………」


 意図的にそうしている。その時点ですでに、ルーフは静かに自覚を満たしている。

 能動的に思考を働かせている、それはつまりそうする必要があるから。

 納得をしようとしている、ルーフは自分の内層で言い訳をいくつも作り上げる必要性に駆られていた。


 つまりは、納得をしていないのだと。

 ルーフ自身がその事に気づき始めている、その頃にはエミルがすでに少年の変化を把握しているようだった。


「いや……この言い方はちょっと意地が悪いかもしれへんな」


 自己反省的に自らの主張を訂正しようとしていながら、だがエミルにしてみても主張を誤魔化すことはしなかった。


「技術、方法、便利だと思っているその全てがどの様な過程で生まれているのか。どういった意味を与えられて、この世界に存在しているのか。オレが言いたかったのはつまり……」


 どうにかして少年の納得できるであろうものを、用意しようとした所でエミルは結局のところ諦めを一つ結び付けるだけだった。


「あー……、何を言っても君の抱いている不快感の証明たりえることは無いんやろうな」


 エミルは魔術によって作られた、怪物の肉体によって生み出された技術の一つ。

 暗い色調の雨合羽に身を包む、男の体は空の灰色から降りしきる水の量たちの下で雨ざらしとなっている。


 水に翻弄されていながらも、男は怪物の死によって健康的で快適なあたたかさを許されている。

 状態、それはルーフにも共通していること。


 だからこそ、ルーフもまたこの場面においては諦めることを選択するべきだと。

 あたかも冷静さを演出するのに、それこそ図らずして風雨の冷たさが一役買ったことは否めないのだろう。


「なにも、ムカついたりしてなんかいませんよ」


 ルーフは雨合羽をいま一度しっかり着こなし、フードをしっかりと頭部に被りながら。

 その体を雨から防護しつつ、適切な温度の保たれた両腕で車椅子の車輪を前方へと回している。


「いちいちこんな事でビビッていたら、なんだかもう…………このさき上手くやっていけないような気がしますんでね」


 車輪は雨に濡れているはずなのに、不思議なほど指に吸い付いていて、その稼働は屋内にいた時となんら変わりが無いように感じられる。


 もしかすると? この車椅子にも怪物の、魔力なり魔術なり、魔法なり、魔的な何かしらが使用されていたのではないか。


 ルーフが予想をしている、心内に生まれたのは先ほどよりは静かで凡庸な色しか持っていない。


「……………」


「……」


 沈黙、とりたてて話すこともない。


 と言うのも、古城の外に出るというのが今回の目的であって、そういった面で考えるとクエストはすでにクリア済み。という事になってしまう。


 だがいつまでも、よもやどこまでも遠く果てしなく出かけ続ける。

 そんな訳にもいくまいと、流石のルーフであってもその位の判別は容易に想定できている。


 少年が抱く警戒心の気配に感付いたのか、あるいはただ単沈黙に耐えきれなくなったか、それとも黙ってるだけの状況に飽きたか。


 いずれにせよ、エミルはもう一度雨合羽の中でルーフに話しかけている。


「こういう時、ナウでヤングな若者と話す時は世間話が一番無難、らしいな」


 内心がどのようなものであるかどうかは関係なしに、とりあえずの所エミルはどうやらルーフとの会話の糸口を探していたらしい。


「だから、あんたと俺って言うほどトシ離れとらんやろ…………」

 

 ルーフの割かしハッキリとした反論もそこそこに、エミルは導き出した回答のおもむくままに実行へと移行していた。


「世間話でもしましょうや。最近どう? 何かあった?」


 それでもしかして、ごくごく自然な会話の切り口のつもりなのだろうか?


 右隣でエミルが笑顔をこちらに傾けている。

 それを視界に確認しながらルーフは首を傾げたくなる寸前で、はて、はたして自身に他人のコミュニケーション能力を品評できる技量があるかと。


 少年がひとり勝手に、独りよがりな自己判断を下している。


 と、そこで男と少年の元に一つ大きな影が迫っていた。


「…………ん?」


 ルーフが違和感に気付いて、目線を対象の方へと動かしている。


 方角は右でもなければ左でもなく、はたまた後ろという訳でもない。

 少年の首は前方の皮膚を弓なりの様に反らしている。


 彼は上を向いていた、エミルが動きに合わせて同じ方角へと視点をたどる。


 そうすれば、彼らの視界には訪れた影の正体を確認することが出来ていた。


「なんだあれ?」


 ルーフが上を向いたままで、口の中に雨粒が侵入するのも構わずに上空を飛んでいる、ように見える「それ」が何ものであるかについて考えようとしていた。


 しかし飛ぶ、飛行と言う呼称が果たしてその生き物と思わしきモノに相応しいのかどうか。

 少年はまずそこから疑問を抱かずにはいられないでいる。


 そう思いたくなる程度には、その生き物と思わしきそれはあまりにも空を丁寧に、滞りなく滑らかに移動をし過ぎているように思われた。


「泳いでいる…………」


 最も相応しいとされるであろう形容を口にしている、その生き物は虚空を重力に逆らって泳いでいた。


 そんな馬鹿な、ルーフの内層に潜む常識的観点がすぐさま否定文を申し立てている。

 しかし机上の空論は虚しいものでしかなく、少年の琥珀色をした瞳は緩慢に空を泳ぐ生き物、らしきものを捉え続けていた。


「魚か、肺魚(はいぎょ)によく似ているな」


 ルーフの頭の中で記憶が再上映される。

 古代の世界に生きていた魚、今はもうこの世界に生きていない魚。


 魚と形容するには、その姿は幾らか丸みが多い。

 どちらかと言うと両生類的な雰囲気を持つ、記憶の片隅でとある変わり者のパン屋の姿が思い出されたかのような。


 要素が連結をする中で、答えを得るにはさして時間を要しなかった。


「ディプノリンクスだ! むかし図鑑で読んだことがある!」


 最良なる解答を導き出せた喜びも短く、ルーフはらしくなく朗らかな声音を発してしまったことに恥じ入っている。


 少年が羞恥心を抱いている所で、しかしながらエミルの方は彼の感情にさほど重点を置いてもいなかった。


「『マークⅡ』、いくつかある種類の中でもとりわけ型が大きいヤツやな」


「は、え? なんて?」


 エミルは何かしらの名称を口にした、という事だけは何となく、何とはなしに理解することが出来る。


 ただ、聞き取れただけであって、内容の意味ばかりはルーフにもまるであずかり知らないことであった。


 お互いに心情のおもむくままに言葉を発していたことだけは確実であったらしい。

 少年が首を上に向けたままで、生き物らしきものを見ていた眼球の方向を雑に変えている。


 かなり無理のある体勢になっていることも厭わずに、疑問の勢いへ身を任せている。

 エミルはルーフの方を見やり、先ほど述べたばかりの事柄に添付をしていた。


「名前だよ、あの空に浮かんでいる……怪物の名前だ」

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