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悪趣味すぎる

「…………ッ、…………!」


 ビニールの布に鼻を寄せた、その途端ルーフは自らの感覚を貫く気配に体を大きくのけ反らせていた。


「うわ?!」

 唇は反射反応として叫び声を一つ上げている。


 しかしそれは悲鳴までには至らない。爆発は瞬発的なものでしかなく、声音のひと塊が空気へと溶けきる頃。

 その頃合いには、ルーフの頭はその「におい」の正体が何であるのか。

 

 無意識に近しい水面、繊細そうな震えのすぐ近くで理解を獲得している。


「これは…………?」

 解答はすでに脳内に存在をしているはずなのに、何故かルーフは答えを不明瞭なものにしようとしている。


「何のにおいだ? なにか…………甘いにおいがする。これは、────」


 あえて分析の手段を取ろうとしている。

 唇の中身で次の言葉をすでに用意している、ルーフの様子をエミルと言う名前の男が見ている。


 エミルがジッと視線を向けている、眼球に浮かぶ感情が何であるのか。


 しかしルーフは他人の目線に気を配ることもしないまま、今はただ嗅覚に一定の解明を導き出すことを優先させている。


「果物? 果物の甘酸っぱい匂い、リンゴと…………よく似ている」


 やがてルーフが手の中にビニールの布、雨よけのための防具、雨合羽(あまがっぱ)から発せられている「それ」。


「それ」の正体と思わしきもの、あるいは近しいものと考えられるにおい、名称を言葉に変えている。


 ルーフが要素についての単語を選んでいた。

 その右隣で、エミルがあたかも感嘆めいた呼吸音を口から発しているのが聞こえてくる。


「ほう……? 流石に、鼻がよくきくと見える」


 どうやら男はルーフに賞賛を送っているつもりらしい。


 しかしルーフにしてみれば、男が一体何について、どのような目的と意思をもってして賛美の意を唱えているのか。


 正体の見えない感情と合わせて、ルーフは雨合羽から発せられる気配により一層の不可解さを描き出すばかりであった。


「なんなんすか? この古城は外出用の雨合羽にリンゴ百パーセント濃縮果汁でも擦りつける、希少かつ奇妙奇天烈な慣習でもあるんかいな?」


 何故か、理由はよく分からない。

 何かしら直感めいたところで、ルーフはエミルに対して直接的な質問をする事を避けようとしていた。


 もしかすると、と言うまでもなく、その時点で実のところこの少年は答えを解っていた。


 そうではないだろうか、ルーフ自身が自問自答をしようとする。

 だがそんな暇すらも与えることなく、エミルの方はなんら問題もなさそうに答えを表記している。


「惜しいな、ちょっとばかり惜しかった」

 

 エミルはさも楽しげに、まるで昼下がりのクイズ番組の司会者のように、その青色の瞳に快活そうな笑顔を浮かべている。


「正解は、魔法使い及び魔術師が処理をした怪物の死体から抽出した魔力成分、それを百パーセント果汁っぽく濃縮したものを吹きつけている。が、正解やな」


 エミルが全てを言い終えている。

 発声方法としてはとりたてて違和感があるとも思えない、どちらかと言えばかなり丁寧な言い方。

 

 電子料金徴収システム(ETC)の音声システムのように、発音の全ては聴覚に心地よい程度に情報を伝達している。


 声質の有料具合も助けをしたらしく、しかしてそれらの全ての優れた要素が、今のルーフにとっては最大限の毒素足りえていた。


「! !! !!?」


 多分、おそらく叫んでいた様な気がする。

 ウワーッ! だとか、ギャーッ! だったり。そのどちらか、あるいはどちらでも無かったかもしれない。


 この場合はどっちでもよかった。

 どうでもよかった、行動はすでに選択をし終えている。


 ルーフの叫びがガラス材の自動ドアをビリリビリリ、と振動させる。

 音の波は板をいくらか通過して、やがては外の豪雨へと吸い込まれていく。


「おいおい」

 振動が全てへ吸収される。

 しばしの硬直をしているルーフを他所に、エミルは床の上に投棄された雨合羽を速やかに回収している。


「いくら無料配布と言っても、一応は古城の貴重な備品なんやから。もっとしっかり、丁寧に扱ってもらわんと」


 エミルは少年のリアクションに関しては何も言わず、とりあえずは彼が手放した一枚の服をもう一度手渡そうとしている。


「あー……、うん、でもまあ、気持ちは分からんでもないけどな」


 しかしルーフが体を動かそうとしていない。

 その様子を見やり、エミルはそこでようやく一つの感覚を思い出したかのように。

 深い青色をした瞳に、若干ながらの困惑を滲ませている。


「嫌悪感が有るか無いか、ここではあんましそう言う事を考えないのが普通。まずは、その事をこっち側から理解しないといけないんだ」


 エミルはやはり丁寧な発音、適切な音程とリズムの中で、ルーフにまるで言い訳をするようにしている。


 どこの誰に対する正当化をしようとしているのか。

 ルーフがどうにかして判別を着けようとしている。


 しかし少年の思考の都合までは考慮に入れるつもりは無かったらしく、エミルはもう一度彼の座る車椅子のハンドルを握りしめている。


「理屈や意味は分からなくても、理由は行動が最大の根拠になるからな」


「…………?」


 呟きが聞こえたような気がする。

 それは今までの物とは異なっている、エミルにしてみれば個人的な言葉にすぎなかったのだろうか。


 ルーフは確認をしようとした、だが少年が唇を動かす暇も無いままに、体は古城の外へと移動を果たしていた。


「ッ! うぐ…………ッ!」


 どっどど、どっどど。

 どっどど、どっどど。


 未熟な胡桃(くるみ)や酸味の強い唐梨子(からなし)もぶっ飛ばしてしまいそうな。

 それ程には強い、あまりにも強すぎて理解し難いと思えてしまえる、とても強い風がルーフの体を四方八方から叩き付けている。


 風の量は音を伴う。

 それまで継続されていたはずの都市の音色も遠く彼方には慣れて、今はただ耳孔を貫く風量ばかりが絶対王政の如き主張をしている。


 力の勢いは見境なく暴力的で、もしかすると重力すらも圧倒する、反旗の可能性を予期してしまえる。


 この場合に置いて、この場面に限定してルーフは、今自分が車椅子の世話になっていることに感謝をしたくなる欲求に駆られる。


 仮に自分一人の脚力が二本、健康的に生えそろっていたところで、果たしてどれほどこの風量に対抗することが出来たのであろうか。


 仮定の戦いに空虚なる敗報を通告したくなる。

 ともあれ、分かりきっていた事実でありながら、古城の外側はとんでもなく暴風雨であった。


「寒い、風が強いだけじゃなくて…………雨もヤバい」


 出来る限り自然…………、としか思えそうにない力の被害から身を守るかのようにして、ルーフはその場でギュッと身を縮ませている。


 よもや返事を期待することなどしているはずも無かったのだが。


 しかしこういう時に限ってと、ルーフの動揺にエミルはあたかも会話的に返答をしている。


「できれば今すぐにでも、早めに「それ」を着用することをおススメするよ」


 エミルはこの様なことを言っていた。

 それは錯覚などという不確かなものではなく、確かに声は情報としての意味を伴ってルーフの脳へと届けられていたのである。


「…………?」


 違和感の無さに、ルーフはほんの一瞬ながら風の音すらも忘却できる程度の訝しさを覚える。 

 聞こえるはずがないのである、少なくとも聞こえていたはずの声は「普通」のそれでしかなかった。


 例えば叫んだりでもしない限りは、人間の音声と聴覚器官がこの暴風雨の中で伝達を実行できるのだろうか?

 ルーフは想像を巡らそうとして見たが、しかし彼の愚鈍なるイマジネーションにそれは余りにも無理難題が過ぎていた。


 考えても、考えるだけではどうせ分かりっこないことも、この世界にはままあると。


 一つの事実を証明するかのようにして、エミルは雨合羽に身を包みながら、暴風雨の中をとても気軽そうに歩いている。


「理由は後で考えるとして、早く何か着ないと風邪をひくぞ」


 それは注意であり、同時に勧告でもあった。

 男はルーフに勧めているだけでしかない、出来ればそうした方が良い、と言っているに過ぎない。


 命令文とは異なっている、その推奨はとりたてて違和感があるものでもない。

 雨が降っているのだから、雨具の装着を進めているだけ。


 ただそれだけの事。

 あるはずのなのにルーフがためらいを見せているのは、さして過去にさかのぼる必要性も無くつい最近の叫びが全てを物語っている。


 だが思考がどれほど理性的な反論を述べたとして。

 体を直に苛む風雨の冷たさ、皮膚の中身の肉、流れる血流に直接響く水の存在感。


 それらの質量の前に、ルーフの矮小なる理性など無力に等しかった。

 つまりは、要するにルーフは自身でも小さく驚くほどに速やかに、雨合羽の着用を実行していたのであった。


「…………、…………あれ?」


 それを違和感と呼ぶべきなのか、判断を迷うところであった。

 あまりにも自然で、感覚の変化はそれこそ肌に衣類をまとうのと同じくらいに、そこにはいかにも「普通」そうな安心と安息だけが満たされている。


 それでもルーフは、自らの肌に満たされんとしている感覚、人工によってもたらされた安心を理解しようとしている。


「あたたかい、それに…………風や雨の音も遠くなった、気がする…………?」


 とりあえず体が認識している所の変化を、言葉に変換して情報をまとめようとしている。

 だがむしろ、しっかりと意識の表に引きずり上げることによって、余計に意味不明さが増しただけのように思われていた。


 あからさまに戸惑っている少年に、エミルが説明の続きらしきことを普通の音量で話している。


「その雨具の効能、あー……、この場合は魔術的効果と言った方が言葉としては正しいんだろうか」


 その声はやはりルーフの耳に、一字一句として風雨に溶かされることなく、その丁寧な発音を情報として伝達させている。


「ほら、この場所って雨やら何やら、いつも呆れるほどに色々と降っとるやろ?」


 だから、そのための対策をするのもまた、この灰笛(はいふえ)と言う名前の地方都市にしてみれば、日常の一粒でしかないのだ。


 と言った旨のこと、あるいはまた別の事柄。

 概要、事実の数々。


 エミルは意味をルーフに向けて、出来る限り少年が理解をしやすいよう、どこまでも丁寧で聞き取りやすい発音をしながら。


 しかして言葉だけでは伝わらない、目に見えず耳にも聞き取れない、だが確かにこの世界に存在をしている意味。

 それらを含ませるかのように。

 

 エミルと言う名前の男はその、深い青色をした瞳の中、水面にたゆたう花びらの一枚のように浮かばせていた。

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