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説明文を丁寧に破り捨てよう

 結論から申し上げてみるとして、果たしてどこの誰に申告をすべきなのだろうか。

 問いかけてみたところで、ルーフはその疑問がどうしようもない程には無意味で、無味無臭の虚無でしかないこと。


 それぐらいのことは、たとえ愚かしい少年であったとしても判断をつけることは出来よう。


「いやあ、今日もいい天気だよな」


 一人勝手に、独り寂しく自己完結をしていた。

 少年の右斜め後ろあたりの位置から、エミルがいかにも落ち着きはらったような声音を発しているのが聞こえてくる。


 昼食の時間は終わった。

 食事行為の後の緩やかなる安息と充実感、そこから必然的に発生する緩慢さが彼らの間に浸透をしかけている。


 エミルにしてみても、その一言は車椅子の上にいる少年に向けた、ちょっとした会話の気軽な切っ掛け。

 その程度の、おそらくはそれ以上の意味合いがあるとも考えられそうにない。


 そう判別をした、その上でルーフは特になにを思うまでもなく、ごくごく自然にシンプルで短い返事をしようと。


 してみたところで。


「うん…………うん?」


 純粋かつ素直な同意を凡庸に用意しかけた、その所でルーフは首を大きく傾けざるを得ないでいた。


「いい天気っつうか、なんというか…………」


 相手がそう主張をしているのだから、大人しくそれに同意をするのが、特に考えるまでもなく最良の選択であるのだろうと。

 その位の忖度、思考回路を働かせられる程度には、このルーフと言う名前の少年は程よく小心ものである事は確かな事実である。


 だが、そんな彼であったとしても、どうにもエミルが口にした感想は違和感以外の何とも受け取れそうになかった。


「…………」


 動揺を気取られてはならないと、なけなしの獣じみた側面がルーフに沈黙を強制している。

 おそらくは、ルーフの眉間にはうっすらとしわが寄っていたに違いない。

 

 しかめっ面を引っ提げていながら、ルーフはその琥珀の色をした瞳に視界を、そこから得られる情報を改めて再確認している。


 彼らは今、と言うよりは依然としてまだ、灰笛(はいふえ)という名前を持つ地方都市に生存をしている。


 場所はとある巨大建築物。

 広く一般的に「城」だとか、あるいは「古城」とも呼ばれている。


 ルーフ個人としては後者の方が響きが好みであることは、この際にはかなりどうでもいい情報として。

 何であれ、少年とその付添いとされているエミルは、これからその古城から外に出ようとしていたのであった。


 これはすなわち古城からの脱出である。

 といえば少しでも格好がつくだろうか?


 別の言い方を、もっと砕けた言い方をすれば、色々と滞りがちな病人が外気の空気を吸うため。

 要するに一種のリラックス方法と解釈することも出来よう。


 と言った旨の事をルーフがエミルから伝えられたのは、実のところ昼食が終ったばかりの頃。

 すなわちハリと別れるとき、食堂からさて次にどこへ行こうと。


 ルーフが疑問を抱いていた、そこでハリとエミルはどの様な会話をしていただろうか?

 たしか、何かしらハリの仕事と思わしき事柄、人手が不足して辛すぎる……。的な事を言っていた様な気がする。


 思い出しかけていたそれは、しかしながら泡沫のふるえ程には頼りないものでしかない。

 そんな事を考えている暇も無い程には、ルーフは目の前に広がっている光景についての情報を整理することに、集中力を強く大きく裂く必要性があった。


 しかしながら実際に眼球にもたらされている光景としては、さして特筆できるような特別性があるとは思えない。


 と言うのも、その場所はルーフにとってすでに既知の光景であるはずだったからだ。


「ここは…………、古城のエントランスホールなんだよな」


 ルーフは腕で車椅子の車輪を回しながら、人間で言うところの一歩あたりの幅だけ前に進む。


 進む少年の後ろを追いかける格好で、エミルは彼の頭を見下ろしながら、少し驚異かのような声音を使っている。


「あー……、搬送中の記憶があったんだね」


 ルーフは後ろを振り向くことをしなかった。

 なのでその時エミルがどの様な表情を浮かべていたかどうか、ここではハッキリと判別することは出来なかった。


「そうか、やっぱりあの状態で人間用の麻酔薬は効きにくいんだよな。そうだった、そうだった」


 だがわざわざ眼球を使って確認をするまでもなく、エミルの声音はあまり明るいものとは言えそうになかった。


「あの時は色々と緊急やったからな、とりあえずの処置を充分に広さのある空間で行う必要が……」


 エミルは色々と、細やかな事を言っていた様な気がする。


 しかし内容はおよそルーフの耳に届くことをしていない。

 それよりもと、ルーフはとにかく違和感の正体をより鮮明なものにする事。


 ただそれだけの事に集中をしている。

 ルーフの目はエントランスホールの上部、天井近くの壁の辺りを漂っていた。


「見事なステンドグラス」


 瞳に映る対象物を言葉にして、そうすることでルーフは次の意見をより具体的に浮上させようとする。


「外の光はほとんど見えそうにない。…………濃ォーい雨空が、延々と広がっているんでしょうね」


 ルーフが台詞じみた感想を述べている。

 それにエミルが短く肯定の意を伝えていた。


 ルーフは供述をそのまま続ける。


「ただの雨模様ってもんじゃなさそうだ。音といい、ガラスに映る水のどえらい量といい…………」


「大雨、豪雨だよな」


 少年が勿体ぶった様子で、ただ在るがままの事実を全てを言い終えようとしていた。

 だがそれよりも先に、エミルはこの場合において最も的確たる表現方法を選んでいた。


「でも、雨が降っていることなんてこの場所じゃ大して珍しいもんでもないやろ?」


 その上で、その様な事など些末なる問題でしかないと言いたげな風に。

 エミルはさっさと次の行動へと移るために、


「はいはい、ちょっと失礼」


 一応ながら一拍の注釈を差し込んだ後。

 次の瞬間には、エミルの両腕はルーフの使用する車椅子の取っ手を握りしめ、力の方向は真っ直ぐ前へと。


 エントランスホールの外部、ほぼ自動的に開閉するガラスのスライドドアの向こう側。

 要するに、古城の外へと向かわんとしている。


 外に出ようとする、言葉だけならなんとも喜ばしいことであるはず。

 少なくとも今の今まで、限りなく(かん)詰め状態であった人間にしてみれば、最大かつ最良なる行為と呼称するに値するであろう。


 そういった行為であるはず、だったのだが。

 しかし、ルーフの眼球が見る世界、彼の持つ認識はその喜びを享受することを強く拒否していた。


「いやいや…………」


 喜べるはずがなかった。

 なんと言っても外は、現時点において外側に確認できる光景は、とても人間が安息を抱けるような空間ではなさそうであった。


「いやいやいや?! ちょ、ちょっと待ってえや」


「どうした?」


 エミルがルーフの声音の激しさに対し、思わず前進する足を一時停止させている。

 少年の動揺するところが、男にはどうにも理解しにくいものであったらしい。


「ああ、もしかして……、急に気分が悪くなったとか?」


 おおよそにおいて、病人に対する確認事項としては正しい分類にはいるのだろうか。


「もしくは、お腹痛いとか」


「違う、違います」


 しかしルーフはそれを否定する必要があった。

 エミルの指摘はまったくもって少年の心情に則していない。

 伝達が上手くいっていないことは、ともあれ今の少年にとっては緊急を要する事態であった。


「外がこんな豪雨で、いったいどこの誰が呑気に散歩をしようっていうんですかいなって。俺はそう言うことを心配している」


 説明口調になっていまっているのは、そのままルーフ自身の動揺を表しているということで。

 少年の意見を聞いたエミルは、しかして特に態度を変えるようなことをしてはいなかった。


「あー……、そのことな」


 声音はあくまでも落ち着きはらったものでしかない。

 平坦とした音色には、どうあっても動揺の気配を見出すことは出来なさそうである。


 それはルーフにしてみれば、あるいは少年が既知している常識的観点を踏まえた判断。

 判別の上で、男の様子は彼にとって異常そのもの、それ以外の何ものでもない。


「こんな天気で外に出るとか?! 正気じゃない、普通に日本の足で立っていられるかどうか、その辺すらも怪しいやろがいっ?」


 ルーフが不安を前面に押し出してみたところで、それでもエミルの全身は止まることをしていなかった。


 いつの間にやら体はエントランスホールの終わりまで向かっている。


 ガラスの扉は目の前で、あとほんの少しでも腕を前に伸ばせば、従順たる機能が内部からの脱出者を受け入れようとしている。


 外界の気配が、においがルーフの鼻腔をひんやりと冷たく、ヒリリとした痛みがピンク色の粘膜を刺激する。


 途端、体の中に忘れかけていた源泉と思わしき流れが蘇ったかのような。

 瑞々しさが喉元まで競り上がり、やがてそれは呼吸にまぎれた笛の音の様な囁きへと変わろうとする。


 と、そんな具合のところに、ルーフの視界が突如として謎のビニール素材に覆われていた。


「ぷッ? 何を…………」


 それはおおきな布のひと塊であり、名称としては雨合羽(あまがっぱ)と想定することが出来る。


「ほら、それ着とけ」


 手渡したのは他でもないエミルであって。

 ルーフが首の向きを右側に大きく動かせば、そこには早くも雨合羽の着用をし終えている男の姿が一人見えていた。


「これ着とけば、多分……大丈夫ということになっとる、らしいから」


 言葉の内容としてはいまいち要領を得ない、推測の域すらも脱し切れていないものでしかない。

 信頼に値するかどうかと問われれば、答えは是に至ることもなく拒否を選んでいたであろう。


 そのはずであるのに、にもかかわらず。


「…………」


 理由は分からない、理屈を説明しろと要求されれば、ただ沈黙を送ることしか出来ない。

 それ程には不信感に満ち溢れている。


 だがルーフは手の中にあるそれ、布の一枚を手放せられないでいる。


「…………?」


 エミルの言葉を信じようだとか、例えばそんな殊勝な態度を表そうとでもしていたのだろうか。


 いいや、それは違う。ルーフは頭の中で否定をする。

 否認の言葉は音を得ずに、重さも無いままに。


 ルーフは男に、他人に問いを投げかけるよりも先に、それよりも行動を優先させている。

 

 それこそまさに本能じみた行動で。

 ルーフはいつの間にやら、自分が手渡されたばかりの雨合羽のにおいを注意深く嗅ぎ取っている。


 行動はほんの一瞬彼に客観視を与えていた。


「…………ッ?!」


 そうせざるを得ないほどに。

 少年の鼻の穴の中にあるピンク色の壁、柔らかいそこに訪れた刺激はあまりにも唐突すぎるものであったのだ。

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