君の気持なんか知った事か
例えそれが超絶個人的なやり取りであったとして。
例えそれが、一回につき五百分の通貨価値程度の意味と理由しか有していなかったとして。
しかし一つ確かなことが癒えるとして、ハリの言葉は間違いなく彼女らのどちらか、あるいは両方に多大なる影響をもたらしていた。
その事実は変わらない。
現実に、己の意識の命令に準ずるがままに、キンシはハリの提案に耳を傾ける格好を作っている。
「報酬の変更とは、つまり?」
努めて平常心を保とうとしているのは、少女にとっての魔法使いとしての流儀の一つであるらしい。
「どういうことなのでしょうか……」
だが心理的傾向をコントロールしてみたところで、ハリにしてみれば相手が話題に反応したこと。
その事実一つだけさえあれば、もうすでに彼にとっては充分な意味を発現させていることと同等であった。
「どうもこうも、そのままの意味ですよ」
聞かれたことにだけ答えると言う風に、ハリはあたかも立場の優位性は自身にあると信じているかのようにしながら。
口調はゆったりと、その赤みの強い唇が返答を用意している。
「具体的な話としましては、まず最初に情報の共有を提案したい。と言う点がございまして、ですね」
情報を小出しにしながら、まだ決定的な要素は隠したままにしている。
それはハリにしてみれば話術のつもりであったのだろう。
事実テクニックはキンシにとっては効果を発揮しており、魔法少女は早くも隠し切れない好奇心に体の内層をうずうずと渦巻かせている。
だが効能はあくまでも限定的なものでしかない。
少なくとも魔法少女の右隣。容易く触れられる程度の距離感にいる、メイと言う名前の魔女にしてみればハリの技巧など無意味でしかなかった。
ハッキリと語気を強くして言ってしまえば、チープ、稚拙もいいところだ。
メイはそう言いたくなる欲求に駆られる。
つい攻撃的な思考を働かせてしまうのは、やはり彼女自身まだまだハリと言う名前の人物に対する、苛立ちや憤りに決着をつけられていないからだのだろうか。
しかしながら自問自答もそこそこに、ともあれメイは相手側の情報を手早く回収しようとする。
今、この時、この瞬間だけでも作業に集中することによって、自身の負の感情をやり過ごすことにしていた。
「私たち。……いいえ、この場合は私だけ、のほうが分かりやすいかもしれないわね」
依然として話の正体を掴められていないキンシが、メイの声音に反応してしばし息をひそめている。
出来るかぎり自身から発せられる音や気配、においを削り取ろうとしている。
そうすることによって、せめて椿の色をした瞳の魔女の言葉の真意を読み取ろうとしている。
無駄な努力である、しかしキンシの試みはそのままの質量を伴いながら、メイに向けられた期待と同様の意味合いを持つ。
その事に魔法少女自身が気付いているか、否か。
いずれにせよ、少女の心情にかまけていられるほど魔女は心に余裕を持ち合せていなかった。
「ヘンに期待をもたせるひつようはないわ」
ハリとキンシ、同じような色合いをした眼球たちの注目を浴びながら。
メイは現実であるはずのそれらを重要視することなく、とにかく自身の疑問を出来るだけ的確に言語擦ることに意識を割いている。
「私が望んでいることはただ一つに決まっている。それは……「彼」の安否について」
メイは代名詞の辺りをことさら強く、意識的に丁寧な発音を心掛けている。
それは一重に相手側、それはすなわちメイ以外のこの空間に存在している人間全般に限定して。
とにかく魔女は、自分以外の他人に伝えることを強い集中力を働かせている。
伝達は第一の目的ではあるものの。
しかしながらメイは、それ以上の要素が己の内部に圧迫感を与えていることを、音も無いままに自覚していた。
さて次はどのように動くべきか、メイが次の一手を考えている。
そのすぐ隣でキンシが、
「彼とは……? それとはつまり」
決して迅速さがあるとは言えそうにない、どちらかといえばかなり鈍い洞察力を錆びた歯車のように働かせている。
だが少女が決定的な何かを言葉に変換しようとする。
行為はすでに、ハリの方が先んじて選択をし終えていた。
「そうですね、お察しの通り。君のお兄さん、カハヅ・ルーフ君についての情報を共有しよう」
取引に使用される褒美に関する具体的な内容。
内容はおおよそ予測できていた。
少なくとも魔法少女一人を除いた大体の人数は、すでにハリの提案したい所に察しを着けられていた。
だが、やはりと言うべきなのか、予測も所詮は自身の内に潜む希望的観測に基づいたものでしかない。
メイは事実に、この世界に幾つか息を潜めながら密やかに、慎ましく暮らす秘密を一つ暴いたかのような。
解放感は氷水のように冷たく、在るはずのない零度が白い肌を、内に流れる赤い熱を刺し殺そうとしている。
動揺をしているのだと、魔女は数秒ほど遅れた時間の中でようやく認知を到達させていた。
時間として計れば十秒にも満たぬほど。
板チョコ一枚もろくに溶かせられない短さ、だがメイは自らの油断を時間の先端で後悔せずにはいられないでいる。
空白を与えてしまった。
メイは相手の動向を探るよりも先に、せめて何かしらの一手を繰り出さなくてはならないと。
焦燥感が椿の魔女の体を駆け巡る。
しかし搾りだした行動も、ハリにしてみれば所詮後の祭りでしかなかったらしい。
「そうは言いましても、すでにボク自身もつい先日、先刻辺りに彼に会ったばかりなんですよ」
魔女が口を動かすよりも先に、ハリはまるでこれから井戸端会議でも開催するかのような。
そんな気軽さのままで、徹底的にリラックスをした様子で情報を提供している。
「へえ」いの一番に反応をしたのは、以外にもキンシの声音であった。
「あのアルティメットクズ野郎……。じゃなくて……、彼に会ったんですね! それは驚きです」
キンシは口先では調子の良いことを言いながら、しかしてその目線にはまるで興味を抱いていない事がありありと現れている。
「なんか……聞き逃せられない言い間違いが聞こえたような……?」
ハリは魔法少女の無関心にはあえて突っ込もうとはせずに。
論点を逸らそうとしている、方向転換はわりと容易く彼の体勢にブレを生じさせていた。
油断を生み出してしまえるのは、やはり彼自身もあまり他人との会話を得意としていないが故の、悲しい性なのだろうか。
そこに同情心を働かせられるか、そうでないかは個人差による。
二択に区分してみたところで、魔女にしてみればどうせ後者以外の決意を抱けるはずも無かった。
「なるほど、ね……」
メイはとりあえずの前座として、今のいままで脳を働かせていた素振りを作る。
全くの虚偽ではなく、おおよそに置いてただの真実でしかない。
準備期間を一拍ほど、メイの紅い瞳は次の瞬間にはすでにハリの眼球を捉えていた。
「それはぜひとも、それこそ本当に、喉から手が出るほどに欲しい。欲しくて欲しくて、たまらない申し出ね」
目線を交わす、メイは視界の中で男性の表情の変化を読み取ろうとする。
把握しようとする、行為の果てに彼女は彼の心情の一端に予測を作り上げていた。
考えたそれは想像力の産物に過ぎない。
よもや、いくら目の良い魔女であったとしても、他人の感情をそのままそっくりまるごと読み取れるとは考えられない。
ありえない、とメイは自身の内で否定文を作りだそうとしている。
そうしたくなる理由。
現状は魔女にとって認めざるものであったのだ。
だが彼女の否定は虚しく、彼らにとってはただの事実以外にすぎなかったらしい。
「正直あまり興味ありませんね」
先んじて意見を言っていったのは、言葉を動かしていたのはやはりキンシ一人の声色であった。
「知りたいことなんてありませんよ、まるで関心が持てそうにないです」
さながら日常生活、人間社会の上で溜めに溜めこんだ負の感情を、ネット上の匿名性の強い掲示板か何かに無造作に吐き出すかのような。
そんな具合の勢いを持たせている、メイは思わずキンシの顔を見上げずにはいられないでいる。
「彼の話はもう終わったのでしょう? 終わりを迎えたのならば、後はもう大人しくゆっくりと眠らせてあげるべきです」
キンシは、聞き様によってはかなり物騒な解釈をすることも出来る言い回しを使っている。
言葉を発しているのは間違いなく少女の唇で。だが、動きを認めていながらメイはその動作に違和感を抱かずにはいられないでいる。
「キンシちゃん……?」
自然と体が少女から距離を取ろうとしている、メイは自身の動作に戸惑いを覚えようとした。
疑問は水蒸気の様な推進力で喉の奥から、やがては口内まで質量を連れ立ってきている。
「そんな、イライラしちゃだめよ」
離れかけた体をその場に縛り付けるようにしている。
事実、メイの白い羽毛に包まれた細い腕は魔法少女の、右腕の辺りに無造作に触れていた。
触覚が上着の下、外気から隠されている皮膚に電流を走らせ、肉の痺れは情報の一つとして脳へと伝達される。
「でもメイさん……」
魔女に諭された。
触れる手の重さを実感してる。そうしていながら、魔法少女はそれでも自らの心情を誤魔化そうともしていなかった。
「向こうさんはよりにもよって、あなたを一人置いて絶頂の果てに昇天しようとしたクズ野郎の情報をエサに、僕らに見るからに怪しさ濃縮百パーセントの仕事を依頼しようとしている。そういう根端なんですよ! 分からないのですか!」
するすると早口で今までのやり取りを要約している。
そこまで理解をしていたのならば、せめてもう少し理知的な交渉を展開してくれればよかったものを。
メイは魔法少女に対する大いなる落胆をまず最初の余興に。
さてこの少女の動揺、慟哭をどのように利用すれば、どうすればこの事態を自身にとって好転せしめられるのか。
魔女は考えようとした。
だが思考が求める答えを導き出すよりも先に、明確かつ堅実なる諦めが実行力を伴って彼女に訪れていた。
「そう……そう、ね」
予想を裏切ることを求めているのならば。
メイは、やはり客人の方に目線を向けたままで。
どうせ優位性は獲得できないのならばと、無責任さに身を委ねることを選んでいる。
「あの人……あれからまともに連絡よこさないんだもの。きっと……、きっと私のことなんか忘れちゃったのよね」
釣り針に餌を括りつけている。
そう思おうとしていた、魔女はしかしてこの想像が虚偽によるものなのか、あるいは恐怖心を基本としているものなのか。
判別をつけることは、今のところかなり難しい問題になることは間違いなかった。




