君の結晶を取り戻そう
その視線を説明するとして、しかし人間一人、青年ひとりの感情を言語化するのにどれほどの意味を有していたのだろうか。
ゴミを見るような、と言える程には敵愾心に満ち溢れている訳ではない。
かといって、せめて屠殺寸前の憐みさえ持っていてくれさえすれば。
メイは願わずにはいられない。しかし紅い瞳をした椿の魔女の願いは、トゥーイに届くことをしなかった。
「大丈夫よ、トゥ」
メイは青年の名を呼びながら、彼の感情をどのようにして収めようか。
画策が椿の魔女の頭の中、内層にクルリクルリと回転を繰り返す。
渦を巻く不安は、尾も無ければ頭すらも見えなくなりつつある。
終わりのないイメージは自らの尾を喰らう蛇の如く。
メイはやがて自らの行為に対して、空虚なる後悔ばかりを抱きそうになっている。
だが、青年と幼女の姿をした魔女の間に、決定的な何かが下されようとする。
それよりも先に、行動はまた別の方向性を伴って執着を起こしていたのもの事実であった。
「やっぱり、やっぱりですよ」
声が聞こえる。
それは魔法少女の声、見ればちゃぶ台に寄りかかる格好で、キンシが溜め息交じりのコメントを吐き出している所であった。
キンシは分かりきったことを、すでに三回以上は説明をするかのように。
表情にはどこか飽き飽きとした、健全さを仄かに欠落させた雰囲気を漂わせている。
「その要求となりますと、こちら側に用意できる解答は前回とほぼ変更の無いものになります。それでもよろしいでしょうか?」
キンシが確認行為をしている。
少女から見て真正面、彼女と同じくちゃぶ台に身を寄せている男性一人。
魔法少女にとっての仕事相手、ハリ等名前の男性がかすかなうつむき加減の視線で、眼球の下にある唇を静かに動かしている。
「よろしいか、そうでないか。と、問われるとしたら」
微かに下方へと伸ばされている、ハリは眼鏡の奥にある目線をゆったりと情報へと滑らしている。
眼鏡越しに見える世界が、また別の眼鏡をかけた眼球から放たれる目線を混ざり合う。
ハリは緑玉の色をした瞳に力を込める、そうすると向こう側で彼と同じような色合いをした眼球が反応を見せている。
「答えはノー、だね。ボクはここに、わざわざ同じ台詞を聞きに来たわけじゃないんだよ」
ハリは質問に対する答えを並べている。
内容が意味するところはつまり、ハリはどうやら新しい展開を望んでこの場所に訪れた。
ということが予想できる。
想像はしかして、すでにキンシにしてみても安易に考えが及ぶ事柄でしかなかった。
「そう言われましても、ですね」
キンシは断りを入れるための、丁寧な言い方のテンプレートをすらりすらりと唇の上へと用意している。
果たして、彼らは何の話をしているのだろうか。
内容の予想は、ごく一部の人間を除いてすでに、彼らにしてみれば周知の事実であった。
「ナになに? ナんの話?」
数限りある、たった一人の例外。
シグレと言う名前の男性が、まさしく部外者と言った様子で。人間離れをした、両生類のように柔らかい体をちゃぶ台の方へと移動させている。
ヒタヒタと柔らかな足音を接近させてきている。
キンシは客人に近付くシグレの姿を認めて、その眼鏡の奥に微かな困惑を滲ませている。
「シグレさん……今ちょっと忙しいので……」
会話の邪魔をするなと言う意味合いを含ませた、キンシは努めて丁寧な言い方を意識する必要性があった。
だが魔法少女にとって喜ばしくない闖入者は、客人にしてみればさしたる問題性を有していたという訳ではなかったらしい。
「その説明をするすれば、少しばかり長いお話になりますね」
それまでの堂々巡りを期待できた展開から、さながら嬉々として現実逃避を行うかのように。
ハリはそこばかり無駄に血色の良い唇に微笑みを、彼から見て右側に存在するシグレに簡単な事情説明を実行している。
一番目の客人が、事情を解さぬ二番目の客人に状況を説明している。
ゲスト同士のやり取りを、ホストであるキンシがなんとも形容しがたい困惑の内に眺めている。
彼らが彼ら同士でやり取りをとり行う。
やがて会話が終る、その後に先んじて口を動かしていたのはシグレの方であった。
「ト、イうとつまり……キミたちはとあるお屋敷の調査研究をしたい。トいう事になるんかいな」
聞かされた、説明がなされた内容をそのまま反復する要領で。
シグレがごくごくシンプルな概説を語っている。
彼の言い分に、ハリは適切な量の賛同だけを送っていた。
「しかしながら、話はなかなか上手くいきそうになさそうです」
ハリがしんみりとした様子で語る。
目線はあくまでもシグレのいる方向へと固定されていながら、しかし感情の行く先は間違いなく魔法少女の方角へと固定されていることは確かであった。
「どうやら彼女は、まだまだボクを許してはくれそうにないのです」
ハリが他人行儀な語りで、どこか寂しげに自身の置かれている状況を語っている。
シグレが訳知り顔でうなずくと同時に、話題の中心たるキンシの方が若干テンポを速く反応を示している。
「いえいえ、いいえ! 何も個人的な感情を持ち合せている訳では……──」
キンシは言いかけた所で、しかし言葉を淀ませずにはいられないでいる。
張り切って否定を用意しようとしていた。
だがハリ側から用意された意見が少女にとっては、どうにも認めざるを得ない無いようであることも確かな事実でしかなかった。
「いいえ……下手に否認をするべきでもないですね、今更」
キンシが諦めを一つ作り上げている。
すなわち同意を意味していることであって、シグレはそこに一種の違和感を覚えずにはいられないでいた。
「オイオイ、ラしくないなキンシのお嬢さんよ」
シグレの頭の中でキンシと言う名前の少女のイメージが、出来上がったものと現実に見えているそれとの誤差によって二重の視点が生み出されかけている。
「イや……らしくないと言うよりは、メずらしいと言うべきなんだろうな、コの場合は」
訂正をいくつか繰り返している、シグレもまた幾らかは己の思考に納得を見出せないでいるようであった。
「キミがそこまで他人を心配するなんて、ソんなに優しい人だとは思わなかったよ」
シグレは考えをまとめると同時に言葉を発している。
途中に置いて、その黒い粒の様な目線がメイの方へと向けられていた。
「ショウじきいって、カノジョがキミにそれほど大事な人だとは思えないんだが?」
シグレが一方的に想像力を働かせている。
それは一種の決めつけではありながらも、キンシにしてみればおおよそ同意が出来てしまえるものもある。
その上で、キンシは彼に向けて反論をしなくてはならないと思う。
「大切かそうでないか、と問われれば。僕から用意できる答えは一つに限定されます」
それはある意味、強迫観念の様な強制力を有していたかのように思う。
命ぜられるがままに身を任せる、キンシは無意識に近しい所で思考が自動的欲望を渇望していた。
「僕は僕が思うままに、どうあっても彼女を大切にしなくてはならないと思った。理由はよく分かりません、ただあえてそれを言うとしたら……──」
少女が目線を別の方向へと動かした。
その先には一人の青年が存在をしている。
「…………」
彼は黙っている。
彼女は見た後に、次の瞬間にはすでに元の形へと戻ろうとしていた。
「ふむ……、そう考えるとやはり、ハリさんの言う通りなのかもしれませんね」
結局は彼の意見に同調をする形をとっている。
魔法少女の表情は、しかして何処かすでに吹っ切れた気配を漂わせている。
「僕はまだあなたに怒っているのですよ。許せていないのです、そしてそこから変化を予測するとして、それはかなりの時間か……あるいは多大なる変化の起因を必要とする」
言い回しに工夫をなされたとしても、結局のところ意味するのは。
「なるほど、ですね……」少女の言葉を受け止めた、ハリは空気を吐きだしながら返事をしようとする。
「これはまた、ずいぶんと嫌われたままとなってしまいました」
彼もまた諦めを一つ作り上げている。
ここでようやく彼と彼女の間に、答えがもたらされているような気がしていた。
それは錯覚にすぎなくとも、意味はそれなりに重さを伴い存在感を放っている。
だが、決定的な展開を望むにはいささか重量が欠落しすぎているのも、また避けられない現実ではある。
「嫌うかそうでないか、そのあたりは勝手にしていればいいけれど」
中途半端に終わりかけた会話劇。
魔法使い連中がよもやそこで納得に至らんとしている。しかして魔女がそれを許すはずがなかった。
「お仕事に私情をはさむべきではないわ。ねえ? キンシちゃん」
そっと魔法少女に、ささやくようにして語りかけている。
キンシが首の方向を左側に少し動かす、そうするとそこにはメイが微笑みをたたえているのが見えていた。
「くだらないことばっかり言っていないで。それで、あなたは何を私たち側に望んでいるのかしら。それをまず、はっきりしてちょうだいな」
明確なる否定的意見。
対象が果たして彼か彼女か、いずれにしても目線だけはハリの方角へと固定されていることは確実であった。
質問の体をとられている。
「そうですね、ボクが言いたいのは──」
ハリは魔女の動向に任せる形として、彼はもう一度意見を再度明確に言語化をする選択をしていた。
「報酬の件について、及び情報に関しての調整を行いたい。と言うのが、本日此処にお邪魔した主たる要件ということになります」
簡単な報告の様な言葉遣いになっている。
内容を伝える方法としては、それがハリにとっての最良であったらしい。
「こちら側に用意できるものとしては、少なくともあなた方には最良のものをご用意できる。と言った自負があります」
内容を丁寧に反復した後で、ハリはそっと毒薬を忍び込ませるようにして感情を混ぜ込んでいる。
目線に浮かべられたそれは、一種の嫌悪感を引き起こすもので。
しかしながら、それと同時に針で肌を小突くかのような、それは一種の快感めいた可能性を期待させるにおいをまとってもいる。
見えざる、実態も重みも何もない。
気配は、それでも確かに聞き手の鼻腔をひくり、と微かに動かしていた。




