喉のケアをしておこう
前置きもさておきと、キンシは左手に金時計を掲げて客人に、ハリに向けて宣告をしている。
「さあ! 時は今なり、時は来た。ですよ、ハリさん」
自信ありげに語っている。
だがハリにしてみれば、ちゃぶ台一つの向こう側に正座する、魔法少女が果たして何を主張しているのだろうか。
全くもって分からない、理解が及ぶ気配がまるで感じられそうにない。
「えっと?」
それ故に、当然のことながらハリは戸惑いを眼鏡の奥にグルグルと漂わせている。
「数える? え、数えるって何を……?」
彼の抱く疑問も、しかしながら魔法少女にしてみれば至って順当なる会話の手順でしかないらしい。
「ええ、そうです。ですから、カウンセリングのお時間というものがありましてですね」
「は、はあ……」
とてもじゃないが合致しているとは言い難い、しかしハリはあえて相手側の不具合を此処では追求しようとしない。
それを良しとしてか、あるいは会話の流れなどまるで重要視していないのか。
限りなく後者の可能性を全身にみなぎらせながら、キンシと言う名前の魔法少女は左手の時計の、文字盤を右の指でコツコツと指し示している。
「五十分につき五百今。その後は追加三十分につきまして、百今が加算されます。ここまではオケですか?」
OKに当たる言い回しだけを、謎に早口に呟いている。
ハリは内容の是非を審議するよりも先に、つい条件反射として頷きを一つ動かさずにはいられないでいる。
ほんの些細な動きですら、取引における重要な参考にしようとするほどの勢いのまま。
キンシはハリが実際に言葉を発する、その暇を与えることもないままに展開を次の方向へと進めようとする。
「それでは、秒針が四つ進んだ後にカウントを開始します。そういう訳ですので」
「へ? え、あ……ちょっ……」
つまりは、結局のところは報酬の話をしたかっただけなのだと。
ハリが魔法少女の欲望、その正体に気付き始めている。
だが少女は男性の心情などお構いなしと、その動きは時計の針とほぼ同様に無情さばかりを主張する。
「よん、三、にい、……」
時計の針、秒針が歯車の回転に時を刻む。
動きは止まらない。
魔法少女と客人である男性がちゃぶ台を挟み、互いの瞳を静かに見つめ合っている。
「……」
沈黙。
動かない唇の下。コトリ、と音がしたのはキンシがちゃぶ台の上に金時計を設置したからである。
蓋は開かれたままとなっている。
文字盤は点に向けられている、そうしていればいつでも時の経過を、視覚的に確認することが出来た。
カチ、カチ、カチ。
歯車と針の進む、密やかなリズムが彼と彼女の間に広がる空間を震わせる。
「……」沈黙がしばらく続いた、その後にこらえきれなくなったのはキンシが先であった。
「……あの、それでお話とは何でしょうか」
だんまりを決め込んでしまっている、キンシはそっと相手の様子を窺うように質問を投げかけている。
「ああ、えっと」相手側に話しかけられた、ハリはその時に始めて用事を思い出したかのようにして。
次の瞬間には、それまでの戸惑いを誤魔化すようにして、速やかに話の続きを開始している。
魔法使い同士のやり取り、取引、その現場。
会話が執り行われている。
その様子を遠巻きに眺めているのは、ほとんどが魔法少女の知り合いに類する人物であった。
三人ほどいる、そのうちの一人。
体をウーパールーパーのような造形へと成れ果てた、名前をシグレと言う男性が感慨深そうに呟く。
「フム……、コうしてみると中々に感慨深い光景ではあるね」
彼は白いどら焼きの様な流線型を描くフォルムの頭部を、フムフムと上下に微かに動かしている。
何がそんなに感慨深いのか、理由が分からなかったのはメイと言う名前の魔女であった。
「そんな、ただお話をしているだけでしょう?」
メイは首を微かに傾けて、自身とあまり身長の変わらぬシグレに対して緩やかな反論を送っている。
シグレの方もまた、あくまでも会話の流れとして魔女に異議を唱えていた。
「イやいや、イや。アあ、ソういえばメイちゃんはここにきて、トいうか、アの子と暮らし始めてまだ日が浅いんだっけね」
すでに周知である事実を、しかしシグレはこの時まであまり強く意識したことが無かった、そんな風体を作っている。
「アあやって、アたりまえのようにしているんだけれど。ジつのところ、アの子も昔はかなりヤバい感じで、ゲキやばだったんだよ」
何一つとして具体的な情報を伝えられていない。
しかし情報としては充分な意味を有している。
彼が意図的にそれを口にしたかどうか、確認をするよりも先にメイの紅い、椿の色をした瞳に好奇心のが光りを放っていた。
「……むかしのキンシちゃんって、どんなだったのかしら? なんだか、あまり想像ができないわね」
あたかも他人行儀な素振りを作ろうとしているのは、他への詮索をする自分自身を認めたくないからなのだろうか。
メイは予測をして、この考えをすぐに否定しなくてはならないと。
好奇心の責任、その方向性をどうにかして自身の心臓に矛先を突き立てんとしている。
椿の魔女の自己嫌悪など露知らず。
シグレは彼女から問いかけられた分の回答を、特に躊躇することなく用意をしている。
「ドうもこうも、ドこにでもいる普通の子供だったよ。チいとばかし人見知りが激しくて、イっつも独りぼっちで遊んで本ばかり読んでいて。タまに外で遊んでいると思えば、ダいたいがお父さんのひっつき虫で……」
問いかけられた事に関しては都合良しと、シグレは聞かれてもいない事をペラペラとひとり勝手に方っていた。
そのすぐ後に「クらい子供だったなあ」とコメントを結び、それで話を終わらせようとしていた。
少なくともシグレにしてみれば、話題はそこで終了する案件でしかなかったらしいのだが。
しかし、メイにしてみればその程度の事では、とてもじゃないが済ませられるようなものではなかった。
「お父さん、お父さまがいたのね?」
魔女の声音は静かなものでしかない。
そうであるからこそ、シグレは彼女がジッと自分の方に目線を、さながら獲物を射る猛禽類よろしく固定させている。
その事に、シグレは戸惑いを抱かずにはいられないでいた。
「ウん、ウん? ソりゃあ……キンシのお嬢さんだって人間なんだから、オとうさんの一人や二人位いるわな」
はて、それが一体どうしたというのだろうか。
シグレにしてみれば、何をそんなに注目すべき事柄なのであろうか。
彼が疑問を抱いている、しかしメイにしてみればそんなのは知ったことではなかった。
「キンシちゃんのお父さま、その人はやっぱり……魔導の関係者だったのかしら」
メイは独り言を呟くようにしている、目線はやはりシグレの方に固定されたままとなっている。
「マあ、……コの町にいる奴はその大体がそういうことになるんだろうな」
シグレは当たり前の事実であるはずの事を述べながら、そろそろ凝視をされている状態について違和感を覚え始めている。
やがてそれが不快感に変わり、ついには一種の恐怖心を扇情させるかのような。
シグレがそんな予感を抱いている。
そのすぐ隣で、メイは唇をひそひそと動かし続けていた。
「その人は……魔術師だったのかしら? それとも、魔法使いだったの?」
AかBか、白か黒かのどちらかを選ばせる。
メイの問いはその形状への誘導が為されている、その程度のことはシグレにもおおよそ察せられる事実であった。
「カれは……、マほう使いだったよ。スくなくとも、マじゅつ師ではないことは確かだった。ヨうな……気がしているよ」
シグレは記憶を頼りに、その体に残された脳味噌としての機能を稼働させている。
質問の意味するところが何であるのか、異形の姿をしたシグレには見当のつかぬことであった。
興味が無い、関心が持てそうにない。
とどのつまりは、それこそまさしく他人行儀でしかなかった。
シグレの問題はそこで止まる。
だが魔女の疑問は動きを止められないでいた。
「魔法使い、もしかすると……先代とはつまり……?」
ぽつりぽつりと、一つ一つの音を丁寧に確かめるかのようにして。
メイは己の内層に産み落とされようとしている懸念に、確かな重さのある実体で着飾らせようとしている。
そうしないといけない、強迫観念めいたものが魔女の体を支配しかけている。
体制は負担ではあるものの、しかし彼女にとっては苦痛を覚える類のものではなかった。
「ああ、そうだったのね。お父さまが、先代のキンシ……」
想像が幾つも、幾本もの梢を無意識の虚空へと果敢に伸ばし続けている。
やがてその見えざる先端に葉脈が燃え上がり、香りの無い花が咲いて、重さの存在しない果実が実るのだろうか。
予感は想像の域を逸することは無く。
故に、自由は魔女に無限大のイメージを膨張させようとしている。
やがて爆発的な何かが起きるのではないか。
予感が雫の一滴を垂らした、その所でメイの肩に他人の皮膚の冷たさが触れていた。
「停止を願います」
それはトゥーイの発する音声であった。
音声発声装置の微かな電子音、メイは音色のする方向へと目線を上に向けている。
そこにはトゥーイの顔があった。
血色の悪い顔。質の低い真珠のような顔面の右頬には、深々とした線路の様な傷跡が刻みつけられているのが見える。
「要望する、あなたが詮索に墜落しないことを類似しないでください」
はたして、何を言っているのだろうか。
メイは頭の中で青年の発する言葉、正しくは故障しかけの発声装置から響く質の悪い機械音声。
その内容について、考えをを一つ巡らせる。
椿の魔女は想像を働かせる。
ちょうど良かった、と彼女は状況に好転を見出している。
ちょうど、想像力が鼻息を荒くしていたところであった。
イメージの活性は、青年の怪文法を解読するのに割かし役立っていた。
「言われなくてもわかっているわ」
トゥーイの言葉を受け止めて、その上でメイは言いわけをするようにして彼に返事をする。
「そうよね、へたに他人の事情にくびをつっこむものでもないわ。いけない、いけない」
考えられる分の、最良と思わしき答えを用意している。
そうしないと、魔女は思考の片隅で予想をする。
そうしないと。
「…………」
青年の、紫苑色をした明るい瞳が、今にも自分の喉首を牙で噛み千切るのではないか。
予感は、さして時間をかけることもないままに、恐怖心へと変化していた。




