王様が弱っているよ
客人が多いことは本来喜ぶべきことなのだろうか。
もしもそれが常識であるとしたら、ぜひとも反抗的意識を高々と掲げずにはいられないであろう。
この意見に関してはキンシも同様の意見であったらしく。
「どうしたんです? シグレさん」
キンシと言う名前の魔法少女は、表面上こそにこやかに歓迎の色合いをみせてはいる。
だが、シグレと言う名前の背の低い客人に対する目線。
その丸い、若干サイズの合っていない器具の奥にある緑玉の色をした瞳には、隠しきれない拒絶の色合いが滲み出ていること。
それはほぼ確定的な事実であった。
「朝も早くに、何かご用でしょうか?」
果たして魔法少女の緩やかな拒絶が、一体どれほどの効能を有していたのだろうか。
解は感情の方角の先にしか存在しない。キンシの社交辞令を受け取ったシグレは、もち米のように柔らかそうな指でプニプニと右の頬を擦っている。
「ナんもかんも、ヨう事が無かったらこんな、コんな湿気た場所に来ようとする物好きなんて居るまいて」
下手くそな社交辞令に対するせめてもの反抗なのか、シグレと言う名前の男性は白飯のような顔面で分かりやすくシニックを決め込もうとしている。
魔法少女と、部屋に現れた本日二人目の来訪者が互いに、まったくもって中身の伴っていない笑顔をそれぞれに浮上し合せている。
緊張感があるのか、あるいは只の生ぬるい忖度のルールばかりが転がっているのだろうか。
判別は他人にはどうにもつけ難い、様子を見守る視線は三揃いほど。
そのうちの一人、先陣を切るが如くで口を開いていたのは、ハリと言う名前の若い男性であった。
「あの人は……?」
ハリは割かしリラックスをした姿勢で、いまいち脂肪分の足りていなさそうな体を部屋の床の上に預けながら。
その目線、横長の楕円形のレンズの奥。
そこではキンシとよく似た色の瞳が、新鮮で瑞々しい疑問の色合いを浮かべている。
「えっと、あの……あれって、ヒトなんでしょうか?」
どのように好意的な解釈をしてみたところで、ハリのその質問はとても出会ったばかりの他人に向けるべきそれでは無い様にしか聞こえない。
しかし誰も、少なくともこの部屋に存在をしている人間的生命体の、そのどれもがハリの言葉遣いに嫌悪を抱くことはしなかった。
出来なかった、出来るはずも無かった、と言った方がより現実に則しているかもしれない。
それはつまりのところ、ハリが抱いた疑問が至極まっとうなものである事を、言葉を介さぬままに証明し尽くしている事と同義になる。
つまりは、たった今この部屋に出現をしたシグレと言う名前らしき、男性として扱われているであろう人物。
彼はおよそ人間的な見た目をしておらず、それどころか霊長類、哺乳類としての基本的な要素すらもまるで持ち合せていない。
そんな見た目をしている。
ハリは疑問の中で、しかし頭の中では妙に素早く表現方法としての言葉を選択し終えている。
「なんだか、随分と可愛らしい見た目ですね」
シグレは床の上に身を預けたままの格好で、そうしていることでようやく目線がシグレと同じ位置となっている。
シグレがハリの方を見ている。
ハリは彼と目線を交わしながら、瞬間における数秒だけは眼球の位置を固定させることに意識を働かせていた。
「なんだかまるで、両生類有尾目トラフサンショウウオ科のお仲間さんみたいな……」
直接的表現を避けようとしているのは、もしかするとハリなりにシグレに対して気遣いを働かせているつもりなのだろうか。
もしもそうだとしても、彼の心配りはミミズの頭突きよりも無力なものでしかなかったらしく。
「ソんな、ネット辞書で適当に拾ったような表現をしなくてもいいよ」
当の本人、シグレはどこか興を削がれたかのような表情を浮かべていながら。
しかし完全に気分を害するというほどには至らず、中途半端に陰鬱さをビー玉のような眼球に滲ませている。
「ドうか普通に呼んでくれ。手前のことは、キがるにウーパールーパーのおじさんとでも呼んでくれや」
陰りは確かに表面上に、シグレ本人の感情として発言をしていた。
だがすぐに暗さは理性の光源に掻き消され、次に瞬きをする頃にはシグレは悠然とした素振りで部屋の中へと足を進ませている。
「ソんな事よりだよ。チョっとした相談事があってね」
シグレが歩けば足音がペタペタと、雪に染まったもみじの葉の様な足が部屋の床に触れている。
彼の要件とはつまり、こう言うことらしい。
「すみません……、こんなにたくさん」
メイが少しだけ恐縮をするようにして、シグレに礼を伝えようとしていたのが、彼がこの部屋に来訪してから数分後の出来事。
彼女が椿とよく似た色の瞳を腕の中に落としている、その中には大量の小さな袋がこんもりと盛られていた。
「でもたすかりました、ちょうどお茶のお菓子が切れそうになっていたから」
袋はそれぞれが、キラキラとした金属質な輝きのあるビニールタイで閉じられている。
ビニール製のパリパリとした表面の袋は、幼子の手のひらに若干余るほどの大きさがある。
その中身には五つほどのそれぞれに大きさが異なる、狐の毛並みのような色をしたまるいクッキーと思わしき食品が詰め込まれていた。
「イいんだよ、イーんだよ」
恐縮の態度を見せているメイに対して、シグレはなんて事もなさそうにしている。
むしろ彼は、その黒いビー玉の瞳に厄介事を一つ片付けたかのような清々しささえ見せていた。
「ウチの店の残りもんで、コれでもだいぶ廃棄しちゃったもんだから」
余分なものをスッキリそぎ落とそうとして、しかしながらシグレはどこか痛みを帯びた溜め息を吐きだしている。
「そんな、もったいない」彼の愚痴に対して、キンシが袋の中からクッキーをつまみ取りながら意見を口にしている。
「余分があるなら、ぜひとも僕らでばんばん消費をさせていただくというのに」
キンシは袋の口からクッキーの一枚、銅の硬貨程に小さいそれを左の指で口の中に頬りこんでいる。
丸いそれは小麦とバター、そしてもう一つの何かしらの素材の香りを濃厚に発している。
もぐもぐと密着させた唇の奥底で、廃棄予定であったそれを魔法少女が美味そうに咀嚼している。
なんとものんびりとした、少女の様子を眺めながらシグレが更なる溜め息を小さく吐き出していた。
「ソういう訳にもいかないのよ。コっちだって一応はこの仕事に誇りを持ってるから、ヘたに身内に甘える訳にはいかんのよ」
誘いは魅力的であったらしく。シグレはあえてその内容を拒否することによって、自己のアイデンティティーを保持する働きをしているようであった。
フムフムと、シグレが牛乳味のマカロンのような頭部を上下に小さく動かしている。
その動きを眺めながら、少女と同じようにクッキーを頬張っていたハリが、彼に向けて質問文を投げかけていた。
「シグレさんは、この近隣でパン屋さんをしているんですね」
「パン屋さん」という呼び方を彼が使っていることに違和感を覚えつつ。
しかしシグレはすぐに相手の疑問に、快い返事として解答を速やかに用意していた。
「ソうでございます。パン屋のシグレ、週の三日目と四日目以外は基本的に朝の九時から夜の八時まで張り切って営業。サいきんではネット販売宅配サービスも開始しました。ゴ注文は当店サイトから、パン屋「らふぉれって」で検索を!」
お決まりの宣伝文句を言い終えた所、ちょうどそのタイミングでメイがこくりと首を傾げていた。
「ら、らほ……?」
唐突に聞き慣れぬ単語が登場してきた。
反応はシグレにとって順当なものであったらしい。
文章を一通り言い終えた、彼は白くぬるぬるとしていそうな体表を仄かに赤らめていた。
「ウン……、マあ、アれございます。マえの店名だと無駄に長すぎて、オ客さんに覚えてもらえないと。ツまりはそういう感じですよ」
たどたどしく、要領を得ない口調で事情を簡単に説明している。
シグレが変化について話している。
そのすぐ近くで、キンシは早くも袋の中身を空にしていた。
「うーん? でももう少し情緒のある感じが良いと思いますよ、僕としては。なんだかそれだと、単純すぎるというか、シンプルすぎるというか」
いかにも他人行儀と言った様子で、キンシは口の端に付着したクッキーの欠片を左の指の腹で拭いとっている。
「ソりゃあ、キミの感性には合わないだろうよ」
口さみしそうにしている魔法使いの少女に、シグレは気負わない様子で反論をしている。
「ナナキくん、キミはとにかく長ったらしく説明くさい、ジョちょう気味なモノが好きなんだろ?」
シグレから指摘をされている。
キンシはそれを言葉として受け取りながら、しかし理解は上手い具合にタイミングを合わせられないでいた。
「うん……んん……?」シグレからの、まさしく客観的な意見に対してキンシはうずもれたような音をこぼしている。
「そうなんでしょうか、そうなのでしょうか?」
シグレの言葉はキンシに驚きをもたらしていた。
分かりやすく感覚を膨らませることとは異なり、それはまるで冷たい雨がぬくい土の間に染み入るかのようであった。
「そんな風に思われていたとは、なんだかびっくりです」
キンシは、少女は照れていた。
感情表現はあまりにもシンプルで、過ぎた単純性はそのまま彼女の音声の小ささに直結をしている。
少女の個人的な反応。
声は密やかに、ささめきは羽虫程度の存在感しかない。
それでもシグレは何かを聞き入れようとして、皮膚の無い白くてツルツルとしていそうな顔を微かに傾けている。
「ナにか……」
問いかけようとして、シグレの声は別の動きに遮られている。
「ごほ、ごほげほっ!」
爆発でも起きたのだろうかと、シグレともう一人、音の発信源である本人は最初の瞬間に錯覚を抱いた。
「ウワア?!」
シグレはその幼児ほどの大きさしかない、両生類の様な形状をしている体をびくりと震わせる。
そして目線の方向性は、すぐに音の震源へと注目されていた。
「ダいじょうぶかいな、エーっと?」
シグレは名前を呼ぼうとして、だが咄嗟に名称を頭の中に用意できないでいる。
それも当然の事で、彼とその男性は実質本日、今日この時が初対面当然の事であったからだ。
「ハリ、です」
名前も言えないままに、それでもとりあえず身を案じて駆け寄って来てくれている。
シグレに対して、若い男性は自発的な自己紹介をしていた。
「初めまして、挨拶が遅れましたね。ボクの名前はハリです」
そう名乗る、ハリの口元にはクッキーの欠片が幾つか付着をしているのが見えていた。




