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分身を作りたい

 扉が開く音である。

 ハリの頭部左右にそなわる、おにぎりのように緩やかな三角形をした聴覚器官が、音としての振動を感知しながら。

 音色の正体を把握している。


 理解はしたものの。

 はて? とハリは疑問を抱かずにはいられないでいる。


「あれ、新しいお客さんでしょうか」


 ハリはそう言いながら。

 その目線は今しがた自分が通過してきた扉、出入り口とは違う方向へと移動している。


 横長の楕円形をした眼鏡のレンズ、その奥の緑玉の瞳が見ている方向。


 彼と動きを合わせるということもなく、メイもまた音に反応をするという格好でハリと同じ方向を見やる。


「あら、なにかしら……」


 メイと言う名前の魔女は口先で疑問を呟きつつ、その椿の花弁と似た色の瞳は早くも現実に対してうんざりとした気分を滲ませている。


「どうしたのかしらね、今日はずいぶんとお客さまがたくさんだわ……」


 溜め息の深さはすなわち、新たなる訪問者もまた何の事前連絡が無かった、と言う事実を暗に表現している。


「んんと、キンシちゃん」


 メイはつい反射的に腰を浮かばせようとして、しかし立ち上がるかそうでないかの寸前でふと思いとどまる。

 椿色の瞳がするりと散らかった部屋の内部を泳ぎ、やがて視線はキンシという名の魔法少女へと辿り着いていた。


「おねがい」


 椿の魔女が短い、ごくごくシンプルな言葉だけで頼みごとをしている。


 彼女が目線を向けたままで、顎の微かな動きだけで目的の方向を指し示している。

 キンシはそれを見て、たった今考えていた雑念を即座に無意識の大海へと沈ませていた。


「はいはい、はい! ちょいとお待ちしてください」


 キンシは手に携えていたマンガの単行本を、とりあえず近くに立っているトゥーイという名前の青年に雑に押し付け。


 足取りは若干たどたどしいものでありながらも、流石に部屋の主らしく一切の迷いなく、爪先は難なく床の上の散乱物を速やかにやり過ごしている。


 やがてキンシの、濃い赤紫色のなんとも暖かそうなハイソックスに包まれた爪先。先端は部屋の中、壁の側面のとある一部分へと到着していた。


 そこはキンシの部屋の一部、縦長な形状をしている室内にあるそれは、壁として認識するにはどことなく違和感がある表面をしている。


 おうとつは確かな隙間を感じさせる、今にも空気が盛大に吹き出す音を背景に、壁の割れ目が左右それぞれに割れそうな。

 そんな期待をしたくなる。


 おそらくそれが扉なのだろうと、ハリはすぐに予想を作り上げている。

 壁と扉を連想するには少し強引だったかもしれない、だがハリには絶対的な根拠があった。


「そこは、先日ぼくがお邪魔した時に使った扉の方ですね」


 ハリはもうすっかりメイから目を逸らしている、その眼鏡の奥の眼球はすでに新しい関心の的へと集中しきっている。


 彼がなんとも楽しそうに述べている。

 その内容は、ハリ以外にこの部屋の中に存在している人間の、ほとんどが既知の事実でもあった。


「そうなのよね」メイがハリのうなじの辺りを眺めながら静かに呟く。


「むしろどうして、今日は普通? のところからたずねてきたのか、そっちも気になっていたのよね」


 特に追及をするほどのことでもない。だが気にならなかったと断言すれば、それはそれで嘘をつくことになる。


 メイのささやかなる疑問に対し、果たしてハリが真面目に聞き入れていたかどうかも怪しいところ。


「前回はお時間が無かったため、移動用の魔術式を使う必要があったんですけれどねえ」


 ハリはあくまでも独り言と言った様子で、前回の事情に関しての感想を口にしている。

 口調はあまりにも自然で、独り言の雰囲気が強すぎるあまりに、メイはそれを疑問に対しての答えであると上手く認識できないでいる。


 魔女の戸惑いに更なる根拠を付加するように、ハリはどこまでもお構いなしと、己が探究心の触手を好き勝手に伸ばしている。


「自分で使う時はあまり意識していませんでしたが……。なるほど、こう言ったタイプの術式だったのですね」


 あたかも会得を深めるようにして、ハリは左指でおにぎり型の聴覚器官の付け根辺りをさわさわと触っている。


 はたしてこの扉にタイプだとか、型番めいたものがあるのだろうか。

 メイがハリのコメントに対して、意思と反してつい反射的に首を傾げてしまっている。


 魔女が疑問を抱いている。

 その所で彼女の椿の花弁のような形をした聴覚器官に、トゥーイの無機質な音声が響いてきていた。 


「タイプはメソッドです」


 メイはまた声のする方へと目線を移動させている。

 見上げれば、座る彼女の左側にトゥーイが佇んでいるのが見える。


 その顔はいつも通りに無表情で、およそ健康的な哺乳類としての在るべき血流の気配をほとんど感じさせない。


「わたし達が実用的に使用しているはずです。それは古いものです。ある日の雨の日、前任者の転落によるものだった」


 うっかり油断してしまうか、あるいはものすごく目を細めるか、夜目遠目傘の内。

 それらのいずれか、何かしらの基準を一つでも満たせば、その青年を生き物として見ることを忘却してしまいそうであった。


 青年は、トゥーイはまだ何かを説明しようとしている。

 それはメイの疑問を解決してくれようとしているということ、心意気はとりあえず本人である彼女に届いている。


 届いてはいるのだが、しかしどうにも魔女は彼の顔に注目をしてしまっている。

 言葉、なんとも奇妙な響きと文法となっているそれは青年特有の音色を持ち、それと同様に間違いなくトゥーイ本人から発せられている。


 機械的な音声は、彼が首回りに身につけている発声補助装置によるものである事。

 メイは頭の中で連想を速やかに結び付けている。


 彼女にしてみれば、もうすでにトゥーイの「言葉遣い」に関する疑問は日常に溶かし込まれかけている。

 そうだとしても、メイは彼の顔から目を逸らせないでいる。


 眼球が見詰めている内容をさらに子細に説明するとして、メイは彼の顔面の右半分に目を離せないでいた。


「先生」


 椿の魔女が注目を捧げている。

 眼球から放たれる、視認することのできない力の流れ。


 その先端を自覚しているのか、いないのか。

 おそらくトゥーイ自身は、彼女の目線に何かしらの察知を働かせていたに違いない。


「先生、あなたはそれを適切に運用をする方法を記憶に内蔵していますか?」


 だが彼はあえてそこには深く言及をする事はせず。

 その体に女の注目を浴びながら、言葉は魔法少女にだけ目的を固定させている。


 その唇はやはりあるべき稼働をしてはいない。

 二枚の柔らかくて薄い肉は、上下をそれぞれに密着させたまま。

 右側の頬を断裂する傷痕は動きを止めたまま、縫合用の金具がムカデの肢のように固さを連続させている。


「やだなあ、トゥーイさん」顔の筋肉を一切動かさないトゥーイに対し、キンシがわざとらしく溜め息を吐きだして見せている。


「いくら愚鈍なる僕であったとしても、仕事用の備品の使い方を忘却するほどではありませんよ」


 あたかも心外と言った様子を作っている。

 キンシはまだその体にリラックスを湛えながら、しかしその緑玉の色をした眼球には、仄かな不安を隠し切れないでいる。


「ええ、大丈夫です、多分うまく使えます……」


 あえてそう言った台詞を言いたがるのは、半数の確率で不安を抱いている証拠ということになるのだろうか。


 キンシは己の内側で舌なめずりをする不安をどうにか誤魔化し、だまくらかそうと試みている。


 キンシが左の指で眼鏡の位置をそっとなおす、円いレンズに許された視界が上下動くのが見えている。


「何も難しいことは無いんですよ? ええ、そうですとも」


 どうしてわざわざ確認をしてきたのだろうかと。

 キンシはトゥーイの動向を上手く把握できないままに、眼鏡の奥で目線を彼の顔の辺りへと滑らしている。


「………」


 そこには当然のことながらトゥーイの顔面があり、キンシは彼の眼球がある所。

 眼球、左側にはきちんとした紫苑色のそれが見えていて。

 右側、そこには何もない。


 彼の右眼窩には目が無い。代わりにあるのは花であった。

 それは木々(ききね)(体に植物の特徴がある、人間の種類の一つ)特有の、身体的特徴の一つでしかない。


 キンシは青年の体、右の眼窩から直接生えている薔薇のようなものを眺め。


「さて、気を取り直して……」

 

 あまり長く見続けることをせずに、キンシはいま一度壁に生えている扉に向き合っている。


「もし? もしもし? どちら様でしょうか」


 少女がやけに芝居ががった音量で言葉を発している。


 それが、つまりはこの場合における魔術の「呪文」の意味を為していること。

 他人からの訪問に対し、部屋の中にいる人物がまず相手の正体を探る必要がある。


 果たして現代社会に置いて、セキュリティの面であまりにも杜撰が過ぎるのではないか。

 メイがそう疑問を抱いたことを思い出している、彼女の記憶の中でとある映像が再生されかける。


 椿の魔女が静かに頭をふって、生まれかけた観念をおのずから否定しようとしている。


 その動きを背景に、扉の前では一通りの問答が早くも終わりを迎えつつあった。


「ああ、なるほどですね。まあ、こんなところにわざわざ魔術を使って来る人なんて、相当な変わり者しかいないでしょうね」


 キンシがおどけた様子で、赤みの強い唇ににやにやとした笑みを浮かべている。


 どうやら扉の向こうの相手は、キンシにとってはささやかに軽口を言い合える程度の関係性にあるらしい。


 さて、という訳で。冗談もそこそこにキンシは早速扉を、明ける寸前にもう一度青年の方を見やった。


 その後に、ようやく扉は来訪者を内部へと受け入れている。


「ヤぁー! コにちはこにちわー」


 盛大なる挨拶が室内に満たされた空気を、浮遊する塵と埃ごとビリリビリリと振動させている。


「あら!」音の残響が全て溶けきるよりも先に、メイは今度こそ体を起こすように意識を働かせている。


「あなたは、シグレさんじゃない」


 椿の魔女は相手を確かめるようにして、扉から訪れた人物……。

 と、思うべきなのかどうか、なんともかんとも怪しい彼の事を目で見ている。

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