ちょっと雰囲気が違う
「ねえ王様よ」
「何だよ?」
「この話し方、けっこう疲れるのですよ」
「うん」
「なので、普通にしてもいいですか?」
「………うん?」
許可を得るまでもなく、過去語りは続行されていた。
海風吹きすさぶ崖の側面。
午前中の空気は冷たい、氷ばかりが体積の殆どを占めているアイスコーヒー並みに冷え切った空気。
朝の風、海から吹きすさぶ潮のにおいに晒されている。
ハリが魔法使いの家の玄関に立往生をしている。
その様子を見ているのは家の住人達。
人数は三人ほど、一人が口をそっと開いていた。
「うん、なんと言いますか……」
どうにも形容しがたい表情を浮かべているのは、キンシと言う名前の魔法少女であった。
怒りなのか、それとも苛立ちなのか、あるいはそのどれでもないのか。
いまいち判別のつけ辛い、しかしながら感情を相手に見せようとしないのは、しっかりとキンシの意思に基づいているものであったらしい。
「こういう時は、こういうべきなのでしょうね」
キンシは前を気を一つ、呼吸を一回ほど繰り返し。
「どうしたんです? そんな所でなにをしているんです?」
状況と場面の名の元に、テンプレートへ身を任せるがごとく。
キンシは玄関の扉から顔を覗かせる格好のままで、外側にいるハリへと質問文を投げかけている。
扉と壁の隙間から覗く、赤みが強い唇には必要最低限の笑顔はきちんと作られている。
いるのだが、しかし、ハリは魔法少女が決して自身を歓迎してはいない事に想像を至らせていた。
じっと自分の方を見ている。
魔法少女は表情こそ人畜無害そうな色合いを作成してはいるが、その実はハリに対して隠しきれぬほどの敵意を胸の内に滾らせていること。
ハリは手に取るように、とまではいかずとも、少女が抱く感情の激しさを眼球のきらめきだけで予測できてしまっている。
それは一重に少女の怒りがハリにとって、それはもう途轍もないほどには見覚えがありすぎることで。
何だったら、ハリが今すぐにでもこの場から逃げ出したい、理由として考えられる要素の第一位に座を構えていることであった。
帰りたい、ハリは強くそう望んでいる。
しかし彼は帰る訳にはいかなかった。理由は詳しく話せないとしても、彼にとって本日の第一とされる目的に彼らと、魔法使いたちと話を進めるという要項が含まれている。
どうしても実現しなくてはならない、仕事上の問題であるだとか、その様な事ではない。
これはあくまでもハリ本人の問題でしかなく、今こうして他人の目に去られれているのも、あくまでもハリが個人的に願っている事柄に基づいた現実でしかない。
それ故に、ハリはどうしようもなくこの場から逃げ出したくなってしまう。
実際問題、このまま帰ってしまっても、それで大きな問題が生じるということは無かった。
仮想の選択肢が想像力を伴って、ハリの頭の中で展開されていた。
そこでは彼自身が虚構の呼吸をしていて、願った事柄の通りに偽物の両足が帰路へと着こうとしている。
仮定されたはずの世界線、しかしながらそこに色が与えられることは永遠に無かった。
「まあ、その、なんでしょう」
魔法少女に睨まれながら、ハリが今度こそ回れ右でお家に帰ろうとしていた。
ちょうどそのタイミング、まるで見計らったかのように小さく声がハリの肉体をこの場所に留めている。
「そんなところに立っていると、さむいでしょう?」
それは女のような声をしている、発音のたどたどしさが声の主の成長の少なさをそのまま物語っているようであった。
ハリはもう一度目線を、眼鏡の奥にある眼球を扉の隙間へと移している。
そこには一人の女がいる。
体の小さな、彼女はメイと言う名前を持つ魔女であった。
魔女は少しだけ伸びた白い爪の、生まれたての小動物の牙のように鋭い先端を、そっとハリがいる方へと静かに固定させている。
それが魔女の右手で、指は重力にわずかながら身を任せて舌の方に曲げられている。
自分の方へと伸びている、白くて細い五本が何についてを意味しているのだろうか。
ハリは考えようとした。
だが彼が思考に理由を見出そうとする、それよりも先に魔女は行動を起こしていた。
「さあ、そこは冷えます。なかにお入りになったら?」
魔女は、メイと言う名前の彼女は、ハリが戸惑っている事などまるでお構いなしと。
初雪のように瑞々しい白さを持つ、柔らかな羽毛に包まれた顔面には、なんとも素敵な微笑みが湛えられている。
「おまねきしましょう、ちょうどおいしいお茶とおかしがあるのよ?」
まさに客人を招くために、自陣はすでに準備を整えていると。
メイはハリに向けて暗に宣言をしている。
後に残されているのは、ハリ自身が二つの選択肢のどちらかを選ぶか、ただそれだけになっている。
ハリは喉元に一塊のささやかな圧迫感を覚える。
それは他人に選択肢を把握されてしまっている、だが不快感に不満を抱くことも許可されていない。
実質的にハリに残されているのは、首を縦に振ること。
ただそれだけであった。
「お邪魔します」
ハリは自身の表情を把握できないままに、ただ招かれることに身を任せて、長靴の爪先を暗闇へと前に進ませていた。
───
「と、言う訳なんですよ王様」
「………」
「いやあ、驚いちゃいましたよね。ボクに驚愕を抱く資格なんてどこにも無いとは自覚しておりますが。それでも、そうであったとしても彼女の選択には驚かざるを得なかったですね」
「………」
「ボクとしても、仕事とはいえ一方的に暴行を加えた相手に対して、にこやかに招待をされるとは。あんな経験、なかなか出来るものじゃありません。そう思いませんか? 王様」
「………」
「……。まあ、ともあれです、ボクはもう一度魔法使いの家に足を踏み入れる事となった訳です」
───
家の中は前回訪れたときとさして変わりが無いように見える。
と、ハリはそう思い込もうとしたが、しかしそれは上手くできそうになかった。
「部屋、きたない!」
足の踏み場もないというのはこの事か、ハリは決まりきった慣用句を思わず吐き出したくなる衝動に駆られている。
「すみません……」男の小規模な叫びを耳にして、恥じ入るような声色を使っているのはキンシと言う名前の魔法少女であった。
「ちょっと最近色々と立て込んでおりまして、部屋の清掃に時間を割く余裕が無かったのです」
キンシは、それこそまさに決まりきった言い訳を一つ口にせずにはいられないでいる。
少女にしてみれば、それはかなり苦し言い訳にすぎなかったのだろう。
だが、ハリにとっては少女の供述は本人以上に納得をすべきこと、しなくてはならない事柄ではあった。
「そうですよね、いきなり何の事前連絡も無しにお邪魔したボクが悪いのですよ。そうなのですよ」
基本的な礼儀を欠いているのはどちらなのだろうか。
魔法少女と、同じく一応は魔法使いということになっている男。
彼女と彼が、なんとも程度の低い譲り合いと言う名目の領土争いを繰り広げようとしている。
だが謙遜を展開させるよりも先に、メイは彼らの元に一つ現実的な提案をしていた。
「まあ、空いているところに適当におちついて。いまからお茶を淹れるので、待っていてくださいな」
眼前に広がる問題には目もくれずと、メイはただひたすらに自分の見出した役割だけを速やかに実行しようとしている。
その後ろ姿、部屋のすみへと客人への飲料を作成しようと、腕と指だけを動かしている。
細長い部屋の中、長方形の窓は壁の側面に直接つながっている。
ガラスの板を通り抜けて、午前の空の光が部屋の内部へと注がれている。
光は外気を大量に含んでいるように見える。午前中の灰笛は曇り空、窓の外からは薄い雨雲の範囲をまぬがれた空の青さが、なけなしの輝きを精一杯に地上へともたらそうとしている。
ハリは何とか床に散乱している、概ね大体が書籍と思わしき物品を足で踏まないよう細心の注意を払いつつ。
その目線、楕円形のレンズの奥にある緑玉の瞳は窓の外を捉えようとしている。
ガラスの板、碌に清掃もされていないように見える、透明な境界線の向こうには灰笛の空がどこまでも、果てしなく続いている。
「今日は、珍しく雨が少なくなりそうな日ですね」
ハリから見て左斜め後ろのあたり。
同じく眼鏡の奥で窓の外へと視線を向けているのは、キンシの右目一粒であった。
「こんなにも青空が見えているのならば、たまった洗濯物を天日干しするのも良かったかもしれませんね」
ハリは窓の外から目を逸らし、そのかわりに左側に立っている魔法少女に眼球の方向性を固定させる。
そこでは、当然のことながら魔法少女が一人部屋の中に佇んでいる。
彼女はハリと同じく、視覚能力を調整するために眼鏡という名の器具を顔に身に着けている。
ただ彼女の場合はハリが使っているものとは少し形が異なる。
陶器の白い皿のように円い曲線を描く、二つのレンズはハリが使っているそれよりは幾らか古風なイメージを抱かせるデザインとなっている。
円いレンズの奥、ハリはそこに魔法少女の瞳を捉えている。
視覚に把握しようとする、ハリが見ている少女の左目には肉眼は残されていない。
そのかわりと言わんばかりに、少女の左眼窩には出来たての瘡蓋のような色合いをした、表面のつやつやとした義眼がすっぽりと収められている。
おそらくは過去に何かしらの事故か、あるいは事件か。なにかしらで損失を起こした結果なのだろうと、ハリは沈黙の中で予想を作り上げる。
偽物の眼球はとても違和感に満ち溢れていて、代替品としてはいささかお粗末すぎるのではないか。
ハリは不安を抱く、それは物品に散らかり放題な足元に許された範囲以上にアンバランスで。
不安定から逃れるつもりで、ハリはつい目線を少女の左目から逸らそうとする。
だが、そうすることによってハリは自然と、より認めがたいものを目にすることとなる。
「ん? どうかしたんですか」
気かづいた頃には、充分に凝視をする域に達してしまっていたらしい。
ハリの目線がじっとこちら側に向けられている、その事に気づいていたキンシが彼へ疑問の言葉を投げかけていた。




