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自分の名前は付けられない

 エミルが食事の注文をしに行った。


 後ろ姿が食堂の賑やかで、平穏通常そのものと言った光景の中に違和感なく同調を果たしている。


 姿を風景として認識し、やがては注目の精度もなまくらよろしく鈍さに甘んじている。

 やがてエミルのくすんだ金髪から目を逸らす。


 その時点でルーフは、ようやく自分がこれから否応なしに直面せねばならない状況に気付いてしまっていた。


「さて、さてさて、さて」


 ルーフが左側に向けていた目線を、首の方向を静かに元の位置へ。

 つまりは食堂の机があり、向こう側にハリが座っている、その姿をほぼ確実に視認できてしまえる。


 ルーフが自然に獲得できていた視界の中で、ハリは血色ばかりが無駄に良い唇をクロワッサンのように曲げて微笑んでいる。


「二人っきりになった所で、よりいっそうの有意義さを会話に持ち合せられるでしょう」


 無駄に説明的な口調になっている。

 ルーフはとりあえず相手に反論でもしようかと、あらためて挨拶感覚の戦闘態勢を作り上げようとした。


 だが少年の開きかけた唇は、ハリと言う名前を主張する男の挙動によってひそかに遮られることとなる。


「とはいうものの、なにを話すべきなのか。せっかくエミさんが場をもうけてくださったと言うのに、どうしましょう。どのようにしてボクと王様、話題は多岐にわたりながらそのどれもが」


「どうしようもなく、絶対に価値の無いコミュニケーションが完成するでしょうよ」


 長ったらしい言い回しを使いたがっている。

 ルーフは相手が自分とあまり会話をしたがっていないこと。というかそれ以前、それ以上にこのハリと言う名前の人物が、他人と対面しながら会話を行うことにとても慣れていない。


 ルーフは確信めいた予想を一つ作り上げている。

 どうしてこの人物にそんな想像を作り上げられたのか。理由は単純にハリ自身の動作も充分な証拠たりえるのかもしれない。


 だがルーフは己の内層にて理由がたったそれだけではない事を、過去に溶かし込まれた記憶の中で実感せずにはいられないでいる。


 ルーフが記憶の中でひとりの許されざる人物を、それはとても眼前にいる人物に形相がよく似ているような気がしている。


「王様、どうかなさいましたか王様?」


 少年が陳腐な連想ゲームに意識を浸そうとしている。

 だが繋がりかけた線と点は、ちょうど彼に凝視をされて居心地を悪くしているハリの音声によってブツリと断絶されられていた。


「ぼんやりとしてしまって、王様らしくないですよ。もっとキッチリ、サクサクぱっくりしてくださいよ」


「そんな、新発売のビスケット菓子みたいな要求をされても………」


 ルーフはハリの要求を滑らかに断っている。

 だが言葉が終る端から、少年の脳内では別の疑問点が強く主張を起こしていた。


「っていうか、さっきからそれ何なんすか?」


「何、とは何のことでしょう」


 進んでいたはずの会話が中途半端に遮られている。

 ハリが当然のことながら、その笑顔に微妙な色合いを混入せずにはいられないでいる。


 同時にルーフもまた、自分が突発的に主張した疑問点が、かなり鮮度を落としているものである事を他の誰に確認するまでもなく自覚しきっていた。


「だから、その「オウサマ」って呼びかた。ずっと使っているけど、それはつまり俺の事で間違いないんか?」


 今更な確認は、この場面においてのみ限定された空間であったとしても、重要度のピラミッドではせいぜい土台としての役割程度のものであったに違いない。


 謙遜をしたくなる、だがルーフはこれからの展開に備えて、出来る事なら疑問点と違和感は見つけ次第始末。

 もとい、キッチリと整頓をしておきたい所であった。とでも言えば、せいぜいそれらしい言い訳ぐらいにはなるだろうか。


 ルーフが己の言葉を口の中でぐずぐずと弄くり回している。

 少年の琥珀色をした瞳が虚空を捉えている、ハリの方は彼の目線が自身を捉えていない事を眼鏡の奥で認めていた。


「名称に関しては、特に大した意味は無いんですよ」


 少年が一秒ほどの後に目の焦点を元の場所に戻している。

 彼の耳にハリの、そこはかとなく遠慮深そうな前程がひっそりと、だが食堂に満たされた喧騒に掻き消されない程度には音声として届けられている。


「周辺の人がそういった名称を使っていたので、ついでにボクもそれを拝借した。という話です、ただそれだけのことです」


 だから自分には何の責任は無いのであると。

 責任逃れをしようとする、ルーフは相手が何故にそのような行動原理に至らんとしているのか、その傾向の方が気になって仕方がなかった。


「周辺の人って………。俺の事をそんなうやうやしく、無駄に荘厳な呼び方で扱う必要がどこにあるってんだよ」


 解答に関する追及をしようとした。

 言葉を喉の奥で振動させていた、しかしながらルーフは震えの中ですぐに解と思わしき考えに到達している。


「俺の状態を、把握して利用をしようとする連中か………」


 ハリはあえて必要以上に答えを相手に与えないようにしている。

 沈黙は効果としては適切以上のものでもなく、ルーフは一度口にした想像を次々と連結させていった。


「それは当然この建物にいる魔術師共が中心となるだろうが。しかし、それ同等に別の組織も関係しているんだろうな」


 ルーフは右の指先で顎を軽くさする。

 伸び気味になっている爪の白い硬さが、顔面の皮膚をわずかに圧迫している。


 痛みには遠く及ばない、羽虫に這われているような痒さがルーフの脳へと伝達される。

 不快感は受け入れざる拒絶と共に、とてつもなく鮮度の高い情景を意識へ弾丸よろしく確実に食い込ませてきた。


「あいつの体を好き放題に弄び、なぶり、弄くって。そして………」


 ルーフの頭の中に独りの幼女の姿が思い出される。

 記憶の中で幼く柔らかい、灰色の毛髪をした彼女の奥に、大量の大人の姿をした人間の黒い影の数々がヘドロのように浸食してくる。


「爺さんが昔、協力関係にあったらしい。名前が思い出せない、あれは結局どういった組織だったんだ」


 質問文と言うよりは、それはむしろ憤りに近しい響きを含んでいた。

 顎をさすっていたはずの右指は、ルーフの意識から一歩ほど離れた虚無感の中で、ほぼ自動的にその先端を顎から額の中心点へと移動させている。


 白い爪の伸び晒した、固さは皮膚の在るべき柔らかさを捉える事をせずに。

 代わりの底に存在をのさばらせているのは、まるでガラス窓に触ったかのように硬質な音色であった。


「俺の体を使って、あいつを巨大で馬鹿みたいにキモい化け物にしやがった」


 少年の額には、およそ人体に許されるべきではない硬さがあった。

 それはサーカスで独りおどける道化師の涙のような、雫の形にも見えなくはない。


 涙の形は皮膚の上から生えている訳ではない。

 埋めこまれていると形容すれば事実に正しいのだろうか、ハッキリと判別は着けられそうにない。


 曖昧なほどには、その硬さはあまりにも自然と当然の中で少年の額、皮膚、肉体の一部として同調を継続させてしまっていた。


「あいつ等は、いったいどんな人間で。………どうやったらあんな事を」


 憤りはやがて苛立ちへと姿を変えつつある。


 ルーフが頬を、肌の下に走る血流に感情の熱を膨張させようとしている。

 このままではお互いに不本意で、無意味な爆発が起こるのではないか。


 少年自身が無意識の中で恐れを抱いて、しかし感情の激しさがそれをいとも容易く飲み込もうとしている。


 彼が次に口を開いたら、後はどの様な怒りが紡ぎだされるのだろうか。

 予感が完全に現実へと影響を及ぼそうとした。

 だが相手は、少年の感情に真面目に付き合えるほどの殊勝さは持ち合わせていないようであった。


「何もそんなに珍しいものでもありません、あれはただの集団です」


 少年側が一通り口を動かした、その後のタイミングを見計らっていたのか。

 あるいはただ単に、ハリにしてみても議題の内容について考えを見つけ出せないでいたのか。


 どちらにしても、男の声は少年の動きを止める程度の意味だけは確実に発揮で来たようであった。


「取るに足らない集団ですよ、少なくともボクにとっては何ら価値を見出すことは出来なさそうです」


 ルーフはハリが話しているのを見ている。

 目線は血液の色が濃い唇よりも、その上にある眼球の方へ。


「彼らはみんなで集まって、何かしらのすごいことをしようとしているらしい。だけどそれは世界にとって、みんなの生活、日常、「普通」を継続するにあたってとても厄介」


 個人的な感想に始まり、どうやらハリは一応は少年の疑問に答える気概を試みようとしている。


 その事に少年が気付いた頃合い。


「だからこそ、エミさんをはじめとした魔術師その他、この城の関係者は集団の動きを何とか止めたい。そのために情報を把握しようと、日々躍起になっている」


 そこではすでにハリは疑いへの答えを適当に、シンプルに結び付けていた。


「要は取り合いですよ、王様。王様と呼ばれるに値するあなたを誰が、集団か、城の魔術師か。どちらかが先に奪い取らなくてはならない。これは戦いなんです、そして今回は城が勝ったのです」


 ハリは説明を概ね全て言い終えた。

 途端に達成感と思わしき色合いが、彼の緑玉の色をした瞳の奥にぼんやりと滲んでいるのが見えてきた。


「情報戦のやり取りの中で、とりわけ集団側に関してあなたはかなり重要な意味を持っていた。それが権利的によるものなのか、あるいは宗教的観点に絡めたものなのか。どちらにせよ、「王様」と言う呼び方は集団側が先んじて使用した可能性が高いですね」


 これで疑問に答えたと、そう言わんばかりにハリは左の指を冷水の入ったグラスへと伸ばそうとしている。


 だが、ルーフにしてみれば、それを納得の材料にしようとすることの方が困難を極めている。


「それで、あんたがその名前を使う理由が分からないんだが」


 指はグラスを確かに掴んで、持ち上げたそれがあと数ミリで中身の水を体内へと取り込もうとした。

 

 ルーフはそこでハリに話しかけていた。

 確実にタイミングを計っていた、無意識であろうが意識的であろうが。

 

 いずれにしても少年の言葉は男の動きを止めることに成功していた。

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