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凶刃と無関係

 予想外ではあった。


 しかしルーフはそれらしき理由を附属させるよりも先に、その胸の内には相手を、今のところは敵性と判断すべき男の動揺を誘った。

 その事実に対してのみ、純粋なる歓喜をパン生地のようにふっくらと膨らまそうとしている。


「まったくもって、失礼しちゃいますね!」


 何とかして、無意識を強く意識しようとしている。

 

 ルーフと言う名前の少年が唇を閉じて沈黙を引き延ばしている。

 静けさが少年の唇に漂っている、その様子に構うことなく、彼の感想を受け取った相手である男。

 名前をハリと言うらしい、若い男はその黒い髪の毛を今にも逆立てそうな。


 そんな錯覚を抱きそうになるほどに。

 ハリは今日一日、この場面において最も強く感情を露わにしているようにみえる。


「よもや王様の審美眼に対し、期待を胸に膨らませていたという訳ではありませんが……。それにしたって、昆布はないでしょう、けるぷは無いでしょうよ」


 ハリはルーフの感想について。

 つまりは、ハリが作成した魔法の腕に関する比喩表現に反論を。


 論じるにも値しない、単純な文句だけを主張しようとしていた。


「見てください、この滑らかな曲線。ボクがこんなにもこだわりをもって、王様のお体を思って考え抜いた造形を。よりにもよって、えびすめ扱いされようとは」


 やれやれ、と言ったジェスチャーを作っている。

 ハリの動作に、しかしながらルーフはまともなリアクションをしようとはせず。


「考え抜いた、ね………」


 子供っぽい文句を垂れようとしている、相手に対してルーフは自身でも違和感を覚えるほど冷静を保持できてしまっていた。


「とてもそうは思えないな」


 いつの間にやら体を圧迫していた拘束は力を弱めてある。

 ルーフはエミルの、現時点において自身の保護を担当している人物の右手をそっと振り払い。


 支えを失ったからだが、右足の欠落によって生まれるバランスの崩壊と重力に身を任せる形で、ルーフは目の前に用意された魔法に。


 どう見ても昆布にしか見えない、魔法製の腕に体を預けることにしている。


「でも、これが無かったら危うく転ぶところだったんだよな」


 いきなり出すぎた真似を、一方的に意見だけを並べ立てることに抵抗が無かったか。

 そう断言することは出来ないが、しかしルーフは魔法の腕に体を支えてもらいながら、制作者の表情をジッと見定めている。


「おかげで助かったっす、これで下手に怪我を増やすこともなくなった」


 腕を支えとして、ルーフはようやく食堂の椅子の上へと体を落ち着かせることに成功している。


 その間にも少年の琥珀色をした瞳は、ハリの眼鏡の奥にひそむ動向に浮上する感情を把握しようとしている。


 少年のごくごく短い、いたってシンプルな謝礼の言葉。

 タイミング的に考えれば、これ以上の悪条件もないだろう。よほどの鈍感さでも発揮しない限りは、ルーフのこの発言はなんの工夫もなされていない嫌味、皮肉の面があまりにも濃厚すぎている。


 またしても悪手を打ってしまったか。

 ルーフは椅子の上で体のポジションを整えながら、喉の奥の辺りで恐怖的な予想をいくつか展開させている。


 だが、それも所詮は無駄な思い込みにすぎなかった。


「そうですかあ、そう言って下さるのは嬉しいですね」


 唇を動かした瞬間から、ルーフの上半身が氷のような緊張に縮小する。

 だが当のハリの方は少年の青ざめた顔面などまるで眼中に無いと、そう断言してしまいたくなる。

 それ程に、ハリの表情はあっけらかんと短絡的な喜びだけが浮上しているようだった。


「やっぱり、お褒めの言葉を貰える瞬間は魔法を作っていて一番歓喜に震える瞬間ですよ」


 相変わらずその口元にはにやにやとした笑みがある。

 だがそこに込められている感情が、他の人間をそしることを目的とした感情表現ではないことは、たとえルーフであっても安易に想像することが出来ていた。


 ハリが黒い、黒色であることには変わりないが、どことなく色素の欠落を想起させる色合いが見え隠れしている。

 白髪交じりの毛髪、少しだけ癖のある前髪の下で口角を上に曲げている。


 その様子を見ている。

 ルーフが次にどの様な対応を選択すべきか、再びの沈黙の中で考え込もうとしている。


 少年のすぐ隣、彼の身長よりも上の辺りで低い溜め息の音が一つ。


「相変わらず、行動の全部がいちいちエキセントリックなんやから」


 そろそろ笑顔の波を落ち着かせようとしている。

 微笑みを浮かべるハリに対して、エミルが疲労感に脱力をしたかのような、力のない声で呆れを口にしていた。


「そんな事ばっかやっとると、その内マジに心臓が真っ二つに引き裂かれっぞ」


 まるで若者のような口ぶりとなっている。

 いや、実際に彼はまだまだ青年期真っ只中の、若者そのものと言った年齢なのだから。

 

 だから、口調に関して違和感を抱くような必要性は無いだろう。

 ルーフはそう考えようとした。

 だが一度見つけたピースの不一致は、まるで肉の間に出現したしこりのようにルーフの意識を圧迫している。


「あれ、どうかしたかな」


 出来うる限りの無関心を装いと言うのがルーフの本心ではあったが、しかし肉体はどうにも彼の願望に則した行動を起こしてくれそうにない。


 エミルがルーフの方を見やる、そこにはルーフにとって見慣れた作り物の表情がキッチリと形成されている。


「そんな小首を傾げて、なんか変なことでもあったんかいな」


 社交辞令的な言葉遣いと態度の中に、エミルは個人的な可笑しみを少年の挙動に見出しかけている。


 男が面白おかしそうに自分の事を見ている、他人の視線に晒されるさなかでルーフはようやく自分が、それこそ読んで字の如くに首を小さく傾げている事。


 事実を発覚させていた。


「ああ、えっと………何でもないです」


 ルーフは即座に首の位置を元に戻している。

 その時点ではすでに手遅れであることは重々理解できてはいる。

 しかしそれでも、ルーフは自分がうっかり無垢な小鳥じみた挙動を作っていたことに羞恥心を抱かずにはいられない。


 何でこのような所作をしてしまったのか。

 ルーフは理由を考えようとして、しかしてイメージは段階を踏むまでもなく一つの像を結び付けている。


 ルーフが一人の女の事を思い出しかけた。

 その所で、果たして相手は少年の妄想を見計らっていたのだろうか?


「なんです?」


 ハリの声がルーフに向けて、ささやかに弄ぶような質問の手を纏わりつかせてきている。


「にやにやと、まるで目の前にステキングまーべらすな女体でも転げ落ちていたかのような笑顔をしておりますよ」


「………どういう顔だよ?」


 出来る事なら、少なくともこのハリと言う名前の輩に関しては。

 ルーフはことさら会話としてのやり取りなどまっぴらごめんだと、そう思っている。


 そのはずなのに、あまりにも相手が突拍子もないものだと逆に関心が勝ってしまう。

 エミルがぼやいた通りだったと。ルーフはハリに対して上手く調子を合わせられない、その不具合に唐辛子を噛むような、否定し難い不快感を抱いている。


 相手から返事が届いてくるとは思ってもみなかった、意外性に関して、その要素だけに限定するとして。その辺りだけは、どうやらハリの方にも少年と共通している事項であったらしい。


「いえいえ、王様。ボクは決してあなたの笑顔を、微笑みを否定しようとは思いません。むしろ、その逆方向です」


 エミルと、そしてルーフから見て机を一つ挟んだ向かい側。

 距離に計算してみても、一メートルの感覚さえも許されていない。


 その程度、そのぐらいの距離において、ハリは楕円形のレンズをした眼鏡の奥で瞳に輝きを灯らせている。


「そこまで、そこまでの感情を抱けるほどになれるとは。この短期間、これは驚くべきことであって、それ以外の何と言えましょうか?」


 眼鏡の奥、エメラルド色をした虹彩が右に左に、カッターナイフで切り裂いたかのように細い瞳孔がルーフの姿を捉えている。


 男が何についての驚愕を申し立てているのか。

 理由は後で考えることにして、ルーフはそれよりも先に言葉を考えようとしている。


「驚くも何も、俺にしてみればただただ、毎日馬鹿に早い時間から部屋の電気を消される生活ばかりが続いてきただけなんやけどな」


 内容の有無、情報としての有用性の是非、要素の多々を考える以上にルーフはハリに沈黙を絶対に与えてはならないと。


 根拠も理屈も何もない、一種の強迫観念じみたもの。

 しかしながらそれはルーフの内側で、やがて確信に近しい重さを獲得していた。


「だけど………」


 言葉を止めてはならない。

 観念は思い込みから始まり、やがては決めつけとなって、気が付いた頃にはルーフの内層において規則的な命令文へと変化を遂げている。


「だけど、何です?」


 ずっと凝視をする事はしていない。

 ハリはすでにルーフから視線を逸らしている。それが一時的なものなのか、それともようやく関心をこちらから逸らしてくれたのだろうか。


 おそらく後者の可能性は限りなく低いであろうと。

 ルーフは予め予想をつけた上で、ここは一つ相手に予測できる要求を呑んでみようかと。


「なんだか、な。右足をあいつに食われてから、今日まで、今の今までとは体が変わった様な。………確信は持てないが、そんな感覚がずっと体の中で渦を巻いているような気がするんだわ」


 嘘でもなければ、かと言って純度百パーセントの真実と言うほどでもない。


 ただの感想を言葉に変えている、と言った雰囲気をルーフは舌の上で演出している。

 演じるという点においては、やはりこれは嘘になるのだろうか。


 是非を問うよりも先に、ルーフはそれ以上に言葉を差し向けた相手の反応の方に集中力を割いている。


「ふむ、なるほど」


 少年の、琥珀のような色をした眼球が目線を固定させている。

 ハリは少年の方を見て、線と線を瞬間的に共有させていた。


「それは、実に結構ですね」


 ハリの瞳孔は一旦広がりを見せていたはずの暗闇はしかして、室内に満たされた明るさによって細い筋、紙で作った切り傷のようにかすかなものへと変わりつつあった。


「違和感に気付けるとすれば。それは王様、あなたの眼球がいよいよ世界を見ようとしている。その証拠、証明、根拠になるはずです」


 ハリはもう一度笑顔を浮かべる。

 それは粘ついた雰囲気など欠片も感じさせない、あえて例えるとすれば?


「理由が用意できたのならば、後はもう行動あるのみです。ねえ? 王様」


 ハリの言葉を鼓膜に震動させる。

 だがルーフは聴覚よりも、舌の上のおうとつ、味来の数々に虚構の爽やかさを覚えていた。

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