キミと朝まで共闘したい
左の爪先と右側のもう片方は、もはや一切の名残も惜しむことなく、ごくごく自然と乖離を果たしているように見える。
エンヒは触れ合わすことのない熱をそれぞれに、意識の下では滑らかに事実だけを唇から発し続けていた。
「もっと分かりやすい話をするなら、スマホを使うのにスマホの作り方を、その仕組みを全て知り尽くす必要が無いこと。そういう感じ、そう言う風に考えてくれば、わたしはそれで良いと思うわよ」
結論は何ら違和感もないままに、きちんとした法則のもとに完成形を空気中に震動させている。
エンヒという名の、暗色の瞳をした若い大人の魔女が会話を無事に終えている。
閉じられた唇へ感銘を受けている風にしているのは、キンシと言う名前の魔法少女であった。
「的確な説明、僕はあなたの理解力の深さに塩の結晶のような賞賛を」
外見上はただ呟きを並べているようにすぎない、だがキンシは表情に浮かぶ色合い以上に胸中をかなり動揺させていたらしい。
思うがままの、率直な感想を相手に伝えようとした。
その所で、キンシの内に許されたなけなしの礼節的部分が、必要最低限程度の抑制を働かせている。
コントロール力はあまりにも頼りないものでしかなく、赤子の柔らかい腕よりも貧弱なるそれに持続性は期待できそうにない。
迅速に次なる言葉を考えなくてはならない。
「えっと、えと……」
理解はしていた、そのはずなのに、にもかかわらずキンシは情けないまでに心へ冷静さの欠片、米粒一つ分の質量すらも生み出せられないでいる。
沈黙だけが確かな存在感を伴い、魔女と魔法少女の間に満たされた空間へ重さをもたらし続ける。
このまま待機をしていたところで、はたしてキンシにどれだけの期待が出来たというのだろう。
もしかしたらいずれかは、流石の少女であっても正しい言葉を遣えたのかもしれない。
しかし、悠長にそのタイミングを待っていられるほどには、時間の女神は上品ではないのだ。
平等性に怯える、キンシの右隣でメイが先んじて唇を動かしていた。
「でも、魔力をつかうのなら、魔法使いと魔術師もそうたいしてちがいは無いとおもうわ」
公平さは果ての無い均等性で、しかし美しさよりは粗暴さの面があまりにも強すぎる。
狂暴な平等に怯えていたからなのだろうか、だがそれだけが理由だとメイは思おうとしていなかった。
「けっきょくは、同じじゃないの」
語り明かした果てに至った考え、思考の内容にメイはどこか幼子めいた純粋な疑問を抱いている。
彼女はその事を自覚していた。
捉え方なんて言い回しもする必要はない、今までのやり取りが取るに足らない時間稼ぎのようなものでしかなかった。
メイと言う名の、椿の魔女がエンヒに向けて追及の手を伸ばそうとしている。
赤い瞳が、まるで敵性のある異物を駆逐せんとするかのように、真っ直ぐと先端の鋭い視線を相手に向けている。
「まあまあ」
エンヒは椿の魔女の、体の小さな彼女の熱い視線をその身に受け止めていながら。
しかしながら相手の静かなる激情など取るに足りないと、あくまでも平静とした様子で口元に微笑みだけを固定させている。
「そこでやっぱり、わたしの恋バナが活用の道を、ほろ馬車の開拓団よろしく開拓を突進するのよ」
遠回りな言い回しが出来る程度には余裕がある。
ここは一つやたらに反発を起こすべきではないと、判断をつけられる程度にはメイは冷静さを演出できてしまえていた。
「お話はまた過去にさかのぼって、わたしの灰色のティーンエイジャーに移ります」
紙芝居のような語り口となっている。
メイがそれに苛立ちを覚えるよりも、それ以上に椿の魔女の左隣でキンシが馬鹿正直にリアクションを起こしていた。
「そこに、エミルさんがどの様なご活躍をするのでしょうかね? 楽しみです、ワクワクしちゃいます」
隣で椿の魔女が信じられないものを見るかのような視線を送っている。
だがキンシはその線に限って認知を至らせようとしない、とにかく眼前の好奇心だけに肉体の神経の大部分を捧げている。
おそらく魔法少女は、少女なりに一応は独自の予想に則ったルールを想起させていたのだろうか。
内容の是非に関しては、それこそ少女自身に直接言葉をもってして確認をするより他は、確証を得られることは誰にも許されてはいない。
そしてエンヒにしてみても、それらの検定はこの場合においては意味を有さなかった。
「いいえ、ここにあの人の出番は無いわ」
魔法少女の期待を否定する。
エンヒは机の向こう側の彼女たちがそれぞれ、色の異なるささやかな驚愕に動向を丸く広げている。
「むしろ、わたしが魔術師と魔法使いの違いについて知った」
暗色の瞳は遠くを見ようとして、しかしすぐに必要性がどこにも存在していない事を己の内に完結させている。
「……。いいえ、気付かされた、知らしめられたと言った方が正しいわね、この場合には」
瞳の中に陰りのようなものが見えた。
ような気がした、メイは彼女の変化に気付いていた。
だが確信を持てなかったのは情報の少なさよりも、数の限りに絶え間なく張り巡らされた拒絶感の気配によるものだった、かもしれない。
「わたしは、ある人に出会って……それが今のわたしの思考能力に多大なる影響を与えた」
暗色の、瞳と同じ羽毛は彼女が春日、つまりは体に鳥類の特徴を宿した人間の種類であること。
そしてそれは、キンシの左隣に座るメイと言う名の魔女にも共通する身体的特徴であること。
だからなのか、これが因果関係の質量とでも言うべきなのだろうか。
彼女は自分と同じ、か、せめて似ているぐらいには考えられる。そんな形をしている人間が、とても見覚えのある体の動きをしていること。
羽毛が膨らむ、それは成人した春日らしく体の曲線に沿ったものであって。
メイのように、幼い子供の柔らかな繊毛とは異なる、固さはそのまま成長によって確立した意思の固さを意味しているようであって。
だからこそ、それがフワフワと膨らみを見せていること。
暗色の羽根が音も無く、皮膚の縮小によって濡れた落ち葉よりも軽い根元をそそり立たせている。
羽毛が膨らむ、それはエンヒという名の女性が不安を抱いていること。
体に害を及ぼすストレスを意味する、防衛本能はしかしながら言葉の影響力の前にはあまりにも脆弱なものでしかなかった。
「理由は、わたしなんかよりも語るに値する人がいるはずよ」
逆立つ体毛を抑え込むこともしないままに。
エンヒはそれでも唇に微笑みをちゃんと固定させてしまっている。
視線は、オーケストラでタクトを振りかざす指揮者の袖によくている、暗色の瞳がとある方向に向けられる。
あまりにも短い、一瞬の出来事は稲光のように一方的な静寂を保持している。
油の波に洗剤を一滴垂らす、酸性が円形の侵略を水面に起こす、あの速さと同じ。
速度は目にもとまらぬものであった。
そのはずなのに、どうしてなのか、キンシは眼球に得られる視覚情報とは領域を別とする感覚器官の名の元に魔女の視線を感じ取れてしまえていた。
視線はちらりと魔法少女の姿を、円い眼鏡の奥、レンズの先に輝く緑柱石の右目を捉え。
もう片方の、左目に埋めこまれた暗褐色の義眼が貝類のはらわたのような艶めきを覗かせる。
エンヒは少女と視線を交わして、相手が違和感に気付くよりも先に彼女が先んじて視線を逸らしていた。
その後の事に、やがて若い大人の魔女が誰の事を見ていたのか。
視線の向かう先は大人の魔女と、そして魔法少女の注目を必然的に集める事となる。
「………」
燕尾服の色か、それとも聖なるサンタクロスの仕事着の色か。
視線を向けられた、彼がどちらかを選ぼうとした。
だが青年が答えを現実に及ぼす、音が空気を振動させようとしていたところに。
「もしもし! お客さん!」
声を強く張り上げている、それはとても自然なものであった。
「うわあ?!」
このリアクションが大げさなものであると、キンシは斜め左上辺りに漂う無意識で冷静に判別して。
そうしていながら、心臓の動きをコントロールできるほどには緊急を要さない。と言う事実の方が、キンシにしてみればより強い重要度を放っていた。
「お客さん、さっきからちょくちょくご確認をしていたのですけれども」
全員の視線が、今この瞬間においてついに共感性を果たすに至る。
人々の注目を、真の意味で一身に浴びている。
うどん屋の店員はじっと目を向けられていることにたじろぎを魅せながら。それ以上に、今は己の職務をキッチリと全うすることに意識を割いていた。
「こちらのほう、片付けてもよろしいでしょうか?」
店員は、女学生のような一つ結びを微かに揺らして、空調の風に震える毛先が彼女の声を受け流していた。
気がつけば、というよりは、どうして思い至らなかったのだろうか。
魔法使いと魔術師は、すでに全員が食事行為を無事に終えていた。
だがキンシにしてみれば、この魔法少女はいかにもたった今その事実に発覚をもたらしたかと。
それ程の勢いで、少女は驚きに体を氷のように硬直させてしまっていた。
「え、ええ……えと、」
とはいうものの、相手側が求めているのは「はい」か「いいえ」。
yesかnoのどちらかでしかなく、だからこそキンシは強く自然体を意識して返答をしようとしていた。
だが考えれば考えるほどに、必然的に魔法少女は本来あるべき言葉を見失い続けている。
再び沈黙が、ロシアンティーのジャムのように空間の底へと累積する。
「oo-ooo.........」
そこへ、まるで一人の人間を助けるかのようにして。
声がした方を見れば、そこには青年が座っているのが見える。
彼は声を発している。それは機械的なものではなく、誤魔化し用も無い程に肉声の生臭さがたっぷりと立ち込めているものであった。
「......... o/ 6,ted///q」
彼は何を言っているのだろうか。
それはおよそ言語としての基準を満たしていない。
異国、何処か自分の認識が及ばない文化圏によって生み出された言語かもしれない。
そう思いたくなるのは、音の連続によってもたらされた不快感を少しでも誤魔化すためであったのだろう。
「えっと」
女性店員は少しの間考えて、だが思考を働かせるよりも先に結論を選んでいた。
「片付けて、よろしいのですね」
確認を再度される。
視線は青年の方へと定められている。
「………」
彼はそこで、再び唇を閉じたままでこくりとうなずきを一つ。
やがて、机の上に食器が一つも残されていない、空の状態へと変化した頃合い。
「ありがとうございます」
さて、会食もこれにて解散といった流れで。
魔術師と魔法使い、そして魔女たちがそれぞれに言葉で示し合せることもしないままに、椅子から体を離そうとしている。
そこに、キンシと言う名前を持つ魔法少女が、唇を閉じている青年に礼だけを伝えていた。
「助かりました、トゥーイさん」
丁寧に感謝を伝えているのを、しかしながら少女自身もまた何処か違和感を抱かずにはいられないでいる。
理由はわからない、だがどうしても少女は青年へ、トゥーイと名前でよばれている彼の方を確認しておきたかった。
「………」
青年は相変わらず無言と、無表情。
やり取りは無色透明で、外見的には意味を為しているとはとても呼べそうにない。
だが、と別の視点が物事を考えている。
少女と青年から少しだけ離れた所。
魔女の内の一人、この場合にはどちらでもよかったのかもしれない。
いずれにせよ、魔女の目線はそれぞれに色合いは異なれども、彼と彼女の様子に興味を抱く。
魔女は興味津々で、視線の外側で若き魔法使いが割り勘分の食費をレジにて入金していた。
「ああ美味かった」
若い魔法使い、オーギという名の、キンシらにとって先輩にあたる男性が体の筋を軽く伸ばしている。
「さて、腹も膨れて話も出来たところで」
息を吐く、オーギはチョコ菓子と同じ色の瞳を後輩の一人。
やはりこの場合にも該当に特別性は無く、彼はたまたま近くにいた人物に確認事項を投げかけていた。
「さて、仕事に戻るとしようぜ、なあ?」
話しかけられた、それは青年であったのか、もしくは魔法少女のつもりだったのだろうか。
どちらにせよ、さきにアクションを起こしていたのはトゥーイという名前の青年の方であった。
「承知しました」
それは機械的な音声であった。
臭いも、熱も、肉の粘り気も何もない。
機械的な音声が、次の行動を命令的な動きとして望んでいた。




