自然な自己紹介をしよう
カミングアウトは、しかしながらエンヒにとってささやかな問題でしかなかったらしく。
彼女はあくまでも、もののついでといった様子で過去語りを続行していた。
「わたしたちが同じ学校に通っていたって話は、確かあの人から直接説明があったかしらね?」
エンヒは視線を此処ではない場所へ、話題の中心へと召し上げようとする人物の事を眼球の奥に思い返している。
「そう……あれはわたしがまだ未熟なピーチ女だった頃のことよ」
そうして瞬きを数回ほど繰り返した後に、エンヒはさながら漫談でも決め込むかのように話を進めようとしていた。
「なんだかもう、ずっと前のことのような気がするけど。そうね、あの人が同じクラスの女子とわたしで二足のわらじを履いていた。まさにそれこそが──」
割かしに記憶が曖昧になってしまっているのだろうか。
エンヒは一つずつ事実を、出来うる限りありのままに言葉の上へと再現することを試みている。
「それこそが、わたしが魔女になろうとしたきっかけね」
思い出そうとした、忘却の墓場から蘇ったいくつかは、しかしながら若い大人の魔女にしてみれば取るに足らない事柄でしかなかった。
「高校生の時にエミルさんが二股をかけて、それでわたしは怒りに怒って……。それこそ、」
次第に記憶が鮮明さを取り戻し始めてきたらしい。
エンヒはいよいよ悦に入る感覚で、惜しげもなく話題を周辺の人々へと提供していた。
「うん、本当に、その時は本気で殺し潰したい気持ちだったわね」
いささか誇張した部分はあるのだろうか、そうでなければ彼女はどうしてこんなにも爽やかな笑顔を浮かべているのだろう。
疑問点について思考を働かせようとする、だがそれよりも先にオーギの方は笛の音のような感嘆符を唇に奏でていた。
「なんてこったい。アンタ、見た目によらず意外とデンジャラスなんやな」
オーギはそれこそゴシップ記事を購読するかのような感覚の中。
事実、この若き魔法使いにしてみれば、この話題に関しては赤の他人以外の何者にもなれるはずがなく。だからこそ彼は好奇心のおもむくままに、無責任に身を任せながら話の続きだけを期待することが出来ていた。
彼のニヤニヤとした口元は、さしてエンヒにとっては充分に想定の範疇の事象ではあった。
「そうよ、人を見た目で判断しちゃいけないのよ」
予想の内側に、彼女はいかにも調子の良さそうな口ぶりでこの話題の、彼女なりのお決まりな締めくくりを結び付けようとしていた。
「とりわけ、魔女っていうのはそういった認識の誤差を上手いこと利用するような。そんな人がまだまだ沢山いるんだから。あなたもダマされないようにね」
業界の内輪ネタを織り込みつつ、最後の忠告めいた台詞は一応はオーギに向けたものだったのだろう。
だが、対象は決して一人に限定されたものとは呼べないであろうと。
エンヒの視線から少し離れた場所、すぐ近くで会話を聞き続けていたメイと言う名前の魔女が、静かなる確信めいた予想を胸に灯らせている。
さて、話題の提供と言う面目においては、エンヒはまさに充分なる役目を果たせられたということになるのだろう。
実際、果てなき無言の荒野が期待されていたはずの場所には、予想外に瑞々しさを発揮する空気がこんこんと湧き出ている。
だが、その最中において沈黙を継続しているのが二名ほど存在していた。
エンヒは二人の表情を、完全とは言えずとも表層的にはそれなりに把握している。
やがて彼女は、不意に思い出したかのような感覚で二人の内の一人に話しかけていた。
「でも、この辺りの事情についてはあなたの方がよく知っているんじゃないかしら?」
確認をしようとしている、若い魔女の視線は左側へと向けられる。
「えっと、確か名前は何だったかしら、トゥーイさん?」
エンヒが暗色の瞳を向けながら、左に座るトゥーイという名前の青年へと話しかけていた。
「うん、思い出したわ。あなた、エミルさんとむかし仲よくしていたんじゃない?」
それは質問文としてのリズムを形作っている。
エンヒが問いかけてきた内容に対し、先んじて反応を示していたのはトゥーイ本人という訳ではなかった。
「あら、そうだったの?」
意外な事実に思わず声をあげてしまった風に。
メイが身を乗り出しかけている、動きの波によって食べ終えた器の残りがタプンと揺れていた。
「そんな……トゥにお友だちがいたなんて」
メイにしてみればなんの悪気も無かったのだろう。
だが内容のぶしつけさ具合に気付いたのも、他でもない彼女自身の意識ではあった。
「ううん、そう……そうよね、いくらトゥでもお友だちの一人や二人ぐらいはいるわよね」
メイなりに精一杯誤魔化そうとしていたのか。
だが彼女の努力は決して功を奏したとは言い難く、後に残されたのはトゥーイの無表情に僅かながら浮かぶ不満げな雰囲気の気配だけであった。
幼い体の魔女と、彼女と同じ雪色の体毛をした青年が図らずして気まずい空気を生み出してしまった。
しかしそこにさしあたった重要度は無いように見える。
まるで親子間でちょっとした諍いが起きた程度のような。
空気感に不確かな違和感を覚えながら、エンヒはあえてここではそれについての追及を避けることにしていた。
「そう言えば、わたしがちょうど二股問題の真っただ中にいたときに、エンヒさんとトゥーイさんが一緒にアルバイトをしていたはずよね」
記憶の連続体に身を任せ、エンヒは芋づる式に思い出す事柄を順番に舌の上へと並べていく。
「あなたたとあの人と、あともう一人……誰かいたはずだったんだけど」
エンヒは左の青年と、ここにはいないが勝手に話題の中心人物にされている男性。
そしてもう一人の姿を、考えようとした所でふと彼女の視線が新しい固定位置を見つけていた。
「……」
不自然に言葉を止めた。
エンヒはその事を誰よりも自覚していながら、それでも彼女の眼球は始めた確認行為を止められないでいる。
じっと視線を向けられている。
目線の方向性が自分の方に向けられている、その事に気付いた相手がやがて疑いを持ち始めた。
「ん? どうかしましたか」
それはエンヒの向かい側に腰を落ち着かせている。
キンシという名の魔法少女は、他人の視線にわずかな戸惑いを浮かべていた。
「そ、そんな、僕に熱い視線を送って、顔に何か付着でもしているのでしょうか?」
時間にしてみれば十数秒の出来事でしかなかった。
だが短い時間はキンシにとって充分を過ぎた意味と質量を有して、少女は瞬く間に全身で動揺をありありと表していた。
「あ、口元が汚れていそうですね! これは、これはお見苦しいものを、急いできれいにします」
勝手に予想を着けて、キンシは机の上に用意されていた手拭いを雑に顔面へ押し付けている。
行動を起こすのに十秒とかけることをしない。
少女が素早く動いている、様子に遅れながらやがてエンヒが凝視を中止するに至っていた。
「ううん、何でもないのよ」
エンヒはまず最初に不用意な注目をしてしまった、その事に関する謝罪の意を手短に表現しつつ。
しかしそれ以上に、彼女は思考の指先に触れる感覚へ実感を強めていた。
「ただ、その三人目の友達とあなたがよく似ているから、思わず見つめちゃったのよ」
若い大人の魔女が言い訳を口にしている。
笑顔は至って自然なものであった。
彼女にしてみても、ここで虚偽の内容を混入させる必要性も無いように思われる。
キンシは相手の表情から予想を立てて、考えた説に寄り添う格好で自身もすかさず探求の線を発することにした。
「トゥーさんがアルバイトをしていたというと、ちょうどそのタイミングは僕が魔法使いになる前の話になりますね」
キンシの方もまた記憶の引き出しをいくつか開閉していた。
「そういえば、なんだか愉快な仲間たちとよろしくやっていたとか、いないとか。そんな話を聞いたような気が、しなくもないですね」
要するにあまり子細なことは覚えていないという旨を、キンシは下唇を指でも見ながら考えている。
だが、少女は円いレンズの奥底で瞳をふらふらと漂わせた後に、数拍遅れで検索に引っ掛かりを見出していた。
「ああ、そうです。トゥーさんが話してくれた内容に、登場人物にとても人心を掌握するのを得意としたキャラクター性を発揮する人がいた気がします」
表示される単語を無作為に繋げている。
キンシの説明だけだと、まるでフィクションの悪役のような役割を担っている風に聞こえてくる。
「そうそう、それよ!」
だがエンヒにしてみれば、キンシがぽつりと呟いた内容はまさに合致の基準に則したものだったらしく。
「そうなのよねー、あの人若い頃はすごい油断ならない感じの人だったのよねー」
他より訪れたアプローチに新鮮さを味わいつつ、エンヒはいよいよ思い出に甘く身を浸しかけるとこまで歩みを進めている。
「それが、今じゃあんなに丸くなっちゃって」
すっかりここに居ない人間の話題に花を咲かせてしまっている。
エンヒは場の空気を実感しておきながら、これ以上は当人の評価を下げるわけにはいかぬと弁明の用意をし始める。
「今日も、まさか「瞼」の縫い合わせを手伝ってくれるとは、朝起きたときには思ってもみなかったわよ」
過去回想もそろそろ切り上げるとして。
エンヒは現時点において、このメンバーが共有することのできる話題を手早くチョイスしている。
「あれも、多分あの城で働くうちに教えてもらったことなのかしらね」
彼女の暗色の瞳はすでに過去へと別れを告げて、それでも映し出されているのは一人の男性に限定され続けている。
心の映像は彼女だけに許されているもので、決して他人に侵略を許すことのない不可侵の領域であり。
そうであっても、庭園の外から窓の内を眺める程度には、エンヒの心情は推し量れる色合いを有している。
「まだ、その人のことが忘れられないのでしょうか」
内容としてはかなり攻め込んだものだったに違いない。
キンシがそうやって唇を動かしていたのを、エンヒ以外の人間は驚くべき事柄として、目を見開くことしか出来ないでいた。




