会いに行ったのは危険人物
それが書類上の問題である、だとか。
個人的、プライベートじみた好み、わがままが通用するような世界の話ではない。
そのぐらいの事ならば、たとえ無知なる幼子であっても周辺の人々の反応。
例えば口ぶり、顔つき、おおよそ全体の雰囲気からそれなりの流れを察することは、決して不可能な話などではなかったはずだった。
だが、それでもメイは、その名前をいつかの過去に与えられた一人の小さな魔女は、か細く頼りない疑問の産声を絞め殺すことが出来ないでいる。
「みんなが、みんな魔術師だなんて……」
メイは目線を、椿の花弁と似た色の瞳を体の前。
眼前に置かれたどんぶりの中、彼女が注文した山かけうどんが、白い膨らみの中へ艶やかな黄身が満月と同じ丸みを浮上させているのが見える。
もうすでに周りの人々が食事を終えている。
その真ん中で、器の中の命が無い卵が形を残しているように、メイと言う名前の魔女はまだ中身を全て飲み下せないままでいた。
沈黙はしばらく継続を止める様子が見られない。
唇の動きを止めてしまった。
メイの姿を机の向こう側に認めつつ、エンヒという名の女性はその指に三度冷水を満たしたコップを携えていた。
「でもね、魔女と言う呼びかたに関しては、ルールが定められるより以前から勢いの失速が在ったことは否めないのよね」
エンヒは一応は自身の後輩にあたる人物に対し、はたしてどのような気遣いを働かせればよいものか。
若い女性が空になった食器の前で言葉に迷っている。
閉じられた口から必然的に沈黙が生まれる。
その合間を縫い合わせるかのように、タイミングを見計らったかのように口を開いたのはオーギであった。
「あんまし自由にしておいて、全員がそれぞれ勝手な名乗りをすると困るおエラいさんがいっぱいいるんやろうな」
オーギという名の若き魔法使いは、やはりいつも通りに魔術師側の意図に拒否感を隠そうともしていない。
「向こうさんはとにかく記録、記録。書類上の記録を集めて、それで次の結果を作るってのが本領やから。変にイレギュラーをな奴があんまし受け入れられへんってのも、考えて見ればそんなに小難しいこともないんだろうな」
オーギが自分なりの考察を、短い論の中でそれらしい結論によって幕を降ろそうと。
したところで、彼の頭には唇の動きよりも先にひらめきが生まれていた。
「いや……これは、この意見は一方的すぎるかな」
メイは心の中に何か、氷のように冷たい硬さのある感触を覚え。
だがその時にはすでに時は遅く、オーギは思いつきを止めることをしようとしなかった。
「だが、魔女は時代の中に消えることが出来ても。魔術師がいくら増えようとも、この世界にはまだ魔法使いが居続けているんだ」
オーギが挑むような視線を、少なくともこの机の上にいる人物ではない、何処かの誰かに向けて発している。
「それに、りゆうがあるの……?」
これが罠であることに、メイが気付くことが出来たのは彼女が、自身の音声を聴覚に受け止めていたすぐ後のこと。
口の動きは体の動きと考えれば、全体的じみた意見としてメイはまるで己が指で触れてはいけない秘め事に触れてしまった。
「あ、いや……その」
メイはつい口にしてしまったことを急速に悔やむ。
己の下に痛みに近しい呪いをぶつけたくなる衝動に駆られる。
痛手は錯覚などではなく、メイはやはり深層意識に満たされる無意識の水面に泥水を混ぜ込んでしまったかのような。
魔女が言葉の後で後悔に苛まれている。
だが、問いかけられた方の相手は本人の落胆を知ってか知らずか。
仮に認知していたとしても、その様なことは些末なる問題であると。
そう主張するように、オーギは至って平然とした様子で考えに耽ろうとしていた。
「いや、な? おれだって常に差異について考えることはしねえよ」
若い魔法使いが無知の姿勢を取り繕った姿勢を作っている。
しかしながらメイは、どうしようもない程に彼が次に何を言うべきなのか、言葉にし難い認識の中で恐怖と共に実感できてしまっていた。
「ただな、不平不満が何もないって訳でもあらへんのやって」
魔法使いが考える。考えるふりをして、しかしてその必要は端から毛頭なかったと。
メイはついに堪えきれなくなり、やがては強引にでも言葉を止めようとした。
だが、魔法使いは一度始めたものを止めることを選択するはずがなかった。
「この事に関しては、おれよりも話すに値する人物がいるだろうけど」
オーギという名の魔法使いがメイの居る方を見る。
チョコレート菓子のような色の瞳をした、若い男性の魔法使いが魔女へ、なんとも優しげな眼差しだけを送っている。
それが彼にとってはかなりらしくない事である。
その程度の違和感に気付ける程度には、メイはこの若い魔法使いと親密性をいつしか保てていた。
魔女が何の変哲もない事実に意外さを抱いている。
違和感と同時に、大して時間をかける必要も無くメイは魔法使いが自分の事を見ていない。
彼が魔女の椿色の瞳ではなく、もっと別の対象に眼球の位置を定めようとしている。
椿の魔女がその事に気付いて。
理由は彼女自身にもよく解さない、把握できない拒否感が彼女に次の展開を望む指を阻む。
欲求は膨張を起こして、ついには彼女は腕を動かして彼の視線を物理的に遮ろうとした。
だが、その行為にどれほどの意味があったのだろうか。
「なあ、お前ならよく知っているだろう?」
少なくとも彼の声は魔女の指を、腕を、白くフワフワとした羽毛に包まれた体をいとも容易く通り抜けて。
声は、音の波は若き魔法使いの左側にいる少女の方へと、一切の迷いもないままに届けられていた。
「ん? なんです」
右側に座る先輩魔法使いから話しかけられた。
キンシと言う名前の魔法少女が、彼の言葉の意味を口の中で飴玉のように転がしている。
「魔法使いと魔術師さんの違いなんて、そんなものはとりとめもなく、分かりやすいことですよ」
自分に問いを向けられた。
キンシは他人の注目が自身に集まっている事に緊張感を覚える、それよりも先にきわめてシンプルな答えだけを現実の下に晒していた。
「この身に呪いを。呪いの炎を受けたか、そうでないか。判別はそれだけで済まされます」
キンシが、自らをそう呼称する少女が、言葉の先端において自らの体の一部を空気中へと暴く。
机の上に、ほとんどが中身を空にしているいくつかの食器の上。
そこへキンシは左腕を伸ばす。仕草はあくまでも自然なもので、まるで書棚にしまってあったお気に入りの書籍を取り出すかのように。
真っ直ぐとは言えそうにない姿勢を固定する。
虚空を撫でる指先からキンシは、右の手の平で着用していた上着の長い袖をするりとまくり上げる。
もとより上着は少女の、体のサイズにそぐわっているとは言えそうにないものだった。
ブカブカと余分な布と空洞が多めの、暗色の中に赤黒いラインが走る袖はさして工夫をする必要もないままに、いとも容易く秘められていたはずの中身を露呈している。
「このように、とりわけ人間の肌の上に「それ」はよく現れるのです」
己の左腕を前に、体の持ち主であるキンシが抽象的な解説を加えている。
言葉だけでは何を、どの様な事柄についてを表してるのだろうか。
判別をつけることは出来なかったであろう、しかしメイは、今だけはその世界線に強く羨望の念を向けざるを得なかった。
「膚断の呪い、ね」
沈黙を選ぶ後輩魔女の代わりのつもりだったのだろうか。
もしくはメイの心とは関係なしに、エンヒはただ目の前の事象についての情報を集約したかっただけなのかもしれない。
大人の体の魔女と、そうでない肉体の魔女。
それぞれに脳の中、意識に浮上させる感情はまったくもって別の種類であって。
そうでありながら、同時にどうしようもない程に彼女らの眼球は同じものを。
つまりは、魔法少女とされる彼女の左腕を見ている。
それは、その腕はとても人間の「それ」とは呼べそうにないものだった。
まず特筆すべきこと、何よりも先に表現する事柄として、そもそもそこには腕と呼称されるべき色彩がほとんど無かった。
皆無、と表現しても差し支えはないだろう。
そこには人間の肌はほとほとと含まれていない。
あるのは透明、質の悪い水晶のような、固そうで冷たそうな材質と思わしきものが、さも当たり前の面を下げて、肉体の一部として存在を無言のうちに証明していた。
やがて眼が、その光景に慣れ始める頃合い。
無造作に透明が張り付いているかと思えた、「それ」らが実はとある模様を描いている事に気づき始めていく。
それは渦を巻いているようにも見える。
あるいは6や9ににた物を幾つか細やかに密着させ、♡(ハート)を形成しているモノのようにも見えてくる。
幾つかの渦巻きは蠕虫が大群を為すかのように、少女の肌に一部の隙間も無く密着しているかのように見える。
そう見えてくる、だが認識に一つの誤りがあることを、誰かと言わず彼らはすでに知っていた。
「本当に、これは肌の一部なのかしら?」
誤りを正そうとする、エンヒの試みをメイは喜ばしく思わなかった。
だが椿の魔女がどう思おうとも、エンヒはすでに右の指で魔法少女の肌に直に触れていた。
キンシが他人の熱を感じ、反射的に身をピクリと震わせる。
しかし違和感は一瞬だけのもので、気がつけば少女は女性に触られるがままとなっていた。
エンヒの指先が、一定以上の礼節を持った仕草で「それ」に、水晶のようなそれを撫でる。
柔らかで優しげな圧力が与えられる。そうすることによって生まれた屈折、しわの数々がその透明をに間違いなく、紛うことなく人間の一部であること。
そのことを認めようとした、だがエンヒの暗色の瞳は違和感を見逃さなかった。
「……透き通っている」
ちょうど魔女の指は少女の手首、肉も骨も頼りなさげで、子供然とした弱々しさしか感じられそうにない。
細い一部を、包み込むようにして指を這わせている。
当然そこにも文様は走っている、だが透明さの後ろには何もなかった。
何も映り込んでいない。それがもしも本物の水晶であったのならば、光と共に通過するはずのもの。
窓が透き通って、外側と内側を互いに認め合えるように。
水が透き通って、水中と空中を揺らぎの中であっても色や光を、それぞれにきちんと確認できるように。
透明であることの証明、透明であるがための条件、もっともたる基準。
そのの光景が、どういう訳かそこには一切なかった。
包むように触れる魔女の指は、少女の肌の上に刻まれた透明さのなかで見えなくなっていた。
何度も言うように、それがもしも本物の水晶であったのならば、エンヒの指はキンシの腕の中に像をもたらしていたはずだった。
しかしそうはならなかった。
エンヒの指はどこにも通過することなく、指の先は少女の腕に隠されている。
「透き通っていますね」
キンシは言う。
「見えなくなっちゃいました」
その事に何を疑問に思うのか、少女はエンヒの戸惑いが不思議で仕方がないと言った様子であった。
「だって、人間の体は、肉体は水晶やガラス……水とは違いますよ」
少女は当たり前と思う、事実の一つを魔女に伝えていた。




