二度となかないようにしよう
それはキンシにとって、ひとりの魔法少女にとってこの世界における奇跡的な出来事。
出会い、邂逅、遭遇することはとてつもなくありがたく、これ以上と無いほどには仕合わせが良いこと。
そのはずで、だからこそキンシはもしもこのまま誰の、何物にもよる抑制が無かったとしたら。
仮定の先にはほぼ確実に、現在に自らが染まりきっている食事行為、物を食べることに関しての賞賛を全身全霊、全力をもってして表現したであろうと。
とりあえずキンシを含め、このうどん店で席を共にしたおおよその人間がそのように期待を、大部分は不安に近しい予感を胸に抱きかけた。
だが彼らの、そして魔法少女本人の予備動作すらも現実は容易く裏切りを見せて来ていた。
つまりは、魔法少女はそれ以上の狂喜乱舞をすることをしなかったのだ。
その理由としては幾つか、もっともらしい事柄をあげられる事には、特別困難なことは無かったのだが。
しかし決定的な一つの声音の前に、思考だけで得られる空虚な仮説などチリ紙一枚程の強度しかない。
つまり、何が魔法少女の言葉を止めるに至ったかと言うと。
「おまちどうさまっ! こちらはきつねうどんと──……」
答えは至極単純、渋るようなことなど何一つとして存在していない。
要するに注文していた品、味噌鍋うどん以外の品物が完成の後に来訪を果たしていた。
ただそれだけの事にすぎなかった。
と、言う訳で、彼らはそこでようやく本格的な会食の場面に挑むこととなった。
「ふむ、こんなことを言うのは卑しく、隣の庭の草を羨むことのような気がしますが」
最初の勢いを失うこともなく、キンシが早くも小さな土鍋の中身を半分ほど消費している。
やがて完食へと至る、約束された道の途中にて、キンシは一応の礼儀として前置きを一つ置いた。
その後に、魔法少女の瞳は食卓を挟んでちょうど真向かいに位置する、とある一人の青年の手元へと注目が為されていた。
「ねえ? トゥーさん」
キンシは真正面に座る、そこで今しがたうどん店の頼りがいがある腕によって運ばれてきた、一杯のきつねうどんを食している。
青年の姿をした人間らしき姿。
今は上着も何も着用しておらず、目に見えている限り確認できるのは中にきていた着物。
それは構造としてはバスローブのように、脱衣という名の展開をするとすれば一枚の大きく広い、ワンピースのような繋がりを見せた布。
一口に言えば和服とでも言えばいいのだろうか。
しかしながら、そう断定できるには幾らか違和感が伴ってくる。
形質、及び材質的には和服。鉄国(この物語の舞台となる国の名前のこと)に暮らす人々が古来より親しんできた服装の一つ。
最近ではファッションのグローバル化により、ジャンルとしては若干ながら斜陽の位置に立たされている。
青年がきている服はつまり、和服にとてもよく似ていて。
さらに詳しく説明するとすれば、ちょうど縁日に若いカップルのどちらかが着ていくような。
浴衣のように軽いそれを、青年は腰の辺りで布製の帯ではなく、黒色の幅が広い革ベルトのようなもので腰回りに服の重みを固定させていた。
「ねえトゥーさん」
浴衣のようなもの、だがそれとは幾ばかりか雰囲気の異なっている。
ともかく、流行のファッションとは少しばかりずれのあるセンスの。
キンシはそんな青年の、おそらくは愛称と思わしき呼び名を使いながら、明朗な表情で彼に話しかけていた。
「どうです? 美味しいですか」
少女の唇は質問の体を作っている。
だが言葉に含まれた意味としては、それは彼女が青年をこの食卓の表舞台に引きずり上げようとしている。
「せっかくの場所ですので、ぜひとも貴方のご意見を聞かせてくださいよ」
何故そのような気遣いをキンシが、少女自身にしてみてもあまり他人とのコミュニケーションを得意としていない。
会話を得意としていない種類の人間である、少女が他人をおもんばかる行動を作れたのか。
その理由を考えるには、少なくともこの狭い食卓の上ではとてもじゃないが語り尽くせない、なんとも厄介な事情があったり、なかったり。
「………」
いずれにしても魔法少女の行動理念を誰か、青年と少女以外の誰かが発覚に至らせんとする。
それよりも先に、青年はそれまで沈黙に甘んじていた発現機能を、この場で最も優先すべき人間の指示によって活動区域に移動させていた。
「………。aa,a,嗚呼、」
青年は話そうとした。
だがその唇は食事行為に区切りをつけることもしておらず、青年の唇は静かなる咀嚼を継続させたままとなっている。
「私は、私は思考します」
青年は口の中にものを含んだまま。
しかしながら内包したものを一つも、気配の欠片すらも排出しないままにその体から音声と思わしきものを発している。
「思考しました、感じ入る思いを言葉にすることを求められた」
唇は閉じたまま声は次々と繋げられていく。
青年はクオリティの高い腹話術をしているだとか、その様なことは決して無く。
音の連続体は青年の唇、本来ならば人間の言語機能に主役級の役割を担うはずの。
発音機能を、白銀の毛髪をした青年は一切使おうとしていなかった。
「わたしは答えます、そしてそれは重低音の震えと同じくわたしにとって極限となった」
青年は少女に向けて顔をほとんど動かさないままに、それは単に口を動かさないという意味ももちろん含まれているが。
それ以上に青年の右隣に座っていた、エンヒという名の若い魔女が新たなる疑問を抱き始めている。
感情が乏しいこと、何らかの損傷と欠落によって言語能力が喪失してしまった、そういった類の場合など別段注目するようなことでもない。
とりわけエンヒのように、それなりに健全かつ健康に人間社会と友好な関係性を築き上げてきた。
魔女と言う特殊な区分に属していながらも、おおよそにおいて通常、充分に「普通」の領域内に踏み入れる資格を持ち合せている。
大人に成長することが出来た、彼女にしてみれば左に座る青年が言葉を使うこと、音声を表現として使うことが出来ないこと。
それ自体に無反応とまではいかずとも、そのこと自体に怪訝さを抱くことはしなかったであろう。
そう、それはつまり仮定で。
もしも、ifの世界線、空虚なる空想の世界に限定されている事でしなかく。
だとすれば、エンヒは自らの胸中に生まれつつある疑念について考えようとした。
青年が言葉を使えないこと、それはほぼ確定的な事項なのだろう。
して、その理由は? エンヒは頭の中で一種の不安めいたものを想起させる。
左にいる彼が、自分と同じ人間のように見える、ただ右の頬に酷く傷跡が残っている。
エンヒは青年の事を人物として受け入れようとしている。意図をしてそうしなければ、自分は彼に対して何を思うのであろうか。
エンヒは不安を抱き、しかしてここでそのような疑問は不必要であると。
あきらめに似た結論を無理くりに結ぶ。
「えっと、あなたの名前はトゥーイ……だったかしらね?」
そのついでと言うべきなのか、エンヒは思いついた疑問点の上にペンキを被せるかのようにして、全く方向性の異なる質問事項を即座に思いついていた。
「あなたは? キンシさんたちと同じように魔法使いなのかしら、それとも──?」
急速な方向転換をした自覚はあれども、しかしながらそれはあくまでもエンヒ自身の内層において起きたささやかなる不具合でしかない。
黙っていれば、静かにしていれば誰にも把握されるようなことは無い。
それは最大限に信じられる前提であり、だからこそエンヒは話題の展開を再登場させる程度には余裕を持てていた。
事実、若い魔女の提案にキンシはしばし忘却の縁へ放置していた好奇心を再興させているようであった。
「それは……先ほどのお話の続き、ということになりますね」
すでに土鍋の中には具材はほとんど残されていない。
キンシは名残惜しそうに汁の中身から残留物をすくい上げつつ、そのまま汁を飲み干さんとしている。
動作の中において、おおよその満腹感を獲得した瞳は満ち溢れる活力のままに、好奇心をキラキラと輝かせていた。
「魔女、その呼称、言葉が現代の灰笛……及びこの鉄の国においてどの様な立ち位置へと追いやられてきたのか」
キンシは鍋の横に備えてあった、小さな木製のお玉で鍋底をさらうようにすくい、人肌のような温度になった味噌の汁を椀の中へと注ぐ。
動作の中で、魔法少女はお預けになっていた話題が新たなる展開を迎える。その時の瞬間を、今か今かと待ちかまえていた。
魔法少女が話題に食らいついてきた、エンヒはその動きに身を任せる形でいよいよ本格的に発芽した不安を握りつぶそうとしている。
とはいうもののエンヒは少女の口ぶりから、彼女がこの話題の本髄をすでに認知している、ということも大体察せられていた。
「すでに知っているようだけれど、現在の魔力社会、あるいは業界とでも呼ぶべきなのかしら。とにかく、今のところ広く一般的とされている通念において、「魔女」という区分はすでに残されていないわ」
エンヒがそう言いながら、手短に伝えた言葉の後で自らが頼んだざるうどんに口をつけている。
するすると若い魔女の唇の中へ白い麺が吸い込まれていく。
風景としてその動きを眺めながら、キンシは一人納得を深めるように頷きを数回ほど繰り返す。
「そうですか、そうなんですね」
特に疑問を抱く様子もないままに、この場にいる殆どの人間が事実を在るがままに受け入れている。
だが、この世界に広く流布している約束事と言えばそれまでか。
狭い食卓の上に広がる、この空間においても例外は必然的に体をむっくりと起こしている。
彼女は周囲の人間が概ね同意をしていること。
共通された動きが生み出す小川のようにささやかで、しかし間違いなく流れが固定され、存在を保証する限りはそこからの逸脱は許されない。
そんな風潮、思い込み、決めつけ。
やがてそれが強迫観念へと、彼女の白い小さな体を焦がそうとしている。
「メイさん」
そこへ、彼女に向けて、キンシという名の魔法少女が言葉を差し向けていた。
「黙っていてはいけません。何故ならあなたは納得をしていない」
事柄としてはさして重要な事ではない。
身を苛むようなほどのことではなく、だからこそメイと言う名前の魔女は安易に、安直に、素直に同調の流れへと身を任せられていた。
「疑問を持っているのでしょう?」
だからこそ、小さい体の魔女にとって魔法少女の言葉はどこか目を背けたくなるようで。
それと同時に、強く妖しく心を惹きつけられる黄金色の響きを有していた。




