ゆっくりお茶でも入れよう
キンシと言う名前の、魔法少女に質問をされたエンヒは、彼女から問いかけられた内容を口の中で吟味するように繰り返している。
「エッちゃん……。つまり、アゲハ・エミルさんとわたしの関係性について、よね?」
キンシが、わずかに白髪らしきものが左側の側頭部に混入している、それ以外は概ね山中の宵闇のように黒々としてる頭髪を、コクリと小さく上下させている。
エンヒはそれを左側の視界で軽く確認しながら、何かしらの障害を感じさせない程度のスマートさの範疇において、魔法少女の問いかけに解答を与えようとしている。
「別に、何も驚くようなことは何もないわ。彼と、わたしはその昔、ピチピチのティーンエイジャーだった頃に同じ教育機関に通っていた。ただそれだけの関係性よ」
エンヒという名の女性は、それはあえてだったのだろうか、あくまでも判断がつけ辛い間隔の中で少女らとは目線を交わさないままにしている。
言葉の真意、全容を丸ごと把握するだとか、そんなエスパーやらサイケデリックじみた虚妄にすがる必要性など、何処にも存在していないと。
その程度には、エンヒの様子からはとてもじゃないが、彼女自身の言うところそのまんまによる程の、単純明快な関係性を想起することは困難を極めている。
そう、メイは大して時間をかけることもないまま容易に想像を巡らせていた。
だからこそ、メイと言う名前の椿色の瞳をした小さな魔女は、それ以上にエンヒへ追及をすることをしようとしない。
好奇心が全くなかったという訳ではなく、むしろ魔女は今すぐにでもその薄紅色にプックリとした唇を、湿度の高い肉の形を己の欲求において屈折させたい。
と言うのが本心で、その上では魔女はあえて自分の心を虚構で覆い隠していた。
「思い出話はまた、もっとプライベートな所で好きなだけやっておこうかしらね」
魔女はそうしている。
選択をせずにはいられないほどには、エンヒの表情には今のところ過去と面を向き合わせるような余裕が許されていない事へ想像を至らせていた。
「そんなことよりも──」
魔女と魔法少女、エンヒは自身よりも何割も背の低い女性共の視線を軽く受け流しつつ。
エンヒはそれ以上に、今この瞬間においてより集中を捧げるべきであろう事実に意識の方向を、先ほどの説明以上の滑らかさで実行していた。
「なんだか、男性陣がまたお悩みを相談しているようね」
エンヒがそう言いながら爪先の向きを変えている。
そこでは引き続き、「現象」を治癒するための作業が繰り広げられている。
「糸は用意できたな」
「傷」と言う名称において、人々の間で認識されている。
限りなく自然現象に近しいそれは、すでに最初のキラキラと瑞々しかった輝きの大部分を損失させられている。
エミルは若干赤黒くなりかけている「傷」の前に立って、その両の指にはマスキングテープほどの幅に切り刻まれた布が用意されていた。
「糸っていうか、どっちかっつうとハチマキだと思うけどな」
エミルの手の中に握られているそれを眺めながら、オーギはより事実に近しいと思わしき感想を呟いている。
若い魔法使いが口にした通り、確かにエミルの指の中にあるそれはとても糸とは呼べそうにない。
それは布を細く長く切り刻んだものでしかなく、糸のような繊細さはどこにも見受けられない。
およそ一メートル以上の長さがあるだろう。
エミルは細長い布と一緒に、左手の中にはまだ鋏が漆喰のように暗い色をした持ち手を、博物館の照明にツルツルとした表面を反射させている。
「出来るだけ余裕を持たせておきたかったが……。しかし、これはちょっと作りすぎたかもしれへんな」
エミルは鋏と布を持ちながら、大して後悔を抱いている風でもなく、ただ単に感想だけを口の上に並べている。
「出来るだけ服としての原型を残したかったんやけどな、結局ほとんど布を使い果たしちまったわ」
エミルは一応悪びれた様子を、その深い青色の瞳にそれとなく浮上させながら。
しかし挙動は至って平然とさせたまま、脇に抱えていた布の塊を。
元々、ほんの数分前までは衣服としての存在意義を世界に主張していたであろう。
だが今はその体を裁ちバサミによる二枚の銀色に、逆らう術も運命も与えられることなく断絶させられている。
エミルはくすんだ金色の前髪の下で、その青い瞳に大人らしい笑顔を固定させながら。
鋏を左手の方に携えたまま、右の腕で布を。
かつては衣服であったはずの、暗い色の柔らかい残骸を元の持ち主へと戻そうとしていた。
「ありがとうな、えっと──」
「トゥーイ、と、ゥーい、です」
エミルが服の持ち主である青年の名前を口にしようとした。
音が男性の、若干潤いが足りていない唇の形を変えようとする。
そうするよりも先に、名を呼ばれかけていた青年は自発的な行動において、自らの名称を音声の上に発している。
「わたしの名前はトゥ、うー、イ。シーベットライトトゥールライン、です、ですで」
トゥーイと自らを名乗る、青年は色素の少ない指を己の首元へ。
同じく血液の気配がとてつもなく少なく、廃棄された陶器人形のそれとよく似ている色合いの肌の上。
そこには一気の小さな機材がある。
成人男性の首をクルリと巻きつけられるほどには長さが足りている、首輪のように見える機材をトゥーイは指でカチカチと弄くっていた。
「あ--- a---あ、こふこふこふぃ、nnnn」
青年はその、首に巻いている小さな機械を使って音声を発しているらしく。
どうやら機械の調子が少し狂っているらしい、彼は何とか不具合を調整しようと首元に触れつづけている。
モスキートの羽音の如き不快な音色の中で、トゥーイという名前の青年はまるで自分の首を絞めるかのような恰好を作っている。
その様子を見て、エミルの方は特に何かしらの異常性を抱こうとする素振りもないまま、平然と安定を徹底させたまま物品を返却することだけを行っている。
「ほら、これ返すから。……ああそうだ、これも返さんといかんな」
エミルが若干の強引さの中で、布で出来た残骸をトゥーイの腕の中へと戻す。
そこで、彼は手の中にあったもう一つの物品について考えを至らせていた。
彼は左手の中に逸れの重さを、革靴に包まれた爪先は軽い足取りでメイの方へと近付いていく。
「はい、これありがとうな。お陰で助かったわ」
エミルは左手の中に刃のヒンヤリとした冷たさを、暗い色の持ち手がその曲線をメイの方へと差し向けられていた。
くすんだ金髪の、大人の男性に礼を伝えらえた。
メイは指で鋏を、自身の持ち物であるはずの刃を受け止めながら。
はて、何を言ったものかと一瞬考えを巡らせかけさせ。
しかしながら、ここで何かを必要以上に言う必要はないと、結局は簡単な返答だけを微笑みの中で流し込んでいる。
「ようし、よしよし、後は集中力あるのみ」
準備は整ったと。
メイがポシェットの中に裁ちバサミを仕舞っている。
彼女の聴覚器官へ、エミルがそれまで以上に活力を意図的に含ませた声色を使用しているのが聞こえてきた。
「おお、ついに始まりますよ」
魔女ががま口状の蓋をパチン、と閉じている。
椿色の視線が下を向いている、その白くて細い方へキンシの指がそっと優しげに置かれてくる。
「やっとこさ、それっぽいのが見られそうです。いやはや、随分と待たされましたよ」
魔法少女は心を昂ぶらせている。
おそらくはほぼ確実に、円いメガネのレンズの奥で緑柱石色の瞳を、さながら獲物を前にした獣のようにキラキラと煌めかせているに違いない。
想像上の眼球は、限りなく現実に近しいままで情報と言う名前の形を求めている。
それに答えるかのように、エミルの手の中で布の切れ端がゆっくり、ふわりと浮かび上がったのが同じ刻の内であった。
驚きの声を、それと思わしき感情の声色を使ったのは二人だけ。
魔女と魔法少女。
だが彼女らの合間にですら、それぞれに込められている感情の色合いは、同調と同意からかけ離れているものでしかない。
女の吐息が空気を揺らして、溶けた唾液の細やかな粒子が空気中の類似品とぶつかり合う。
「……」
低く浅く、エミルは滑空をする小鳥のように静かな呼吸を意識の中で連続させている。
くすんだ金髪の下。
瞼の中の眼球、深い青色の虹彩が認識をしている世界の中。
そこでは小規模な事象が起きている。
風圧の無い台風が、水を含んでいない渦潮が、砂の匂いがしない流砂がある。
グルグル、グルグルと、エミルの手の中には回転が起きている。
それは赤色をしていた。
林檎飴と同じ色、祭り屋台の裸電球の下で丸みをカチリカチリと寄せ合う、新鮮そうな色は思い出の中で実体のない触れ合いを想起させる。
赤い渦巻はとても柔らかそうで、その質感はとても見覚えのあるものでしかない。
「ああ、トゥーさんの服だったものが、端切れが……」
椿の魔女に寄せていた顔を元の位置に戻しながら、キンシが事象に対する情報を独り言のように密やかに呟いている。
魔法少女がそう口にした通り、今エミルの手の中で起きている渦巻きは、他でもないトゥーイの衣服から切り取られたはずの布の幾つかによって構成されていた。
「廻して廻して、よし……よし、そのまま大人しくしておいてくれよな」
エミルは両の掌を天に向けている。
まるで何か、尊いものに向けてものを差し出すような格好になっている。
エミルの手の中には赤色の渦、布が赤く変色してトルネードを描いている物が浮かび、やがてそれらは一つの細い筋へと変化していった。
「廻って、捻じれて……」
エミルは開いていた手をいったん閉じる。
左手を降ろし、右手はそのまま。
右の指、人差し指の先端。
桃色の肉の気配がある硬さが、空中に浮かぶ赤い糸の渦巻きへ、赤子へ口づけをするかのようにソッと触れる。
「刺さって溶けろ」
指先はそのまま下へと、糸も降下をする。
赤色の糸は人間の意図に従う。
林檎か、あるいは人間の体液の色にとてもよく似ている。
魔法の糸は螺子まきをしたまま、シュルリシュルリと「傷」の中へと滑り、溶けて。
消えて無くなる、そう誰かが考えようとする。
それよりも先に、消滅したはずの赤色は「傷」の表面で、風船が膨らむように存在感を増加させ始めていた。




