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 エミルがそう提案したのを、オーギという名の若い魔法使いは一瞬ほど静止すべきか、それともここは一つ傍観をキメこむべきか。


 オーギが迷っている、その間にもエミルと言う名前の男性はすでに素早く、手早く行動に映してしまっていた。


「ふむ、ふむふむ……。見た感じよりも柔らかくて、底も深そうだな」


 エミルは軽く身を屈めて、ドラム缶式洗濯機から物を取りだすような格好になりながら。

 現在において目の前に展開されている現象を見て、触れて確かめている。


 彼の腕が、袖の長いジャケットとシャツに包まれた腕はその場所へ。

 この世界において「傷」と呼称される、限りなく自然現象に近しいと思われる。


 そう言った現象が発生している部分に伸ばされている。


 指先の爪、若干表面に幾つかのでこぼことした疲労感が見えながらも、血色や長さにおいておおよそ健康的の範疇(はんちゅう)に組されるべきであろう。


 そんな感じ、具合のエミルの爪が「傷」へ触れている。


 大きさとしては、バスケットボールをもう少し大きくさせた程度ぐらいか。

 小さいと思えばそれまでで、同時に存在を無視できない程度にはサイズ感が足り過ぎている。


「あー……っと、それで発現したヤツは、どのくらいの大きさだったか憶えているかな?」


 エミルがさらに姿勢を低くして、すっかり集中しきった様子で近くにいる誰か。

 この場合においては、オーギの方に意図の大部分を向けた質問を発している。


 エミルに、城と呼ばれる建造物からやって来た、おそらくは魔術師の側に存在をしているであろう。


 彼の質問文を耳に受け止め、オーギという名の若い魔法使いは一瞬たじろぐような感覚を覚え。

 しかしそれを素直には認めようとはせずに、オーギはせめてもの抵抗といて努めて平静を保つことを意識しようと。


 そうしていながら、そんな感じの意識の上で若き魔法使いは頭の中、脳味噌の内にまだまだ鮮度を失っていない記憶をつまみ上げていた。


「そうっすね……。割と大きかったような、とりあえず「それ」の深度からはあまり想像できない程度には、肉も骨も、眼球も丸々と超えていた様な気がしますね」


 オーギはおおよそのサイズ感を、出来る事なら数値的に計りながら言葉の上で伝えてみたいと考えていた。


 だが咄嗟に数字が思いつかずに、結局は比喩表現に頼った手段を選んでいた。

 なんとも、かんとも、魔法使いと言う生き物はどうにも、どうしても数字に弱い傾向があるらしい。


 オーギが、その大して長さがある訳でもない人生において、すでに何度目かも判らぬ自己嫌悪をクルリと一回転させている。


 それを他所に、エミルの方は現場にいた魔法使いによる供述について、ひとり勝手に考察を次々と展開させているようであった。


「現象の深度と敵のレベルがほぼ確実に比例する、という訳ではないにしても……。それにしても、よくもまあこんな狭苦しいところから捻り出したもんやな」


 エミルが特に表情を動かすことなく、ただその深い青色をした瞳の奥にしみじみとした色合いだけを浮かばせている。


 その様子、まるで近所で起きた火災の焼け跡を見物してきたかのような、そんな他人行儀。


 だが、同時に向ける感情としてはおおよそ常識の領域に属している。

 だからこそオーギはついつい同意の言葉を唇に発しかけて、それを喉元の辺りで意図的に制止するようなことをしていた。


 今は、こんな所で安っぽい同調意識を育てている場合ではない。


 オーギは抑止力の勢いに導かれる要領で、唇の形を本来の感情から少し離れた場所へと移動させようとしている。


「それで? あんたの判断としてはこれを閉じれるか、そうでないか。どっちなん?」


 他人行儀を意識しすぎて、どことなく素っ気なく傍観者じみたものになってしまっている。


 エミルの方はオーギの心理戦を知ってか知らずか、仮に認知していたところでそんなものはさしたる問題ではないと。


 そう思えてくるのは、男性がすでに次のアイディアを行動に移している事に起因していた。


「そうやな、起きた事象なり事情はともかく、「これ」そのものは大したモノでも無さそうやし。多分、応急処置ぐらいならオレにもなんとかなる、と思うかな?」


 エミルはわざとらしく疑問形の(てい)を作っている。


 それは自分自身に向けているというよりは、クエスチョンマークの音色をそのまま質問事項の最終確認に使用しているといった雰囲気がある。


「そう……そうですか」


 オーギは相手の反応に少なからず意外性を抱いている。


 完全なる拒絶感を痰混じりの唾と共に叩き付けられる。と、そこまであからさまで解りやすくとは、流石にいかなくとも。


 それでもオーギの頭の中では、どうにもこのエミルと言う名前の男性が、城からわざわざここまでやって来た魔術師側の男性が快諾をしてくれること。


 つまりは、今現在、現実において男性が表情の中に浮上させている選択をするという、イメージに温度の伴う実体を持たせられないでいた。


 こんなものは勝手な想像、妄想でしかない。

 故に決して現実に介入をすることなどしない、もしそうだとすればとんだ思い込み、思い上がりも甚だしい。


 オーギはそう考えていて、だからこそ今まさに小規模な、それこそ彼の目の前に存在している「傷」程度にはささやかな自己嫌悪に指先を浸しかけている。


 だが、この若き魔法使いが何を思おうとも、そんなものは他人に何一つとして意味を為すことをしていない、するはずもなかった。


「そいじゃあ、まずはブツの洗浄から始めますかな」


 水底の気泡のように発声したオーギのネガティブは、しかしてエミルのひらめくような指示の前にいとも簡単に霧散していた。


「なにか、手頃なものを貸してもらえると助かるんだが……」


 エミルがそう言いながら、右の手の平を上に向けて指先をヒコヒコと曲げ伸ばししている。


 「なんか寄越せ、お役に立つものを寄越しやがれ」のジェスチャーが意味するところを、オーギが理解するにはさして時間を要することはなかった。


「えっと、ちょいとお待ち……」


 オーギはすぐさま自分の足元にある薬箱。

 

 まだオーギの内層へ「仕舞って」はいなかった魔法用の道具に触れて、軽く閉じていた蓋を指先だけの力で軽々と。

 縦すべり出し窓のように、開かれた蓋の中には相変わらず大量のガラス瓶、その透明な内部に満たされた魔法の水薬が所狭しと収められている。


「「それ」の消毒に使えるようなものが、んー? ちょうど良いのがあるかどうか……」


 オーギは膝を曲げた格好になりながら、自分が今持ち合せている備品でエミルの要求に該当する、と思わしき一品を探り当てようとしている。


 エミルが要求しているのはつまり、「傷」に取りついた余分な魔力を除去する作用があるもの。

 ちょうど人間の皮膚が損傷を起こした際に、中身に雑菌やらウイルスやらが侵入しないよう洗浄、消毒をするかのような。


 そんな感じの目的を男性は要求している、オーギはそれを理解した上で指の先を望む方向へと定められないでいた。


「うーん、しまった……こんな事になるんやったらせめて、ちゃんとそれらしい物ぐらいは作り置きしておけばよかったな……」


 オーギが一人でブツブツと、何の有効性もない後悔だけをひそやかに呟いている。


 囁き声と小声の中間地点。

 若い魔法使いの声色に含まれる、決して明朗とは呼べそうにない声色へ相乗をするかのように、彼の指の間ではいくつものガラス瓶がカチャリ、カチャリとバッググラウンドミュージックを奏でていた。


「あー……何もそこまで本格的なものは必要なくて、洗って流して落とせるならなんでも……」


 それなりに真剣そうに吟味をしているオーギに、エミルが妥協という名の追加注文をしようとしている。


 と、そこで男性の濃い青い瞳が一つのものをとらえていた。


「あ、あー……? それ、それ見せてくれないかな?」


 背中を軽く丸めているオーギの背後から、エミルは人差し指を伸ばして魔法使いの背中越しに一つの物を指し示している。


 背後から伸びてくる男性の声から、オーギはまず振り向いて彼の指先を、そこから方向が定めている線を辿ってもう一度視線を自身の薬箱の中へ戻す。


「これ、これっすか?」


「いやいや、違う違う。もうちょっと右、ああ、行き過ぎた」


 そんな感じのやり取りを少々。


 やがてオーギの指の中には、エミルが望んでいる物の正体と実体を肌の上に探知していた。


「? ? ええ……?」


 そして、その上で、男性が要望したものを見つけられたからこそ、オーギは盛大に首を傾げずにはいられないでいた。


「これ、これ? で、本当に間違いないんすか?」


 疑念を隠そうともしない程に、オーギはそこでようやく素直な気持ちをエミルに向けていた。


「ああ、そうだな」


 あからさまな疑いを向けられていながら、しかしエミルは何の躊躇いも見せないままに右の指を魔法使いの手の中のそれへ。


 それは、ガラス瓶の内に収められた水薬と言う点においては、薬箱に内蔵されていた他の物と共通をしている。


 注目するべきなのは形状そのものと言うよりも、その瓶に殴り書きのような筆跡、おそらくはオーギが記したであろう詳細について。


 そこにはこう書かれている。


[肉の香り、焼肉の匂い。浮気その他の喜ばしくない用事を覚られぬよう、これで嘘を作る]


 それはまさにオーギの、つまりはこの[肉の香り]がする香水をつくった本人による、いわゆる所のメモ書き程度の情報しかない。


 そして同時に、その大人の中指程度の大きさをしたテリーヌのような形状の、ガラス製の瓶に収められた水薬。

 匂いを発生させる物質を溶かした、液体に与えられた役割がこの汚い文字に全て語られていた。


「肉の香り……」


 他でもない、自分自身が作成したはずのそれに向けてオーギが、さながら信じ難いものでも見るかのような視線を送っている。


「肉の香り! 素晴らしいな」


 若き魔法使いが困惑を浮かべている。


 製作者の感情をよそに、物を要求したエミルは妙案を得たりと言った快活さで、右の指に活力を満たそうとしている。


「焼肉、ということはあるいは、鶏肉の匂いにも対応しているかな? ああ、でも流石に、ウサギ肉には範疇の外かな?」

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