時報 ときどき怪物に食べられるでしょう
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ういろうはようかんみたいなものだと思ってください。
朝の時間はまだ残されていた。
会話のない生活音だけの沈黙が、長方形に伸ばされてある居住スペースに積もっていく。
トゥーイは自分で用意しておいた、ガラス製のコップに注がれた水に口をつける。
埃が浮かんでいるぬるい液体が、青年の喉を鳴らして腹の内に収まる。
ゴクリと液体を飲み干した、トゥーイの姿をキンシは寝ぼけ眼で眺めている。
青年を語る上で何よりまず優先すべきワードが、白色、だった。
トゥーイという名の青年は、その髪も肌も雪のように真っ白な色を持っている。
新品の絵の具セットを購入したら、中身が全部ホワイトしかなかったかのような、それほどの徹底した白色が彼の体を支配し尽くしている。
一応肌と髪でそれぞれ異なった白色を持っている、皮膚の方はある程度メラニンの気配を感じさせる活力は灯ってはいる。
しかしながらなけなしの熱を否定するかのように、毛髪の白色が与える冷たい印象は強烈なものを持っていた。
雪が降ったとして、それが粉雪だったらこんな色をしているんだろう。と、キンシは勝手にそう思っている。
……といっても、キンシは生まれてこのかたこの灰笛で粉雪を目にしたことなど無いのだが。
ともかく、白色を基調とした髪の毛をトゥーイは後頭部の辺りで団子状になるように、ひっつめて丸めている。
後れ毛がまるで綿毛の一欠けらのように見える、サラリと下がる前髪の下にトゥーイの瞳が朝の気配を反射している。
色素の少なさが影響しているのだろう、トゥーイの瞳は葡萄酒のような色を持っている。
色々と、色々な色が欠落している青年の体に、唯一許された紫色が今日も今日とて朝の作業を行うための冷静な作業を実行していた。
必要なだけ発音をした青年は、特に空気を彩ろうという気遣いなど全く見せなかった。
今はただ目の前の子供が朝食を終了させるのを待ち続けている。
もしこの場面に、キンシとトゥーイの面倒臭い身の上話を全く知らない人がいたならば、彼らのやり取りが酷く珍奇に見えることだろう。
それは彼ら自身もよく自覚し、そして十分理解しきっていることだ。
だからこそ、最早何も言うことは無かった。残念ながら今この部屋にいる二人には、自身の状態に疑問を持てるほどの新鮮さは既に失われてしまっている。
それは喜ぶべきか、いやもしかしたら悲観すべきなのかもしれない。
ぬるくなった白飯をかきこむキンシは、喉でその温度を感じながら一人思考した。
「慣れって怖いなあ」
キンシの呟きにトゥーイは少し不思議そうに耳を傾けたが、すぐに元の沈黙が戻る。
やがて食事も終わり、キンシは箸をおいて再び手を重ね合わせる。
「ごちそう様でした」
キンシが立ち上がる前に背伸びをする。そして外を眺めた。
「今日は…、いつも通りの天気になりそうですね。仕事、早く終わりますかね?」
「そのこと私には少ない情報が、確かな根拠もなく私には推測判りません」
トゥーイも外を見つめながら答える。
「まあそうですよね、天気はどうなるか判らないものですし」
キンシは諦念するふうに立ち上がり、一応の予定を決めようとした。
「どのみち買わないといけない物もありますし、今日は帰りにショッピングをしましょう」
「承諾ありがとうございます」
「ついでに新発売のお菓子も買いますか」
「それは承れません」
「んるるー! ケチ…」
トゥーイが流しへ食器を片づけている間、キンシは小さいカーテンの向こうで外出用の服へと着替えた。
青年の和毛に包まれた耳の中で、水の流れる音と衣擦れの音が混ざり合う。
三角に尖る耳が、ささやかな音の変化にいち早く気付き震える。
居住スペースの壁に掛けてある、一分ほど針が早く進んでいる振り子時計が時刻を示す。
ボーンと音が鳴る。
食器が洗い場の水に浸される頃、慌てた様子でカーテンが開かれた。
「んるるるる……! 眩しいっ、眩しいですよー!」
喉を鳴らしながら、大袈裟なアクションにて、キンシは己の体を貫く光の存在について訴えかけていた。
「まったくもって、どうして朝日というものはこうも煌々と神々しくあるものなのでしょうね?」
朝日の眩しさについて、ぶつくさと文句をたれている。
キンシの様子に、トゥーイが返答と思わしき音声を発していた。
それを耳にして、キンシは不満の色をより濃密にさせている。
「ええ、ええ、わかっていますとも。僕ごときが一人、一人ぽっちで愚痴をこぼしても、どうにもならないことは」
朝が始まってしまったこと。
一日が始まってしまったこと、また一つ人生の経過を余儀なくされたこと。
そんなこと、当たり前のことにいちいち不満を抱いたとて、はたしてその行為になんの意味があるというのだろうか?
そういった感じの反論を、キンシはトゥーイの存在している方角から認識していた。
青年の意見はもっともである。
キンシであっても、それぐらいの事は承知している。
つまりは、適当なところで諦められる事象。
ただそれだけのことに過ぎなかった。
「はあーあ、僕の憂鬱も何とも矮小で脆弱なものでしかないんでしょうね……」
当たり前のことを、キンシはさも重苦しい決断でもしたかのように、オーバーな素振りを演出しようしていた。
毎朝、毎朝。
飽きもせずに夜へと執着し、朝日の輝きに反抗期を起こしている。
それがこのキンシという名前の人間の、朝の習慣の一つであり。
そしてその行為は限られた人間にしか見せない。
人間誰しも抱えているであろう、いわゆる「ちょっと恥ずかしいところ」の一部分。
それらはキンシという名前の魔法使いの、秘するべきプライベートゾーン。
弱点を惜しげもなく見せている。
トゥーイの紫の色をした瞳が、魔法使いの柔らかい場所を見ていた。
「…………」
と、そこで彼の瞳が違和感をとらえていた。
「ん?」
トゥーイの目線にキンシが気付く。
それとほぼ同時、同タイミングにて。
「giigiiioooo oo((((@@」
とてもこの世の生き物としても体を成していない、だがどうしようもない程に現実味に溢れかえっている。
それは悲鳴かと聞き紛うが、しかしこの部屋に存在している人間には、別の意味を有していること。
ただそれだけが理解できていた。
理解ばかりが着飾る、裸の認識の素肌を「それ」がその身によって貫いていた。
「ごうっ?」
同じく形容しがたい呻き声をあげているのはキンシの姿。
短く切られた黒髪の、後頭部辺りに不思議な膨らみが一粒。
色はキンシの毛髪と同じ、あるいは純正という面においては、その「丸いもの」の方が優れていたかもしれない。
真っ黒な、それはどうやら生きているらしく。
何事かをモニモニと蠢かせながら、ツルリとしている表面が確実にキンシの後頭部を浸食せんとしていた。
トゥーイが驚愕の声を発する。
それは昨日紛失したはずの、「怪物」の切り身の一欠片ではないか。
「なんで?」青年と同様にキンシも驚いている。
だがそこに含まれる意図は、青年のそれとは大きく異なっていた。
「なんで? それが、今僕を食べようとしている? 頭から!」
本人にしか知り得ない感覚。
たった今、怪物に捕食されんとしている者だけが感じることのできる恐怖。
キンシの緑玉の色をした右目に恐怖が駆け巡る。
だが、死の恐怖以上に恐るべきものがあるらしかった。
「うわー、だめですこれ。あっ、そこはちょっと……」
なんのことやらトゥーイにはさっぱり解せぬが、キンシは頬の肉に快感めいた色彩を滲ませていた。
「柔らかさが、柔らかさとうねうねが、クセに……」
一応トゥーイにも伝達するように、キンシは頭部をういろう状の怪物に食べられている感覚。
その感動を表現しようとしていた。
その様子、挙動にはすでに恐怖の欠片も感じられない。
何とも気持ち良さそうで、実に楽しげであった。
「…………」
トゥーイが深々とため息を吐き出した。
そのすぐあとに、彼は魔法使いに急いで頭部の怪物を処理するよう、あくまでも物腰柔らかに通告した。
「えー、もうちょっとー」
魔法使いが反論、という体すらも保てていない、只の駄々をこね繰り回していた。
ふるふると頭部が左右に揺れる、魔法使いの動きに合わせて、怪物の表面もプルプルと震えていた。
「このまま殺してしまうのも、もったいなくないですか?」
勿体無くはない。
人間を食べようとする怪物は、「怪物」と呼ばれる生き物は、絶対に殺さなくてはならない。
それがこの世界のルールで、灰笛における常識で。
そして、その怪物を殺すのが、この場所における「魔法使い」の役割なのだから。
トゥーイはすぐに殺害のための準備をする。
急がないと。
朝という時間に彼が受け入れられるわがままには、残念なことに限界というものがある。
そしてその基準のほとんどは、青年にとってこの世界で一番大切で、重要な人間。
彼の目の前で楽しそうに笑っている、魔法使い一人のために限定されていた。
現状、古城の主は六十八代目とされている。