ブレまくっている
メイと言う名前を与えられた魔女は、キンシの左半分を音も無いままに眺めている。
そこは彼女の体の一部であることには変わりない。
しかし同時に、どうしようもないほどに異様な光景が、そこには広がっている。
キンシの左頬。
若干血色が悪いながらも、水分と肉の張りは充分なほどに満ち足りている。
形、細胞の形状においてのみいたって健康的なそれしかない。
だが、やはり見れば見るほどに、そこには異常性が満ち溢れている。
キンシの肌、表皮を構成する表面の広がりと繋がり。
そこには異様な光景が、刻印のように見える何かしらの模様がまざまざと、不気味な色をもたらしている。
それは火傷が細胞を破壊して、その後に生命における防衛本能のもとに自己修復を行ったかのような、ケロイドのように薄紅色でプヨプヨとしているように見える。
あるいは、道路の片隅に落ちているガラス片で雑に、ザックリザクザクと、何もない表面を赤色が茶色に乾くまで延々と切り付け続けた。
その後に、なんの処置もしないままに自己治癒能力の思うままに結合をさせただけの、赤紫色のサラサラとした残骸のようにも見えてくる。
とにかく、およそ普通で通常なる人間の肌と、そこの模様は大きく異なっている。
割れた花瓶が、その後はどのようにボンドなり糊なりで取り繕ってみたところで、もう二度と割れる前の形を得ることは永遠に叶わぬように。
徹底的な破壊が為された、その後に残骸と焦土が延々と広がっている。
キンシの左頬、左半分には大量の傷跡がそこかしこに刻み込まれている。
それはただ単に、その昔に何かしらの悲しき自己などで被害をこうむっただとか。そんな悲劇性があるという訳でもない。
その傷痕は、少女の体を這い回っているそれはどうしようもなく人らしい健康体とは大きくかけ離れていて。
だがそれと同時、同等と同様において、如何ともしがたいほどに人間じみた雰囲気を孕んでいる。
メイは瞬きを一つして、暗闇が通り過ぎた後に眼球へ潤いが補充されている。
痛みを感じる寸前のところで、メイと言う名の魔女は自己の内に限定された活動の中で、視界へ鮮明さを補強させている。
そんな魔女の眼球には、やはりキンシの左半分を占めている傷の様子が見てとれていた。
瞬きという、ごくごく短い修復作業だけでも、メイは魔法少女の肌に走るそれが自然発生的なものでは決してないと。
そう言った、確固たる確信が改めて確認されている。
一見して無造作に、自由奔放そうにキンシの肌を苛んでいるように見える。
だがそれは普通の怪我、傷痕とは大きく異なっている事を、メイの眼球はすでに何で目かも判らない確認作業を滑らかさの中で行っている。
その傷痕は、果たしてそう言った名称を使えるかどうかも怪しい。
それはどちらかと言うと、模様のようにも見えてくる。
限りなく肉の色そのままに近しい、模様はさながら肌の中に一定の規則性、デザイン性を持たせながら墨を直接掘り込んだかのような。
つまりは刺青のようにも見えなくはない。
つる性の植物が支えを求めて緑色を伸ばすかのような、くるくるとした繊細なうねりの模様。
それと同時に、線が描く曲線は異国情緒を想起させる文字、あるいは文様のようにも見えてくる。
「ん? メイさん、どうかしましたか」
時間にしてみれば三十秒以上、一分を満たすほどに観察をしてしまっていたらしい。
向き合うような格好で、メイがじっと自分の方を見つめてきている。
それをキンシが、わずかに戸惑った様子でやんわりと疑問を抱いていた。
「やだなあ、そんなにジッと熱い視線を向けられてしまうと、僕のほっぺたに赤い炎が灯りますよ」
そう言いながらキンシは、実際に頬が火照っているのを左の指の腹で、物理的に抑え込むようにして触れている。
少女が自らの肌を撫でている。
左の底にはハートに時計の針を貫通させたかのような模様が刻まれている。
色はくるくると、渦を巻くようにして円みを形成している。
肌の明暗はキンシ本人の感情と相乗をするように、肉の下の血流が増えれば傷痕にも赤みが増幅させていた。
「ううん、なんでもないのよ……」
そうやって左頬をおさえている、メイは少女の左指にさえ模様が容赦をしないように刻み込まれているのを、言葉の裏で視界にしっかりと認めている。
「ですが、それにしてはまるで、僕に対しに何かしらの要求をしているかのような面持ちでありましたから」
キンシがそう主張している。
それがいったいどういう意味なのか、果たして自分は今どんな表情で魔法少女のことを眺めていたのだろうか。
少女の指、薄い皮膚の下に幾つも密接し合う骨と関節。
秘された白い骨格の膨らみの上を、山あいを滑るハイウェイのように走っている文様の数々。
「べつに、いま話したいことなんてなにも……」
健康で「普通」な肌のしわと、そうじゃない部分のつるつるとしていそうな傷跡の質感。
色の違いを傍観して、俯瞰した視点の中でメイは言いわけを口にしようとする。
「なにも……?」
だが、言葉の意味を最後まで結びあげるよりも先に、メイは椿色の瞳の中に一つの思案をひらめかせていた。
「うんん、そうだ……そうよキンシちゃん、あなた柔らかいものをあやつるのが得意、だったわよね?」
メイは思いついたままの考え、イメージを言葉として整理する暇も無いまま。
思考による県動力に導かれるままに、戸惑うキンシを置いてけぼりにさせたまま。
その手を、ちょうど頬の冷却作業を終えて、メイの身長が適用される範囲にまで腕の位置をを戻していた。
メイと言う名前の、椿色の瞳をした魔女は少女の腕を、長袖の下にもおそらく先述したもののあれこれが秘められているであろう。
そんな感じの、どうしようもない程には人間らしい体の一部。
魔女はそれを掴んでいる、キンシは彼女の腕の力に誘導されるままとある方向へ。
エンヒとエミル、男女が何かしらの討論を繰り広げている現場へと導かれるままにしていた。
「なに? ドライ用簡易魔術式も持ってこなかったの? どんだけ慌てていたのよ……」
エンヒという名の女性は、どうやら何かしらこの世界における必需品と思わしきものの名前を口にしながら。
目の前の男性がそれを用意しなかった、しようとしてはいたが、ここに来るという行動の前にその必要性をすっかり頭の中から忘却させてしまっていた。
エンヒはその事実に呆れを口にしながら、しかしエミルに対して何か同情心を掻き立てられそうな欲求を堪えているようにも見えてくる。
「ほら、な? 久しぶりに友達から連絡をもらったもんだから、オレとしてもガキっぽくテンションが上がっていたんだと思うな」
博物館の女性が溜め息を向けている。
エミルはその表情から意識を外そうとしないまま、色の濃い青色の視線をチラリとトゥーイのいる方へと向けている。
まるでこの場合、状態の原因の一端のそもそもは青年に深い一因があると言わんばかりに。
そして、エミルのその言い訳はおおよそにおいて正当性が、少なくとも半分以上は含まれているであろうと。
「………」
トゥーイは、先ほどからずっと、それこそエミルが自身の呼び出しにはせ参じる。
その間もずっと、傷の様子を監視していた青年が電話の相手に若干ながら非難めいた視線を向けられている。
トゥーイにしてみれば、くすんだ金髪の彼が自分に文句を言いたい気持ちを、それなりに充分理解を至らせていた。
「……………」
その上で、青年はあくまでも彼の感情をここで対応することをしようとしない。
何故なら、彼の視線は本当のところを言ってしまえば、その紫苑のような虹彩の色彩の端程度にしかエミルを認めようとしていなかった。
なにも別に、くすんだ金髪の男性のことを見ようとしなかった、存在を否定したいつもりで視認を実行しなかった、という訳ではない。
青年は、単にエミルに対してなんら興味も、好奇心と思わしき感情の震えを覚えようとさえしていなかった。
無関心とはまた異なる、そこまで徹底的な心の虚無を有しているといえば、それだとあまりにも要素が決定的すぎている。
実際トゥーイがもしも彼に関心を抱いていないとしたら、そもそも、わざわざ先輩魔法使いの携帯電話を借りてまで連絡を取ろうともしなかったであろう。
そうだとして、だとしたら、このトゥーイといった名前でよばれている青年は何を見ていたというのか。
その答えは、当然のことながら青年自身にはあまりにも明確なものだった。
「すみません、ちょっとごめんなさいね?」
エンヒとエミルがひとしきり世間話と思わしき段階を終えて。
さて次はどうしたものか、会話をしてみたところでエミルの体表を染める問題点が解決できるわけではないと。
男女のどちらかともなく、ありきたりな現実に発覚をいたらせている。
その空間の合間に滑り込むのように、メイの声が少女の足音と共に彼らの元へと伸ばされていた。
「ちょうどここに、ウチのほうで「水」を……。それらしいモノをあやつるのが得意なコがひとり、ここにいますよ?」
メイはその白くて鋭い爪の先、右手に魔法少女の左腕を掴んで引いている。
「「ミズ」……? ってつまり、液体……? を操るのが得意ってことでいいのかしら」
幼い体の、椿色の瞳を持った魔女がそう主張する。
彼女の白くて細い腕に引かれる形で、キンシと呼ばれている魔法少女が自分たちのほうへと向かってきている。
エンヒはその様子を、魔女の声と同時に認めながら。
誘導されるがまま、どこか戸惑った様子で眼鏡の奥の視線を不安定にさせている少女を見やり。
エンヒはまず、細かい段階をはしょりながら提案の旨を確認しようとしている。
「ええ、ええ……え、えっと、その……」
当のキンシは、魔女の考えに関しては特に疑問を抱くことはしていない。
そうであったとして、なぜ少女は上手く言葉を発せられていないとしたら、その理由は特に何の捻りもない。
魔法少女は緊張しきった面持ちで、自分に役割が与えられているという状況。
それに対して、心臓の赤い肉を情けない程にバクバクと爆発させんが勢いで振動をさせていた。
「でで、で、できます、出来ますとも! 僕は柔らかいもの、特に水とか、とかとかとか、を操るのを得意とした魔法が使えますとも」
なにも嘘をつく必要はない。
魔法少女は頼まれたことを素直に許可するだけ。
出来るだけ失敗をしないように不安を胸の内にともらせながら、確かな能動性の中で行動を起こそうとしている。




