表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

396/1412

今更こんな緊迫感

「呼ばれて飛び出て、走ってきて、歩いてきて。こんにちは。やあ、元気かな?」


 現れた男性、若干くすみ気味の短い金髪と、晴れ間の海原の深さと同じ虹彩を持つ。


 彼の名前はエミルと言うらしい。

 自らをそう名乗っている男性は、なぜかまず最初にキンシの方へと挨拶をしようとしていた。


「えっと、君の名前は何かな? 伝えられるものの範囲で構わないから、ぜひとも教えてくれないかな」


 一体どのような基準で少女を選んだのか。

 彼はどのようにこの状況を把握していたのだろうか。


 彼の腕、布製のジャケットに保護された腕が対話相手へと伸ばされる。


 腕は空間を撫でる。


 そこは博物館の内部。期間限定の企画展示を行うための空間、そこの片隅。


 そこではちょっとした事件が生じている。取るに足らない、かと言って放置すれば人間の、人間による社会的生活に害を及ぼすと判断されるもの。


 キラキラと。謎に光り輝いた切り傷のような、隙間から覗くのはライトに照らされたガラス細工のような輝きの数々。


 奇怪で摩訶不思議。この世界において、常識という名前のもの判断される基準。

 天秤の上で片側のさらに重さを与える。この世界、この現実に生息する人間という名の生き物にとって、有害の枠組みに属する。


 限りなく自然現象に近しく、だが同時に人為的なものとも呼べる。


 「傷」、あるいは別の呼び名があるかもしれない。だがおおよそにその名称が使用される。


 人間という名前の生命体にとって否定されるべき。

 現象は今、博物館の内部、キンシらのすぐそばでその口をパックリと開けかせている。


 名前を与えている現象からは、何の音も匂いもほとんど感じられそうにない。

 その現象はまるで出来たての傷、作りたての損傷ととてもよく似ている。


 その「傷」にはまだまだ新鮮さは失われてはいない。

 瑞々しい、しかしその状態はすでに継続性を怪しいものとさせている。


 いずれは渇き、腐敗への道を進むであろう。

 だがそれよりも先に、そこから膿の一欠けらでも現れてもなんら可笑しくは無い。


 それ自体が立派に一つの、一個としての災害であるはず。

 のにもかかわらず、その「傷」からは依然として新たなる二次災害の気配がムンムンと、雨が降る前日の夜中のような湿り気を大量に帯びている。


 危険が溢れている、限りなくゼロに等しいまでに底が見えていたとしても、それでも無きにしも非ず。


 そんな感じ。

 その現象はとてつもなく自然のそれに鼻先を近付けていて。それと同時に、否定しようも無い程に人間の臭いが染みついた泥が点々とこびり付いている。


 「傷」の周りに魔法使いたちは集合していた。


 それは一重に彼らがつい先ほど、十分と間を介することもない過去の時空において、執り行った殺害行為に関連するポジションと言えばただそれまで。


 その現象から顔を覗かせる、ある意味においては神にも等しき理不尽さを発揮するような。そんな物体をこの世界に蔓延らせるわけにはいくまいと。


 開かれた光の中から出現する個体、怪物という意味を与えられた物体を殲滅する。


 一匹残らず殺す、何がなんでも皆殺しにする。


 ホロコースト、虐殺のために魔法使いたちはこの場所に呼ばれていた。


 そしてことは無事に終了し、さて次は事後処理の開始であると。


 しかしそこで問題が一つ、魔法使いの彼らの誰一人として、怪物が身を潜めていた現象を元鳥の形へと戻すこと。


 この世界にとって正しい形、それに戻すための方法に精通している物が誰一人としていなかったのである。


 だからこそ魔法使いたちは為す術もなく、情けなく現象の周りで世間話でもつまみながら、待機する状況に甘んじることしか出来ないでいた。


 そこへ、満を持して登場したのがエミルであって。


 自らをそう名乗っている男性は、それこそまさに数限りない自然な素振りで彼らへと挨拶を交わそうとしている。


「やあ、やあやあ。皆さんお集まりで、その表情からしてみると、そちら側のお仕事はもうすでにひと段落ついたって感じかな」


 そこで気付く事実が一つ。


 エミルという名の男性はどうやら、トゥーイという名前の青年から電話貰った後から、割と急いでこの場所へと向かってきたらしい。


 その色素があまりない肌は、いまはまるで露天風呂につかっているかのように上気している。


 ほのかに紅がともる頬の下、肉と脂肪の下を満たす血流は毛穴に冷却用の体液を次々と噴出させている。


「いや、電話をもらった時は驚いたものだよ。まさか……えっと、名前は、トゥーイといったかな?」


 皮膚の上を濡らし、形成された雫は重力に従って内包物と共に顎の下を伝い落ちていく。


 だがエミルは自らの体をジットリと、殆ど自発的に苛む水に一切構うこともしないまま。


 それよりも、それ以上に自信が今この場所に存在していること。事実に対して驚きの念を主張せずにはいられないといった様子、のように見えてくる。


「お前から連絡を寄越してくるなんて……、ほんと、学生の時以来だっての」


 まるで友達に軽口をはたくような素振りで。

 もしかしたら実際に、男性と青年のあいだにはここではあずかり知らない間柄の過程が含まれていたのだろう。


「あんたはトイ坊……、ウチんとこのものと知り合いってことになるんか?」


 エミルがそろそろ汗の存在に気付いて、はて何で拭いとればよいものかと思案を巡らせかけている。

 そのタイミングでエミルが彼に、持っていたハンカチを手渡しながら、ついでと言った様子で質問を行っていた。


 若き魔法使いの右手に握られたハンカチが、同じく右側の、まだ何もわからない他人の男性の手の中へと収められている。


 その様子を見守りながら。オーギは挨拶もそこそこに、とにかく相手の事柄についてを多く検索しようとしている。


「知らんかったな、まさかウチに所属するメンバーで、城の魔術師の関係者との繋がりがあるモンがいたとはな」


 言葉だけでも十分なほどに、しかしオーギはそれ以上に音声として、投げかけた質問の中に決してポジティブとは呼べそうにない。


 むしろ、何処かしらエミルの所在を暗に拒否するかのような素振りを、特にためらいを見せるわけでも無いままアピールしているといっても差し支えないように見える。


 言葉を受け取り、しかしエミルの方は魔法使いとは相対を描くかのように、その表情には相も変わらず丁寧な笑顔だけが浮上をしている。


「いや、な。知り合ったのはもうずいぶんと前のことで、その時オレはまだティーンエイジャーだったし。トゥーイ? は……」


 エミルは聞かれたことにだけ必要最低限の情報を開示ながら、それ以外の要素をそれとなく、あくまでも自然な挙動の中でオブラートに包みこんでいる。


「まあ、とにかくそこの狙撃手さんとは、昔に色々と助けてもらったし。もちろん、友達として仲良くやらせてもらった、という事になるんだよな」


 自分と青年の関係性を簡単に説明しながら。


 しかしどこか、それが意図的であれ何であれ、どうにキッパリとした要領を得ていない。


 その理由として考えられることは幾つかあれども。

 少なくとも魔法使い連中にも、安易に想起することのできる事実が一つ確実にある。


「とにかく。まずは先日の礼をこちらから伝えるべきだな」


 質問をすることにそれ以上意味は無いであろうと。


 オーギは胸の内に抱く不信感とは裏腹に、彼自身にしてみてもどこか意外に思えるほどの滑らかさで次の話題へと移っている。


「この前はどうも、うちのもう一つの方の後輩の厄介事を助けていただいて……」


 オーギはまず頭を下げかけた所で、ふと忘却に気付いている。


「っと、今は一つじゃなくて二人、って言った方が正しいわな」


 前方に曲げかけた腰の方向を中途半端にさせたままで。

 少し変わった姿勢のままに、オーギは視線をメイの方へと向けている。


「ああ、えっと? そうなんだ」


 魔法使いのジェスチャーが意味をしている。エミルは特に戸惑うこともなく、ごく自然にメイへと目線を映し。


 彼女の、粉雪のようにサララサララとした前髪の下。

 霜柱のような睫毛に縁どられている。椿の花弁とよく似た色を持つ瞳を真っ直ぐ見据えながら。


 睨むこともなければ、眺めるという事もしない。

 エミルはただ単にメイの方を見て。


「あれから、結局は魔法使いの方で世話になることにしたんだっけな」

 

 言葉を使い、椿の色を持つ魔女に世間話を持ち掛けようとした。


「どうかな? その後の調子は。元気にやってる?」


 その質問はかなりアバウトなもので、それはつまりエミルの方としても、いまさら魔女に追及をするようなことは無いという。


 温度もにおいも、質感も肉も何もない。

 無関心を、表面上に装っている。


 それが今のメイにとって、少なくともエミルとしては最大限出来うる気遣いであること。


 海の色の虹彩をした男性の、特に主張をするほどでもない些細な善意。


「ええ、そうねえ……」


 言葉を介さず、しかし言語に換算してみればどうにもまとまりがつかないほどには複雑な。


 メイは城からやって来た、魔術師側に座を置く男性の顔を見上げながら。

 紅色の瞳で彼の青色を見る。


 観察をすることはしない、彼女の方でもあくまでも質問の体を外れないよう、示し合せるまでもなく自然な流れとして同調を行っている。


「おかげさまで、げんきにたのしく、愉快に日々が慌ただしくとおりすぎていっている。ってかんじかしらね」


 彼女の感想に、エミルが笑顔でうなずく。


 しばし、ほんの僅かな空白が間にポツリと、雨雫の一滴のように生じる。


 メイはそれ以上唇を動かさないでいる。

 それは自然さから発生する無の状態とは大きく異なる。


 メイは。

 その名前を持つ魔女は、油染みのようにしつこく、ネットリと能動を頭の中で主張しながら。


 偽物の強迫観念を無理やり絞り出して、唇に次の言葉を許可することを否定し続けている。


 継続は、今の魔女にとっては精神上における生命を意味する形を保つのに、必要不可欠、必須で必死な条件の内に一つを占領させている。


 なぜなら。

 なぜなら。


 そうでもしなければ。


 そうでもしていなければ、魔女は。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ