一方通行を決め込もう
それは、とてもじゃないが生理的かつ自然なものとは呼べそうにない。
魔法使いたちが侃々諤々(かんかんがくがく)を一時中断する。
そして、ツバクラ・エンヒという名の女性博物館員の方へと一時、それぞれに感情の含みが異なる瞳孔のもとに注目を捧げていた。
「とても楽しそうにお喋りをしているところ、お邪魔するのはとても、とっても気がひけるのだけれど」
エンヒは自分が今、ものすごく笑っていること。
さながら黄金色に瀟洒な額縁の中、油絵の具で彩られた微笑の像のように。
ほとんどの確立において永遠に近しい継続性が約束されている。
いかにも優しさに満ち溢れていそうで、故に見えるべき底が目を凝らせども凝らせども、どこまでも解明できそうにない。
そんな感じの笑顔を、今自分は演出としてどれだけうまく取り繕えているのだろうか。
エンヒは不安に内層を満たしながら、それでも魔法使いらの手前で行動を止めることはしなかった。
「でも、もうそろそろ限界よ? 時間がおしているの、こちらとしても早く事を全て、きれいさっぱり終わらせたいの。だから、お願い──」
口先では懇願の格好を作っている。
しかしエンヒは、自分の瞳の奥にある感情の正体を完全に把握していた。
「早くしてくれない? もう待てないのよ、いつまでも時間が余っていると思わないでね?」
苛立っている、苛立ちを全て籠める。
混ぜ込んだ言葉はエンヒ自身にも驚きを抱くほどに、晴れ間の湖面のような静けさに満たされていた。
「………」
プルルル、プルルル……。
電子音は携帯から発せられている。
オーギが所有している携帯電話。
開かれた貝殻の内部から、プラスチック素材の内部に秘められているサウンド機能が、存在しないベルの音を真似ている。
「………、………」
プルルル、プルルル……。
偽物のベルの音。
一部の乱れもないままに、あくまでも機械然と寸分の乱れなく音の連続が空気を振動させている。
開かれた携帯を右の頬に押し付けながら。
右頬を断裂する傷痕を縫い止めている、幾つかの細やかなキラキラとした金属片たち。
腕の微かな震えに合わせて、携帯電話のボタン式入力部分が金属と衝突を起こす。
音は電子ベルの旋律と混ざり合い、なんとも不恰好なハーモニーを形成させていた。
「………、………、………」
プルルル、プルルル……。
ベルの音はまだ止みそうにない。
そろそろ何秒ぐらい経ったのだろうか。携帯を顔に押し付けたまま、トゥーイは動くこともないままにただ待ち続けていた。
待つ、待つ、待機をする。
青年が動きを止めている間にも、時間は確実に刻々と過ぎ去っていく。
完全なる静態などありえない、人は生きている限り何処かしらが必ず動き続けている。
しかしトゥーイは、そんな当たり前の事実さえも否定しようとするかのように。
形態を右の手に握りしめた格好のまま、そのまま己の体内から発せられる雑音を全て否定しようとしているかのような。
どこか悍ましさを覚えるほどに彼は自らの動きを否定しようとしている。
それはちょうど青年が、つい先ほどまでに弓をたがえていた時。
矢をつがえ、弦を限界まで引き延ばしていた。
あの攻撃の瞬間ととてもよく似ている。
だがそれは、当然のことながら青年以外の誰も知りえない状態でしかない。
「……なあ、ホントのマジに、ちゃんとした所と連絡してくれるんだろうな?」
大した量の秒を跨いだわけではないにしても。
それでも、オーギは色々と自身の周りを取り囲んでいる事情の数々に背を押されるかのように。
トゥーイの、もうそろそろ三十秒以上に差し掛からんとしている待機時間を不安げに眺めている。
「それは……、僕から確実なるお約束をすることは、できません」
せめて先輩魔法使いの不安を、あと十秒ほどでもいいから誤魔化せられれば良かったのだが。
しかし、キンシはなぜかこの場面で虚偽を演出することを、どうしても選択できないでいた。
「ですが、トゥーさんが……、あの人があんなにも自信をもって他人に主張をするのって、いつもの事ではありませんか?」
キンシは謎なまでに疑問形を言葉の端に匂わせている。
それは何も相手への伺いでなければ、先ほどまでの継続線という訳でもない。
むしろそれとは全く別方向において、キンシは青年の挙動に理解を追いつかせられていないようであった。
「まあ、それはそうだな」
キンシが眼鏡の奥で視線を不安定にさせている。
その様子をチラリと確認しながら、オーギの方もまた幾らかの分析をできる程には、冷静と平静を取り戻せていた。
「キー坊ならともかく、あいつってホントに……物静かな割には時々、ちょっとキモい位に主張が激しくなる時があるから。なんつーか、その……」
「怖い、ですよね」
オーギが言葉を、正体そのものの実態を捉えてはいたものの、確実な肉体を与えられないでいる。
それを補うかのように、あるいはただ単に言葉の続きをさっさと進めてほしかったのか。
どちらにせよ、キンシは先輩魔法使いの感想に食い気味の速さで、青年に対する批評をハッキリと言葉にしている。
「そうなんです。オーギさんの言う通りなんです、あの人は時々、僕でもお腹の底が詰めたくなるような欲望を眼球に光らせることが、あるんです」
キンシはすでに知っている事実を確かめるかのように。
それを再び確認することによって、考察を折り重ねて考察をさらに深みへと至らせるかのように。
キンシという名前の魔法少女は、青年に対して抱いている恐れ、畏れのいくつかを言葉に変換させようとしている。
だが、彼女が言葉を選択している。
その迷いの間に、オーギの方は少女よりも早くに段落に足の裏を進ませていた。
「でもまあ、魔法使いなんて好奇心を抱いてなんぼ、みたいなとこあるやん?」
あえて疑問形の体を作っているのは、決定をしないことで少女に選択の余地を与えようとしている。オーギの、ほぼ無意識に近しい気遣いの表れでもあった。
彼の譲り合いの中で生まれた、しかしそれでも、それなりに彼自身の抱いている真実に近しい意見の一つ。
それを受け止め、考える。
キンシが先輩魔法使いの言ったことを、彼の見解が少女の頭の中へと混入をしてくる。
他人の言葉は、今のところは魔法少女にとって特に拒否感を匂わせるようなものではない。
あまりにも正しすぎて反発心を抱きたくなるような正論や。
あるいは該当する事柄がとてつもなく少なすぎて、心に全く響かない、故にむしろ不快感が大きい雑音でも。
なんでもない。それは優しさに溢れて、それでいて的確に現実を認識している言葉であった。
だからこそ魔法少女は彼の言葉を受け入れて、音声は脳に情報として組みこまれている。
意識の中に溶けていく。
しかし見えない領域に入った瞬間から、他人の言葉はすでに受け取り手の解釈の下へと晒されることになる。
「………………、………!」
キンシの頭の中で変化の巡りが一つの回転を起こそうとしていた。
そこから大して離れてもいないところで、トゥーイの方にも望むべき対応が現れていた。
………。
ベルはもう音を発していない。
鐘の音は止んだ、そのかわりに携帯電話のサウンドは発信者から、返信者への言葉のやり取りを音声へと変換させている。
所変わって、あまりにも変わりすぎて。
ここは灰笛城と人々がそう呼ぶ。
灰笛という名前を与えられている、鉄の国(およそ北緯二十度、東経百五十四度あたり。とある島国の名前のこと)の中にある、しがない冴えない地方都市。
そこに有る一つの建造物。果たしてそれを建物と呼ぶべきなのか、それとも呼称通りに要塞としてでも扱い、敬えばよいものなのか。
しかしどちらかというと、その建造物はおよそ人工物の気配すらも感じさせない外見であって。
それこそ見る人、それが地元の人間であるだとか、あるいはこことは違う地方の住人。あるいは国も土地も、体を満たす文化すらも違う人物が。
それぞれに思惑は異なれども、その城に対して形容しがたい不安感を覚えるのは共通の事であった。
そんな不気味で、それでこそいかにも「魔法使いの町」と呼ばれる土地の中心へでかでかと座すのに相応しい。
そんな感じの建物の中、とある一室で鉄琴のものと思わしき音が鳴り響いていた。
ピコピッコン、ピッコンコン♪
電子的で、どうしようもない程に偽物じみた鉄琴の音。
「電話、鳴っとるよ」
その部屋の中で、一番最初に反応を示したのはルーフという名の少年であった。
「あれ? エミル、さん………? 出ないんか?」
ルーフはベッドの縁に腰を落ち着かせていて、その横にあるベッドテーブルの上に置かれた白くて円い皿の上。
そこにはとある、猫の耳を持った男から「まだ余ってたんで、良かったら、というかお願いだから、たくさん食べといてくれへんかな?」的なことを。
要求などとはとても呼べそうにない、ほとんど命令に等しい瞳の輝きのもと。
ルーフが、その体を苛む損傷を元通りのそれへ、どうにかこうにか似た状態へと回復させるため。
「入院」という面目のもと、収容されている病室へその男。名前を確か、ハリと言ったやつから段ボール一箱分の林檎が、赤くて丸くてなんとも美味しそうな林檎が送られてきた。
こんなにも大量の果物を、曲がりなりにも病人である相手に消費を期待しようなどと。
一体全体どんな思考回路を有していれば、そんな選択ができるのであろうか。
そんなルーフの疑問を内に孕みながら、その病室には林檎の甘酸っぱく爽やかで、瑞々しい薫香がそこかしこに満ち足りている。
そして、ちょうどルーフは今その段ボールの内容物を出来るだけ少なくするために。
箱の上から下まで丁寧に、たっぷりと梱包されている果実を、とりあえず底の方から順番に消費しようとしていた。
その時点、ちょうど病室に訪れていたエミル。
ルーフにそう言った名前で呼ばれている男が、せっかくだから林檎の皮の剥き方でもレクチャーしてやろうかと。
そんな感じの、エミルにしてみれば少年の暇つぶし程度になれば良かった。
その程度の、決して悪意があるわけでも無い。
むしろ、暇を持て余している相手には打ってつけの提案とも言える。
そんな、なんとも大人の気遣い溢れんばかりな感じの、「素敵」の範囲に組みこまれるべきお節介を。
エミルはいつもの、なんとも大人びた笑顔の下で病室の少年へ、選択の実行を促そうとしていた。
そんな頃合い。
彼のビジネススーツの内側から発信音が何の前触れもなく鳴り響き始めていたのであった。
ピコピッコン、ピッコンコン♪
鉄琴の音と連動するバイブレーションの振動が、病室の白く清潔感溢れる壁へ反響をさせていた。




