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風雲急を継ぐ

 トゥーイという名前で呼ばれ、自らもその名称を己の呼称として認識している。


 青年の言うところによるその提案は、オーギにしてみればどうしても半信半疑なものであって。

 少なくとも、率直かつ素直な気持ちのままで快諾できるほどには、オーギは青年の事を信頼している訳ではない。


 というか、むしろ、この青年の存在そのもの自体が、オーギにしてみれば懐疑の象徴、権化であるという事。


 その事をオーギは仕事上において後輩にあたる青年に、実のところいまだに伝えられていないというのが一つの秘められた真実ではあった。


「お前が何をしようとしているのか、おれにはさっぱり解らんけども……」


 とはいうものの、しかしながらこのような場所。


 それも、よりにもよって仕事現場という、私情という心理上の都合が第一段階で否定される。

 こんな場面で、まさか自分の本心を曝け出せれるような解放感を、このオーギという名の若き魔法使いは有しているはずもないのであった。


「でもまあ、とりあえず、その……知り合いのツテとやら何やらに、急いで連絡してくれへんか?」


 オーギは右手に携帯電話。

 静電気センサーを有していない、ボタン入力式の二枚貝に似た細長い機体を右の指の中に握りしめたまま。


「いずれにせよ、早急に対応してくれるヤツが来てくれるなら、おれとしても万々歳やしな」

 

 それを上着のポケットにしまう挙動を作れないままに、プラスチック素材の外殻をへその少し上の辺りに漂わせている。


 オーギにしてみれば自分の連絡先はおおよそ全て。現時点の状況が抱える問題、己の要求と条件をを(かんが)みた上で、頼るべき所は片っ端から試していた。


 だからこそ彼にしてみればもうその携帯電話は、今の所役に立たない、無用の長物とさえ形容できてしまえる。


 オーギの主観ではそう言うことになる。


 だが、しかしトゥーイの選んだ行動は、その様な先輩魔法使いの思考を真っ向から否定するものであった。


「………」


「? ? あ? どうした、何でこっちをじっと見てんだよ……」


 「傷」という自然的な現象、早急なる対処が求められる小規模な災害の事が気掛かりでありながら。


 オーギはさて次はどうしたものかと、考えようとした所でトゥーイの視線にようやく気付いていた。


「………」


 トゥーイは口を、今日のところはなんの装飾品も医療用品も身に着けていない。

 右頬に大陸を横断する鉄道のような、生々しく鮮度が高い傷跡がビッチリと、真っ直ぐ金属片を連続させている。


 トゥーイの唇は傷跡の縫合と同様に、痕と継続している唇の隙間は棺のように固く閉じられたままになっている。


 青年は首に巻いている音声補助用の魔術式道具すらも使用しようとしないまま。

 沈黙の中で、その紫色の視線は要求を望んだ瞬間よりオーギの指の中のそれへと注がれ続けている。


「………、……………」


「なんなんだよ……ッ? 何で俺の方を睨んできやがる……?」


 しかしよもや、せいぜい他人同士の付き合い程度しかない青年と魔法使いで、言葉という基本的な手段を必要としない高度なコミュニケーション技術が成立するはずもなく。


 沈黙と無言はその虚ろの中で、どうしようもない程に人間の思考に様々な形のイメージ。とりわけ、大部分がネットリねちょねちょとしたネガティブ成分を占めている。


 もしかすると、が急速かつ広大で、大容量においてオーギの脳裏を強迫観念じみたものが。

 それはもしかしたら、もしかすると、自身の疑心がこのトゥーイという名前の、そこが見えない紫色の瞳に見透かされているのではないか。


「なにか言えよ、黙ったまま睨んでもなにも解らんって」


 まさか、そんなことがあり得るはずがない。

 オーギはほとんど時間を有することもしないまま、一秒と満たぬ内に生まれかけた観念を毛先から早急に捻り潰している。


 そういった否定の流れ。水流のようにごく自然な行為ですら、しかしこのトゥーイには、弓の一射で怪物の頭部を串刺しにした。

 狙撃手にとっては、単なる観察の対象でしかないのだろうか。


「……………、………………………………」


 他人の視線にじっと注目されるという、生き物にしてみれば最も基本的なストレスの起因たる状態。

 別にそれでオーギの心理的平穏が跡形も無く瓦解するだとか、そんなセンチメンタルを発揮するようなことは無い。


 無いのだが、しかしそれはあくまでも最悪の事態を基準とした計りでしかない。

 

 いい加減、そろそろ何かしらのアクションがトゥーイの方で起こせていれば。

 この曖昧で中途半端で、真綿の一粒で呼吸が出来なくなるまで少しずつ、柔らかさによって埋め尽くされていくような。


 この状況に変化が訪れれば、何事もないただの風景の一部に慣れたはず。

 そのはずだったのだが。


「…………………………………、………、……………………………………」


 それでも肉声を発することを可能としないトゥーイと。

 沈黙はもはやしつこいほどに続行がなされ、トゥーイの視線はやはり静の状態からいつまで経っても変化を望もうともしていない様に見える。

 

 その青年の意思を読み取れないオーギの間で、やがては不具合じみた軋轢(あつれき)が発生しかけている。


「うんん? どうしたのかしら」


 メイがいい加減にそろそろ不穏な空気を羽毛で感じ始めている頃合い。 


 このまま放置を継続すれば、何かしらの陰りが疲労骨折のような破損をもたらしたであろう。

 他人からしてみれば、少なくとも関係性においてはほとんど部外者に等しいエンヒにしてみれば、ただ二人の人間が黙り合って睨み合っているようにしか見えない。


「あれ、どうしたのかしら?」


 だが、そうであったとしても、エンヒは底を這うような緊迫感に違和感を覚え始めている。


 その光景に、やがては他人ですら異常性を見出さずにはいられなくなるであろう。


 だがそれを許容しない手が、彼らの間に素早く差し込まれる。


「携帯! 携帯電話を貸してくださいませんかね? 貴方の、オーギさん」


 実際に腕を伸ばして、ちょうど彼らの間に割り込むような格好になりながら。

 キンシが少し慌てた様子で、トゥーイの意向を現代語に近しい形として翻訳をしていた。


「あー? おれのケータイをー? 何で……って、……いや、今はいちいち質問している場合でもないよな、ウン」


 相手の意図が無事に自分の認識の中へと受け入れられた。


 コミュニケーションが、多少不恰好でありながらも成功を果たしていた。

 しかしオーギにしてみれば、たかがそのような要求でいちいち緊張していた自身への、やるせない羞恥心の方が表に侵出しかけていた。


「ああ、なんだ、そんなことか……」


 知らず知らずの内に冷や汗が噴き出していたらしい。


 ジットリと、大量の体液が自分の表皮を濡らしている。

 オーギは液体が空気に触れる冷たさを飲み込みながら、出来るだけ平静を装って右手の中のそれをトゥーイへと手渡している。


「ほらよ、操作方法は分かるよな?」


 蓋を閉じる暇も無く、酒蒸しをされた貝殻のように開かれたままになっている携帯を、快さを演出させながら貸している。


「………………」


 相手が自分の要求に答えた。

 そして己の手の中に求めた品物が譲渡されようとしている。


 だが、その場面になっても、トゥーイの唇には依然として沈黙が継続されたままとなっている。


 瞬間的であったはずの緊張感は、本来在るべき幕引きを迎えたのにもかかわらず。

 どういう理屈なのか不明のまま、青年の瞳、その眼球が求める答えはまだ遠い果てに座しているようであった。


 青年の沈黙は継続されたまま、もうそろそろオーギの方が再び異変に気付かんと。


 している所で。


「トゥーさん……」


 自体が再発を望む、それに先んじてキンシの左手が彼の右頬をそっと包む。


 と思えば、魔法少女の指は青年の右頬。傷痕が深々と、氷河のクレバスのように伸びているそこを一切気遣う素振りも無く。


 少女の怒りに乗じるまま、細く白い指は青年の右頬の痕ごと、一切の容赦もしないままにミチミチとつねられている。


「物を貸してもらったら! お礼を伝えるべきであると、相手に。何度も教えたでしょうが!」

 

 その勢いはさながら、彼の色素の薄い肌を白玉団子状に摘み取ろうとしているのではないかと。


 そう危惧したくなる程の力加減、気迫でキンシはトゥーイの頬に小規模集中型の折檻(せっかん)を与えていた。


「ほら、ほらほらほら。早く、今すぐにオーギさんへお礼を言うのです、これは必要事項。いいえ、もはや命令ですよ」


 一体全体彼らの間にどの様な緊張感が満たされていたというのか。


 オーギは青年の何に対して、その姿に如何様(いかよう)な過去の許し難し情景をイメージしていたというのか。


「おいおい、お前の方こそ落ち着けよ。いまはそんな事しとる場合ちゃうやろがい」


 その事に関しては、現時点においてオーギ自身にもはっきりと解明が為されている訳ではない。


 理由を求める以上に、若き魔法使いは後輩であるキンシのいつにない真剣さに、静かなる驚愕を抱かずにはいられないでいる。


「いいい、いえいえいえ。これは許し難し事柄ですよ、オーギさん。この愚か者は、尊敬すべき先輩である貴方に、よりにもよってメンチを切ろうとしていたのでございますよ」


 別段なにか間違っていることを言っている訳ではない。

 

 それどころか、キンシという名前の少女にしてみれば珍妙と思えるほどに、その意見が事実をありのままに形容できてしまっていた。


「これはとてつもない無礼です。ですから、であるからして、この愚か者には然るべき罰を」


 それ故なのか、キンシは言葉の中ですら事情の不可解さに苛まれ、為すがままに打ちひしがれているようでもあった。


 収束に向かいかけているようで、その実はより一層の複雑さを吐き出しているに過ぎない。


 コミュニケーションが、およそ社会に適合できないレベルで苦手なものと認識してしまっている。

 これは言わば、この世界における魔法使いの職業病でもある。


 彼らは魔法という行為を意識し、その美しさを突き詰めるがゆえに。内層の外側、外界とのつながりに弊害を発生させることがままある。


「だから時々、あんな感じにトラブルが起きたり起きなかったりを、いつも繰り返しているのよ」


 この世界を液体のように満たす、常識のうちの一つをエンヒがメイに耳打ちしていた。


 彼女らは魔法使い共から少しだけ距離を置いて、事が顛末を向かるのを待ち構えていたのだ。


「うんん……、それは、難儀ね」


 エンヒの考察を受け止めながら。メイは胸の内に生じた同情心を、いったいどこの誰に固定すれば良いのか判別できないでいる。


「そう、難しいの。難しいから、こういう時は外部からの圧迫感が一番ものを言うのよ」


 椿色の瞳をした、幼い魔女が首をかしげいる。


 その横で、エンヒという名の女性が先へと一歩踏み出している。


「戦いの場を荒らし、乱してかき混ぜるのは魔女の十八番(おはこ)よ」


 エンヒは、他でも何でもない自分自身を魔女と、そう名付けられた概念において名乗っている。


「うんん? え? 魔女?」

 

 メイがその事実に驚きを抱くよりも先に、エンヒは魔法使いの群れへ、まずはひとつ「ゴホン」と、あからさまな咳払いを放り投げていた。

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