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パンドラの箱を開けよう

 彼が取り出したのは携帯電話に他ならない。

 ただそれはスマートフォンと呼ばれる機種とは異なる。


 折り畳み式のそれが二枚貝のように重なり合っている。

 オーギは指先で画面の薄い一枚をめくりあげると、ひらめくような速度でボタンに命令を、文字を入力していっている。


 打ちこまれた文章に従った動作が機械の中でなされる。

 オーギは携帯電話を側頭部のあたりに軽く押し付け、薄いそれから奏でられる発信音に耳を傾けている。


「……どこに連絡をしようとしているのかしら?」


 オーギが眉間にしわを寄せている。


 そこから少しだけ距離をとった所で、メイはキンシにささやき声で問いかけている。


「あれは、多分ですけど業者さんと連絡をしようとしているんです」


 キンシは椿色の瞳をした、魔女である相手に問われただけの解答を舌の上に用意している。


 それはつまり、聞かれたこと以上の事を答えられる訳ではない。ここから先は自分にもあずかり知らないこと、認知の範囲外でしかない。


「ふうん……? そうなの」


 そういった意味合いの事を、メイはキンシの表情と挙動からそれとなく察している。


 だがそれはつまり、疑問に対する解明が完全になされていないこと。

 納得しきれていない、あいまいに気持ちが悪い中途半端に片足を突っ込んでいる。


 そんな状態にしか進展をしなかったことを、同時に意味している。


 椿の魔女がいつもの癖で首をかしげそうになっている。

 彼女がそれを何とかこらえようとしていて、しかし動作はすでに開始をしつつある。


「はーあ、やっぱ駄目か……」


 彼女らが中途半端に苛まれつつある。

 そのすぐ近くでオーギの方もまた、望むべく結果が得られなかった焦燥感に深い溜め息を吐きだしていた。


 指の中でパチン、と携帯電話の画面と入力部分が密接の音をかすかに発している。


「これを何とかしてくれそうな、ウチと提携している業者に連絡をとろうとしたんだけどな」


 オーギがまるで自分自身に言い訳をするかのように、連絡の不成功に関する事柄を幾つか口の上に並べ立てている。


 彼が言うところによれば、実はこの現象。つまり「傷」という名前で呼ばれている、これを専門に対処してくれる機関がこの灰笛には既にいくつかあるとのこと。


「んん……? 対処、してどうにかなるものなの?」


 超常的な自然現象と、それに対応するサービス業。

 その二つの要素は一見して双極の位置に座していそうで。メイはいよいよ本格的に首をかしげながら、どうにか単語を無理くり接着させようとしている。


「この灰笛だけでも、こんなのはそれこそ数えきれないぐらい程あちこちで、現れては消えるを繰り返しているから」


 単語のそれぞれに申し合わせを結び付けられないままでいる。


 メイの右隣の辺りから、エンヒが事実を説明的な口調で言葉に変換させていた。


「別に現象自体は大したことでも何でもないんだけど。でも、ちょうど今日みたいなことが……絶対に起きないという確証も無いでしょう?」


「ふむ、なるほど……」


 ここまで言われて、さすがに事情を知らないメイであっても、おおよその都合はそれとなく察せられている。


「ちょっと空気中の魔力が濃くなる分には、いえ、それも決して良いことではないんですけど。でも、この町ではむしろその程度で済まされるぐらいなら、まだ運が良い方でして」


 キンシがまるで何かに言い訳をするかのような語調になっている。


 もちろんこの場面において、弁解が必要とされる要素などほとんどないはずなのだが。

 とにかく魔法少女は、今しがたの戦闘行為についてのあれこれを解説の中に組みこもうとしているらしい。


 だが少女が皆まで言う必要性も無い程に、メイの中では状況への合致が済まされていた。


「だとしたら、はやく業者さんとかなにかに頼んで、これをきちんとふさいでもらわないといけないじゃない」


 理解をした途端に、もともと存在をしていた幾つかの事柄の点々が脳内で急速に線を結び始めている。


 それらの細く、しかし確かな実体感のある連続性の中で、メイはようやく人並みに焦りを抱きつつあった。


「その通りで。でもなあ、こういう時に限って向こうさんも忙しそうに、手が回らないって感じらしくてな」


 自分の焦りに関する解明がなされたところで。

 しかしオーギの表情が、そこに刻まれている陰りの原因たる事柄の解決に至ることは無いのであった。


「全然連絡がつかへん。留守電サービスのねーちゃんの声だけがおれに笑いかけてきとるわ」


 オーギが苛立ちを抱きかけて。

 しかし今はその感情に身を費やしている場合ではないと、奥歯にキリリキリリとひそやかな摩擦音を口の中で反響させている


「ああ、そう言えば」


 若き魔法使いの体に立ち昇る焦りを横目に。


 エンヒがふと思い出したかのように、一つの事実を声に出していた。


「今日は予報で、空気の調子がかなり不安定だとか。確か、そんな感じのことを言っていたわね」


 空気の調子というものが、はたしてどの事を指しているのか。

 きっと、おそらく、ほぼ確実に気圧の問題ではないであろうと。


 メイがもはや質問文を必要としない程度に、無言の中でひとり想像に至っている。


 その左隣で、キンシの方も二回ほど頷きを繰り返した後に合点を照らし合わせていた。


「じゃあ、あっちこっちで炎症が起きているから、向こうの方々も人手が足りなくてこちらに対応しきれない、ではありませんか」


 それまで呑気さが腹の底であぐらをかいていた。


 後輩である少女がようやく事態の全容に理解を追いつかせたところで。

 オーギはどうにかこの状態を解決するための案を、頭の中でグツグツと煮立たせるのに精一杯となっていた。


「あー……、せめて手元に「傷」用の軟膏(なんこう)なりクリームなり用意出来たらよかったんだが。あれなあ、高いんだよなあ。経費で落としてくれたら良かったのに。ああ……でも、ウチんとこあんまし余裕ないからなあ……」


 考えても考えても、解決策は振り向いてくれさえしない。


 万事休すと断言できるほどには絶望感が足りていない。


 日常の中に生じる不具合でしかない。だが実際に当事者にしてみれば、結局は目の前の問題一つに翻弄されることしか許されていない。


 せいぜいそこで手をこまねいて、そうしていれば、やがてはそれなりの解決策が導き出されていたであろう。


 最初に連絡した業者に余裕が空くのを待機するのもよし。

 あるいは、それこそメイが提案した強行策を実行してみるのも、決して不可能ではなかっただろう。


 曲がりなりにも彼らは魔法使いなので、自身の専門の内に含まれることならば、ある程度の形ぐらいならば誤魔化しが効いたに違いない。


 その場しのぎ。それもまた問題を、別の形に変化させるといった点においては効果的である。


 だが、そんなものは中途半端でしかない。


 中途半端、曖昧、あやふや。

 誰しもが脳内のあちこちに満たしているか、あるいはカビのように蔓延らせている思考の一つ。 


 別段否定すべき感情でもない。

 少なくとも理不尽な殺人衝動よりかは、よっぽど健全で健康的な、平和主義的な思考ルーチンではある。


 正しい思考の存在

 世の中にいくつか転がっている型の一つ。


 一口サイズのクッキーを型抜きするのにちょうど良さそうな、その程度には正しい在り方の範囲。


「しかし──」


 だが、しかし。

 そんな物はあくまでも、どこまでも「普通」な人間にしか該当しない。


 そしてその基準は魔法使いにとって、とりわけそういった人の意識の一つを強く主張する。


「このまま眺めているのも、余りにもつまらないじゃないですか」

 

 キンシにしてみれば、ある意味殺害以上に苦しさを伴う判断であった。


「この行動は面白くないし、当然のことながら美しさの欠片もありません」


 眼鏡の奥の視線は何処も捉えていない。

 あえて対象物に名前を与えるとすれば、キンシの瞳には底の見えない暗い虚空に満たされている。


「ンなこと言ってもな」


 後輩である魔法少女の悪い癖がまた始まったと。


 オーギはすでに若干の手遅れを下の奥で苦々しく味わいつつ。

 それでも一応は、少女の意見の続きを促そうとしている。


「出来るだけ早く問題を解決したいと、そう思うのはやまやまだがな。でも、ちゃんと綺麗な形に治せられる方法もないままに、ただ突っ走るって訳にもいかへ──」


 勢いのままに突っ走ろうと、その準備期間に突入しかけているキンシ。


 少女の静かなる興奮を(いさ)めようと、オーギが彼女の手に指を置こうとした。

 その所で、彼の肩の上に別の指がゆったりと降ろされる感触が伝わってくる。


「薫香の賢者よ」


 方向へと首を少しだけ曲げる。


 オーギの視線がその機械的音声の主を、トゥーイの顔を特に障害も無く眼球に認めている。


「あ? どした?」


 発しかけた言葉の気配もすぐに喉の奥に飲み込んで。


 オーギは自分の事を真っ直ぐ、それこそ矢で射ぬかんばかりの率直さで見下ろしている。

 ナスの花弁のそれとよく似ている瞳の色を見やり、しかし視線を交わすことに反射的かつ本能的な不快感を抱いている。


「なんだよ、何か言いたいなら早よしろや」


 流石に、いくらなんでも分かりやすく嫌悪感を抱くほどではないにしても。

 しかしそれでも、いつまでも長々とガン見をされて気分が良くなるはずもなく。


 オーギは新たなる形状の苛立ちに文句を言いそうになるのを堪えながら。

 どうにか冷静な対応を、視線の少し上にあるトゥーイの左目に差し向けている。


「わたしは提案をします。薫香の賢者の判断を待つよりほかなく、歩みは独自で進められることを可能としている」


 戸惑いを隠そうともしていない先輩魔法使い。


 だがトゥーイの方は、彼の動揺などまるでお構いなしと言った感じに。

 とにかく己の思案を相手に伝えようとすることにおいてのみ、集中力を割いているといった様子でしかない。


「あー……と、キー坊」


 ただでさえ時間にも余裕があまりないという所で。


 オーギは怒るほどの気力も発揮できないままに。

 ただただ冷静な対応を。つまりはこの青年のトンチキに意味不明な言語を、この場で最も解読することのできる人物。


 オーギという名の若き魔法使いは、キンシと言う名前の魔法少女に解読を頼んでいる。


 少女の翻訳するところによれば、つまりこういう事らしい。


「えっとですね……。俺の知り合いに丁度良く、程良く、程度良く、この問題を解決してくれそうなヤロウが一人いる。って事らしいです」

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