メインとマインの違いだろう
必要最低限の小ささがあるわけでも、もしくは規格外の巨大さを有しているわけでもない。
オーギの腕から現れたそれはあくまでも普通の箱のようであって、サイズ的には少し規模が大きめのキャリーケース程度だろうか。
とにかくそのなだらかな長方形を描いている箱は、なんら疑問を抱かれないままにオーギの手の中へとすんなり受け入れられている。
「早速食らいやがれ!」
オーギは箱を大砲のような要領で構えながら、底面と思わしき部分を怪物がいる方へと真っ直ぐ構える。
次々と下される命令に、魔法によって出現した箱は忠実に従っている。
彼が叫ぶや否や、箱の底から小さな穴がパッカリと開き、暗黒に染まっている内部から黒い影が放出される。
それは野球ボール大のように見える。
ツヤツヤとした表面はビニール素材を感じさせる、弾は博物館の上で静止したままの怪物めがけて衝突を起こそうとしていた。
「11 fuggggg!」
己めがけて放たれた弾に反応する。
怪物は当然のことながらそれを回避しようとして、脚部と思わしき部分をバネのように伸縮させて床を強く蹴り上げていた。
外れる弾、目的のものを完全に捉えられ無しなかったものの、しかし行動はそれだけでは終わらない。
魔法の箱から報酬されたそれは軟かなビニール素材を床の上へと衝突させ、薄い膜にたっぷりと包まれていた液体が衝撃の中で炸裂をする。
仕組みとしてはカラーボールとよく似ている。
破裂した弾は床に染みを、その飛沫は回避をしようとした怪物の皮膚に幾つも接触する。
「hi? hiiigaaaaa?」
球の内部に籠められていたのは透明の液体で、それは膜から解放された途端に周囲になんとも芳しき、花弁の薫香と思わしき気配と濃密に漂わせる。
しかしそういった匂いの主張以上に、怪物は自らの体に付着したそれの方に意識を割いているように見える。
それも当然の事で。
回避しきることのできなかった液体は己の皮膚に次々と染み込み、触れた先から度の強い炭酸水のような音を発して怪物の体表をドロドロと侵そうとしていたのである。
「あいかわらず、けっこうエグい魔法だわ」
周囲に発散される香りの完成度、鼻腔の内部に張り巡らされている嗅覚を耐え難く誘惑する気配の集合体。
メイはそれを感覚の中で味わいながら、思うがままに素直な感想を言葉として発している。
「あれは……香水なのかしら?」
メイのすぐ近くの辺りで、エンヒは魔法使いが次々と展開している魔力的行為をしっかりと眼球に確認している。
「なるほどね、あれが彼にとっての魔法か」
怪物の悲鳴が周辺に轟き、反響と木霊をいくつも重なり合わせている。
エンヒが冷静な分析をしている。
そのすぐ近く、大して距離を開けていないところで。
「ちょっとちょっと、何をしやがっているんですかオーギさんはっ?」
ある意味においてはキンシは怪物以上に、自らの肉体が毒に侵されている事よりも酷く感情を揺さぶられている素振りを浮かべている。
「あんな水気たっぷりのものを撃ったら、周りに迷惑がかかるでしょうよ、すごく!」
気が動転しているのか、文法の順序が若干怪しくなっている。
だがキンシにしてみれば、魔法の影響で博物館内にある資料の安全が侵害されることの方が、むしろ目の前の怪物以上に気がかりであったことには変わりない。
そう思うからこそ少女は憂い、この先に繰り広げられるであろう戦闘行為に鬱屈とした感情を抱かずにはいられなかった。
「その心配は必要ないわ」
しかしキンシが胸の内に不安を渦巻かせようとする。
その気配が香水の存在感と混ざり合う暇を与えずに、彼らの横からエンヒが事実だけを伝えてくる。
「その点に関しては、こちら側ですでに対応済みよ」
エンヒはつい先ほど通信機をしまったばかりのところを指で示しつつ、視線は次に博物館の空間全体へと向けられている。
「見ての通り、ほら」
視界で得られる結果が何よりの答えであると、エンヒは言葉少なげに視線をとりあえず床の表面へ。
そこの表面に薄く、広くまんべんなく、一切の隙間も与えないほどに密集している鎖へ。
薄いそれは連続体と言うよりは、まるで一枚の薄い鉄板のようにも見えてくる。
「緊急事態に備えた、資料保存用の魔術式よ」
説明はそれだけで十分と言う風に、エンヒは不安と疑問を抱くものに然るべき解答を与えている。
「そういうこった、お前が気にすることなんて最初からあらへんかったんだわ」
魔法少女の表情がまるで手のひらを返すかのように変化していく。
様子を横目に見ながら、オーギはいよいよ自らに発破をかけるように声を張り上げる。
「分かったんなら気合入れろや!」
オーギは再び箱を構え、次の一手を準備しようとしている。
そのすぐ隣で、キンシは得られた答えに対して二秒ほど考えをひと巡りさせる。
時間にしてみればほんの一瞬にすぎない。
だが少女にとってはそれだけの時間で、充分が過ぎるほどに充実した納得の時間であった。
キンシは唇を閉じたまま、そこになんとも穏やかそうな笑みを湛えて、左の腕を虚空へと向ける。
分厚い上着に包まれたそこを、布の上から右の指で微かに撫でる。
その行為だけで、彼女の肉体にも先輩魔法使いと同様のものが刻まれている事を無言の内に意味している。
故にキンシは肌を全て晒すことはしないままに、手首の辺りを少しだけ見せるだけに留め。
必要最低限の行動の下で、決定的な命令文を唇の上に、言葉として空気を震わせている。
「アイケイ二千型、名称を……「いのり」」
どうやらそれがキンシの、自らをそう名乗る魔法少女が使用する道具の名称という事になるらしい。
格式ばった素振りでフルネームを口にした。
そのすぐ後に、結果は従順な態度の中で彼女に答えをもたらしている。
手の中に物体の気配、感触、重さが何処からともなく。もはや何も無いはずの空間から物品が出現することなど、特に疑うべきことではない事柄であると伝えてくるかのように。
キンシは左手の中に現れたそれを、小さなそれを右目で確認する。
「それは……」
やはり魔法使いの動向を見守っていたエンヒが、少女が魔力的要素によって発現させたそれの正体について考えようとする。
「ペン? のように見えるわね」
だが特に考える必要も無い程に。例えばオーギの箱のような、一見して目的が分からないといった形状でもない。
それは少女の手の平に包みこめる程の大きさで、そしてエンヒにしてみてもとても見覚えのある。
親近感を抱かせるデザインであった。
「ペン先は鋭くとがっていて。これは万年筆?」
エンヒが迷いなくすらすらと道具の形容を言葉に出来ている。
それ程にその道具には何の特徴もなく、その状態においては特筆すべきことはほとんど無い。
その道具はいたって普通そうに見える。
ちょっとだけ品ぞろえが優れている本屋、あるいは文房具店に並べられていて。長い間売れずにセールスとして十パーセントオフの札が張られていそうな。
とにかくそれは普通のペンで、それ以上、それ以外の事など何もない。と、そう思わせる。
「それが、あなたの仕事道具なの?」
「ええ、そうです、そうでございます」
エンヒは特になにを思うでもなく、ただ単に確認の意味をもって少女に問いかけている。
だがキンシは相手の必要とする以上の反応の中で、どこか恥じ入るかのようにペンを両の指で握っている。
「ちょっとこの前にやった作業の時から、形状をそのままにしてましてね。いやはや、お恥ずかしい」
羞恥心を抱くポイントがいまいち掴めそうにない。
しかしエンヒはあえて追求はせずに、今はとにかく相手に同調をすることにしていた。
「ああ、だからペン先が剥き出しになっているのね」
「いえ、それは元からずっとです」
キンシが、そのことに関しては何事もなさそうに平然としている。
はたして、文房具としてそれはきちんと機能するのだろうか。
エンヒはそう疑問を抱きかけて、しかしすぐに思考を本来あるべき方向へと修正する。
今はとにかく、目の前の問題を解決することが最優先とされるのだ。
「hihihi,hiihiiihiih」
彼女らがそれぞれに思惑をし、誰に確かめるまでもなく理解しきっている事柄。
事実、現実をそのまま補足し、塗料を重ねて強度をより革新的なものとするかのように。
怪物が、漆を塗り固めたかのようにツヤツヤとしている体を持つ、小さな怪物が少女らのいる方めがけて跳躍をしてきていた。
「キンシ坊ッ!」
箱の中の香水を構える暇も無い程に素早く動く怪物。
オーギは何とか視線だけを対象に追いつかせながら、後輩に聞きを意識する旨の叫びを発している。
彼の声が少女に届く。
その時にはすでに、彼女の手の中にある道具は形を変えている。
何の変哲もなかった。そのはずであったペンは持ち主の意思を、皮膚の上に流れる赤い熱と共に部品の一つひとつに少女の命令文が巡る。
意識によって下される、点と点のみで繋げられたごく短いコミュニケーションの一筋。
それはほとんどの域において無意識と同等の意味を持つ。
形も音もない透き通った言葉は、そのペンを構成する部品のひとつ一つ、ごくごく小さい粒の隙間を冷たい水のように満たしていく。
「gaxtuxtuxtu,hiiiiinnnn!」
怪物が、丸々とした動体と薄くてペラペラな聴覚器官を有している、個体が少女に牙を剥いて襲いかかる。
鋭く伸びた二本の長い前歯は攻撃性そのもので。もしも目を見張る跳躍力を持つ足で腹部の辺りでも蹴られたとしたら、人間の脆弱な肉体などひとたまりもないだろう。
事実、怪物の様子と挙動から見て取るように、相手はそれらの攻撃手段によって眼前の獲物を。つまりはキンシという名の少女を、一つの目的によって害そうとしていたに違いない。
「? /// ? hki?」
しかし怪物の体は自らの跳躍の速度が止まらないうちに、歯も足も、どこも目的の肉を捉えることをしなかった。
「まったく、いきなりのご挨拶ですね」
怪物の長い前歯がガチガチと音をたてている。
音はキンシの手の中から奏でられており、しかし衝突の対象は彼女の肉ではない。
怪物と触れ合っているのは、少女の手の中に握りしめられているそれ。
ほんの数秒前までは、普通のペンと同じ形でしかなかったそれ。
しかし今は、いかにも攻撃的な意識が満ち満ちている、一本の短い槍ととてもよくている。
「初対面の人にキッスをする文化は、ここにはありませんよ?」
キンシはかつてペンであったそれを、己の武器として両手に構えながら。
怪物の熱い挨拶を両の腕に受け止めている。
武器と前歯がぶつかり合う、固い衝突音が少女と怪物の間に響き合う。
互いに決して交わることのない現象を一つの音楽とするかのように。
興奮のあまりに露わになった怪物の眼球。
視覚器官と思わしき艶やかな球体、そこに魔法少女のキラキラとした笑顔が鏡面のように映し出されていた。




