色々と変えておこう
しかしながら、いくら自身の中で何度も納得を重ね合せ、縫い合わせてそれっぽくしてみたところで。
なおも驚愕には逆らいようが無いのが、人間の人間による、いかにも人間らしい性の内。なのだろうか。
「でも……まさかあなたのような……、感じの人もいるなんてね」
エンヒという名の博物館員は、もう一度メイの姿を上から下の辺りまで滑るように素早く確認をしている。
「ええ、私もこのおしごとをするようになってから、もうすでに十回以上はツバクラさんと似たようなことを言われたわ」
メイはそれに関してはもうすでに何を思う訳でもなく。さすがに無感情とまではいかずとも、ある程度は自然な素振りでエンヒの視線を軽く受け流している。
「でも、契約の上で不必要なウソはほぼ絶対ににつかないってのが、私の職場のコンプライアンスだから」
メイは若干身の丈に合わない言葉を使いながら。
口での説得以上に指の間にある銀色のリボン付きコインを、何よりの証拠としてエンヒに見せつけつつ。ゆったりと優雅さを感じさせる動作で薄い桃色の布で作られたポシェットに仕舞い込んでいた。
「いま見せられる証拠だけで、どうにか信用をしてもらうとして。……として、よね」
互いに生じた疑惑が完全に晴れないままに。
しかし彼女らは、今はそれ以上に懸念しなくてはならないことにすぐさま意識を軌道修正させていた。
「さて、あの状況の説明をしてもらいたいところだけれど……」
メイと同じ方向をエンヒも見ている。
そこでは相も変わらず、魔法使い共がカブを引っこ抜くかの要領で四苦八苦をしていた。
「もう……、まだ引き抜けていないの?」
少女の体が依然として空間に開かれている穴から抜けていないこと。
とても日常において抱くことのないであろう不満感に溜め息を一つ、メイは呆れ果てた様子を作りながら彼らの方へと近付いていく。
「なんかな、何かが引っ掛かっていて上手く引っこ抜けへんのやって」
幼い魔女の辟易とした様子に同意をしながら、オーギの方はそれ以上に苛立ちを隠すこともないままに、忌々しさから唇の間から前歯をズラリと覗かせている。
「引っかかっている?」
一体何が、そこには何もないはずの場所で何が少女の顔に付着をするのだろうか。
少なくとも魔法使い側にはすでに、ぼんやりとしていながらもどこか確信めいた、受け入れ難い予感が頭の中に浮上していたに違いない。
「ナグさん、それってもしかして……」
メイが言いかけたそれをオーギが無言の圧で抑制する。
認めかけようとして、しかし今以上に最悪へと歩を進める仮定を否定したい。
少なくとも若い魔法使いと、幼い魔女はその選択を選びそうになっていた。
「ああ、それはおそらく──」
しかし彼らの選択は現実に対する起因にすら至らず。
彼らの想像はエンヒの平静で、どこまでも冷静に満ち溢れた発言。
「現象内部に敵性があって、ちょうどそこに首を突っ込んでいる彼女の顔面にそれが付着している。と考えるのが妥当でしょうね」
彼女の、さながら小川のせせらぎのように涼やかな声色によって、悲しい実現を為すこととなった。
「それじゃあ……っ」
イメージがいよいよ現実の味を含み、メイは考えるよりも先に喉の奥で悲鳴が発生しかけているのを意識の奥で自覚している。
だが、彼女が感情を爆発させる暇も与えないままに、トゥーイはいよいよ決定的な手段を誰よりも先に選んでいた。
「手段を実行します」
言葉としてはたったそれだけ。
青年は機械的な音声の後に、瞬きの間も与えぬほどの勢いで全身に力を漲らせた。
本人の感覚としては筋肉に僅かな緊張を走らせたにすぎない。
だが彼の保有する魔力は思考のイメージをほぼ完全に近しい保管を実行し、次の瞬間には青年の肉体は強烈な光の炸裂に包まれている。
他人の眼球にはそれは遠雷の稲光程度の影響でしかなかった。
その程度、しかしこの現状とそれに関する問題点を解決するには、これで充分に及第点分は満たされていた。
「………ッ!」
「ごばお!」
トゥーイが深く短く呼吸を引き絞る。
そのすぐ後に、ついにキンシの頭部は現象の内部から解放をされていた。
「げほっ! う、う、うぐっふ……。ぶふぅぅ」
それまでに継続していた状態から急速な変化が訪れ、キンシの気管支は変動に戸惑いながらも健気に通常を取り戻そうとしている。
その状態はさながら、バケツの水を頭に被ったようにも見えたような気がした。
だがその状態は継続をされることは無く、次にまぶたを開いた頃には水分の気配は跡形も無く霧散している。
「せ、せんぱい……っ」
キンシはろくに受け身をとろうともしないままに、背中の半分以上を博物館の床に打ち付けている。
だが彼女は自らの身に起きた異常事態よりも、その後に続く異常への可能性の方が気になって仕方がないと言った風であった。
「逃げてしまいます!」
「傷」から引きずり出されて仰向けの姿勢になっていたキンシは、すぐさま体を起こしながらこの場にいる全員に指示を発している。
「緊急保護! コードの実行を要求する!」
魔法使い連中が行動を起こそうとする、それをさらに上回る速度でエンヒが所持していた通信機に指令を発している。
その命令文が何を意味するのか。
メイとキンシが意味を理解しようとするよりも、やはり先んじでエンヒの手の中の発信機が返信をしていた。
「認証します」
そのような感じのことを言っていたような気がする。
言葉の内容がなんであれ、しかしそのごく短くシンプルなやり取りの後に変化は訪れていた。
最初にシャラシャラと、金属で作られた鎖が幾つも重なり合うかのような音がそこかしこから鳴り響いてくる。
「え、うわ?」
キンシの耳が音の連続を受け止めている。その間に彼女は自身の身の回りに発現しているそれを、まさにちょうどよく肌で直に感じ取っていた。
「か、壁に何か、細長いものが沢山?」
キンシが目を丸くして驚いている。
口をついて出た表現にはなんら脚色は加えられておらず、彼女の言う通りに周辺の風景。壁や床、天井の隅々にいたるまで、博物館の内部を構成するすべてが突然出現した謎の鎖で覆い尽くされていた。
「鎖のように……みえるわね?」
キンシほどの臨場感は得られずとも、メイもまたいきなり現れた何本もの黒い筋に驚愕しきっている。
「これは一体?」
初めて見る、おそらくと言わずともほぼ確実に魔力が関係してるであろう。
魔女と魔法少女が誰とも言わずに解説を、これらの正体を追及したい欲求に駆られている。
「説明は後にしてちょうだい」
二組の、それぞれに色合いの異なる視線に注目されながら。
エンヒは発信機を懐にしまいつつ、次に何よりも優先すべき事象を言葉にしていた。
「敵が……、彼方が出現したわ!」
エンヒは目元にメイと同じ種族の特徴を、暗い色の羽毛をボワボワと逆立てながら。
キンシの頭部が引き抜かれたとほぼ同時に、まるで詰まっていた物が吐き出されるかのような勢いでこの世界に出現をしたそれを。
「a-a-,ahyaahya,awawawawawawawa」
丁度ポリバケツほどの大きさがある、丸くてプルプルと柔らかそうな、生き物の体液をより集めたかのような肉体を持つ。
表情も眼球も確認できそうにない、少なくともこの世界における人間の基準は満たしていない。
彼らは怪物の事を見ていて、そして次に選ぶべきことはすでに決まりきっていた。
「来い!」
オーギが叫ぶ。
それは他人に対して向けられているようにも聞こえるが。しかし、彼の事をある程度知っている人間ならばその認識が間違いであることを判断できる。
若い魔法使いは何一つとしてためらう素振りもないまま、左腕の袖を肘が見える辺りまで素早く捲り上げる。
それまで隠されていた素肌が空気の下にさらされる。
彼は膝より下の腕、内側の柔らかめな皮膚を若干上に向ける。
そこにはいかにも鉄国(この国の名前)のN型(耳も尻尾も何も無い人間)らしく、全体的に黄色の雰囲気を帯びつつも、やはり紫外線が足りていない感じがする。
少なくとも膝より上ならば、この世界における「普通」。何もない、何事もない、平和と平穏とオリーブの葉で作られた囲いの範疇に収められる人間であったのだろう。
しかし彼は魔法使いで、そのうえ、よりにもよって灰笛という名の土地で生きる魔法使いなのである。
「あれが……」
まるで世界の誰かに見せつけるようにしている。
オーギの腕に刻まれているそれを見て、エンヒは知らず知らずの内に驚きと、異物に対する本能的な緊張感を体の表面に走らせている。
「まったく、休む暇もあらへんな」
オーギはなんとも忌々しそうに文句を吐き出している。
彼の腕にはその健康的な血色を放っている皮膚。その皮膚の上に、まるで生まれてこのかたずっと存在してるかのような、その位の自然さがあり。
しかし同時に、絶対に逆らえようが無い違和感が色濃く、強く内包している。
見ようによっては刺青にも見えなくはない。しかし少しでも目を凝らして見れば、それがそういったファッション要素と大きく異なる。
もっと忌むべきもの、恐れ、氷河に開かれたクレバスと同等の隔たりを持たなくてはならない。
そんな、どこか強迫観念じみた意識を抱きそうになる。
オーギはそれを、皮膚の上に走っている「傷の痕」に強く意識を集中させている。
そうすることによって、行動は彼の脳に意識発現させ、生まれた感覚は体内に内包される幾つかの要素。
それは一言に電力のようで、この世界において最も基本的なもの。
原子だとか電子など、その位のレベルで当たり前な要素。
この世界における常識、誰が何を言おうとしてもその存在を否定することはできない。
一つの言葉では魔力と呼ばれ、あるいはもう一つにおいて「水」などと、なんとも味気ない呼び名が与えられている。
オーギはその力を意識する。
なにも難しいことは無い、単なる日常の一部で、すでに彼の人生においては何度も実行されている。
異常でありながら、しかし同時にありきたりな日常でしかない。
持ち主の命令に従って、その次の時点には彼の腕には巨大な箱が。
とても持ち運びには適していない、収納機能などまるで有していなさそうな。とても年期を感じさせる重厚な造りの大きな箱が、どこからともなく現れていたのであった。




