人間ってなんだろな よくわかんないな
怪物が口を開いた。
「hhhhふhhh ふ」
眼球が作り出す視点がなくとも、口内にある扁平な歯並びが自分に向けて攻撃意識を向けていることを、ルーフは察していた。
怪物が動く。
「うっ」
悲鳴をあげることも出来ず、何の武器も持たないルーフは来たるべき衝撃に備えて、虚しくも身構えることしかできなかった。
怪物が突進してくる。
硬い物と硬質な物がぶつかり合う、涼やかな音が響く。
「っ………」
……?
ルーフは自分の体がいつまで待っても噛み砕かれないことに疑問を持つ。
恐るおそる、ゆっくりとうっすらと瞼を開けてみる。
怪物の桃色の歯茎、それがあるべき場所には暗い着色がされている布の塊が立っていた。
袖の長い服をまとっている両腕が、力みによってがくがくと震えている。
月光のようにほの白く輝く細長い金属の塊が、怪物の歯と噛み合わさってカチリカチリと鈴のような音を奏でていた。
「お、o-o-, 落ち着き」
獣的に貪欲なる怪物の突進。そのド真ん前までおぞましいほど迷いなく素早く介入し、金属の棒と両腕の腕力のみで器用に怪物が繰り出した牙から非力なる少年の身を守る。
そんな化物じみた所業をこなした耳の大きい尾の生えている青年は、特に何の感情も浮かべることなく淡々とルーフに向けて何かを話しかけてきた。
「コおーーお、、、 mimimiたあいが、ますか?」
まさかとは思っていても、ルーフは目の前の青年から怪物の声と似たような音が発せられたのかと、ついつい勘違いしそうになった。
だが思考が明確さを取り戻すごとに、それは勘違いであるとすぐに判別できた。
しかしそれにしても、とルーフは思う。何だ? あの声は。
確かに人間の音声で、ルーフが生まれてからずっと使ってきている言語、それらしき発音をしているように聞こえた。
けれども青年の声には言葉では表しようのない、しいて言うならば肉質と呼ぶべきか、そのようなものが全く感じられなかった。
なんというか、いやに機械っぽいというか……。
「落ち着いてください、推奨します」
ルーフの違和感など露ほども気に掛けることなく、青年は軽い身のこなしで長い刃物の形をした金属を閃かせる。
硬い物が反発し合う鋭い音が空気を震わせ、と思った次の瞬間には青年は右の足を強く地面に食い込ませ、左の脚部を怪物に向けて激突させた。
青年の、成長した男性としての長さと太さがある脚部と、怪物の皮ふがぶつかり合う。
傍から見ただけでの印象ではその攻撃は至って普通の、人間が繰り出した蹴り技にしか見えない。
「うuuuuうuu/ iiiiiaii11;」
しかし明らかに、それは無意味な攻撃などではなかった。怪物ははっきりと嫌がり、痛みに苦しんでいる。
見ると怪物の側面の一部が、唇が隠されている皮ふのすぐ横、人間でいうならば頬骨の辺りになるのだろうか。そこがまるで、トタン板を金属バットで一殴りしたかのように窪んでいたのだ。
そんな馬鹿な、とルーフは思う。
灰笛の、こんなバケモンが出てくる物騒な町のことなど何一つとして知らない少年にも、目の前で繰り広げられた戦闘の一幕が有り得ないものであることぐらい判ることができた。
目にもとまらぬ速さで怪物の狂暴な齧りを、剣のような武器一本で阻止。そのうえたったの一蹴りで、あんな巨大な体を持つ生き物の骨格を砕くなどと。
意味不明だ、意味不明でしかなかった。
「──………─…」
知らず知らずのうちに、軋むほどに奥歯を強く噛みしめているルーフのことを、青年はじっと見下ろす。
無言でいるはずなのに、その体からは幼子の咳のような微かな音が漏れ出ていた。




