表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

376/1412

全員ヨメってことにしよう

 今日も灰笛(はいふえ)には雨が降っている。


 雨雲より生じる水の塊は粒へと変身し、与えられた重力に命ぜられるままに落ちる。

 落ちる、天空から地上へと吸い込まれつつける水の数々は、都市全体を水の装いへと着替えさせていっている。


 だが、今のキンシらにとっては、それぞれに多少の差はあれどもすでに既知の光景であるはずの水の存在感からは、少しだけ境界から離れた所に存在をしている。


「今日は珍しく室内でのお仕事となりそうですね」


 キンシが首をほとんど動かさない姿勢のままで、眼鏡の奥の視線だけをくるくると周囲へと巡らせている。


 彼女の言う通り、そのままの意味において、本日魔法使い共に言い渡された現場は外界とは異なる場所。


 灰笛(はいふえ)市内、玉稲(たまいね)区に所在のある大型博物館が本日の依頼主ということになり。

 つまりは、彼女らはこれからこの建造物の中で自らの職務を果たす。その可能性が大いにある、ということなのであった。


「こう……狭いと、ちゃんと安全にお仕事が出来るか不安ですねオーギさ──、オーギ先輩」


 無意識的な言葉づかいを雑に誤魔化しながら、キンシは隣を歩くオーギに不安げな視線を送っている。


「不安だろうがなんだろうが、おれ等は上から言われたことをキッチリ、キッパリやるしかあらへんて」


 後輩の気掛かりは、おそらくオーギ自身の胸の内にも含まれている内容なのだろうか。

 彼は眉間に形容しがたい表情を寄せながら、しかしどうにか言葉の上から責任感を持たせ、自らの行動にもその感情を張り巡らそうとしている。


「困ったときは、……うん、おれの方が補助に回るとして、多分主役はお前に任せる感じにはなりそうやけど」


 博物館の中は閑散、と言うよりは人っこひとりの気配すら感じされそうにない。

 平日の明朝ということもあるのだろうが、しかし要因はそれだけに留められるものではないと、キンシは先輩魔法使いに確認をするまでもなく薄々と感付きかけている。


「とにもかくにも、博物館のお客さんが来館する前に、なんとかしてかたをつけないといけません」


「そういうこった。一応相手側さんには開館時間の調整をしてもらってはいるが、しかしだ……相手の求める以上の成果を出すこと、それが」


「社長さんの理念、でしたっけ?」


「そういうこった」


 後輩の相月を耳に軽く受け止めつつ、オーギはスケジュールの切迫具合に溜め息を零しそうになっている。


「でも、あああ……でも、僕大丈夫なんでしょうか? ちゃんと上手く出来るんでしょうか?」


 先輩魔法使いから漏れ出る不安と焦燥感に引き寄せられているのか、キンシまでもが無意味なほどに困惑を口元に浮かべている。


「ここには貴重品がたくさんあるので、うっかり壊した時は……どうなるんでしょう? 修繕費と慰謝料は事務所づけになりますかね?」


「なる訳ないだろうが、自己責任だコンチクショー」


 オーギは後輩のおどおどとした態度にあからさまな拒否感を見せている。


 だが、キンシは彼の眉間に刻まれかけているしわなどお構いなしに、思いつくがままの不安をぐだぐだと舌の上に引き延ばしている。


「第一、僕もまだまだ屋内での仕事に慣れていないんですよ? どうしてもっと他の、適任の先輩方に頼まなかったんですか。あああ……やだなあ、屋根があったら雨にも触れませんし……」


「あー、うるせえな。文句なら報告書で社長のオッサン宛に好きなだけ直訴しやがれってんだ」


 上司と部下から与えられる負荷にオーギが苛まれている。


 その様子、魔法使いの若者たちから発せられる活力は周囲の空間を振動させている。


 だがその震えは全体の、この博物館内における限られた空間においてであっても微弱なものでしかなく。確かにそこに存在していたはずの熱量は、もう一度目を開いたときにはすでに跡形も無く虚空へと吸い尽くされてしまっている。


「あらあら。あの人たちはほんとうに、朝から元気いっぱいね」


 魔法使いの先輩と後輩の、でこぼこ漫才じみたやり取りを背後から眺めつつ。

 メイは口元に微笑みを浮かべつつも、しかし彼女もまた初めての事態に戸惑いを隠せられないでいる。


「それにしても、私……博物館にきたのってはじめてかもしれないわ」


 間違いなく自身のことについてのはずなのだが、メイの声音はどこかよそよそしい冷たさが含まれている。


「んん? ほうほう……、これは驚きの事実ですね」


 だが言葉に隠された雰囲気が確かな存在感を得るよりも先に、先輩魔法使いとのやり取りに一区切りをつけていたキンシが後ろの方を振り返って驚きを口にしていた。


「まさかこのような状態で、貴女の初体験をまた一つ目の当たりにするとは」


「ううん……、べつに今までそういった場所に縁がなかったってわけでも、ないんだけれど」


 少女の言い回しに若干羞恥心を覚えつつ、しかしメイはその辺をあえて受け流しながら。

 次に頭の中では過去の記憶、過ぎ去った情景の幾つかが静かに蘇生の若葉を芽吹かせている。


「ちっちゃな展覧会だったら、近所の公民館だったり、スーパーのちょっとした企画をながめたり、とか。いままで何度か、たまにしていたのだけれど」


 メイは生まれてから、少なくとも意識とよべる世界観が生まれた時点において、数年の程は「製作者

」及び保護者に当たる祖父の管理下におかれ。

 外出と呼ぶべき行為はほとんど、皆無といっていいほどに抑制されていた。


 やがて訪れた喜ばしき変化の後と、そして過去の集合体たる現在のあり方を含めたとしても。メイの外出履歴はかなり歴史が短く、内容も常人にくらべてみればひどく乏しいものとされるのだろう。


「でも、たしかにここまでの要領がある施設は、おそらく本当の意味ではじめて、ということになるのでしょうね」


 彼女は再び確かめるように、その椿色の瞳がこの場所ではない何処か遠くへとさまよいかけていた。


「メイ坊がそう思うんなら、そういうことでええんやないんか」


 意識はちゃんと現実に足を踏みつけていながらも、どこか虚ろな雰囲気をその小さな体に漂わせている。


 彼女の様子を横目に見やりつつ、オーギはさして興味もないと言った素振りを作りながら、一旦その場で足の動きを停止している。


「そういう事なんなら、このメンバーはみんな経験不足ってことや。まったく、やれやれやな」


 自分を先導として、後輩たちが自分に合わせて歩くのを止めている。

 動きの連動の気配を背後に、オーギは肩をすくませるように愚痴を口の端から一滴。


「おれの方も報告書に書かなきゃなんねえことが増えた。ってことで、だ」


 彼はサッと振り向いて全員の集合を目線だけで手早く確かめた後に、早速彼らに指示を出している。


「俺は先に依頼主へ仕事内容の確認をしてくるから、お前らは邪魔にならないところで待っといてや」


 人の往来がなかったことを良い事に、来館は正面入り口で済ませていた。

 オーギはいそいそと、慣れた足取りで館内を満たす空間の、ちょうど隙間に当たる部分に開かれた関係者入口へと消えていった。


「ううん、あああ……」


 待機を実行してからさして時間を有することも無く、人の気配が限りなく薄められた冷たさの中に、キンシがだべりを再開させていた。


「やっぱり不安だなあ……、ちゃんと依頼内容を完遂できるんでしょうか? もしも失敗したら……、うっかり何か壊してしまったら……。ああ、考えただけで恐ろしい」


 不慣れな案件に緊張感を抱いて、それによってネガティブな心情に囚われてしまう。


 そういった心理上の変化自体は、特に珍しいことではない。

 少なくとも深く考察して形容詞をいくつも付属させるだとか、その様な行為は必要ではないとメイは思う。


 ただ、幼い魔女の抱いた違和感はそういった一般的な心理傾向とは少しずれた所に転がっていた。


「めずらしいわね、キンシちゃんがそんなに落ちこむなんて」


 メイは少女の表情に浮かんでいる陰りを探るように、まずは自分の抱いている違和感を簡単に言葉へと変換している。


「いつも化け物と戦う前は、ワクワクしてしょうがないってぐらいに元気いっぱいなのに」


 記憶を掘り起こすまでもなく、メイが魔法少女のもとに居候するようになってからの数日間の間。

 その(かん)にも何度か、魔法使いとしての仕事はこの都市のあちこちで案件が発生していた。


 何もキンシらのような若手が無休で働きづめだとか、その様なブラックな体勢に振り切っている訳ではないにしても。

 しかし肩の肉に凝り固まった疲労感を覚えそうになるくらいには、彼らは忙しい日々を送ってきている。


 それはつまり、灰笛(はいふえ)の魔法使いにおける仕事の対象。

 異形の怪物を相手に、危険な戦闘行為をする機会が幾つか生じているということ。


「いえいえ、違いますよメイさん。僕は決して、彼方さんとの出会いに鬱々とした気持ちを抱いているだとか、そういう訳ではないんです」


 「彼方」とと言う単語の発音をまたしても聞き逃しながら、メイはしかしそれよりも少女の言葉の続きの方に関心を惹かれている。


「だとすると、どうしてそんなにくらい顔をしているのかしら」


 メイは特にためらう素振りもなさそうに、気軽な感じで相手の心情を探ろうとしている。


「んん……、どうしてと言われましても」


 彼女の紅い虹彩から放たれる煌めきにあてられながら、キンシは他でもない自分自身ことについて、なんとか的確な言葉を捻り出そうとしている。


「そうですね、理由を上げるとすればやはり、何よりも恐れるべきなのは作品の破損。その危険性について、ということになります」


 解答への到達はキンシにとって困難を極めており。

 魔法少女の小さな唇は大した段差を踏まえることもせずに、語調の雰囲気を怪しくさせようとしていた。


「僕は危険性が恐ろしい。ここは博物館であることがすでに承知されているため、ということは、此処には多数の資料、芸術、記録。作品が、此処には沢山あるのです」


「うん、うん? そう、ね。なんてったって、ここはそういう目的でたてられた建物だものね」


 メイと言う名の魔女は早くも魔法少女の変わり様に気付いていながら。


「うん、ちょっとわかってきたような? 気がするけれど。せっかくだからもうちょっと、お話を聞かせてもらおうかしら」


 しかしあえて変化を無視して、大人しく話の続きを催促することにしていた。


「おしごとの前は、できるだけ元気を多くしないと、だものね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ