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オレンジジュースで乾杯しよう

 考えるまでもない、他でもないエミルという名の男の体から大量の赤い触手が発生している。


 鮮やかな赤を発色させている、薄い帯状の柔らかさが幾本もウネウネと。


 それぞれに勝手な自由意識を有しているように見せながら、しかしそれらは間違いなくひとりの人間の意識に基づいた行動を実行していて。


「う、わ………」


 一秒と間を置かない過去の時間軸において、ルーフの意識はそこでようやく自身の肉体が触手に弄ばれている格好となっていることに。


 遅ればせながら気付く。

 次に起こすアクションと言えばもう、選択肢は明確さのもとで数少なく限られているのであった。


「わあああ? うわあああ、ああああッ!」


 叫ぶ少年。


 声を張り上げる行為をしたところで、一体何の意味があったというのだろうか。


 そのことに関して追及を深めるとすれば、まず悲鳴という行動が持つ意味合いについて考察しなくてはならなくなる。


 ここでルーフが悲鳴をあげることによって、現実に対して、世界に対してどのような意味が、影響が発生するのだろうか。

 

 少なくとも黙って、為すがままに触手による捕食を受け入れるよりは。

 それよりは、予想できる凶事を避ける可能性は広がるように思われる。


 声をあげて、悲鳴をあげて。


 そうだ、そうすれば病室の外側にいる誰か。

 この男、大量の触手を右腕から発生させているこの野郎の関係者だろうが構うものか。


 ルーフはとにかく悲鳴を。

 喉が赤く張り裂けることも(いと)わぬほどの気概によって、部屋中に轟く悲鳴を炸裂させる決意を。


 抱いたところで、やはりちょうどタイミングを見計らったかのように相手側が動きを見せてくる。


「シーッ……! 静かに」


 それは命令形で、言葉と体のどちらも少年に対して向けられているものである。


「あんま煩くしんといてや、一応ここ病院やし……」


 エミルはさも常識人ぶった素振りで。

 実際に少年にとって正しいと思わしき行動を、ひそやかな声音でアドバイスしようとしている。


「ホントは車椅子で普通に運んだ方がええんやろうけれど、ちょうど今この部屋に準備が無くてなあ」


 まるで幼い子供に言い聞かせるような態度を作っている。


 実際にエミルにしてみれば、ルーフなどはまだまだ若輩者にも満たせていない年頃にしか見えていないのだろう。


「ちょっと恥ずかしいかもしれへんけど。あー……まあ、リハビリ室なんてすぐそこやから、ちょいと我慢してくれや」


 つまりは車椅子が使えないので、エミルは自らの手から発生させた触手──。


 もとい、行く筋もの帯を形成する魔力的反応の集合体。とでも言えばよいのだろうか。


「う、うええぇ………」


 熱くもなければ冷たくもない、しかしどことなく人肌の気配を匂わせる温度を感じさせてくる。


 平然とした表情で体を拘束する魔術を使用してきている。


 赤色の柔らかな魔力の香りに口を塞がれるよりも先に、ルーフには従順な素振りを相手に見せられるほどの余裕がまだ残されていた。


「よーしよしよし、そのままじっとしておいてや……。上手いことこのまま運んでいくからな」


 相手が命令に従いそうなのを確認すれば、エミルはすぐさま腕に更なる集中力を注ぎ始める。


「さて、勢いのままについつい使ってみたはいいものの……。コレをやるのも久しぶりやからな、勝手がだいぶ変わっているかもしれへんな」


 そんな、しばらく立ち寄っていなかった地元の駅を久しぶりに使うみたいな、あやふやな感覚で大丈夫なのだろうか。


 ルーフは疑問を抱くとほぼ同時に不安を胸によぎらせたが。

 しかし、体を簀巻きにされた状態でまさか追及の手を伸ばせられるはずもなく。


 今はただ、されるがままの状態で男魔術師の様子を見守ることしか出来ないでいる。


「よし、このまま固定しておいて……。後はそのまま部屋の外に運べばいいな」


 赤い帯は最終的に、病室から無事に脱出を成功させている頃には真ん丸とした、紅色の繭へと変化を果たしていた。


「よしよし、よーし。ちょっと居心地悪いかもしれんけど、すぐ終わるからな」


 そうやってエミルが言葉を重ね、言い訳を増やせば増やすほどに、帯の数も相乗さながらに増加をし。

 

 発生当初はせいぜいルーフの体を()巻きにする程度のそれらは、城の廊下を進んでいく内にすぐさま彼の体を丸ごと包み隠すほどに範囲を広げていた。


「よーし、このエレベーターを下ったすぐそこの辺りに、今日の目的地があるからな」


「もごもご、もご」


 炎天下の下で瞼を閉じた時に見える視界、それとよく似ている赤色がルーフの周囲を取り巻いている。


 ルーフ側の声は届いていないように思われるのに、不思議と繭の外側の気配は実際に自らの足で歩いているかのような臨場感が得られている。


 聴覚しか自由が与えられていないにもかかわらず、どうしてこんなにもリアリティが感じられてしまえるのか。


 理由はいくつか考えられるとして、ルーフはふとあることに気付く。


「なんか、音がえらいよく聞こえてくるような………?」


 病室にいる間にも、その違和感に対する気配は感じられていたように思われる。


 例えば窓の外の雨音が嫌に耳孔に意識されて仕方がなかったり、あるいは突然であるはずの来客の気配を病室の扉が開くよりも先に感知できてしまったり。


 意識するほどのことでもないように思われる。

 それはきっと病床のあまりにも暇な空間によって、限定的に聴力が強化されているものだと。


 ルーフはそう思い込んでいた。


 勝手に結論を結ぶことで、出来るだけ考えないようにしていた、と言った方が事実に近しいかもしれない。


 だがその推測も外界に当たり前の面を下げて広がり続ける現実の前には、ただただ虚しいものでしかなく。


 ルーフはエミルの手によって作成された繭の中で、魔力の帯の向こう側に広がる世界を聴覚によって、まさしく手に触れるように実感できてしまっている。


 肉体そのものは相も変わらず、他人の手の中に閉じ込められている状態でしかない。


 眼球には何も与えられておらず、広がるのは見事なまでの均一と果てしない平坦さばかり。


 何も見えず、何にも触れることは叶わない。


 なのにどうしてこんなにも、音は自分に世界の存在を一方的に主張してくるのだろうか。


「………あの」


 誰にも顔が見えないままの状態で、病室からの移動をさせられている。


 音の量に耐えきれなくなったか、あるいはこのまま黙って目的地まで運ばれるのも味気ないと思ったのか。


 いずれにせよ、ルーフはほぼ意識することもせずに繭の中から、その持ち主たる男魔術師に質問文を投げかけていた。


「もしもし」


「どうした?」


 簡易ベット一台分なら、容易く収容できそうな広さを感じさせるエレベーターから降りる。


 エミルは少年の体を繭の中に閉じ込めたまま、内側から蚊の羽音のように発せられる声に返事をしている。


「これから、その………リハビリを開始するって」


「そうそう、その通り」


 ルーフの質問に返答をしながら、エミルは城の廊下と思わしき場所に靴音をリズミカルに響かせている。


「これから君には色々と、それはもう沢山の然るべき処置が待っている。いるが、だが……な」


 靴音は時々リズムを中断さつつ。

 若干戸惑いがちな足運びを奏でながら、確実に少年の体を指定された場所へと運搬しようとしている。


「なんにせよ、そんな弱り切った体じゃあ出来る事もまともに出来るわけあらへんと。いざという時、普通の方々を守るための準備をする。そのためにこの城は、あー……オレ等魔術師は君のような人をキッチリ治療して、管理しとるって訳で」


 エミルはまるで誰かに向けて、何かに対して言い訳をするかのように。


 少なくとも今近くに密閉している少年に対してではない、他人のための言葉をペラリペラリと重ねようとしている。


「でもそれって」


 大人が一生懸命何かを誤魔化そうとしている。


 そういう時は、自分のように何も知らない子供はそれとなく、適切な相槌だけをしてればいいのだと。


 そんな処世術がふとルーフの頭の中に浮かんだが。

 しかし、思考の理由を求めるまでもなく、方法を実行する義理など何もない事に気付く方が早かった。


「それってつまり、他人を助けるために俺みたいな………怪物のなりそこないを利用するって。そう言うことなんやろ?」


 嫌味を言いたかったわけではない。


 ルーフにしてみればイロニーを決めこめる程の余裕などなく、単純に思ったままのことを馬鹿正直に口にしただけにすぎない。


「なるほど、な……」


 だがエミルは足の動きを止めて、しかし魔術は継続させたままに少年の意見を歯の間でじっくりと噛みしめている。


「君の言いたいことは確かに、この城が雨空の下でのさばっている事に関しての疑問そのもの、と言えるんだろうな」


 ルーフの顔のすぐ下で繭が、繭を構成している赤い帯の幾つかが微かに蠕動(ぜんどう)したような気がする。


 男の足音がそれ以降続かなくなったことにルーフが違和感を覚える。


 繭の内部で少年が微かに身を動かそうとしている。


 動きを目で確認するまでもなく、エミルもまた眼球以外の感覚でひとりの人間の存在をずっと感覚として受け取り続けていた。


「今まで色々とそれっぽい言い訳をしてきたけれども。所詮はただの言葉でしかない……。魔術師は魔力が内包する無限の可能性に危機感を抱き続けながら、面目上は人道的な規制によって人々を保護していることになる」


 はて、一体全体なんの話しているのだろうか。


 ルーフは相手の表情をもまともに望めないままの状態で、しかし沈黙を保ったまま魔術師の次の言葉を待っている。


「でもそれは、結局は自由の規制で。魔術師は魔力に頼る産業を構築していながら、その実魔力によってもたらされる選択肢の数々を幾つも、幾つも潰してきた。この城だって、結局は……」


「あの………」


 分かりそうで、しかし今の自分にはまだ理解が及ばないであろうと。


 ただそれだけは何となく判断してしまえる。


 ルーフは自らの至らなさを心の奥底で恥じ入りながら。


「話はまた別の機会にいくらでも聴くんで………。とりあえず、早くこの繭から出してほしいんやけど」


 しかし、今はもっと別の事柄を優先してほしいと。

 少年は割かし直接的な表現で魔術師に要求をしていた。

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