空耳の王様
意図の一歩外側において、感覚は新品の刃物のように研ぎ澄まされようとしている。
エミルから発せられる注目の下、ルーフは指の先を包装紙へと触れさせている。
嗚呼、そう言えば、爪がこんなにも伸びている。
ここ最近はずっと惰眠を貪っていたため、かつてないほどの速度で体が伸縮を繰り返しているのか。
「どうした? 開けないのか」
茶色い包み紙に手を這わせたまま。
動きを止めているルーフに向けて、エミルが次の展開への催促を暗に伝えてくる。
「遠慮せずにほら。別に開けた瞬間に巨大なピエロの顔面が飛び出てドギャーン、とかじゃないから」
むしろその位のジョークを決めこまれた方が、ルーフにしてみれば救いが見いだせたかもしれなかった。
いつまでも動きを止めたままでいられるはずもなく、ルーフは自らに残された数少ない自由を行使するより他は無かった。
もう一度包み紙に指を這わせ、さてどこから開封の切っ掛けを作るべきか。
しばらく考えて、考えようとしたもののそれらしき目所を見つけることもできないまま。
結局は伸び晒した爪の長さに頼る形で、茶色い紙の表面を抉るように破ることにした。
ビリビリと軽快な音が病室に響き渡る。
小規模な破壊を実行している、行為の中でルーフは改めて郵便物の大きさを実感していた。
大きすぎることも無ければ、しかし決してコンパクトとも呼べそうにない。
絶妙なまでに持て余してしまいそうな、届け物は引き取り手によってその姿を白日の下にさらしていた。
「………えーっと」
散々勿体ぶった割には、特に何の感慨も無しに内容物は当たり前の面を下げてそこに存在をしている。
「これは」
質問をするまでもなく、必要性などどこにも感じられそうにない。
それ程に中身は単純なもので、一目見ればその正体などいとも簡単に把握できてしまえる。
「これは、なんだ?」
だがそれは物品に対しての情報においてのみ該当する条件でしかない。
ルーフは自らの腕の中にある物体が、どの様な意味をもって自身の手の中にあるのか。
まるで理解を追いつかせられないまま、どこか間抜けな様子でエミルに質問をしていた。
「それはお前の右足だな」
少年の腕の中にある義足を見やり、エミルはあくまでも平静な様子で問いかけの関しての回答を声の上に並べていく。
「と言ってもそれはあくまでも仮のもので、まずは既定のものから試して利用に向けた情報を集めるってのが、まず最初の目的であってだな」
あらかじめ伝えるべき内容は決まりきっていたと言う風に。
エミルは滑らかな語り口でルーフに治療メニューを伝えてくる。
「とにかくだな。なにもいきなり百メートル走をしようだとか、そんな無理をする必要はないんだ。まずはゆっくりと、一つずつ事を片していくところから始めるんだ」
エミルは具体的な事柄を説明してきている。
だがルーフの脳はそれらの言葉を情報として認知しようとはせず、声は耳の穴を端から端まで雨水が流れ落ちるように通過するだけであった。
「そういう訳だから、まずは簡単にできる筋トレから始めていって……。って、あれ? もしもし?」
腕の中に義足を抱えたまま物言わぬ彫像と化しているルーフに、エミルがわざとらしく確認の動作を見せてきている。
「あー……、どうした? だんまりしちゃって、どこか痛いとこでもあるのかな?」
まるで子供に語りかけるような口調になっている。
実際エミルにしてみれば、ルーフなどはまだまだ幼子の域すら脱していないのも、単に事実でしかないのだろうが。
「まあ……君がどう思おうと、ここに居る間はこちら側の提案をのんでもらう他に選択肢は与えられていないんだけどな」
語りかけても一向に返事をしようとしない、コミュニケーションの気配も望めそうにない。
すっかり沈黙に沈みこんでしまっている患者に、エミルは一体どのような対応をすべきか答えを見いだせないでいる。
「ほら、ジッと見てばっかりいないで。実際に触ってみて、何か気になる点があったら早速データとして参考にするってことだから」
ぼんやりと考えだけを頭の中でぐるぐると廻している。
ルーフの静物っぷりにそろそろ痺れを切らし始めたエミルが、彼の手からサッと義足を取り上げる。
「こういうのって人によってサイズや重さだとかが違っていて、これと決まった規定が無いんで。やっぱり実在の人間、実際の使用者がどんな状態なのかを記録する必要があるんやって」
プラスチックと金属で構成されている、ごく単純な造りの義足を腕の中で眺めまわしながら。
エミルはやがて諦めたかのような溜め息を一つはきだし、手の平に有り余るそれを軽々とルーフの腕の中に戻してくる。
「そいじゃあ、また明日」
届け物を渡し終えた。
それで今日の用事は終了であると、エミルは片手を軽く上げたまま病室の外へと。
ルーフの視界の外へと去っていく。
一連のことが一体いつの事であったのだろうか。
そう言えばこの部屋には時計どころか、暦を計るためのカレンダーすら用意されていないと。
ルーフが今更ながら、出遅れもいいところで気が付いた。
その頃合いにはすでに暦は一歩前進しており、再びエミルが病室に訪れていた。
「グットモーニン、グッモーニン。おはよう、今日も雨だぜいい天気だぜ」
窓の外には相変わらず雨空しか広がっていない。
この都市では雨天であろうとも、雪や霰が降らない限り悪天候と言う言い方を使用しないのだろうかと。
ルーフは昨日会ったばかりのエミルの顔をベッドの上から見上げながら、まだ眠りから覚めきっていない脳内で下らない予想に思いを馳せている。
「さあ、早速行こうぜ」
今日はいよいよリハビリ開始日であると。
エミルは違和感を抱かせるほどの張り切り具合で、寝癖まみれの少年に明朗そうな表情を向けている。
「今日は絶好のリハビリ日和だ。まあ、日程はだいぶ前からすでに決まっていたが、それにしても抜群の空模様だ」
エミルがいかにも自信ありげに頷きを繰り返している。
しかしルーフの耳には、窓の外でより雨の気配が強まっている音しか聞こえてこない。
「それで………、俺はこれからどこに行けばいいんだ?」
相手が精一杯テンションを上げようとしてくれている。
その気遣いに気付けない訳ではないにしても、ルーフはどうにも相手とうまく同調できそうにないでいる。
「ていうか、この部屋から動いても大丈夫なんか?」
これから自分に課せられるであろう命令の数々よりも、ルーフには気掛かりなことが二つほど胸の内を占領していた。
「俺ってつまりは、ここに収容されているってことなんだろ?」
口先ではあまり乗り気ではない雰囲気をかもしだしつつも、体はすでにベッドの縁まで移動している。
まだまだ不慣れな挙動でありながらも、すでに片足が無い生活を自らの人生の一部として認識しようとしている。
「あー……まあ、そういう言い方も出来なくはないかな」
少年の左足がベッドの外へ、病室の床の上にそっと触れる。
片足だけに入院患者用の部屋履きがはめ込まれる。
エミルはその動作の流れを視界の下に確認しつつ、彼の言い回しについて曖昧な返事を口にしていた。
自らの移動作業に集中力を割きつつ、ルーフはエミルの表情の動きも見逃さないようにしている。
「だったら、いくらあんたの………エミルさんの監視があるとはいえ、俺みたいのがこの城の中を自由に動き回るのは、色々とヤバいんじゃないのか?」
今までうやむやにされていたものの、自分はれっきとした犯罪者であること。
そして何より、ごく最近にはそれこそ世界を滅ぼすほどの勢いで暴れかけたもの。
ルーフは自らの記憶に、この部屋で目覚めてからもうすでに幾度となく繰り返してきた確認作業を、いま一度胸の中でひと巡りさせている。
「なんだよ、随分と今更な疑問を言ってくるじゃないか」
口では後ろ向きなことを並べ立ててながらも、体はいそいそと部屋から移動をするための準備を続行している。
少年の様子を見下ろしながら、エミルは至って身軽そうな格好のままで口角を僅かに上げる。
「確かに、当の本人が危機的意識を持つことは大事だし。こうしてオレが現に観察監視を行っている訳だから、疑問を抱くこともまあ分からなくもないがな」
エミルは監視対象に対して緩やかな同意をしつつ、しかしどこかふざけた様子を崩そうとしない。
「だったら………」
だとしたら、何だったのだろうか。
疑問はいくらでも脳内に浮上させていながら、しかし具体的な解決策を発案できるほどの器量も持ち合わせておらず。
「でも、今はそんなことを気にしている場合でもないな!」
ルーフがもう一つの気掛かりを口にしようとする。
そのタイミングを端から押し潰すかのように、エミルが自然な動作で右腕を宙にかざす。
「え?」
果たしてルーフが言おうとしていたもう一つの疑問とは。
それは部屋の移動方法について、片足の自由を喪失したこの身でどうやって病室からの移動をするのか。
車椅子を利用しようとも、それはエミルがいる方角、つまりは病室の出入り口がある方向には置かれておらず。
それどころか、先日にベッドからの落下事件を起こした日から、いつの間にか部屋の中から音もなく撤去されていた。
可能性を匂わせていた移動方法の気配も見えないままに、一体どうやってこの肉体を部屋から移動させようとしているのか。
ルーフはエミルに手立てを聞こうとした。
だが唇が質問のための言葉を発することは無く。
その体は疑問を含んだまま、想像の外側で浮遊感だけを与えられていた。
「うわ、は?」
さっきまで、ほんの数秒前までは入院ベッドの上に重力を預けていた。
頭の方向は然るべき方角に伸びていたはずなのに、現在に瞼の隙間から見えているのはつい先ほど体を乗せていたベッドの表面が下方に望めている。
耳元でシュルシュルと、幾つもの柔らかい筋が蠢く摩擦音が響き合っている。
一体片足が無い状態でどうやって、この体を別の場所に運ぼうというのだろうか。
ルーフが抱いた疑問など下らないと。
まるで嘲笑するかのような軽々しさで、掲げられたエミルの腕から発生する無数の赤い帯が言葉にすら変われなかった疑問の答えを現象の中で解いていた。




