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忘れたい気持ちに嘘は無い

 体が空腹感を覚えていた。


 体内に必要な栄養素が欠落し、肉体を形成する細胞のひとつ一つが食事行為を、命令に近しい強制力をもって主張をしている。


 そんな状態であった、だからなのだろうか。

 ルーフは顎を動かしながら、歯の間に柔らかい人参の感触を味わいながら。


 潰され、柔らかく圧縮された物体を喉の奥に流し込む。


 腹の中、胃の内側が満たされる。


 感覚を一つずつ味わいながら、ルーフはすでに食膳へ次の一手を伸ばさんとしている。


「食欲がちゃんとあるのは嬉しいことだが、そこまでがっついているとちょっと不安を覚えるな」


 早くも煮物の器を空にしようとしている。


 ルーフが茶碗の米を噛み潰している。

 その様子を眺めがら、エミルが少しばかり不安げな表情を浮かべていた。


「別に残しても構わないんだぜ? 無理して食べ尽くすよりも、ほどほどの具合で栄養を補給できれば充分なんだし」


 どうやらこの男は、ルーフがさもご馳走にありつけたかのような反応をしていることに困惑を覚えているらしい。


「いえいえ、全然。ご心配には及びませんっすよ」


 ルーフは嚥下(えんげ)の後に口を開く。


 疼く腕を抑え込みながら、いったん箸を置いた状態でエミルに意見を呈する。


「ここの食事、結構いけますし。それに………」


 一つの欲望のままに連続させていた行為を一時停止させる。


 行動の間に生まれた空白の中で、ルーフは自らの内層に生じている感覚を表す言葉を選びかねている。


「それに、どうした?」


 エミルは少年の方から目を逸らし、部屋の壁を眺めながら彼の言葉の続きを待っている。


「なんつうか………前よりも食欲が増えたっつうか、ものがより美味く感じられて仕方がないっつうか」


 プラスチック素材のカップにたっぷりと注がれた野菜スープ。


 コンソメの色が薄く攪拌(かくはん)されている。


 原形を留めないほどに煮込まれた野菜と粒に唇を寄せて、温かく湿らした口内でルーフは戸惑いがちに語りを続行する。


「このままだと俺、大食いファイター並みに食わないといけなくなるような。………とにかく、その位なんっすよ」


 スープの残滓をこそげ取りつつ、胸の内の気掛かりをゆっくりと吐露している。


「あー……、まあ? その辺りに関してはあまり気にする必要もないと思うぜ?」


 液体を大量に含んだ少年の喉元を見ながら、エミルは軽薄な様子を作りつつ返事をしている。


「さっきも言ったとおり、食欲は無いよりも有る方が良いに決まっとるし。それに、そこまでお気に召されるっつうことは、オレが食べた時よりもここの食事レベルが上がったってことなんやろしな」


 視線は壁の表面に固定されたまま、しかしルーフは男の瞳に窺い知れない記憶の気配を感じ取っている。


「とりあえず、今日のは渡した資料に目を通して、朝飯が終わってからは早速、メニューに書いてある内容に沿ってリハビリを開始していくってことで」


 そろそろ食事行為が終わりに差し掛かろうとしている。


 エミルがタイミングを見計らって再び資料を手渡そうとしている。


 だがルーフは提示される資料の内容よりも、その腕の先に在る男の表情、顔の造形に関して気掛かりを覚え始めていた。


「昨日今日で勝手に話を進められて、あまり気が乗らへんかもしれんけど。まあ、ここはどうにかしばらくこちら側に付き合ってもらうしかないんでな。勘弁してくれや」


 何か気まずいことでもあるのだろうか。


 曖昧な笑顔を浮かべている、横顔から斜めの側だけをルーフの方に見せてくる。


「………」


 エミルの顔を、顔面と呼ぶべき肉体の一部が視界の内に確認することが出来る。

 

 ルーフは満たされた腹の上で、男の顔を記憶の中で静かに照らし合わせている。


「あんまり似てない、ですね」


 ぎこちない敬語で質問をしようとしている。


 ルーフの声に反応して、相手の男が振り向くような姿勢でこちら側に視線を向けてくる。


「似てないって、誰に」


 返事が音を伴って耳に届いてくる。


 声色の時点でルーフはこの男にとってこれらの質問事項は、すでに日常の一部に組みこまれているものだと。


 エミルという名の人物にとって、その人生の中でなんども何度も繰り返されてきたクエスチョン。


 ただそれだけでしかない、ルーフは推察した時点で自らの疑問に対して急激に価値を喪失させようとしている。


「その、だから………妹さんにあんまり似ていないですね」


 しかし一度生まれた言葉の存在は完全なる消滅を望めず。


 また自らの疑問を腹の中に隠せられるほど、ルーフの好奇心はまだ鋭利さを摩耗させてはいなかった。


「ああ、モアさんとオレのことね。そりゃあ、そうだよ」


 パターンにそれぞれ差異はあったにしても、しかし内容はおおよそにおいて同様でしかない。


 エミルは当たり前の日常のついでに、大して躊躇うそぶりも見せないまま自らの情報を開示している。


「だってあの人とオレは、直接の繋がりがあるわけじゃないからな」


 答えは既に慣れきってしまっている。


 故に少しばかりの遊び心さえも作りこんでしまえる。


 相手の術中に嵌まり込んでいると、ルーフは頭でそう理解していながら。


 それでもあえて話術の中に手を突っ込みたくなる、自らの好奇心にティースプーン一杯ほどの呪いを抱かずにはいられない。


「それってつまり………」


「お察しの通り、血液の繋がりは無いってことやな」


 垂らした釣り針、あからさますぎる餌に獲物が食らいついてきた。


 エミルは濃い青色の瞳に狩猟者の眼光をちらつかせ、シンプルな身の上話を開始する。


「オレはやな、子供の頃にこの城に預けられた。言わば拾われっ子という訳で」


 男の語る所によれば。


 彼の父親はその昔とある女性と関係を結び、その結果にこの世界に誕生したのが自分であること。


 そして、母親に当たる人物がかつてのこの城の持ち主であったこと。


「つまりは………先代の城主?」


「そ、モアさんのお母さん」


 ルーフが一人の女を頭の中に思い浮かべている。


 そのすぐ近くにて、エミルの方もまたとある人物を記憶の引き出しから引きずり上げようとしていた。


「親父が……、オレの父親が経済的に余裕がなくなって、そこでだいぶ前に別れた女を頼りにしようってことで、なんとかたどり着けたのが此処だったってこと」


 陽気な話題とはとても呼べそうにない。


 しかしエミルにとっては、それらはただの過去の記憶。

 過ぎ去った時間の後、思い出のうちの一つでしかないのだろうか。


 彼の顔を見て、ルーフはそう考えようとしている。


 考えようとして、予想の中で少しでも楽観的な思考に逃れたかった。

 と、言えばそれまでの事でしかない。


「それは………えっと、大変、でしたね」


 これ以上に何を言うべきなのだろうか、今のルーフには他に言葉が思いつかない。


「そんなことも無かったよ。もうかなり昔のことだし、あれから何年経ったかな」


 ある程度の予測はつけていたとはいえ、やはり暗くなってしまった場の空気。


 それを打ち払うつもりで、エミルはあっけらかんとした表情を作りながら話題を進めようとしている。


「オレが君ぐらいか、あー……それより少し小さいぐらいだったから。えっと、もう十二年も前のことになるんやな、そう言えば」


 数と言う具体的な計測の中で、エミルは今に至るまでに過ぎ去っていった時間の量に感慨を深めている。


 この話はこれで終いで、少なくともエミルにしてみればこれ以上の展開を望んでいる訳ではなかった。


 だが、ルーフの方はそう上手く事を運べられないでいる。


「………あれ?」


 ベッドの縁に腰を落ち着かせて、特に表情を暗くするわけでもなく平静としている。


 モアという名の、この城の今の主たる少女と似た髪の色と瞳を持ちながら。

 やはり血液と言う物質的な隔たりは否定しようもなく、それらは今となっては異なる要素でしかない。


 新しく知った事実は、解明をした時間の後に広がる世界の中で、当たり前の面を下げたまま空気に一致している。


 当てはまったパズルのピースは全体の一部でしかない。


 それ以上の価値を見出せられるはずもなく、必要性などどこにも存在していない。


 そのはず、なのだが。

 

 ルーフは脳内に雑草のごとく芽吹いてくる思考、その正体をどうにか掴もうとしている。


「………十二、十二年前? それって………」


 男の口から発せられた単語の幾つか、その中から不一致の原因に該当する情報をサルベージしようと。


「ああ、そうだ。あともう一つ」


 展開された情報が頭の中で集約され、より集められた粒の数々がマス目を揃えようとしている。


 あともう少し、コマ一つ分の歩を進めた所で何か、何かしらの答えが得られそうだった。


 その所で、それこそまさにタイミングを見計らったかのように、エミルもまた記憶をひらめかせていた。


「いかんいかん、一番大事なものを忘れるところだったぜ」


 ルーフがブツブツと考えを巡らせている。


 煮詰められようとしている思考の鍋を底からひっくり返すほどの勢いで、エミルは少年の目の前にとある物体をドサリと投下してきた。


「うわあ? なんすかこれ」


 ナイフのように意識を研ぎ澄ましていた。


 そこに唐突に物体が落ちてきたことによって、ルーフは自分でも大げさな程にリアクションをしてしまっている。


「まあまあ、とりあえず開けてごらんなさいな」


 胸の奥で心臓が突発的に興奮を起こそうとしている。


 入院着の薄い布の下でジワリと冷や汗を滲ませている。

 

 少年の動揺を知ってか知らずか、エミルはお構いなしに持参してきた荷物についてのコメントと感想をつらつらと並べ立てている。


「えええ………? 何なんだよ」


 先ほどのしんみりとしたヒストリーとは似ても似つかない、ニンマリとした笑みを湛えているエミルの口元。


 その体は包みを用意した際にベッドの縁から離れており、ルーフは今男の微笑みに見下ろされている格好となっている。


「さあさあ、躊躇わないで。張り切って開けてごらんなさいな」


 まるでバースデープレゼントを、サプライズで投下したかのように意気揚々としている。

 

 男のニヤニヤ笑いを浴びながら、ルーフは話題の流れについて聞けないままに。


 半信半疑と、腹の上に転がっている包装紙に恐るおそる触れてみた。

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