猫は機械が苦手
「うめあわせをする、っていうかんがえは理解できるけど」
キンシの頭頂部から痛みが引いていった頃か、あるいは電車が幾つかの駅を通過していった頃合い。
メイがキンシの顔を見上げながら、あらためて本日の予定についての疑問を、密やかな声色の中に乗せている。
「そんな、数の足し算てきなかんかくで、スケジュールの不都合をどうにかしてもらえるものなのかしら?」
どうやら彼女はキンシの、彼女が所属している魔法使い事務所の有給と通常業務の扱いについて、あらためての気ががりを抱いているらしい。
「その辺については、ご心配には及びませんよ」
キンシは相変わらず背中の重みを電車の扉へと預けている。
ぴっちりと閉じられた二枚の板は、その薄い隔たりの向こう側に大量の空気が織り成す轟音をはらんでいる。
目的地に到達するまではその密閉を保ち続ける。
扉はまだ開かれるのに時間を有しそうであった。
「事務所と名前においてはそう呼ばれていますが、その実は広く世間に認知されているものとはだいぶ異なっていて。えっと……つまりは、そんな難しいものではなくて、結構皆さんお気楽っていうか……」
自らが従事している職業、職場環境についての解説をしようとしている。
しかしキンシの言葉はいまいち要領を得ていない。
先ほど「ケリー三」とやらの謎の人物について語っていた時とは、舌の滑らかさがあからさまに劣っている。
「えっと……ですね、働いている皆さんは大体が、その……僕と同じ魔法使いですので。なので……」
自らの好むことに関しては活力をみなぎらせ、そこからちょっとでも領域が外れた途端、別の生き物化と錯覚するほどに精力を失う。
「なるほどね、深く気にかけるほどのことでもない、のね」
メイは車内にひしめく人混みの熱に緩やかな翻弄をされつつ、目の前の魔法少女についての情報をまた一つ収集している。
「でも、それでちゃんとうまくいくものなのかしら?」
乗車時間はまだまだ続く。
メイとしてはこのまま大人しく、唇を閉じたまま鉄の道の上で運ばれるのも一つの選択ではあった。
しかし人間の肉体というささやかなる個体。
それが一所に集合させられることによって生まれる圧迫感は、沈黙を味わうための空間にはおよそ適していないのも、また逆らえない事実であった。
「魔法使いの人たちが、んんと……すごく色々とおおらかなのは、キンシちゃんを見ていれば分かってくることだけれど」
捉えようによってはそれなりにネガティブを抱かせそうな。
少なくともメイの目の前にいる魔法少女には、言葉に含まれている陰りを高確率で察知しているであろう。
「そうですね、魔法使いが心の底から誇れる事柄のうちの一つとして、許容量の深さは昔からの通念みたいなものですから」
外の光を背景に、頭部全体に影をさしているキンシは曖昧な笑顔を口元に浮かべている。
「それでも……。こんなにも自由にやっていけられるのは、やはり此処が灰笛であるからなんでしょうね、きっと」
そう言いながら、キンシはメイという名の魔女からそっと目を逸らし。
眼鏡の奥から発せられる視線は、特定された部分への注目をすることは無く。
瞳の奥に籠められた感情は、空中を舞う塵のように正体を見せようとしていなかった。
「それって……」
少女の唇から、まるで呼吸のついでのように零れ落ちた言葉。
メイがその意味を考えようとする。
それと同時に、電車は本日幾つ目かの曲がり角に遭遇をしていた。
「きゃっ」
大きく揺れる車内。
道はいつもと同様でありながらも、メイにとってはまだまだ自然現象と同等に予測不可能の衝撃であった。
「んん?」
キンシの腹部に軽やかな衝撃が沈み込む。
視線を落とせば、そこにはメイがその顔を上着の表面に密着しきっていた。
「大丈夫ですか、メイさん」
傍から見れば幼女が少女に抱きついているように見える。
しかしこの場においては、ほとんど誰も彼女らの現状を傍観できるほどの余裕を持ちあわせてはいないであろう。
「うう……うごけないわ」
振動のはずみで体のバランスを崩してしまったらしい。
メイはどうにかしてキンシから体を離そうとしていたが、どうにも上手くいかずにモゾモゾとしているばかりであった。
「それは仕方ありませんよ」
体にかかる負荷が倍になったにしては、キンシは特に表情を変えることもなく、いたって平坦とした様子で魔女に微笑みを落としている。
「だって、今は完全にサンドイッチになってしまっていますから」
何故かどこか楽しげに呟いている。
メイがキンシの言葉の意味を察しようとしている。
「警告します、列車内は酷く混雑している」
それとタイミングをさして違わずに、メイの後頭部上空よりトゥーイの音声が降り注いできた。
「揺れに警戒してください、思いやりと節度が急速において必要とされている」
そう言えば、自分の後ろにはこの青年が壁の代わりを担っていたのだと。
ほんの少し前のことすらうっかり忘れてしまっていた。
メイは背中にトゥーイの存在感を感じながら、ようやく自分の置かれている状況に理解を追従させていた。
「うごけなくなっちゃったわね」
本当の意味で挟み込まれてしまった。
メイは困惑を誤魔化すかのように、少しおどけた様子でポツリと呟いている。
詰まる息、ジワジワと増幅を繰り返す不快感。
電車はまだまだ目的地に着きそうにない。
「やっぱり……待っていた方が良かったように思われます」
ガタンゴトンと体は揺れる。
メイが少しでも体の位置をリラックスできる形状に整えようとしている。
彼女の吐息の上に覆い被さるかのように、キンシが温度の少ない声を発していた。
「え? なにか言った?」
柔らかな羽毛に包み込まれた頬をキンシの上着に擦りつけながら、メイは少女の顔を見上げている。
「混雑は幾らか予想がつきますし、今もこうして貴女は困惑の中に身を晒しています」
片側の聴覚器官には、未だにイヤホンが挟み込まれたままになっている。
キンシはそこから漏れる音楽を頭の中で反響させながら、どこか戸惑っているかのように魔女へ提案をしている。
「それに、貴女が魔法使いの業務に従事する理由は、特に該当しているようには思われないのですよ」
いきなり何を、どうしてわざわざこんな所でそれを言うのか。
要するにキンシは、魔女が今日も行うであろう仕事に関係することを、それを危険に思っているのだと。
命への危険性が含まれている行為に、自分が関わっていることを不安におもっている。
それもまた、メイがキンシの中に感じている事柄のうちの一つでもあった。
「そんなこと、気にしなくてもいいのよ」
場所に着いての疑問を押し流して、メイは少女の不安に答えを返すことを選んでいた。
「家でおとなしくしているってのも、どうにも私の性分にはあわないのよ」
扉の内側にいることを苦痛に思う訳ではない。
しかし、メイの中には同時に一つの固い確信がある。
「私は……魔女だから、あなたが魔法使いであるのと同時に、扉の内側よりも外のほうに心をそそられるの」
己の内層に答えを求めるよりも、外側に延々と広がる瑞々しい発見に関心を惹かれる。
「そうですか」
それはメイがキンシについて、色々と理解を一粒ずつ収集しているのと同じく。
少女もまた魔女の存在から、無意識に近い形で認識を確認している事柄でしかなかった。
「そうですよね、メイさんは魔女ですもんね」
彼女の綿花のように白く、しかして見た目に反して以外にも強度がある肉体を腕の中に収めながら。
視線をまたどこか遠くに、あるはずの無いイメージの中で一人の少年の姿を思い出そうとしている。
「ん?」
「あら……」
キンシの頭の中で像が完成するよりも先に、体のどこかしらから違和感を覚える。
「携帯が鳴っているわよ」
彼女の体にピッタリと抱きついている形となっている、メイの方が先んじて違和感の正体について目測をつけている。
「そうですね……、えっと?」
乗車中のマナーとして音を消しておいたものの、非常時に備えてバイブレーション機能だけは発動権限を残しておく。
だいぶ前に、トゥーイに頼んでそう設定してもらっておいた。
キンシは予想外の呼び出しに若干たじろぎつつも、体を器用にくねらせて鞄の中からスマートフォンを取り出した。
その間にもバイブレーションは音を連続させている。
振動は連続性のものとは異なり、所々に不規則な空白が生まれている。
手袋を通過して手の平に伝わるリズムが、呼び出しの内容が電話の催促ではないことを暗に表明している。
「えーっと、なになに……」
キンシは右手の手袋を唇で剥くように外し、唇が塞がったままに指先を電子画面の上に滑らせる。
パスワード(これもトゥーイに設定してもらった)をこなれた手つきでこつこつと入力すれば、若干明度が強めの画面上に、とあるアプリケーションの通知が表示されている。
(これは……)
キンシは独り言を呟こうとして、しかし唇は手袋によって塞がれているために、言葉は喉の奥でもごもごと空気だけを空虚に転がしている。
そうしている間にも、持ち主の指の先から発せられる指令に従って、アプリケーションはメッセージの発信者へとアクセスを実行している。
[それで? どういうことなんだよ]
通話、および通信、伝達機能に特化したアプリ。
鮮やかな若葉色、電子上において決して色褪せることの無いデザインカラーの中。
まるで漫画のキャラクターの台詞のように白く縁どられた吹き出しの中、柔らかな感覚を抱かせるフォントがポッコリと浮かび上がっている。
[どうもこうも、先ほど申したそのままの意味ですよ、オーギさん]
若干まごつき気味の手つきでありながら、いたって一般的な入力速度でキンシはメールの送信者へ返信を送っている。
[そのままの意味って、お前の説明だけじゃイマイチわかんねーんだよ]
キンシがひと吹き出し分の文章を入力する。
それよりもはるかに速い速度で、オーギと呼ばれる相手は返信を重ねていた。
[城に呼ばれて、しかもそれを依頼したヤツがこの前の事件の関係者って]
[どう考えても大した問題じゃないじゃねーだろ]
まさしくこなれた感じでメッセージを読みやすく、小分けに連続させている。
キンシはメッセージの相手、自分にとって先輩にあたる男性の顔を。
見慣れた、呆れ半分苛立ち一つまみの表情を、さして時間もかからないうちに頭の中でイメージしていた。




