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彼女は古典音楽を愛している

[どこがで毎日誰かが死んでいる♪ それと同じくらい他の誰かが生まれている♪ ドンドロドロロ、ドンドロドロロ♪]


 キンシという名の魔法少女からお気に入りのミュージシャンを紹介されて、これは作成された楽曲の一つ。


 歌詞の一部であること、それぐらいのことは魔女にもなんとなく理解できていた。


「これが、この声はその……音楽をつくった人が歌っているものなの?」


 魔女がキンシに質問をしている。


「違いますよ、ちょっとだけ違いますよメイさん」


 キンシはそれに答える、耳の中に音楽を反響させながら魔女へ、メイと呼ぶ彼女の方へと笑いかけていた。


「正しくはですね、音声合成技術の使用したオリジナル楽曲を制作しているものでして。今歌っているのはその音声パターンの一つ、つまりは機械が歌っている声なんですよ」


 普段語り慣れていないことで、こうして知っている情報を他人に明かすのもほとんど初めての経験でしかない。


 キンシは胸の内に興奮がたぎるのをどうにか堪えつつ、しかしてまだまだジャンルに不慣れな相手に出来るだけ圧迫感を与えないよう平静を保とうとした。


「あらかじめサンプリングされた音声を組み合わせて、作った曲を自由に歌わせる。これはそういうかんじに作られた音楽で、僕の好きな音楽の一つでもあります」


 曖昧な相槌だけを繰り返している。


 メイの反応が見える、眼鏡のレンズの先に広がるキンシの視界の背景では音楽が鳴り響いている。


 音は彼女らの脳内にだけ響いている。


 暗めの赤色なイヤホンはキンシの聴覚器官にぴったりと張り付き、与えられた機能を今のこの瞬間にも勤勉に果たしていた。


「彼はですね、なんでも僕がまだまだ箸もろくに使えなかった自分よりご活躍をなさっているそうで。この界隈ではもうすでに、ベテランの域に達そうとしているレベルでありまして。どうです? メイさん」


 右側にある耳だけにイヤホンを装着している。

 キンシは口元に笑顔を継続させたまま、自分の体の前に立っているメイに意見を求めた。


「音の多彩さもさることながら、僕はやはり歌詞のセンスにはっとするような美しさが込められていると。そう思うのですが」


 朝も早くから随分と張り切った様子で、お気に入りの曲についての魅力を語っている。


 少女の体のまわり、赤と黒に着色されたイヤホンの外側に広がる世界。


 そこは電車の中であった。


 灰笛(はいふえ)という名の都市の内側を走る公共交通機関の一つ。

 上に下に、地上か地下か上空か。今日も今日とて人々の肉体を、意識を勤勉に運ぶ道具の連続体。


 キンシら、一行は今朝も普段通りに、日常のごくありふれた行為として灰笛内を運行する列車にその身を預けていた。


「で、あるからでしてね」


 がたんごとん、鉄の道と電力の線が継続される限りに進み続ける金属と機械の塊。


 地面の下から発せられる振動の、巨大な獣の唸りのような音のさなか。

 

 何故かどこか誇らしげにしている、キンシの声が轟音の合間に滑り込もうとしている。


「彼の作る楽曲は基本デスクトップミュージックが基本なんですが、しかして試みるジャンルはそれだけにとどまらず、様々な方向から追及されるサウンドは作品を重ねるごとに彼独特の世界観を次々と構築させていて──」


 電車の外では今日も雨が降っている。

  

 キンシはその体を車内の出入り口付近、横開きをするタイプの扉に身を寄りかからせている。


 よほどの緊急事態か、あるいは非常事態のいずれか。何かしらが起きない限りは、ほぼ完全なる密閉がなされている扉。


 その先に広がるのは、やはりこの都市にとって当たり前の光景。


 変わりなく空を覆い尽くしている雨雲は、しかし今日はどことなく厚みが少ないように見える。


 時間帯的に朝は雨足が弱まる傾向があるのだろうか。


 所々にいかにも普通そうな青空が覗く、日の光がそれらを見逃さないかのように地上へぼんやりとした温かさを降らせようとしている。


「いやあ、本当にK──……の作品には、驚かされてばっかりですよ」


 何か感慨深そうにうなずきを繰り返している。


 キンシの背後、電車の窓の外にも時々日光がかすかな温度と共に明滅を繰り返している。


 その度に黙って話を聞いているメイの瞳に少女の黒髪が、光を吸い込んで僅かに熱を帯びるのを映し込んでいた。


 夜、あるいは深夜の海原のように深い色をしている。

 メイと言う名の魔女は時々、少女の持つ色を羨ましく思うことがあった。


 それが単なる無い物ねだりで、自身の持つ色とは正反対の位置に属するために、物珍しく思っているにすぎないと。


 そう自覚して、その上で、それでも憧れる気持ちはどうしようもなく抑えられないでいる。


「ねえ、メイさん」


 メイが意識を少しだけ離れた場所に置いてある。


 視線だけがぼんやりと頭部を捉えている。


 キンシはその視線を意識しているかいないか、あいまいな状態の中でほぼ無意識に近い形で左の指を自らの頭部へ。


 知らず知らずの内に魔女の羨望を集めている、黒い毛髪の中に僅かながら混ざり込んでいる。


 魔女の持つそれと同様に、色素を根こそぎ洗い落としたかのような。

 そんな色合いの一束をいじくりまわしながら彼女へ意見を求めていた。


「貴女は、それについてどう思いますか?」


「え?」


 急に話題をふられた。

 それまでも一応、少なくともキンシとしては語らいの形質を意識していたのであろうが。


 しかし、メイにしてみれば今の今まで、まるで方向性の違う事柄ばかりを考えていたに過ぎない。


「ぜひとも貴女のご意見を聞かせてほしいですね」


「えっと……」


 それは一重に話に興味が無かったから。

 

 傾聴に値すべき情報の可能性を感じられなかった。


 正直いきなり電車の中で、それもこんなにも込み合っている車内でいきなり、何を思ったのか、「素敵な音楽を聞きましょう」などと。


 最初こそやんわりと拒否の色を見せたにもかかわらず、態度の柔らかさをどのようにポジティブシンキングに捉えたかは分かりようもないが。


 とにかく、とにもかくにもメイにしてみれば、朝も早くから別に聞きたくもない音楽を無理やり聞かされた。


 それだけでしかない、言えるべき事などそれだけしかない。


「そう……ね、とても……カッコいい曲、だと、おもうわよ?」


 だがメイにしてみれば事実でしかないそれらを、ただ普通に少女へ伝えることもまた、この曲を好きになれそうにない事と同等にありえないことであった。


「そうですか! そう思いますか!」


 キンシもキンシの方で、まさか彼女から賛同と思わしき意見が与えられるとは思ってもみなかったらしい。


 狭い車内で眉をひそめられるか、そうでないか。

 ぎりぎりの瀬戸際をせめる音量において、ひとしきり感激のリアクションを口の中に跳ね回していた。


「やった、やったあ、ついに僕にも同じメロディーを共に分かち合うサークルの仲間が得られましたよ。これは、なんということでしょう!」


 一拍遅れて自らの体が存在する場の空気を察したのか、最初よりは幾らか落ち着きを取り繕った様子で。


 しかし、高鳴る胸のときめきを抑えきることもできず。

 口角をにやにやとあげている、頬には歓喜が薄く紅の色をさしていた。


「これはいけません、とてもいけませんよメイさん」


「な……なにがいけないのかしら?」


 右と左でそれぞれ共有していた、有線のイヤーカフタイプの音響装置に引っ張られるまま。


 メイは軽はずみに口にしてしまった自らの言葉に、早くも後悔の念を抱きかけそうになっている。


「それはもちろん、もちのろんですよ」


 だがキンシの方は彼女の悔いなど知る由もなく、その表情に含まれる陰りを察する気配もなく、とにかく新たなる賛同者の存在を心の底から喜んでいるだけでしかない。


「こんな小さな、若干にして旧式の音楽プレーヤーと、近場の電器屋で投げ売りされていた安物のイヤホンの音響では、とてもケリー三によるサウンドマジックの魅力を伝えきれていません」


「け、けりー?」


 どうやらそれが、さっきからずっと彼女らの脳内にバックグラウンドミュージックをもたらしている作曲者の、おそらくは芸名に当たる名称なのだろう。


 今更になってアーティストの名前を認識するようになった、ファンとしては赤ん坊にも満たない。


 一粒の細胞程度しか、まだ興味をいだけていない。

 メイの困惑を他所に、キンシはもうすでに興奮を隠そうともせずに、鼻息をふこふこと荒くさせてた。


「僕の家に秘蔵している音楽プレイヤー一式、少しでも恵まれた音響環境を整えなくてはなりません。そのためには」


 爛々とした笑顔、トンボの視覚器官のような円みを帯びている眼鏡の奥。


 瑞々しいきゅうりのような色をしている、虹彩はキラキラとした迫力でメイを圧迫せんとしていた。


「そのためには! 仕事などほっぽって今すぐ家に、家に帰ってしまいまっ」


 言葉の続きは訪れず、キンシの声は外部からの刺激によって遮断される。


 それは例えば電車の揺れ。


 急激なカーブや回避の仕様がない段差などで、車内に引力が発生し、それがやがて内部に籠められている人々へ一塊の波を発生させた。


 その余波、影響は確かに現実に起こりえた。


 事実、それらによってメイは危うく他人と他人の狭間へ、チキンサンドイッチよろしく巻き込まれていたかもしれなかった。


 だが、それらはあくまでも仮定でしかない。

 それはつまり、実際には起きなかったのだ。


 何故なら。


「先生」


 何故なら、混雑と彼女らの間には大きな、背の高い青年の体によって形成される仮初の壁が存在していたからだった。


「トゥーイ……」


 倒れかけた体を、背中から支えられる格好となっている。


 メイは青年の名前を呼びながら、上方向で樹木の枝先のように悠々と伸びている腕の矛先を目で追いかける。


「あああ……、朝一番のチョップ……」


 ピンと伸ばされ揃えられた指の下、丸みを帯びた三角形の聴覚器官の狭間。


 トゥーイという名の青年の一手は、容赦なくキンシの頭頂部に衝撃をもたらしていた。


「先生、それは選奨しかねます」


 トゥーイの体から音声が、昆虫の羽音程度に抑え込まれた音量が発せられている。


「我々は本日において、先日に休暇を要求した分の埋め合わせを早急に対処しなくてはならないのです」


 文章の違和感についてはノーコメントにするとして。


 単語の幾つかから読み取れる、それらは彼女らの本日の予定、やるべき事柄についての説明でもあった。

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