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まぶたの上のリボンとリンゴ

 質問を行ったわけでは、決してない。


 だがルーフにそれを、ありのままの事実を正しく伝える手段は、もうすでに残されておらず。


「お城って呼び方も、あたしとしてはちょっと大仰すぎるというか、ファンタジーの味が濃すぎると思うのだけれどね」


 自身が苦しげに口をパクパクとさせている。

 その間に、勝手に話題を進めようとしているモアの姿を、唇の動きを眺めていることしか出来なかった。


「でも、まあ。あー……見た目的な形容をするのならば、やはり、その呼び方が一番正しい。という事になるのかしらね」


 このモアという名の少女は、人の事情には易々と介入できるほどの足運びの軽さがみられる。


「でもねえ、やっぱり自分の家が勝手にお城呼ばわりされているのを聞くと、何となく歯が浮いてウキウキしちゃうのが、女の子心にきびしいって感じでね」


 だが、自分のことについて説明を行おうとする途端に、一気にその体から少女性を立ち上らせている。


 ルーフは戸惑いを覚えつつも。一体彼女は何を、自分に伝えようとしているのだろうか。言葉の正体だけに注目をする、そうすることで意識をモアの正体から外そうとしている。


 そうでもしていないと、今この時だけは、この女に親近感を抱いてはいけないと。

 観念が一つ、霞む意識の中で圧倒的な支配力を発揮していた。


「と……そんなことは、どうでもよくてですね」


 閑話休題、とまでに隙間が空いたわけでもない。

 モアはすぐさま表情を、瞳の奥にある感情を本来の目的への形へと戻していた。


「そういう訳ですから、近日辺りに貴方の妹さん……、とその協力者の方々がこの建物へと訪れるんですよ」


 何の違和感も持たせようとせずに、少女は相変わらずルーフの意識が及ばないところで、勝手に話を進めようとしている。


「ち………ちょっと、まて。あいつが? メイが………ここに?」


 聞き捨てならぬ事実に、驚くと同時に再び腹の内で轟く熱が膨れ上がろうとしている。


「ふざけんな………何を勝手に」


 無理なことは重々承知している。

 そうであったとしても、理解の外側でルーフは何とかして、この少女と野郎の二人に牙をむかないと。

 

 そうしないといけない、怒りという名の感情によっていよいよ自身の肉体が破裂するのではないか。


「なにを、何事もなかったようにしくさりやがって………っ!」


 ギリリギリリと奥歯を噛みしめる、骨が軋み肉が歪む音が頭蓋骨に反響する。


 もしも体に何の異常もない、通常なる健康体であったのならば、ルーフの体は四方八方に無作為な八つ当たりを実行していたのであろう。


「う……、うぎ?」


 しかしそうはならず。

 それまで鈍い痛みだけが、まだ正常の領域内には辛うじて留まっていた。


 平和な痛覚の中に、突如として新たなる刺客が。今までに経験したことなど、それこそ生まれてこのかた一度だってあったことはない。


 未経験の新たなる痛みが、ルーフの頭部をまるで巨大なフォークで突き刺したかのように。


 とても人間としての意識すらも保てそうにない、激しい痛みがルーフの意識の大部分を一瞬にして占領していた。


「あああ………っ? つうっ………?」


 体力も気力も失われている、ルーフは爆発的な衝撃と、それに対する驚愕と逃避の欲望。ただそれのみによって、ベッドの上で体を大きくのけ反らせていた。


「おっとおっと、これはいけませんよ」


 体中が熱暴走をしているかのように。

 膨れ上がる力の大きさに耐えきれず、このままだと本当に肉が、骨と皮が跡形も無く爆発してしまうのではないか。


 こんな、あからさますぎる非常事態においても、両の耳は虚しいほどの健気さで使命を続行している。


「しばらく安定していた物でしたから、油断していましたが……。これは少し危ないですよ、モアお嬢さん」


 ハリの、はたして呑気なのか、それともこれで彼なりの焦りを見せているのだろうか。

 どちらにしても、モアよりも早く男の体が動いたのは、否定しようのない現実であった。


「急いで彼を……、お兄さんを呼んできてください。それまでボクが、なんとか抑えておきますので」


 まるで人里に下りた危険生物を取り扱うかのように。

 少女が慌てた様子で靴音をたてつつ、扉の向こうへと駆けていく。


 音がやがて遠く離れていく。


 部屋の中に残された少女の気配をかき分けて、ルーフはハリの体が近付いてくる気配の、視界の外側で感じ取っている。


「やれやれ、ですよ」


 目に見える世界は酷く狭く、右半分はもはや完全なる暗闇へと変貌している。


「病人は病人らしく、大人しく治療に専念すべきなのでしょうに」


 左側にのみ許された、ハリの影が腕をルーフの上へとかざしている。


「……なんて、ボクが言えた義理もないんですけれどね」


 声の色に自虐の匂いが含まれている。


 それが意味するところをルーフが考えようと、しかして次の瞬間、彼の体は男の腕から発生した黒色。


 液体のように柔らかく、人の体から次々と溢れ出でる、温度の感じられない黒い水によって。ルーフの視界は完全なる暗黒を迎えることとなる。



 次に目が覚める。眼球を保護している瞼を、上と下に分かれている器官を開閉することによって実行され、得られる情報の色々について。


 そういった点においては、この城でルーフが目を覚ますのはこれで二度目という事になる。


 だが、色々と言っても、この時ルーフに見えているものと言えば。


「暗い、黒色だけしかない」


 どこまでも、果てしなく広がる。絶対的かつ圧倒的な暗黒、ただそれだけが目の前に広がっている。


 最初は視界の異常、開け放たれたものだと思い込んでいた瞼が、実はまだ固く閉ざされたままであるものだと。


 一つの可能性にすがるかのように、ルーフは暗闇の中で何度も、何度も開閉を繰り返した。


 しかしどれだけ回数を重ねてみたところで、瞳に映る世界が変化することはなかった。


「ああ………なんてこった」


 汗をかくほどの水分もなく、ルーフは渇き切った体で力なく指を曲げる。


「ついに……、この体も座頭市の同等に……」


 せめてそのぐらいの、フィクションのカッコよさでも望みたかった。


「そないカッコええもんやないで、海苔巻き少年」


 しかしルーフの抱いた願望は、生み出した想像ごと別の、新たに現れた他人の存在によって否定されることになる。


「ネガティブに染まるのは勝手やけど、いつまでもそれに付き合えるほどに、オレも暇じゃないでな」


 ため息交じりに、腕が顔の上に伸ばされる音がした後。

 布が擦れ合う音がして、それまで黒色一色だった世界に再び光の強烈さが突き刺さる。


「お前は? ………誰なんだ?」


 どうやら自分はしばし気絶していたらしく、それが果たしてどれだけの長さであったのだろうと。

 時間を確認する術を持たないままに、ルーフは新たに現れた人物を認識するので精いっぱいになっていた。


「オレ? あー……っと、オレの名前はエミル。アゲハ・エミルだ」


 ルーフに問いかけられるままに、滲む世界で揺らめく影が質問に答えた。


 アゲハ、ファミリーネームの響き、言葉の雰囲気にルーフの記憶の内で何かが検索に引っかかる。


 確か、それは城の。つまりは今ルーフの体が収容されている、この建造物に深く関連している人物名であった。そのはず。


「すまなかったな、俺の……部下が色々と失礼をしたもので。まずは謝らせてくれないかな」


 ルーフの目を瞼ごと覆い隠していた、薄い布のようなものをずらしたまま。

 左側に抱け許された視界のなかで、エミルと名乗る男が深く頭を下げている。


「今回の件によって、こちら側が君たち働いた行動の数々は、決して許容されるようなものではない。果たして、言葉だけの謝罪にどれだけの意味があるか、とてもオレから判断できるものではないがな」


 下げられた頭が元の位置へと戻る。


 像としての姿を辛うじて認識できる程度で、ルーフの目は言葉を発している男の表情までは視認できそうになかった。


「体調は……、あー……健康無事だとは、言えそうにないところだよな」


 自分の体のあちこちに何か、柔らかくて細いものが幾本も巻き付けられている。

 包帯のようなものなのだろうか、それにしてはあまりにも違和感が少なすぎる。


 体と密着しすぎて、逆に不気味で奇妙な感覚を覚えずにはいられない。


「この………包帯を巻いたのは、あんたなのか?」


 布の正体について考えるよりも先に、ルーフはエミルの正体について検索をしようとした。


「ああ、それ? おっしゃる通り、そのガーゼはオレが……、この場合は魔術という事になるのかな。オレが作成して、君の体を本来あるべき形へと固定している」


 エミルはルーフの言葉通りに、少年の体に施されている魔術についての説明をしようとする。


「モアは……、その様子だと君にあまり事情の説明を行わなかったようだが。あー……っと、こういうのってどう言えばいいものか」


 知らない事柄を、とても(おおやけ)に真っ当なる宣言などできそうにない。

 秘匿されるべき、羞恥をもって向き合わなければならない。


 受け入れざる事実を他人に伝えないといけない。


 損な役回りを回された、エミルが声音を濁らせながら言葉に迷っている。


「どういうも何も、こう言えばいいんですよエミューさん」


 黄色が明るく生えている、髪色を不安定に揺らしている彼の沈黙に覆い被さる形で。


 ハリの声がのんびりと。

 今日食べた昼飯の献立を教えるかのような気軽さで、ルーフに一つの事実を伝えた。


「この王子様の体はもうすでに、この世界にとっての純粋な人間と呼べるようなものではなくて。ので、こうして城の魔術で抑え込んでいないと、いつ再び怪獣になって暴れ出すものかと。ボクらなんかは不安で不安で」


 軽やかに、滑らかに発せられる言葉の後ろ。

 

 ショリショリと瑞々しい音がしている。気がつけば、彼らがいる空間には甘く爽やかな香りに満たされている。


「いやはや、昨日は驚きましたよ。油断していたとはいえ、あなたの体が再び真っ赤に爆発するものだと、戦々恐々とさせられました」


 とても恐怖感など感じさせない。

 平然としている、故に感情が全く見えそうにない。


「ですがこうして、エミューさんの助力もあり、なんとか人の形は保てました。良かったですね、王子」


 ハリの手元から発せられていた音が止み、足音と共に香りがルーフの元へと近付いてくる。


「さあ、回復祝いに林檎をどうぞ」

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