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モスラーニャのお宿

 ルーフはてっきり、自分の要求など受け入れてもらえず、故に発せられた言葉もシカトでも決め込まれるものだと。


 てっきり、そんな予想をしていたのだが。

 しかし、例によって彼の予想は外れることとなる。


 扉が開く音。硬い物と、あまり硬さの無いものが擦れ合う音。


 明るい、ホワイトを中心に柔らかい印象のペイントがなされている扉。


 横開きタイプで、見た目の温和さとは裏腹に、開閉時の摩擦音は重々しく。


 さながら地獄の門が開かれるの同等の意味。


 その奥から現れた、ルーフとハリがいる位置的に考えて見て、外部か来訪してきた者。


「呼ばれて飛び出て、こにゃにゃちわーってね」


 現れた、いかにも健康そうな少女の姿。


 かしげる首の動きに連動して、金色に輝くポニーテールが揺らめく。

 小奇麗に整えられた衣服の、柔らかそうな裾は外の空気の匂いを微かにはらんでいる。


「あたしを呼びましたか? 呼んだんだよね、ねえ殿下」


「ああ、そうだ、そうなんだよ………」


 青い瞳をこれ以上とないほどに、爽やかそうに快活そうに。

 じっと自分に視線を向けている、ルーフは少女の名前を呼んだ。


「モア………って名前だったか? お前の名前って、なんだったっけ………」


 正直なことを言えば、もうすでに肉体は限界へのメーターを振り切ってしまっている。


 声を発するだけで内側の粘膜が、ヒリヒリと実体のない火花を散らし、柔らかい肉を焦がしている。


「そうですね、その通り。あたしの名前はモア、それで間違いはないわね」


 ヒュウヒュウと全身を伸縮させることで、辛うじて真夏の微風のように弱々しく呼吸を行っている。


 病床の少年を上から覗き込みながら。

 モアと呼ばれた少女が、白く均等な形の前歯を唇の隙間から覗かせている。


「どうですかね? どうなんですかね。その後の調子はどうなんでしょう、お元気ですか?」


 蛍光灯の光をバックに、後光がさしていると形容するのはあまりにも抵抗感がありすぎる。


 敵か味方が、大雑把なる区分で他人を易々と判断するものではないと。

 誰に言われるまでもなく、それが世界の在るべき常識であろうとも。


 しかし、それでもルーフにとって自分の頭上にいる少女は、査定の必要もないほどに敵へと分けられてしまう。


 それ程に、この少年と少女の間に走る緊張感は色濃く、間に開かれた溝は暗く深いものであった。


「今日もいい天気とはとても言えない、灰色の空が我々の庭を覆い尽くしておりますよ」


 モアは下がってきた後れ毛を、右手指先ですくい取りつつ。

 そろそろ姿勢がきつくなってきたのだろうか、首の向きをベッドの上から外した。


「昨日も雨で今日も雨、今日一日はずっと雨天が続くでしょう」

 

 ルーフが横たえられたベッドから少し体を離し、青色の視線は窓の外の風景へと定められる。


「もうすでに三分の一ほど終了してしまいましたが、本日も良い日になりそうですね」


「俺にしてみれば………、こんな………クソッタレな目覚めも、そうそうありやしないけどな」


 自分の方を見ようともしない、ルーフは息も絶え絶えになりながら少女に、出来るだけ多くの悪態を贈ろうと試みる。


 だが、所詮は少年の戯言。精神的以上に肉体面をもってしてでも、今の彼と彼女の力関係は圧倒的に差が開きすぎていた。


「それだけの言葉が使えるのならば、いずれ元気も必要分を取り戻せそうですね」


 自分の担当していた案件が、それなりに予測していた通り事が運びそうになっている。

 モアは安心と満足のうなずきを数回ほど、微笑んでいる口から温度のある息を吐き出している。


「あたしは嬉しい限りですよ殿下、先刻からずっと、貴方の容体の回復をお祈りしておりましたからね」


 モアは嘘をついていた。

 しかし、嘘にしてみればあまりにも分かりやすすぎる。


 だがこんな所で真正直な感情をぶつけられたとしても、今のルーフにはおそらく大した意味を為さなかった。というのも、また事実ではある。


「体は………この通り、寝ていれば勝手に………いくらでも治る。だが───」


 聞きたいのはそのようなことではない。

 ルーフは相手がこの場所に居る、自分のすぐ近くに存在している。その間、時間を何としてでも逃すまいと。


 すでにカラカラに枯渇しきっている。体のなかから無理やり体力気力その他を絞り出し、本来の目的を手早く果たそうとしていた。


「────。………、妹は、あいつは何処だ………何処にいる?」


 体の半分もまともに起こすことが出来ない。

 僅かに曲げられた腰を支柱に、ルーフは何とか自分よりも上に位置する少女の視線と、自分のそれをぶつけようとしていた。


「メイは………? あの後、………無事なのか、教えろ………!」


 体が酷く震えている、熱も熱さもないはずなのに、皮膚の表面からは冷たい汗が毛穴から次々と溢れだしている。


 熱の無い体液は表面で寄り集まり、やがて巨大な煮こごりのような、圧倒的存在感を主張し始めていた。


「ああ……ほら殿下、ご無理をなさらないで」


 きっとベッドの外側にいる人間からは、かなり酷い色合いの少年の顔面が映り込んでいたに違いない。


 六十秒の間を置くまでもなく。

 ルーフの顔面はあっという間にゲリラ豪雨に遭遇したかのように、汗とその他諸々の体液でずぶ濡れになっている。


 視界は酷く不明瞭を極めている。

 このかすみとゆらめきが汗によるものなのか、それとも眼球の方が先んじてあるべき結末を迎えたのか。


 いずれにしても結果は約束されきっていた。


 濃い紫色と、強烈な白色が雷光のように瞬く。

 次の瞬間には、ルーフの体は再びベッドの布に陥没していた。


「ほらほら、体を冷やしちゃいけないわね」


 脱力してしまう、なんとか人としての形を保っている。辛うじて人間として生きている、今の自分にはそれだけが許されている。


 その事実がゆっくりと、たった一つ、椿の花のようにしっとりとルーフの意識。波の無い水面へ触れ、無音の中で水底へと沈み込んでいった。


「今は……。あー……、今のところは、ごゆっくりと肉体の傷を癒すことに専念してくださいね」


 言葉、力を失ったルーフの体の上に毛布を、彼の蠢きによって乱れたそれをかけ直す。


 モアの言葉、手付き。そこだけに限定してみれば敵意は感じられそうにない。


 下半身から腹部、胸の上半分ほどが柔らかい、清潔な匂いの染み込んだ布に包まれる。


「妹さんについては……、あー……っと。ハリ、君から話した方が早いのじゃないかしらね」


 少年の体を毛布で包みつつ、モアは男の名前を。自らの部下である人物の名前を、彼の方に視線を向けようともしないままに口にしている。


「会ったのでしょう? 彼女がいま身を寄せている……魔法使いのもとに、先日訪問したばかりじゃなかったかしらね?」


 新たに与えられた情報。疲労と耐え難い痛覚によってその殆どの感覚を失っている、しかしルーフの聴覚はモアの言葉を一篇も聞き逃すことはなかった。


「訪問………? 会ったのか、あいつに………お前が。お前が………! 会いにいったのか………っ!」


 激しい憤り、だがすでに怒号を飛ばすほどの体力が残されいるはずもなく。

 ルーフは毛布とシーツの間に体をうずめたまま、男に向けて情けなく歯ぎしりをするしかなかった。


「この野郎………っ、どの面さげて………っ」


 体が自由に動きさえすれば。今日一日、目が覚めてからすでに幾度となく抱いた願望。


「大丈夫ですよ、殿下」


 己の不甲斐なさに、今度は結膜から体液を大量に排出しようとしている。


「ほら、ハリ」


 モアはそんな少年を諌めつつ、視線を彼に向けたまま部下に報告を要求した。


「了解しました」


 言葉を介することもなく、ハリは上司から命令された通りに事実を。

 

 ほんの数日前のことだったらしい。

 ルーフがまだ無意識の海底に沈みこんでいた、その間に起きていた事柄を、必要最低限の文章のみで伝えた。


「ふむ」


 相変わらず鼻息荒く、興奮した獣のように激しく息巻いている。


 布の上から右手を乗せることで、少年の激情を抑え込もうとしている。


「ふむ……ふむふむ、なるほどね」


 体を少し傾けたまま、モアは窓の外を眺めながらブツブツと、短く独り言を呟いている。


「あー……まあ、いきなり歓迎をされるとは思ってはいなかったけれど。しかして、これはなかなかに上々、上々ね」


 ルーフは下から、顎と唇の先にある彼女の視線を見上げている。


 角度の関係で色、こめられている感情を読み取ることは出来そうにない。


 しかし、それでもルーフは彼女が、何かしらの喜ばしい感情に胸を躍らせている。感情の正体を、おぼろげながらも悟りかけている。


「そうなれば、彼らはこの地へ向かってるのね?」


 モアは少年の体から手を離し、そこでようやく背後にいる部下へと視線を向け、静かに問いかけた。


「ええ、全ては貴女の図る通り。彼らにその意思があれば、ですがね」


 首を動かせないので、ルーフはハリの言葉を音の身で収集していた。


「彼らはここに来るかしらね?」


 もうすでに体は少年に触れてはいない。

 モアが部下に、ハリと呼ばれている男に問いかけている。


「何も不安に思うことはありませんよ、モアお嬢さん」


 少女に確認をされる、ハリは感情の含まれていない平坦な声で受け答えていた。


「彼らもまた灰の国の同胞(はらから)、目の前にぶら下げられた肉に喰らいつかないほどに、理性を保てたとしたら、それこそ天地がひっくり返るほどの虚無となりえましょう」


 はて。

 ルーフは何とか現実世界につなぎとめている意識の中で、誤魔化しきれない違和感を覚えずにはいられないでいた。


「不安を抱く必要はありませんよ、モアお嬢さん。彼らはきっと、きっとこの城へとおもむくことでしょう」


 低く響く、大人の男のそれ、それは間違いなくハリの喉から、舌の上に乗せられている言葉以外の何とも呼べそうにない。


「………城?」


 しかし、ルーフは耳の中に入り込み、鼓膜を振動させて脳細胞へと情報を伝えている。


 男の声が、自身の内にあるイメージへどうしても繋がらない。形容しがたい不安が、喉の奥で魚の小骨のように内層をチクチクと刺激している。


「城………」


「ええ、そうです、殿下」


 反復する疑問。延々と廻りまわっては、いつまで経っても答えを導き出せそうにない。

 ルーフの頭上に、モアの声が涼やかに落ちてくる。


「ここは灰笛(はいふえ)の中心部……、という事に一応なっている。貴方にしてみれば、灰笛城と呼んだ方が分かりやすい、のかしらね?」


 いつの間にか、再びルーフの顔を覗き込んでいる。

 

 モアは血色の良い、薄い紅色の唇に微笑みを浮かべ。少年に現在地についての情報を教える。


波声(なみこえ)地方魔術師協会、その本拠地とされている。あー……つまりは、魔術師にとっての仕事現場、事務所みたいなもので……」


 彼と彼女の視線が交じり合う。


「あと……は、私の実家、という役割も担っている、わね」


 ルーフは、少女の青い瞳に僅かな困惑が浮かんだのを、シーツの上でしっかりと視認していた。

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