二揃いの目玉が魔法使いを見ている
視点はそれぞれで異なっている
巨大なる肉の突進、それは眼前にそびえ立つ二人の人影を飲み込み。
そうはならず、二人は稲光の如き速さでそれぞれ、異なる方向へと体を動かした。
背の低い子供が、長い棒のようなものを両手でくるりと回転させる。花びらにも似ている形の穂先と、奇妙なおうとつがデザインされている石突きが、回転によって空間に実体のない円形を描いた。
どうやら二人の人影は戦う相手と一旦、ある程度の距離を作りたがっているそうだ。
二人の内の一人、背が高い青年の方はまだ手に何も持っていない。
代わりに小さな本を意味もなく握りしめている。
子供の方が青年に向かって、苛立ち気味に何かを訴えていた。口の動きからして、青年がいまだに武器を持とうとしないことを疑問に思っているのだろう。
そのことに関しては自分も不思議に思った、思っていないのかもしれないけれど、思っていたということにしておいて。
青年はどうしてこんな場面でも、命の危険があるこんな場面にもかかわらず、武器を出そうとしないのだろう?
持っているはずなのに。
しかしそんなことはどうでもよかった。これからのことには何の関係もない。
子供の方も自分と似たようなことを考えたらしい、すぐに自身の行動に集中し始めた。
狭い狭い、普通の人間のための広さしかない室内。
子供がひじを曲げて、少し力を抑えて飛び跳ねる。
すると子供の体が不思議なくらいにありえないくらいに宙を泳ぎ、くるりと体を回転させて染みが点々としている天井に足がくっ付いた。
自分がその、重力を無視した技に気をとられていると体の横側から強烈な、激烈な鋭さのある衝撃が与えられた。
痛い。痛みの方向に視点を動かすと、武器を持っていない青年が身長に見合った長さのある足、そのかかと部分を自分の体に強くぶつけていたのが見えた。
硬い素材でコーティングされている青年の靴が、その中にある皮と肉と骨が、自分の足に強く強く強くぶつけられている。
嗚呼なんだ、と自分は思う。武器が無くても攻撃できるのかと。
そうこうしている内に、子供が天井を蹴って突進してきた。
目にもとまらぬ速さ。
そして槍が自分の、剥き出しの急所を貫こうとする。
そうはさせるか、自分は本能的にそう思うより先に、先んじて自分の皮で急所を隠した。
ガキリ!
皮と槍の穂先がぶつかり合って、硬質な音色を奏でる。
高らかなその音に、子供は忌々しそうに舌打ちをした。
そう簡単に、易々と、容易に触られてたまるものか。自分はそう思っている。
何故そう思うのかは解らない、解ろうとも思わない。
そうしたいから、理由はそれだけで十分だった。
それに、まだまだ戦いは終わらない。
できれば邪魔が入ってほしくないのだが。
邪魔とは何だろう? と自分は思う。
それは、それは例えば。
嗚呼そうだ、例えばあの。あの男と女の小さな人間たちのような。
彼と彼女は自分のような存在がいるのにもかかわらず、自身の危険もそこそこにお互いを思い、思い続けている。
嗚呼、あああああ、あああああああああ。
鬱陶しい、
鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい
鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい
鬱陶しい! ! !
気に入らない! 嫌いだ!
何故そう思うのか、未だにそう思うのか、こんな姿になったのにもかかわらず。
理由はわからない、しかしどうでもよかった。
初めその生き物に、生き物と呼ぶべきかどうかも分からない存在を見たとき、ルーフの頭に浮かんだのは故郷の村。
家の近くにある、草がぼうぼうに生え茂っている暗い沼。そこに生息しているカエルの姿だった。
目の前の彼方と、「かなた」と聞き取れたがどう呼ぶのかいまいちよく判らない、だがそんな感じに呼ばれている怪物を目にした時、ルーフがカエルのことを思い出していた。
どちらかと言えばかなたの姿はオタマジャクシに近く、カエルとは全く異なる姿かたちをしている。
なのであまり連想のつながりに整合性が無い、とルーフ自身も自覚している。
だが少年の思い出は、カエルを中心にして呼び起されていた。
まだまだ、今よりも幼かった頃、よくカエルで遊んだものだ。
適当に手当たり次第捕まえて、意味もなく握りつぶしたり手足をもいだり腹をかっさばいたり。
思い返せばどうしてああまで、純粋に何も思考することなくあんな残酷なことが出来たのか。
今となってはもう理解できそうにない。
はっきりと、思い出せるのは妹の嫌そうな顔だけだった。
しかしながら、あの生物の足をもぎ取ったり腹を裂いたりするのは今の少年、そして昔の少年にとっても至難の業であることは、十分に理解できることである。
ルーフは冷や汗をかいていた。
ここは逃げた方が良い、脳の何処かで声が推奨してくる。
妹を連れて逃げなくては、命の危険が……。
いや、それは無いか。あの奇妙な魔法使いどもは一見して頼りなさそうだったが、しかし以外にもあのバケモンと対等に戦闘をこなしているように見て取れる。
この町の、灰笛の魔法使いはおとぎ話に出てくるような、とんがり帽子に裾の長い服を着たような、架空の魔法使いとは全く異なる。
いつかの昔に祖父がそう言っていたのを不意に思い出す。
とにかく二人の魔法使いにこの場を任せておけば、妹の身の安全はとりあえず保障されるだろう。
しかし、その後は?
まだこの騒ぎに町は感付いていないようだが、いずれは騒動を聞きつけて人々が集まってくるだろう。それに、彼方の駆除は魔法使いが担っていても管理をするのは自警団、灰笛における警察機構に似た組織が受け持つと聞いている。
自警団がここへ来て、そして自分と妹の存在を知ったならば?
ダメだ、とルーフは思う。
今はまだ、そのようなことは避けなくてはならない。特に自分の顔は、仮面で誤魔化しているとはいえ警察に似た組織に認知されることは出来るだけ避けたいことだった。
ならばやはり、隙を見てこの場所から逃げる方がよさそうだとルーフは思う。
でも、どうやって?
出入り口は見ての通り戦闘現場と化していて、到底子供二人がこそこそと逃げる余裕などありそうにない。
第一、あんなところを通るなんて危険過ぎる。
ならば、店の裏口を通るべきか。カウンターの中を通過して適当に探せば出口の、あるいは窓の一つや二つは見つかるかもしれない。
店長には逃げる姿を見られるだろうが、それはもう仕方のない事とするしかないか。
よし、とルーフが決意すると。
腕にざらりとした感触が伝わってきた。
驚いてみると、
「お兄さま!」
いつの間にか妹がすぐ傍まで来ていた。こんな混乱状態にもかかわらず兄の元へと移動してきた。
「お兄さま!」
そしてその細腕で、兄の体を押し倒した。
どうして、何故そんなことをしたのか。
その理由はすぐ知ることになった。
そして同時に、彼女に聞くことも不可能となった。
なぜなら寄り添う兄妹のもとに、先程の爆発と負けず劣らずの爆発的な衝撃の塊が襲ってきたからだった。
背中全体に叩き付けられ、ズリズリと引きずる痛みにルーフは数秒の間呼吸を忘れる。
「大丈夫ですか!」
若い人間の声、ゴーグルをつけている魔法使いの声が鼓膜に届いた。
人間の温かい気配に包まれながら、ルーフのもうろうとする体が横向きにされる。
砂埃と涙によって滲む視界、それが晴れる頃。
ルーフの眼には信じがたい、受け入れがたい、許容しがたい光景が映った。
衝撃の原因、それは彼方がその巨体を自分たち兄妹に向けて突進してきたことによるものだった。
ブルブルと波打つ、黒々とした肉の塊。
巨大な眼球にも見える結晶体は赤々と輝き、その下にはいやに人間らしい唇が開かれている。
薄い、目を凝らさなければ視認することも出来なさそうなほどい薄い唇。それが今はぽっかりと開かれている。
あるものを飲み込むために。捕えたばかりの獲物を飲み込むために。
唇が水中の魚のようにパクパクと動く。体を上向きに反らせて、一生懸命に獲物を飲み込もうとする。
やがて獲物は完全に呑み込まれた。
小さな小さな人、メイと言う名の幼女は、怪物に丸呑みにされた。
ようやくファンタジーっぽくなってきましたかね?




