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いらっしゃいませ怪しいお人

 こういう展開は、思えばメイがこの家に世話になる時から初めてのこと。

 

 初体験のことであったため、彼女は一切困惑しないという訳にもいかなかった。


 そのうえ。


「んもー、何なのでしょうねピンポンピンポンと……」


 当の、鐘に呼ばれている家の主が、キンシが何故か部屋の中の壁に。何も無いようにしか見えない、ただの壁の一つに向き合っている。


 その行為の意味を、メイが考えようとしている。


「えっと、この辺りですよね」


 キンシの体は壁の前、たったいま食事を行っていたちゃぶ台から、ほんの少しだけ離れた所。


 ただの壁、という言い方にも少しだけ語弊があった。

 そこには扉が一つ、この部屋の基礎となっている列車の、かつてとも言えぬほどにそのままな。


 電車としての名残。

 本来ならば車両を利用した乗客を、大量の人間が出入りしたであろう。


 しかし今は、横開きを開閉することなくただの壁の一部と化してしまった。


 そのはずの、そう思える。とりあえずメイだけは、そう思い込んでいた。


 だがそうではないと、魔女の認識は魔法少女の次なる行動に打ち消されることになる。


「はい、家の主……は、ここにいますよ」


 じっと閉じられている、普段は当然の如く出入り口としての活用などしてはいない。


 仮にキンシの腕の力で、何も起きていないときにそこを誇示あげたとしても。向こう側に広がるのはコンクリートの壁か、あるいは崖下の潮風が顔面に叩き付けられるか。


 どちらかのはず、だったのだが。


「いらっしゃい、いらっしゃいませ。僕はあなたをお招きしま──」


 風呂場の扉を開けるかのような、そんな感じの気軽さで。

 キンシが、部屋の主が来訪者を受け入れる。


 言葉を発した途端に。


「いやー、いやいやはやはや、いやはや。おはようございます、おはいよございます」


 扉がサッと、まるでどこかの御殿のふすまのように光られた。


 その奥から登場したのは、嗚呼、何ということでしょう。


「メイドさんです」


「メイド……さんね」


「………、コメントは不可」

 

 一人のメイドであった。

 メイド以外の何ものでもない、そんな感じの格好に身を包んでいる。


 外の、快晴とも言えない曇り空から降り注ぐ薄い光。


 明るさを背後に、メイドの全円型に縫われた漆黒のスカートが潮風にあおられ、柔らかく裾をはためかせている。


「皆様、お食事の途中に失礼いたします」


 部屋の中、図書館にこもっていた時は気付かなかったが。外部は、メイドがいる方の場所では風が強く吹き荒れている。


 ここ最近の灰笛は風圧の強い日が連続していて、メイドの重量感の在りそうなワンピースは乱れていた。


 白く清潔感のあるエプロンがずれている。

 しかし本人はそのようなことはまるで気にとめようとしていない。


「お昼ごはんは、いまちょうど終わったところよ」


 どうして壁からメイドが登場したのか。だがメイにとってこのシチュエーション自体は初めてではなかった。


「なんの、ご用事かしら?」


 となりに、自分にとって絶対の信頼を置ける男の姿がいない。空虚を胸の内に転がすよりも早くに、メイは部屋の中で一歩ほど前に。


 出来得る限りに語調をはっきりとさせながら、扉の外のメイドに気丈に話しかける。


「御用ですか、もちろんありますとも」


 室内にいる人々の、各々込められている感情は異なれども。

 しかし、皆一様に警戒の黄色と黒の色彩を目線に混入させていることは、否定しようのない事実でもある。


「そうでなければ、わざわざこのような方法を使ってまでお邪魔したりしませんって」


 まだ雨は降っていないらしい、しかしメイドは全身に外部の生臭い湿気を漂わせている。


「あ、金木犀(きんもくせい)のかおり」


 誘われるままに部屋の内部へと、扉の境目をそっと踏み越える。


「ナナセさん、でしたっけ?」


 扉を占めないままに、キンシはメイドと思わしき人物の名前を呼んでみた。


「あなたは一体、どこでこのルートを?」


 言葉少なげに問いを。

 質問という相互なコミュニケーションとは異なる、これは一方的な尋問を強く意識している。


「ああ、そうですね、いきなり住所を特定されたんですものね。当然、警戒すべきところでしょう」


 こつこつと、靴の底を慣らしながらナナセが、キンシにそう呼ばれた人間が彼女の方を振り向くことなく。


 しかし、聞かれた内容にしっかりと返答をする。


「なあに、別段気にするようなこともありません。ただ、知り合いにこの場所のことを教えてもらった。その点においては、わたしは一見(いちげん)とは異なる。少なくとも情報の提供者にとっては、信頼を保証されている、ということになりますから」


 言い訳をしているのだろうか、こちら側を後ろ斜めから見下ろしている。


 キンシはメイドの考えていることなどまるで解らず、それ以上に今はここに関しての追及をするべきではないと。


「そうですね、そういうことになるんでしょう。しかし、いったい誰が此処の事を……?」


 伏せた視線。

 休日らしく仕事用のゴーグルを身に着けておらず、その目はごく単純な眼鏡だけに補強されている。


 ガラス板の向こう側に、キンシは部屋の中で平然としている青年の方にちらりと視線を送り。


「……うん、その様なことは気にすべきじゃあありませんね」


 これ以上の追及は止めると判断を、しようとした所で。


「でも、それにしたって一体、どこから扉を繋げようと思ったんですか?」


 やはりどうしても好奇心が抑えきれなかったのか、キンシがそっと扉の向こう側に身を乗り出しかけた。


「あー、いけませんよっ」


 そこに、ナナセが此処において初めて動揺した様子で、少女の腕をはっしと鷲掴みにする。


「ちょっとですね、出来るだけ人目につかないところを選んだ場合。わたし……の場合はここしか思いつかなかったもので」


 金木犀のにおいが満ちている。

 その奥には水をたたえた、清潔さを失って元々の白色を欠落させかけた陶器が設置されている。


「キンシちゃん、これに関しては、ここだけでもこの人の言うとおりにしておきましょう」


 なるほど、公衆便所でまさか図書館への扉を開こうだなんて。


 まともに、真面目に忙しく日々を生きているような人々ならば、その様な突拍子の無さをいきなり発揮できるとも思えない。


 が、しかし、かと言って確実な安全があると確定できることも、またありえない。


「早いとこ、いったん閉じないと誰が来るかもわからないので……」


 キンシの腕を掴んでいた指をそっと開放し、黒い袖に包まれたナナセの腕が扉に触れる。


「ここは、とりあえず閉めさせてもらいます」


 扉を開けたものの代わりに、来客が開かれた扉を軽く、音もなく閉じた。


 

 ややあって、ナナセはちゃぶ台の前に体を落ち着かせることを許されていた。


「いや本当に、貴重な休日のお時間をこのように使わせていただいて、申し訳なく思っていますよ」


 言葉の上だけではなく、挙動や立ち振る舞い。

 外見上に表現できる内の全てにおいて、ナナセはどう見てもそれらしく、しおらしい態度を作っている。


「いえいえ」


 はて、はたして。こういった相手に対して、状況に対してどのような対応をしたらよいものか。


 キンシにはまるで解らない。

 人生においてこのような場面に遭遇したことが、ほぼ皆無に等しい。


「いいえ、そんな、その様なことはまったくございませんよ」


 しかし、初めてのシチュエーションに動揺している暇も、猶予などもないと。


 一人で勝手に腹を決めこみながら、キンシは出来るだけそれらしい対応、受け答えに努力を割こうと試みる。


「して、このような手間暇をおかけした所で。ご用件は? ぜひとも説明してもらいたいところですね」


 とりあえず、会話上の優位性はこちらにあるはず。

 

 自分は来客を受け入れた方、その立場を忘れない程度に、キンシは出来得る限りの丁寧さで情報を引き出そうとする。


「説明、か」


 家の主たる少女と、丸い茶色のちゃぶ台を間に挟んで向かい合っている。


 足に着けていた黒いヒールタイプの靴を脱いで、ナナセは今のところ大人しく部屋の中で正座をしている。


「たしかに、わたしから言うべきことはたくさん、山のごとくあるでしょうね」


 興味深そうに視線を四方八方に巡らせている。

 その様子からは単に、初めての室内に招き入れられた子供の様なあどけなささえ感じてしまいそうになって。


 キンシは慌てて頭の中に沸いたイメージを、サッと気取られないよう根こそぎ拭い去る。


「そうですね、僕からあなたに言えるべきことは殆どありません。けれど」


 出来るだけ視線を向かい側から動かさないままに、キンシは挙動と言葉で話の流れを少しだけ変えてみることにした。


「あなたに色々と話を聞きたい人ならば、僕にも覚えが一つ、なくはないですが」


 自分の後ろ、背後のだいぶ距離を置いた場所で、幼女の体が反応をする。


 体の、肉体の動きはキンシの耳に。そして当然ながら、ナナセと自らを名乗る相手にも、十分に確認できたことのはず。


「そうですね、まずその辺りの事を話すべきなのでしょうね」


 視線が動く、しかしナナセの顔面にはとてもプライベート用とは思えそうにない、重厚な造りのゴーグルが着用されており。

 それによって、外部から表情の詳細までは確認することは出来そうにない。


「ですが、わたし、私……からお話ししたいことは、そういうではなく。それとは別の事、でしてですね」


 それでも、言葉の雰囲気からして、キンシは相手が深く緊張感を抱いていることを察する。


「いえ、わたし、私……としてはもちろん、彼女に関しての愚行を謝罪する御機会は、また別の時にご用意したいと。常々思っている所、ですよ?」


 ゆったりと話しながら、しかし内容にはなんの意味も持たせようとしない。

 まるで無意味で、無駄な時間稼ぎのようにしか聞こえない。


「わたし、私は……」


 その話し方にキンシは僅かながら一つの珍しい、日常のなかではあまり抱くこともない感情を抱いた。


「あー、とりあえず、もっとリラックスしてお話ししましょうよ」


 それが親近感、自分と近しいものに対して抱く感情であると。

 彼女自身が気付くよりも早くに、キンシはナナセにとりあえずの提案を呈してみた。


「気軽に、ここでは自分の呼び方まで変える必要はありませんから」


 アバウトで曖昧であったとしても、まさか身内に暴行を働いた相手にこのような、優しげな言葉を向ける日が訪れようとは。


「あ、ああ、そうですね。それもそうか」


 だが意味だけは十分に、無事に相手に伝わったらしい。


「それじゃあ、ボクから君に頼みたいことを」


 相手に、他人に許された途端に、ナナセという名の彼は言葉のとおりを。

 言われたままの事を、そのまま実行している。


「して、頼みたいこととは?」


 僅かながらに場へ熱を通わせたと、そう思う。思いたいと、信頼を求めながらキンシが質問を重ねる。


「調べてほしいことが、あるんです」


 少女の問いかけに、メイド服を着た、自らを「ナナセ」と名乗る男性が答える。

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