がばがばの探偵と短刀
「世の中皆楽しそうで、僕よりもたくさん友達がいる人がだくさんで。でもそれは僕にとってはなんの関係もない、ただの冷たい他人でしかない」
「ふんふん」
「でね? だからある日突然、どうしようもないくらいに寂しくなる時が、あったり、なかったり」
「うん」
「そしてらじばんだり」
「ら、らじ……?」
「こめんたりでもんすたーり、なんですよ」
「……キンシちゃん」
キンシと少女の名前を呼ぶ、メイは白くたゆたう体を椅子の上から少し起こし。
かしげていた細い首を元の形に戻す。
彼女のホイップクリームのような色の毛髪が、サラサラと柔らかく毛先を揺らし。
紅緋色の瞳には、すでに若干の倦怠感が滲み出ていることも、メイと言う名の魔女は少女に隠そうともしていない。
「何ですか、メイさん」
魔女に名前を呼ばれて、キンシと言う名の魔法少女がパソコンの画面から目を離す。
メイはそのまま、あえて自然な様子でまとめて提案をした。
「お腹が空いたのかしら? お腹が空いているから、そんな暗い、さみしいお話をしようと思ったのね」
キンシがアマガエルの背のような色の瞳を丸くして、メイの予想に対して考えを巡らせている。
だがメイは、相手が言葉を得るよりも先に、さっさとそれとなく結論をくっ付けようとする。
「そうね、そうよ。お腹が空いているから、頭がいたくなってめまいがして。そういえば、朝からまともにごはんを食べていなかったわね。ダメよキンシちゃん」
一本だけ針を通し、メイはさっさと今回の作業を締めくくる。
「いくら今日がかみさまもお休みする太陽の日であったとしても、ちゃんと規則ただしい生活をしなきゃ。健全なる水は、健全なる肉体に宿る。でしょ?」
昔のことわざを引用しながら、メイは世話になっている同居人の不摂生についてコメントを一つ。
「あらあら、もうこんな時間じゃない」
腕に装着している腕時計で時間を、メイはわざとらしく目を見開いて驚く素振りをしている。
「お昼ごはんにしましょう、ね、キンシちゃん。おなかを空かせてつくった魔法に、ちゃんとした美しさは、とても難しいと思うわ」
相手を説得するためには、虚偽以上に本音が何よりの意味と効果を発揮する。
とは、これは確か彼女の祖父の言葉であったような、気がする。
「はい! 今日の作業おわり! 部屋に戻りましょ」
メイの体はすでに椅子から離れ、ヒタヒタと図書館の床の上を歩いている。
彼女がキンシの方へと歩み寄ろうとしている。
その間、キンシのほうでも時間を確認しており。
「あらあら、あら」
右の手の平にある、丸い金色のハンターケースタイプの、古ぼけた懐中時計の文字盤に目を通し。
「長い針がこんな所に、短い針も上から右に進もうとしている。時間の経過がこんなにも、予想以上です」
数字を読むというよりは、針の位置関係的な情報だけでそれとなく状況を理解した。
キンシは瞬きの後に手の中で時計をパチリ、と閉じ。記念メダルの様なそれを、そっとささやかなふくらみのある懐に仕舞い込む。
「驚きですね、メイさんの言うとおりです。こんなにも食事行為を怠っていれば、そりゃあ空腹に思考を支配される訳ですよ」」
自分の目で見て、判断をつけてようやく、キンシは自らの意識を作品から離すことができるようになる。
キンシは慌ててパソコンの画面内部をマウスで操作し、いま展開しているプログラムをさっさと収納する。
「すみませんね、自分の作業にばかり意識を集中してばかりで、メイさんも相当空腹感を覚えていらっしゃることでしょう」
上半身を少し動かし、岩石よろしく固定されていたはずの臀部は、あっさりと椅子の上から離され。
薄い布に指の一本一本まで包まれている、爪先がほとんど音をたてることなく、図書館の床と再会を果たしている。
「そのうえ、よもやあまつさえ。自分の体調不良を口実に、貴女のご気分が悪くなるような痴れ事をべらりべらりと。産業排水の如くたれ流した、これは僕の叱責されるべき失態ですよこんちくしょうが」
キンシは恥ずかしそうに寝癖まみれの毛髪を、朝起きたその時のままの状態になっている頭をガシガシと。
頭皮が赤く荒れることもいとわずに、少しだけ伸び気味の爪で掻きむしっている。
「そうよ、自己管理も私たち、魔導の同胞のおおいなるギム、なのよ」
気難しくて対応の難しい子供が、珍しく素直に言うことを聞いてくれた。
そのことを純粋に嬉しく思っているかのような、そんな明るさを発揮して。メイは早くも図書館の外へと足を進めようとしている。
「あああ、うええ、えーいええい」
小さな、魔女である同居人の白い背中を目で追いかけつつ。
キンシは大きく背伸びを一つ、凝り固まっていた全身の筋肉へ熱を通わせる。
「時間はたっぷりあったはずなのに、僕の作品はまたしても何一つ、美しさを得ないままに。中途半端に宙ぶらりん」
往生際が悪く、過ぎ去った時間の内に存在していた自分に、キンシは寂しく自責の念を送る。
「しかして、ひよこの一歩、ひと啄ばみ。せめて意味があったのでしょうか?」
そっと、片方だけ残された目で机の上のパソコンを。
だいぶ型の古い、形の崩れた豆腐のような形状の。内部に収まっているはずの、自分の書いた言葉の数々に思いを、どちらかと言えば後悔に近いそれを巡らせ。
視線はやがて、白い部屋の中心に生えている一本の樹木。その根元の辺りへ。
そこには何も、人間らしきものは存在していない、どこにも無い世界。
嘘しかない、それはキンシの記憶に新しい。ついさっきまで作っていたばかりのもの共。
嘘、フィクション。自身の脳内だけに収めるべき、虚構の数々。
それらに無理やり形を与えて、他人の目に切り刻まれるように、言葉と言う肉体を無理やりくっつけた。
それがつまりの所キンシの、「ナナキ・キンシ」と呼ばれる魔法使いの。それにとっての魔法の形。
自身の思考の内に書いた嘘を、他人の認識に組みこめるよう誤魔化した。
キンシはそこに「水」を、つまりはこの世界にとっての魔力を染み込ませる。
それが彼女にとっての魔法。
「さっき聞かれたことを、そのまま返すみたいで、ちょっとあれだけど」
図書館の最深部、円形切り取られた白い空間と、外部の広々とした別室。
部屋の内部から出たそこは、また別の部屋の内。
しかし、扉の内と外では空気が全く異なると。メイはいつも思わずにいられないでいる。
「あなたの魔法は、どうかしら? もうそろそろ終わりそう?」
白色から一変して、次に広がっているのは黒々と圧倒的な暗闇が空間を支配している。
六角形に縁どられた棚の数々が、成人した人間の一人ぐらいならば、易々と収められてしまえそうな。
本棚の数々を背景に、すっかり気を良くしたメイが気軽に質問をする。
「ほとんど半日ぐらいかけたんだし、ちょっとぐらいはいい感じのところまで……」
言い終わるよりも先に、メイの耳に扉の鍵がガチャリと、低く閉まる音が重なり。
そして、音の重々しさ以上に、メイは質問を早くも強烈に悔いることになる。
「はへへ、はへへへへ……」
鍵を片手に。扉の施錠をした道具が、さも当たり前かの如くぐにゃぐにゃと変形している。
だがメイはそのようなささいな魔力的変化よりも、その道具を携える魔法少女のリアクションに動揺を覚えている。
「進捗どうですか、ですね? 進捗どうですかですよね?」
扉の施錠をしっかりと確認しながら、図書館の主たるキンシがその内部を出口に向けて進む。
だがその足取りはまるで、一切がっさい館の主たる威厳など微塵も感じられそうにない。
上も下も、右も左も本棚と本によって構成されている。
辛うじて天井と思わしき場所から、ブラリブラリとぶら下げられているランプの光。
内部に魔力的要素が含まれている鉱物が収められている。灰笛の伝統的な特産物でもある、魔力鉱物ランプの光の数々。
静かで控えめな、しかし決して光度が不足している訳ではない。
どちらかと言えば、歩きやすい程度に光が満ち溢れている。
その内部において、館主の表情は停電した都市のよるほどに暗く、頼りない色に支配されている。
「えっと? どれだけ進んだかどうか、ですよね。ええ、ぜひとも報告させていただきましょう」
せっかくうまい具合に、調子に乗せさせられていたというのに。
メイはそれとなく、適当な相槌を打ちながら。ひっそりと心の中で後悔と、共に魔法少女に対して面倒くささを覚えている。
「展開の遅延程度はタイフーン直撃の灰笛駅の比ではなく、歩みは黒アリの一歩の雄大さがあるでしょう」
要するにちっとも進まなかった。
自分はまともに見られる作品すらも、きちんと書き上げることができない。
そのような意味の、その様な感じのうわごとを、ただただ口の上に並べ立てている。
しばらくして。
メイが何か、これ以上相手にネガティブを想起させないと、苦肉の策を発案していた。
「ほら、ここを少しこだわったのよ」
書架の森がそろそろ終わりに差し掛かる頃合いに、キンシはちょうど自分と同じ空間で作業していた。
魔女の作品を見せてもらっている、キンシは見慣れぬそれをしげしげと眺めまわした。
「ほうほう、先ほども軽く確認させてもらいましたが。これが……話に聞く魔女の方々の魔法、ということになるのでしょうか」
手渡された、キンシは細心の注意を払いながら布の触感を味わう。
「魔法とは、ちょっとしゅるいが違うんだけど、ね」
数分前までは鬱々と、だがちょっと変化を与えるだけで一気に心情を変化させる。
いとも簡単に気分をコロコロと変える、メイは少女の情緒の不安定さに呆れを飲み下している。
そんな感じに、骨よりも軽い冷笑を、メイはあえて胸の内に演出しそうになる。
理由はちゃんとある、そうでもしていないと。
「流石ですねえ、すごいですねえ。完璧とは言えずとも、しかしすでに導き出されるべき色彩の可能性を感じさせる。これはまさに魔導の女性、つまり魔女の祈りに近い作品になりますよ」
まるで責任感など背負わずに、とにかく自分の感動を何の臆面もなく言葉にしている。
「いい過ぎよ、そんな大したものじゃない」
幼い体の魔女は、うっかり魔法少女の真正直さに飲み込まれてしまいそうな。そんな予感を、どういう訳か恐れずにはいられない。
「ただの、フツーのお裁縫よ」
恐怖とは、また種類も色合いもどことなく違う。
とにかく、素直に受け止めてしまえば何かしら、不思議に奇妙な事象が起きてしまうのではないか。
メイと言う名の魔女は、魔法少女の代わりに図書館の扉を開けつつ。
心の中に溶けた冷凍蜜柑のようにぬるい、てろんとした観念を滴らせていた。




