ハイパーヒロインの切り合い
彼女たちはまだ、作業に意識の大部分を捧げている。
一方はキーボードの上に指を、かたかたと滑らせていて。
もう一方は、何か柔らかい布がコソコソと擦れ合う音を、沈黙が支配する空気の間にひそませている。
「……」
一方の彼女、体が小さく、まだ齢十にも満たなさそうに見える。
幼女の他、どうにも形容できそうにない外見年齢の。
彼女が手の中の作業を一旦止めて、そっと唇を上に向ける。
呼吸を一つ、二つ。
そうすることによって彼女の肉体が。
春日と呼称される、体内に鳥類の特徴を宿した。
そういった人種の一つ。
彼らの幼少期は全身を、フワフワとした柔らかい体毛に包まれているのが特徴であるのだが。
「んん、目がつかれてきた……」
白い、白鳥かシロサギか、とにかく全身のほとんどを白い羽毛に包まれている。
「メイさん、進捗どうですか?」
キーボードの上に指を添えている方の彼女が、普通の椅子の上に座る白い彼女の方に質問をした。
「いやねえキンシちゃん、そんなせっぱつまった編集さんみたいなこと言っちゃって」
メイと呼ばれた。
春日の幼女は、パソコンの近くの少女のらしくない口ぶりを少しだけからかい。
「んん……と、大体の設計はすでにできているのだけれど。もう少し、このあたりに色をたしてもいいかなって。ちょっと迷ってたの」
キンシと呼ばれた少女は、脚の長い机と椅子の向こう側にいるメイの方へ視線を。
その、白く細くモフモフと柔らかそうな手の中にある、一枚の作品に注目をする。
そこには一枚の布が。
鮮やかに染色された何本もの糸が縫いこまれた、いわゆる詩集と呼ぶべき物品が存在している。
「うーん? 僕にはもうすでに、完成され尽くしたものに見える、ですけれどね?」
キーボードへの入力を一時停止させて、キンシと言う名で呼ばれている少女は、幼女の作品についてコメントを呈する。
「本当に、あなたは本当にそう思っているのかしら」
問いかけに問いかけを返す形で、メイは手の中の者を少女の方に掲げてみせる。
「今の状態で、この刺繍をキンシちゃんは心のそこから、美しい、と思える?」
メイの視線は布で隠されて見えない。
だがキンシは、その向こう側に透ける彼女の刺すような視線に一瞬たじろぎ。
考え、答えは迷う必要もないほどに明確であって。
「思い、ません。思いませんね、僕はそれを美しいと言えそうにない」
こんな所で、このような状況で気遣いを、虚偽を申し上げる必要もなしと。
キンシは判断をつけて、思ったままの正直な感想をメイに伝えた。
「そうよね、教えてくれてありがとう」
少女の感想に対して簡単な礼を、メイはまたすぐに針を握って糸を織り込ませる作業を継続する。
しばらくの沈黙、しかし二分と持続しないまま。
「それって、つまり魔女の作る物の内の一つ、ということになるのでしょうか?」
いまいち筆のノリが、もとい指のノリが悪いのか。
キンシがもう一度メイに向けて、会話を持ちかけようとする。
「ほら、魔女のスープであったり、クッキーとかケーキとか。そういうのを作るのも、魔女としての務めの一つ、っていうことになるんですよね」
椅子の上で器用にあぐらをかいて、キンシがへらへらとした笑いを浮かべてメイに確認をする。
「そう、ねえ」
通しかけの糸を安定させた後に、メイが少し首をかしげて考えを巡らせる。
「あとは……ヒキガエルの丸焼きであったり、イモリの丸焼きだとか。そんな感じかしらね」
精一杯、ファンシーを突き詰めた例を挙げたのにもかかわらず。
キンシの気づかいなど構わずに、メイがそれらしき事例をつらつらと、平然とした様子で並べていっている。
「なにかを創って、そこに魔力を込める。といった点では、魔法使いとあまりたいして違いはないかもしれないわね」
先端をピンク色の針山に固定して、メイは首のかしげをさらに深く。
「私はあくまでも、偽物の魔女だから……。あんまりハッキリとしたことは言えないんだけど」
斜めになった、図書館の風景を眺めながら低い声を発している。
「私は作り物の魔女で、だから……」
だから、の後に続く言葉がキンシの頭の中で、虚構の文章を構築していく。
今自分と、同じ空間で作業をしている。
少女の体を持つ彼女は、実は魔女であり。
しかも、すでに死亡したひとりの女性を元に造られた。
人造の魔女であることを知ったのは、キンシの貧弱な記憶力においても、新鮮さを依然として失ってはいない。
「えっと……」
予想以上に話が深みを、暗たんとしたそこへと及びかけて。
はて、果たしてこの後どうすべきなのか。
全く予想も、呼びもなにも用意していなかった自分に、キンシは胸の内で叱責を叩き付けたくなる。
「……」
再び沈黙。
メイは途中かけだった刺繍の、そろそろ仕上げに入ろうとしている。
体毛の下に艶めくプルプルとした唇は静かに結ばれ、その様子はまるでこれ以上の言葉を期待していないようにさえ思えてくる。
「えっと、メイさん」
だがキンシは、何か直感めいた強迫観念に駆られるまま。
「お話を、しませんか」
かなり無理があると、重々理解していながらも。
だが理性よりも感情を優先させて、己中心の欲望のままにキンシは唇を動かし続ける。
「んん? なにをお話ししようというのかしら」
新しい糸を通そうとしていながら、メイはあえて相手に付き合うそぶりを見せている。
「なんでも言ってごらんなさい。恋バナかしら、それとも最新のスイーツについての話題かしら」
本音を言ってしまえば、メイはもうそれ以上唇を動かしたくなと思っていた。
話すのが嫌いという訳ではなく、残酷なことを言ってしまえば単に、気分ではなかっただけ。
さらには、メイは自分以上に少女のほうこそ、本当は他人と会話したい心理状態ではないはずなのに。
「えっと……へ、バナナ? スイツ?」
だけど相手を不必要なまでに思いやってしまう。
特に、自身にとって価値を見出せる対象は、不気味なほどに丁寧さを発揮してしてしまう。
メイと言う名の魔女は、キンシと呼ばれる魔法少女の性質を理解している。
共に暮らし始めて……。暮らす、と言うよりは、世話になっている、と言った方が正しいか。
とにかく、共同生活をし始めてそう大して時間を経ていない。
にもかかわらず、やはり身体の基本構造が共通しているゆえか。
あるいは単純に、メイ自身の性根と言うべきものが、彼女の思っている以上に陰湿だった。
悪質で、悪辣なる、いかにも魔女然としている。
「人生について、僕は貴女に意見を申し上げたい」
自己嫌悪ほどに分かりやすいわけではない。
彼女が皮肉めいた笑みを胸の内に滞らせかけている。
その聴覚に、キンシの上ずった声がひょこひょこと伸びてきた。
「ふむ、人生と?」
自身の悪性をかんがみることもしないままに、メイは少女からの提案を為すがままに受け入れようとしている。
「いきなりなにを言いだすのかしらね、キンシちゃんは」
しかし、自分のまいた種。
ここは思うままに、言葉が指し示すままの流れに身をさらすのも悪くないと。
「僕は常々思う訳ですよ、人生ってどうしてこんなにも苦しいのかって」
メイは再び先端を針山に沈め、腰をゆっくり落ち着かせて魔法少女の言葉を待つことにする。
「なんだかいきなり、壮大な話になってきたわね」
余りにも脈絡がなさすぎる、唐突ここに極まれりと。
しかしキンシにとっては、その様なことは大した問題ではないらしく。
「いえいえ、こんなのはなにも大きさなどない、ごま塩一つまみ程度に身近で些細な問題でもあるんですよ」
魔女の戸惑いと怪訝などお構いなしに、魔法少女は若干動向を開き気味にして力説を開始する。
身振り手振りを加えて、どうにか誰かに自身の主張を伝えようとしている。
しかし少女の張り上げた声も、彼女たちが今いる図書館。
左右上下、全体に白色を基調とした内層になっている。
図書館の最深部に満たされる、圧倒的な静けさの前では羽虫の音程度の影響力しか有していない。
「ですからね、メイさん」
どれだけ話していたのだろうか、言葉を重ねるほどにキンシの緊張感は高まり。
しかし、音声の内容度は延々とゼロに近い底辺を這い続けている。
「世に風邪ウイルスの如く、恐ろしき感染力によって大流行、大拡散しまくっている歌謡曲。そこにはどうして、あんなにも沢山の希望が込められている、のでしょうかね」
どうやら少女は、メイに質問をしようとしているらしい。
「そんなのは、だれも暗いだけの音楽なんて、ききたくはないと思うからじゃないかしら」
メイは、どう答えたらいいものか。考えるよりも先に、無難な答えを反射的に口にしている。
魔女の意見、キンシと言う魔法少女は言葉を受け取り。
そして頭の中で反論を、唇を開けて声に出す。
「かつての楽曲の素晴らしさ、込められた美しさを否定したい、そういう訳では決してないのですが。それでも……ですね……」
「たしかに、暗い気持ちのときに明るい曲をきいてはいけないって、ウワサを聞いたことがあるわ」
メイはすでに作業を再開していて、キンシの方は手を止めたままになっている。
「心理状態だとか、記録に残すことができる情報、よりも、もっと何か。上手く表現できない、あいまいな部分で、僕はどうしても嫌悪感を起こさずにはいられないの、です」
「ふうん?」
そう思うのならば、勝手にそう思っておけばいい。
それはそれとして、はたしてその例えが一体何の意味があるというのだろう。
「つまりですね」
メイが思った疑問を音声にして、キンシがそれに答える。
すでに、とりあえず魔法少女の方が求めた状況はクリアできてはいたのだが。
しかし、一度始めた言葉をすべて出し切るまで。
少女の言葉は勢いを失いそうになかった。
「僕はどうしようもなく、他人の幸せを内層に受け入れることができないんです。たとえ、そういった思考がどんなに下らなくて、馬鹿馬鹿しくて、卑下されるものだと。自身に言い聞かせても」
「他のひとが楽しそうに生きているのが、ゆるせないと?」
少女の心情を、魔女は一片も逃さないようにしっかりと言語化する。
同一の情報体を有した、しかし決して交わることの無い。
二つの肉体が視線を、視認することのできない点と線を結び合う。




